提唱

唐津くんちを終えて

 戦後四十三年奇跡とも思われる経済復興を成し遂げた我が国は、今や西側陣営のリーダーとして繁栄を続けている。九月十九日、天皇不例を契機として国民的諸行事すら自粛を当然の事とする風潮に支配され、政府、マスコミまでがこれを容認したようで、四十日後に迫っている唐津供日を思い主権在民の新憲法下において一体何ぞやと考え込む日が続いた。

 伝統ある曳山行事は何としても実施の方向へリードしなければならないと決心したのは九月二十五日夕であった。
 長崎・伊万里は早々と自粛を発表して世論に右へ並えしてしまった。明治・大正両天皇の崩御、又先の大戦にも日数の短縮こそすれモンペ姿の女性を混じえて中止した事の無い曳山行事が新憲法下で何故自粛なのだ。これでは戦争で犠牲となられた御霊(みたま)に申し訳ない。自らの血で奪取せず御霊の血によってマッカーサーから授かったため、民主主義は定着していないのだ。

 平和憲法を守る時は今だと思った。唐津だけでも良い、民主主義を守り貫こう、このままでは世界各国から痛烈な批判を受ける。
 実行を提唱すれば誹謗は必至と考えられるが、先ず身内や同意が先決である。五日間で家庭の同意を得て曳山会議に臨んだ。
 三回に及ぶ会議では「祭りこそが自治の原点であり唐津だけでも伝統と民主主義を守ろう」と誠意を込めて実施のお願いをした。

 ついに十月三日の曳山取締会総会と五日の氏子総代会において決行同意の拍手を得た時は胸が熱くなった。実施までのどんな妨害にもひるまなかった。そして平癒祈願を込めた唐津供日も厳粛な内にも正々堂々と無事故で決行する事が出来た。
 民主主義を守った曳山行事について全国各地から一〇〇通に及ぶ電話や手紙に接しているが今後益々曳山の発展を願うのみである。

(唐津曳山取締会総取締・瀬戸理一) 
 昭和63年12月 新郷土