唐津くんち行事も
重要無形文化財16件を指定


保護心審が答申
ねぶた・戸畑大山笠など


 文化財保護審議会(坂本太郎会長)は、七日全国各地に伝わる民俗芸能や風俗慣習の十六件を新たに国の重要無形民俗文化財に指定するよう谷垣文相に答申した。このなかには、地域の特色か豊かで規模の大きい代表格の唐津供日の曳山行事か選ばれ、曳山町内をはじめ地元のよろこびは大きい。なお、九州関係では「唐津くんち行事」のほか戸畑の「祗園大山笠行事」が重要無形民俗文化財になるほか長崎県五島玉の浦に伝わる「下五島大宝郷(だいほうごう)の砂打ち」か記録作成の無形民俗文化財に選ばれた。

 唐津くんちの主役曳山″は、文政二年(一八一九)に、刀町の石崎嘉兵衛が同志の大木小助らとうるし″の一閑張りによる一番ヤマ赤獅子を製作してから明治九年までの五十七年間に十五台の曳山が製作された。このうち九番目に当る紺屋町の黒獅子は、明治の初期から中期ごろ消滅した。原因は破損、焼失、堀に転落などの説があるが、はっきりした事は不明であり、現在は十四台が残っている。
 唐津ヤマが出来る前は、傘鉾ヤマやカツギヤマがあり町内の火消し組みがかついで唐津神社の御輿の御神幸にお供して西の浜に出たといわれている。唐津藩主が小笠原氏に代ったころから庶民文化が華やかになり、町民も藩の圧政から解放され、莫大な資金を出し合ってヤマ製作を競った。金ぱく、銀ぱくをふんだんに使った豪華なもので、高さはいずれも六b前後あり、重さも二〜五トンと重い。以前は唐津神社秋の大祭の十月二十九日にヤマ町内を引き回したが、近年観光が重視され十一月三日を中心に三日間祭りが開催される。
 また唐津くんちは、供日宮日とも云われ、この日だけは武士も町人もいっしょになってまつりを楽しみ、各家庭では酒肴で知人や友人、ヤマ引きを振舞った。この日だけは無礼講事で、上も下もなくみんなか祭りを楽しんだ。
 ヤマ引きの衣装は前の火消し組からでた江戸腹(パッチ)腕ヌキ、ハッピの装束が用いられ、鐘や太鼓、笛のヤマばやしに合わせ勇壮に町内を引き回るもので男のまつりで女性禁制だった。
 新指定の重妻無形民俗文化財と、新たに選ばれた記録作成などで保有する無形民俗文化財は次の通り。

 【重要無形民俗文化財】
青森のねぶた(青森市)▽弘前のねぷた(青森県弘前市)▽永井の大念仏剣舞(けんばい)(岩手・都南村)▽秋田の竿灯(かんとう)(秋田市) ▽金沢の羽山ごもり(福島市)▽小河内の鹿島踊(東京・奥多摩町)▽相模人形芝居(神奈川県厚木市、小田原布)▽糸魚川・能生(いといがわ・のう)の舞楽(新潟県糸魚川市、能生町)▽根知山寺(ねちやまでら)の延年(糸魚川市)▽古川祭の起こし太鼓・屋台行事(岐阜・古川町)▽尾張津島天王祭の車楽舟(だんじりぶね)行事(愛知県津島市、佐屋町)▽豊橋神明牡(しんめいしゃ)の鬼祭(愛知県豊橋市)▽安乗(あのり)の人形芝居(三重・阿児町)▽土佐の神楽(高知・物部村、大豊町、本川村、池川村、檮原町、東津野村、十和村)▽戸畑祗園大山笠行事(福岡県北九州市)▽唐津くんちの曳山行事(佐賀県唐津市)
 【記録作成などで保存する無形民俗文化財】泉山の登拝習俗(青森・三戸町)▽津軽のイタコの習俗(青森県)▽綴子(つづれこ)の大太鼓(秋田・鷹ノ巣町)▽新山(にいやま)の延年(山形・平田町)▽遊佐(ゆざ)のアマハゲ(山形・遊佐町)▽鹿島日吉神社のお浜下(はまお)り(福島・鹿島町)▽常陸大津のお船祭(茨城県北茨城市)▽吾妻(あがつま)のお茶講の習俗(群馬∴中之条町吾妻町)▽武蔵府中の太鼓講の習俗(東京都府中市)▽有東木(うとうぎ)・平野の盆踊(静岡市)▽知立(ちりゅう)のからくり(愛知県知立市)▽知多木綿の紡織習俗(愛知県知多市)▽阪本踊(奈良・大塔村)▽吉傭津彦神社の御田植祭(岡山市)▽阿波の辻堂の習俗(徳島県)▽下五島大宝郷(だいほうごう)の砂打ち(長崎 玉之浦町)▽東郷人形浄瑠璃(鹿児島・東郷町)▽那覇安里(あさと)のフェーヌシマ(那覇市)


昭和54年12月8日 唐津新聞