出番近まる曳山  @〜M 


 祭り好きの唐津っ子の血を踊らせ、十四台の勇壮を曳山(ヤマ)が町内を錬る唐津くんち(十一月三、四日)が近づいた。早くも曳山十四町内では山囃しの練習の準備に入り、やがて秋の夜空に太鼓や笛、鐘の音がこだまする。これと同時に曳山取締本部ではことしの神祭が、土、日曜日の祝祭日連休と重なるため、人出は昨年を大幅に上回ることも予想されるとして受け入れ体制や実行計画を進めている。くんち気分が高まる中で、十四台の曳山を写真で紹介してみることにした。



 刀町赤獅子

 刀町の山岡捷延さん(本部取締役・実行委員長 は「十四町内の先陣を切ってこの春、めでたい百六十周年祭をしたが、くんちの本番を迎えるのは今度が初めてのことで関係者の期待も大きく、ささやかな祝い行事も企画中…」と話す。他の曳山に比べて勢いよく走るイメージはなく、行軍を指揮するかのように山ばやしのリズムも大らかとも言う。近年、ふるさと指向の中で、とび入りの曳き子も増え、次代の歴史に向けて、また新しいステップを踏み出す。

(昭和54年10月16日 唐津新聞)


 中町青獅子

「山囃しの太鼓のリズムもここ二〜三年、全町統一の正調″に近づいているが、何と言っても中町の太鼓には独特の響きがある」と正取締の頃安恵一郎さん(四八)は言う。笛、鐘、太鼓の壮厳な囃しの中でもきわだって威勢の良さを盛り上げるのが太鼓の本領で、他の曳山町内に比べ、中町の太鼓のリズムは伝統的にテンポが早く、重圧感をもっている。ことしの刀町に次いで五年後には中町の青獅子も百六十周年を迎え、二十数年ぶりの塗り替えが計画されている。▽正取締=頃安恵一郎▽副取締=花田悦男

(昭和54年10月17日 唐津新聞)


 材木町浦島

 曳山町内の中でも大きい町だけに市内巡行に参加する曳き子も多く、七班(区)に分けており、威勢の良さは自慢の一つ。昔は血気盛んな若衆のトラブルがたえなかった、近年はなくなったが、相変らずわが町の曳山への愛着心は他町に引けをとらない − と中山謙治さんの弁。例外にもれず、遠方からの町内出身者の参加も多く、昨年はロープを伸ばした。各班ごとに責任者も置き、事故防止に万全を機しているが、後部カジ棒につく二番組(三十五歳上)も増え、「後ン方さん引こや」の声も。▽正取締=中山謙治▽副取締=岡了

(昭和54年10月18日 唐津新聞)


 呉服町源義経の兜

 曳き子に女性や部外者を入れない鉄則が今も受け継がれているが、ヤマ好きの旅評論家・戸塚文子さんのとび入り参加は別格で自慢の一つ。しかし、ここ二〜三年、仕事の都合などで来てもらえないが、ことしも案内は出した − と呉服町の藤野皓三さん(四三)は話す。
町内には、これまでヤマ囃しの名人と呼ばれる太鼓、笛の先達を輩出し、源流″を受け継ぐ、宮田一男さんらもおり、奏でる囃しにはどこかに正調リズムの余韻が残る。ことしは唐津くんちPRのボスターにも載り、ヤマキチ≠フ熱気はさらに盛り上っている。▽正取締=藤野皓三▽副取締=橋村信義

(昭和54年10月19日 唐津新聞)


 魚屋町鯛

 ことし二月、フランスのニースカーニバルの晴れ舞台に勇躍、遠征し、国際親善の大役を果したのをはじめ、東京、京都など公開出演すること三回。ミナト町・唐津を象徴する曳山で、市民や観光客にも馴染み深く、人気がある…と鶴田郁太郎さん(四九)は言う。また、小町だけに派手さはないが鯛ヤマ≠中心とする結束は固く、町内の融和をモットーに年間行事が行われている。昨年の神祭では不慮の事故でヤマの後部を破損したが、来年の秋ごろから塗り替えの計画もあり、二年後には生まれ変った″鯛ヤマが登場する。

(昭和54年10月20日 唐津新聞)
 


 大石町・鳳凰丸

 ヤマ囃子の継承に熱心な後継者が多く、約十年前に結成した「曳山囃会」の格調高いリズムは町内を代表するにふさわしい。とくに笛の小島惣一さん(三二)を中心に毎週日曜日に他町内からの参加者も含め十数人で練習会が続けられており、先年、甲子園大会に出場した唐津商高野球部の応援団にもメンバ「三人が参加し、好評を得た ー と原伴治さんは頼母しそうに切り出す。
音楽家松下又彦さんの胆入りなどもあって、ヤマ囃子がバンド演奏できることを立証したのは小島さんたちだったとか…。「曳山の重量があるだけにいつも威勢の良いセリ囃子でないとうちのヤマは進まない」と大町らしい曳子の声も。▽正取締=原伴治▽副取締=牧川洋二

(昭和54年10月22日 唐津新聞)


 新町・飛龍

 “宵山に新町ン曳山(やま)ば早よ曳いたら唐津くんちにゃ雨ン降る”というジンクスが語り伝えられており、今では材木町や魚屋町などが通ったあとで曳き出しの慣例となってしまった−と同町の本部取締・中山稔さん(五〇)は苦笑する。以前は各町ごとにコースや時間も違っていたが、数年前から全町、同じ時間に出揃う宵宮まつりに変ったこともあって、雨の使者≠ェなぜか気になるという。しかし、本部相談役の近藤頼光さんをはじめ、町内にはヤマ囃子のパチさばきの名人もおり、正調より数回多い捨てバチ″の妙味はここならでは。こういう伝統も町内関係者以外の曳き子を入れず、もろ膚での参加を固く禁じて来た厳しい愛町の鉄則に守られているのだろう。▽正取締=池田武夫▽副取締=古川勉

(昭和54年10月23日 唐津新聞)


 本町・金獅子

 今月九日の初くんちかち毎晩ヤマ囃子の練習が続いており、自慢の子供囃子のリズムも日増しに熱気を滞びて来た。保存会のメンバーの指導で、ヤマ囃子の伝統が若い世代に復活したひと昔前の子供たちも今では立派な大人に成長したが、笛、太鼓、鐘のはやし手は頼母しく育っているーと大西康雄さんは期待を話す。また、同町から本部の副総取締中野陶痴氏が出ていることは金獅子の誉れとも言う。小さい町だけに最近、在町企業の銀行員などの協力があって、曳山行事もスムーズに行われるようになったが、生え抜きの若手後継者らの本若会が結成され、将来に向け、横の連係と融和は大きく進歩している。▽正取締=大西康雄▽副取締=平野浩二郎

(昭和54年10月24日 唐津新聞)


 木綿町・信玄の兜

 西の浜のお旅所にヤマを曳き込んだあと町内の各家庭から持ち寄った手料理を囲む浜弁当〃の時間は、親睦の和を広げている。この慣習は長い伝統行事だが、近年では町関係者のほか、一般の来客も加わり、会場のテントの数を増している−と内山正さん(四三)は話す。ヤマ噺子を受け継ぐ若手の中には、唐津を代表するほどに腕をみがいた二世も育っている。若い曳き子が減っているが、木若会を盛り上げるOBや準会員の協力が頼み。この春の城まつりには、かき氷のバザーをして、テント購入の資金にするなど相互のチームワークは固い。五年後に百二十年祭をひかえ、塗り替えの計画も……。▽正取締=内山正▽副取締=正田誠一

(昭和54年10月25日 唐津新聞)


 平野町・上杉謙信のカブト

 歴史上に著名な上杉謙信の兜だけに曳山を持たない隣接町内の子供たちや一般市民にも人気があり、ハッピを揃えて参加する他町の人も少々、大目に見ている。−と木村誠さんらは言う。とくに町田、神田、二夕子などからのとび入り参加者もあって、厳しい部外者規制のワクに柔軟性を持たせているが、生粋の若手後継者を中心にまとまり、勢いの良いヤマ″の定評は今も。昭和三年の天皇陛下御大典で笑い面″に大改修をした自慢のヤマも製作百十年を迎えた。来年の唐津城まつりには、カブトまつりや内祝いの計画が進んでおり、上杉ゆかりのピンクの家紋入りのニク襦袢をまとった曳き子の気勢が上りそう。▽正取締=木村誠▽副取締=石崎小源次

(昭和54年10月26日 唐津新聞)


 米屋町・酒呑童子と源頼光の兜

 一時、曳き子が減りかけたこともあったか、町内出身者やOBの働きかけがあって「頼光会」が結成され、家族や子弟意識がより確かなものになったという長老の声も聞かれる。曳山を囲む集いの会のメンバーで年四回、親睦行事が続いている。ことしの春には、町田川に三隻の船を浮べて山囃しを奏でて十数年ぶりに幕洗いをした。酒呑童子と源頼光の兜は、興味深い伝説に富み、ガラス製の大眼球は作成当時の町民の気概をしのばせる。昨年は東京・日本橋での日商百年祭に遠征し、都会っ子のド胆を抜いたほか、過去、山口県柳井市や博多に出動したことかある。ことしも「頼光会」を中心にヤマキチが集計り血をわきたたせる。▽正取締=河瀬義弘▽副取締=平田正広

(昭和54年10月27日 唐津新聞)


 京町・珠取獅子
 若い後継者が二十人足らずに減ったこともあったが近年、再び、商店の“二世”の集まり、「京若会」のメンバーは、四十人近くに増え、意気が上っている。ヤマ囃子は小学生から練習をはじめているため、中、高校生のリーダーを中心にまとまり、独特の伝統を守る絆は固い−と大塚喜八郎さん(四七)。ことしは約七十万円をかけて、京紬でハッピを新調し、染めのあざやかさが、チームワークを誇る曳子の熱血を湧かせそう。曳山は格式を示す深緑色で塗られ、百獣の王℃nqが珠を取る様子には気品が伝わる。六年後に百十年祭を控え、近く塗り替えの計画がある。▽正取締=大塚喜八郎▽副取締=山田信夫

(昭和54年10月29日 唐津新聞)


 水主町・鯱

 昔から職人や卸商人の町だったこともあって、古い仕来たりや伝統を大切にする慣習が守り継がれ、固い統率力は他の町内に絶対負けない−と田中誠さんは胸を張る。若衆(三十五歳まで)の一番組、中堅(四十五歳まで)の二番組、年配者の三番組が一体となって水組≠組織しており、長の指揮のもとにまとまって、曳山の引き方がうまく、威勢が良い″との定評。神祭初日の三日の御幸巡行には、一の宮、二の宮に供奉して、氏神・大石大神杜(大石権現)の御輿もくり出す。四日夕の曳山格納のあとの組別町内回りは、交流の輪を広げている。愛町者の間から「たまには対外遠征し、晴れ舞台を踏みたい」との声も……。▽正取締=田中誠▽副取締=吉田敏行

(昭和54年10月30日 唐津新聞)


 江川町・七宝丸

 中国の故事にある七種の宝物を積んだ格式の高い青竜の御座船をあしらって重量のある勇壮な曳山で、意気と力は町民の自慢。大成校区では随一の曳山町内で毎年、宵山の日には江若会の若衆がそろって、済生会病院の「めづら荘」を訪れ、寝たきり老人らをヤマ囃し慰問するのが恒例となっており、入園中の老人たちも感激し、心尽しの弁当を用意して迎えてくれる−と福本芳三さんの弁。昔からの生粋の地元っ子は数えるほどしかない新興の町″だが、今では戸数は二百世帯に上る。西端の曳山町だけに以前から他町かちのとび入り参加者があるが、先日の会合では、事故防止を優先し、目印しのリボンを付けた者以外は厳しい規制をすることを決めた。左右自在に揺れ動く重い曳山は、ことしも気合いの入ったセリ太鼓のヤマ囃子でくんちを盛り上げそうだ。▽正取締=森田清▽副取締=森修一

(昭和54年10月31日 唐津新聞)