曳山アラカルト
令和5年11月6日 朝日新聞 | 唐津の絆ずらり くんち閉幕 | |
令和5年11月4日 朝日新聞 | 「エンヤ」「ヨイサ」最高潮 唐津くんち | |
令和元年5月6日 佐賀新聞 | 唐津っ子「令和」走る 祝賀奉曳 創建200年の祝い餅 | |
平成31年 西日本新聞 | 宝を紡ぐ/祭り/唐津くんち 津留記者 | |
平成19年10月18日 西日本新聞 | 祭りの神髄 見失わず 受け継ぐ唐津っ子の心意気 牧川洋二さん | |
平成11年10月13日〜10月31日 西日本新聞 | 曳山んばなし・唐津くんち 野口智弘記者 | |
平成10年10月13日〜11月5日 西日本新聞 | 酔って唐津くんち 野口記者 | |
平成7年10月31日 唐津新聞 | 十三番曳山「鯱」 日本一大きい鯱 中島武治 | |
平成元年10月2日 唐津新聞 | 色鮮やかに「赤獅子」 修復総塗替え完成 | |
昭和63年12月 新郷土 | 提唱 瀬戸理一 | |
昭和63年10月17日 唐津新聞 | 「鯱」塗り替え完成 色鮮やかに市民に披露 | |
昭和62年10月19日 唐津新聞 | 「飛龍」塗り替え完成 色鮮やかに市民に披露 | |
昭和61年10月13日 唐津新聞 | 人気を集めた鳳凰丸 武雄の「森の賑い」に出場 | |
昭和60年10月12日 唐津新聞 | 美しい「曳山はんかち」 唐津曳山取締会が発表 唐津くんちに新しい土産品 | |
昭和60年10月7日 唐津新聞 | 24年ぶりお化粧直し ピカピカの「鳳凰丸」大石町巡行して市民に披露 | |
昭和59年10月22日 唐津新聞 | 盛大に落成祝賀会 生まれ変わった青獅子 | |
昭和59年10月6日 唐津新聞 | このとおり立派になりました 武田信玄の兜 | |
昭和58年10月8日 唐津新聞 | ピカピカの珠取獅子 唐津神社に塗り替え完成報告 | |
昭和57年10月9日 唐津新聞 | 喜びの「総塗り替え」落成式 唐津高架駅前も一周 | |
昭和57年10月4日 唐津新聞 | ピッカピカに「上杉謙信の兜」54年ぶり総塗り替え | |
昭和57年1月1日 | 曳山の思い出尽きず(戸川省吾)他 | |
昭和56年10月19日 唐津新聞 | 57年ぶり5番「鯛山」修復 750万円掛て 色鮮やかに生き返る | |
昭和56年7月20日 唐津新聞 | 土曜夜市がスタート 市民ドッと繰り出す にぎやかにパレードも | |
昭和56年7月17日 唐津新聞 | 土曜夜市あす開幕 曳山銀獅子を復元 | |
昭和56年2月23日 唐津新聞 | 唐津神社で安全祈願 渡米を前に「上杉謙信の兜」 | |
昭和56年1月22日 唐津新聞 | 曳山図絵の退色を憂う | |
昭和56年1月1日 唐津新聞 | 悲運の九番ヤマ 三浦外喜守(玄海派同人 朝日町) | |
昭和55年10月7日 唐津新聞 | 観光たばこ「まつら」 “唐津くんち”などを記念して | |
昭和55年10月1日 唐津新聞 | 曳山絵はがき発売 | |
昭和55年7月22日 唐津新聞 | 少年たちの笛に合わせ 西唐津小の児童たち | |
昭和55年6月5日 唐津新聞 | ハッピ姿で山ばやし 日広連全国大会の観光団一行に | |
昭和55年2月9日 唐津新聞 | あすから記念発売 曳山まつりの絵はがき | |
昭和54年12月22日唐津新聞 | ミニ曳山が大臣賞 民芸品店の野口さん | |
昭和54年12月8日 唐津新聞 | 唐津くんち行事 重要無形文化財16件を指定 | |
昭和54年10月16〜31日 唐津新聞 | 出番近まる曳山 @〜M | |
昭和54年10月 新郷土 | 唐津"おくんち" 諸井道實 唐津おくんちの裏方から 後藤米子 |
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昭和52年10月25日 唐津新聞 | 唐津曳山などロケ 東映トラック野郎シリーズ | |
昭和52年10月24日 唐津新聞 | 塗り替えを披露 三番山の亀山浦島太郎 | |
昭和52年10月22日 唐津新聞 | 曳山浦島を塗り替え あす落成式と町内巡行 | |
昭和49年8月12日 唐津新聞 | 呼び名を「ヤマ」に 唐津曳山の呼称を統一 | |
昭和48年7月28日 唐津新聞 | 「曳山」に呼称を統一 県教委 地元の声を認める | |
昭和47年11月4日 唐津新聞 | くんち雑感 鼻と口にケガ 珠取獅子電柱に激突 | |
昭和47年11月4日 唐津新聞 | くんちヤブにらみ 阿留布輪 | |
昭和47年11月2日 唐津新聞 | 曳山アラカルト 危うく米軍が接収準備 他 | |
昭和47年10月23日 唐津新聞 | 唐津に”日本の心” 「題名のない音楽」に黛敏郎氏曳山芸能にウッとり | |
昭和46年7月18日 唐津新聞 | ハデな土用干し 他 | |
昭和45年10月19日 唐津新聞 | まるでミニくんち 曳山、無地展示場へ 曳山展示館に売店 観光協会が常設 15枚の唐津完成カラー絵はがき一万組 |
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昭和45年10月14日 唐津新聞 | 赤獅子から入居 18日 曳山展示場へ | |
昭和44年10月8日 唐津新聞 | 曳山ばやし 田中富三郎 | |
昭和44年4月21日 唐津新聞 | 新緑の城祭り 圧巻の4キロの大パレード | |
昭和44年4月14日 唐津新聞 | 唐津まつり近ずく 赤、青獅子も パレード準備進む 他 | |
昭和43年11月25日 唐津新聞 | 唐津にロケ旋風 森繁氏ら本社を訪問 | |
昭和43年11月16日 唐津新聞 | 森繁らスター大挙 21日から唐津でロケ エキストラ150人を動員 | |
昭和43年11月4日 唐津新聞 | 史上最大の人出 押かけた外人客 他 | |
昭和43年10月29日 唐津新聞 | 曳山上での酒気ご法度 | |
昭和43年10月28日 唐津新聞 | 曳山巡路変わる 江川町を二往復 | |
昭和43年10月 新郷土 | 我観・唐津おくんち 市場直次郎 唐津供日・今は昔 河村健太郎 |
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昭和43年10月17日 | 唐津供日をロケ 社長えんま帳 松林監督らが下見 | |
昭和43年4月15日 唐津新聞 | 唐津まつり最終日 春最高の賑わい | |
昭和43年4月12日 唐津新聞 | 曳山にワンダフル 英国水兵唐津の景色を楽しむ | |
昭和43年3月20日 唐津新聞 | 6町内が曳山補修 猫川架橋の駅前延長も | |
昭和43年2月8日 唐津新聞 | みんなで考えたい 唐津神祭の期日変更 | |
昭和43年2月10日 唐津新聞 | みんなで考えたい 曳山会館の実現を望む | |
昭和42年5月26日 唐津新聞 | 市長会の行政視察 | |
昭和42年5月24日 唐津新聞 | 建設位置変更を 予定歩道橋では曳山が通れぬ | |
昭和42年5月5日 唐津新聞 | 唐津祭り最高潮 唐津くんちしのぐ人出 圧巻、仮装行列や大名行列 | |
昭和42年5月3日 唐津新聞 | 春の唐津まつり 好天に恵まれて | |
昭和40年11月2.3日 唐津新聞 | 随筆 われヤマを愛す | |
昭和40年10月17日 唐津新聞 | 赤獅子修復を祝福 きょう奉告祭と祝賀会 | |
昭和40年3月19日 唐津新聞 | 投稿 神祭の日取り変更 | |
ヤマの歴史と名称(飯田一郎) |
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神祭の山笠昔話(岩下正忠) | ||
山ばやし考補足(田中富三郎) | ||
山ばやし(白井はま) | ||
昭和39年10月23日 唐津新聞 | 米屋町曳山の落成奉告祭 唐津神祭ちかづく 塗り替えて面目を一新 | |
昭和39年春祭り関係 唐津新聞 | ||
昭和39年3月22日 唐津新聞 | 社説 曳山宝塚へ行く ・曳山宝塚に行く(田中富三郎) | |
昭和38年10月14日 唐津新聞 | チャーターナイト一色に ライオンズ唐津クラブ 松浦潟の展望や山笠見物 | |
昭和38年10月13日 唐津新聞 | 長崎婦人会が観光来唐 | |
昭和38年4月12日 唐津新聞 | 刀町山笠の原型“獅子頭”製作者石崎家に代々伝わる | |
昭和37年10月24日 唐津新聞 | 呉服町山笠塗替完成 | |
昭和37年10月16日 唐津新聞 | 珠取獅子の塗替祝賀会盛会 京町は早くもくんち気分 | |
昭和37年10月16日 唐津新聞 | 宵山笠やめ前夜祭 取締り会で決定28日夜10時から曳出す | |
昭和37年8月18日 唐津新聞 | 新庁舎落成 國際色も織り交ぜ 記念式典行事に湧く 唐津市内 | |
昭和36年10月8日 唐津新聞 | 初ぐんちと山ばやし(唐津ッ子) | |
昭和36年10月15日 唐津新聞 | さんぜんと輝く「ほうおう丸」大石町山笠塗り替え落成式 | |
昭和35年10月17日 唐津新聞 | 信玄のかぶと木綿町山笠落成 三つ囃も勇ましく町内を練る | |
昭和34年10月26日 唐津新聞 | 山笠塗替え奉告祭 きれいになった魚屋町のタイ | |
昭和34年10月12日 唐津新聞 | 青獅子中町改装披露式 山笠関係者多数を招き開催 | |
昭和34年10月7日 唐津新聞 | 山笠のお化粧出来上る 中町、11日に彰敬舘でお祝い | |
昭和33年10月?日 唐津新聞 | 近づく山笠供日 唐津市ポスターで県外に宣伝 | |
昭和23年10月31日 唐津新聞 | 三つばやし 雨にしめる 饗応の街に静かな山笠供日 |