曳き子の物語 ここに 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2019年(平成31年)01月10日(木)
曳き子の物語 ここに/
相談役 吉冨寛さん(61)/
連載⑦宝を紡ぐ/祭り/唐津くんち
還暦を過ぎても、曳山囃子(やまばやし)の音色に心を揺らす。唐津神社(唐津市)の秋季例大祭「唐津くんち」。笛や太鼓の響きに「エンヤ」「ヨイサ」の掛け声が重なる。獅子や兜(かぶと)などをあしらった曳山(ひきやま)14台が城下町を巡る。老若男女、誰もがその熱に触れる。唐津で生まれた吉冨寛さん(61)にとって、くんちがあるのが「当たり前」のことだ。
 3歳で曳山の台車に乗ったときの振動が手に、囃子(はやし)の音が耳に残る。小学生になると町の先輩から竹製の笛を譲り受けた。いくら吹いても音は鳴らない。先輩の言う通りに1週間ほど空き瓶に息を吹きかけると、やっと笛から音が出た。
 「唐津っ子はどこにいても囃子の音が聞こえる」。兄を追うように熊本の中高一貫校に進んだが、笛は常に寮の机の上にあった。数日に1度吹き、学園祭で唐津の音を兄と奏でた。福岡の大学に進み、熊本の薬局で修業。毎年、11月2日に唐津に戻って宵ヤマに参加し、4日の町廻(まわ)りを終えて唐津を離れた。  29歳で唐津に戻り、父親が経営する京町の薬局で働き始め、くんちに深く入った。曳山の前方で綱を引き、その頂きで指示を降ろした。44歳で町内の責任者「正取締」になると曳山の前方で采配を握った。周囲の建物や他の曳山との間隔を確かめ、町の曳(ひ)き子約300人に目配りする。事故がないように、その一心で正取締を務めた7年。「酒を飲んでも酔えなかった」
 51歳で現役を退き、相談役に。くんちに参加しなかったのは親族の喪中など4回だけ。毎年、14町が曳山を引き、同じ流れで進む。それでも吉冨さんは「くんちは毎年変わる」という。
 曳き子の家では妻や娘たちが夜通し腕を振るったくんち料理が並ぶ。知人たちが現れ、酒を酌み交わす。吉冨さんの家には昨年、息子の中学時代の友人が一人でやってきた。「今年もよろしくお願いします」。社会人になったばかり。日本酒を差し出す姿が頼もしかった。くんちでしか会わない曳き子もいて「その人の1年の物語を感じる」
 年齢に応じて役割が異なるから、いつも景色が変わる。吉冨さんは相談役になり、以前より動き回れるようになった。京町の曳山を離れ、他の曳山をまじまじと観察。曳山を支える木柱の本数や形が各町で違うことを実感した。「まだまだ知らないことばかり」。生粋の唐津っ子は、さも楽しそうに笑うのだ。 (津留恒星)