神祭の日取り変更               唐津新聞 昭和40年3月19日の記事


 聞くところに拠れば、古くから唐津の名物行事として、遠く県外に識られている「唐津くんち」の日取りを、現行の十月二十九、三十日から十一月三、四日に変更しては、という改正意見が当の勧進元である唐津曳山取締会内部で起っているとのことであるが、実は過去に於て、此の様な意見は、既に市内若手取締の間から起り、一応取締会の協議事項として取り上げられたが、何うした理由からか陽の目を見ずに、従来通り多くの批判を受けつゝも、そのまゝ実施されてきたものである。

 抑々この神祭の日取りは唐津神社の守護神である猿田彦が、此の地に足跡をしるしたのが二十九日であるところから起源を発していると謂はれているが、此の史実の信憑性を追及することは、さておいても明治の頃旧暦を新暦に切替えたとき既に実際上、日取りそのものは1ヶ月余りも変更された訳である。
 従って単に事の起りや、由来を重要視するあまり現行二十九日を固執する者があるとすれば、これは実に奇妙な話しである。
 然し、この度の改正案の再燃は、最近頓に高まってきた、観光唐津に対する曳山関係者の認識が、遂に従来の隔習にとらわれず、新らしい「唐津くんち」の在り方に開眼したことの証左であり、解放されたお祭り気分の「唐津くんち」から商工観見本位の「唐津くんち」への脱皮であると私は見ている。

 現在山笠をもつ商店街の意向としては忙がしい月末を避けて、月始めに改められることは願ってもないことで、特に十一月三日は嘗ての明治節、現在の文化の日で、県内外の人々に唐津曳山を通して逞ましい商業活動と併せ、観光唐津を紹介するには最適の日と考へられている。
 何れにせよ比の様に曳山関係者に限らず唐津の人達が、時代の変遷と共に今の時代に即応した考へ方に変ってきた事は事実であり、今日既に当然そうあらねばならぬ時機に到っていることも亦事実である。
 扨て日取改正の決定は曳山取締会の良識に委ねるとして、私は神祭につきものの存外な饗応と、毎年の様に起る事故の防止についても、此の際根本的な改善の手を加えるべきではないかと思う。

 「唐津くんちの三月倒れ」のヤユは余りにも有名であり、士農工商の「おきて」きびしい頃の藩主の善政必らずしも現今の社会に通用するものではなく、この場合のそれは単なる風習として、祭り好きな日本人が残した悪弊以外の何物でもない。
 私は決して饗応全廃を叶えるものではないが、饗応する側、される側にある誤った従来の饗応観念を捨てて家族中心のものに改めることを望むものである。
 次いで事故防止に関しては、数屯もある制動装置のない重車両を飲酒した集団が大挙曳き廻すのであるから、事故の起らないのが土台不思議である。人命尊重の立場からも、或いは道交法のやかましい現在、この無謀運轉を「観光唐津発展への協力」という理由から敢えて大目に見てくれている管轄署の人達に対してでも制動装置の改良、禁酒、速度制限等出来る限りの事故防止対策を講じて、これに応えるべきである。

 更に苦々しく思うことは神祭当日の曳子の氣持の中に特権意識が残っていることである。やゝもするとこれが歓迎されざる饗応の客となり、事故の原因ともなるもので、曳山関係の古老長老に荷せられた後輩指導の上の当面の緊急課題である。
 何はともあれ、このような色々な改善、是正の必要に迫られた今の「唐津くんち」の在り方は、これを契機に大きな転換しなければなるまい。その意味においてこの度の日取改正案が投げる波紋は新らしい商工観光唐津の発展を願う市民の心を大きく揺すぶるものである。