祭りの神髄 見失わず 
  
受け継ぐ唐津っ子の心意気      牧川洋二さん

 隆盛にも浮かれることなく
守るべき姿、次代へ



 色鮮やかな漆が映える十四力町の曳山が、秋の城下町を駆ける「唐津くんち」(十一月ニ−四日)。勇壮華麗な祭りを取り仕切るのは、各町の代表者(本部取締、正・副取締)などで組織する唐津曳山取締会です。その最高責任者である総取締、牧川洋二さん(七三)=唐津市大石町=に話をうかがいました。昨年は過去最高の六十万人が見物に訪れ、マスコミでも度々紹介される唐津くんちですが、牧川さんは浮かれることなく、唐津っ子が大切にする曳山の真骨頂を語ってくれました。

 曳山とともに生きてきた半生ですね。いくつのころから、祭りに出ていたのですか。

 幼いころには曳山の台に乗せられていたのでしょうが、記憶にはありませんね。物心ついた時には(曳山の)曳き網を握ってましたから・・・。曳山の町で生まれた子どもたちは皆そうですよ。中学生のころは囃子方で、鉦をたたいていました。

 十四力町の曳山にどのくらいの人が参加していますか。参加資格や規律にも厳しいとか。

 約四千三百人が参加しています。各町の曳山に百六十人から四百五十人ほど。町外在住の人は参加する町に保証人がいないと、出られません。子どもたちには学校の許可が必要です。「飛び入り」は絶対にありません。
 数トンの曳山を曳いて回るのですから、参加者の把握や統制は危険防止のために欠かせないのです。曳き子は保険に加入していますが、祭りでの負傷は「自己責任」が不文律。子どものころから、不注意でけがをするのも「恥ずかしいことだ」と教えられていますから。
 それから、山を曳くのにふさわしい格好や振る舞いも求められます。だから、茶髪やピアスは認めません。くんちの前に、染めていた髪を黒くする若者も結構いますよ。

 最近は唐津くんちがマスコミにも頻繁に登場し、大勢の見物客が訪れていますね。

 祭りが多くの人たちに広く知られるようになったのは、うれしいことです。けれども、唐津くんちは観光客目当てのイベントではありません。
 見物する人には曳山が目の前で急に曲がったり、加速したりする危険な場所を避けてくださいとお願いしています。曳き子は自分たちはもちろん、見物客にもけがをさせてはいけないと、常に注意を払っているのです。

 くんち料理の接待も決して「無礼講」ではありません。一年間、お世話になった人たちをそれぞれの家に招いて、もてなすのが本来の姿です。そこでは、もてなされる側の心遣いも大切です。
 マスコミを通して祭りが知られていく中で、私たちが代々受け継いできた唐津くんちのしきたりやならわしを、きちんと理解してもらわなくてはとも感じています。

 年々盛んになる唐津くんちですが、途絶えたことや存続の危機はあったのですか。

 曳山が途絶えたことは一度もありません。男たちが出征した戦時中は、小学生だった私たち子どもと、もんぺ姿の女たちで曳山を曳きました。
 昭和四十年代初めには町再編(町界町名整理)で、曳山の町々が消滅しそうになりました。私が住んでいる大石町もなくなる話がありました。その時は、各町の人たちが市に掛け合って曳山がある一四ヶ町すべてを残しました。昭和天皇bがご病気の時も自粛ムードの中で「ご快癒祈願」の曳山を出しました。

 進学や就職で唐津を離れた多くの若者たちが、くんちの日には曳山を曳きに帰ってきます。次世代の唐津っ子に伝えたいことは。

 大石町の曳山・鳳凰丸(一八四六年作)は当時の記録に製作費が千七百五十両とありますが、誰がいくら出したかは記していません。多額に出した家に、町の人は頭が上がらなくなる。恐らく子孫のために記録しなかったのでしょう。財力も社会の肩書も通用しない曳山での実績は、自分自身の力で築くものです。
 次世代には、伝統に息づく祭りの神髄を見失わず、時代の流れの中で祭りを見直す柔軟性も併せ持ちながら、先祖から受け継いだ曳山の組織をしっかりと支えてほしいと思っています。


インタビューを終えて

温和さに漂う度量

 「写真を撮らせてください」とお願いすると、背広に着替え、その上に総取締の法被を羽織られた。くんちの行事以外で正装をしてくださった心遣いがうれしかった。
 曳山の総大将≠ナありながら、居丈高な雰囲気はみじんもない。温和な語り口に、勇み肌の曳き子たちのトップにふさわしい度量を感じた。
 くんちを控え、自宅でもてなす友人や知人たちに招待状を書いておられた。およそ四百枚。その数の多さが、人情と礼儀に厚い人柄を物語っていた。 (手嶋秀剛)


牧川洋二さん関連年表
1934年6月 唐津市大石町に生まれる
 62年3月 山口大経済学部卒業
 64年10月 家業継承のため、帰京
 79年4月 大石町曳山正取締に就任
 81年3月 曳山ディズニーランド遠征(米国)に参加
 88年4月 同町本部取締に就任
 96年3月 曳山ハワイ遠征(米国)に参加
 99年4月 唐津曳山取締会副総取締に就任
2003年4月 同会総取締に就任

平成19年10月18日 西日本新聞