三つばやし
雨にしめる
饗応の街に静かな山笠供日


唐津神社秋祭り第一日目は二十九日朝からの雨模様もともあれ唐津っ子、山笠ファンの*気を高らかにくりひろげられた。早朝戸川神官によって神事をとりおこない御輿は氏子の手によって三ツ囃も勇壮に勢揃いした山笠は赤獅子先頭に街中を巡行西浜明神台に鎮座された****には近郊近在からドット繰り出した人出で雑踏神社境内を中心に人の波が渦巻いたが昼過ぎからひどくなった雨と饗応の薬が効いてか乱痴気騒ぎやつきものの喧嘩もなく例年に見られない低調供日におわった。

 
戸川さんが語る
山笠談義


山笠曳はデモ行進
  供日は民衆の一部革命

唐津の山笠は文政二年から明治九年までの間に出来ている、囃子にも曳き方にも昔から不文律の規則があるらしいが近年は囃子が乱調子の傾向にあるが各町々にはまたそれぞれの伝統と特徴があるから、どれがよいという判定は難しい。

 それに山笠の重い軽いによって囃子の調子に緩急があり山笠の格好が変ってきているからどこのが正調でありどこのが間違っているということは云われない。

 昔は武土という特権階級が横暴を極め、町人は一種の奴隷視されしいたげられてきたが、しかし唐津のお供日だけは領主から町人の*********解放され***国**まれに見る勇壮な行事***れたのであろう

ふだんは城内には絶対に**入れなかった町人も供日だけは天下御免 無礼講だ****かの山笠**夜明け前*城の大手門前広場に勢揃いし、明け六つの大太鼓が鳴りひびくと共にサツと城門が八文字に開かれ同時に山笠は城内になだれ込み、この日ばかりは圧制者に対する日頃のうっぷんを山笠に託して心ゆくばかりの大騒ぎを見せたというが勇壮活発な山囃子の音律にのり年に一度の民衆の噴火のは**が如何にすさまじかったであろうかがしのばれる。 

(かすれて読めない箇所は****とした。)
 
写真は大手口から新大橋を渡る山笠
 昭和23年10月31日 唐津新聞
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