大島家文書目録

 大島邸保存の活動経緯メモあり

 大島邸に関する新聞記事はこちらです。

 大島邸・大島家に関する掲示板はこちらです。



山内薬局のぼちぼちブログ
 大島邸関係
大島邸に関する私のブログを載せてみました。
また、書き込んでいただきましたコメントも皆様の生の声として載せさせていただきました。
ご了承下さい。

2009/4/23(木) 午後 7:05

大島邸



唐津には大島邸という朽ちかけているお屋敷があります。

先日行政の方から聞きましたが、お取り壊しのようで。



辛うじて唐津の城下町の上級武家屋敷として残る唯一と言っていいお屋敷。
数年前から塀が取り外され、南側の庭は市の駐車場になっています。

時折大島邸で茶会が開かれているようですが。
これを崩してしまったら、もう二度と立て直すことは出来ないでしょう。

唐津 大島邸で検索してみたら、
毎日新聞佐賀版2009年3月18日が引っかかりました。

大島邸の襖絵2点が近代図書館に収蔵されたようです。
絵師は長谷川雪塘
唐津藩の御用絵師です。

郷土先覚者列伝より

長谷川雪塘 絵師 天保七年-明治二十三年 54
   奥州の人、庄内藩松田稔左衛門の息、安政三年二十才にして狩野永*(直心とく)に就て絵を学ぶ。慶応三年、雪堤の門人として唐津藩に仕え、ここで姓を長谷川と改めた。北宋画家に属し僧雪舟-長谷川雪旦-雪堤-雪塘の系譜、永鱗と号した。廃藩後、唐津江川町に住み一般の需めに応じたので唐津界隈に遺作が多い。墓所は江川町松雲寺にあったが、昭和四十年西宮市甲山霊園に移した。(長谷川守通)


「まちなか」に多額の補助を頂く前に、文化遺産の保存活用にお金を使った方がよいような気がします。

しかし、下々の者がいくら騒いだところで、御上は自分たちが建てた筋書きを着実にやってしまうこと位重々分かってはいます。


取って付けたような埋め門館やら西の門館や時の太鼓を作ってしまうよりも、
大島邸の保存に力を入れて欲しいと思います。
西の門を売却しても大島邸を保存する価値はあると思うのだが。

大志小学校建て替えの予定だそうですが、
大島邸を崩した後、学校の敷地を広くして建て替えるようです。
よかったら大島邸は南の駐車場の方に移築(移動)させては如何かと思います。

無駄遣いしないように。

そうそう、以前雑記帳にもUPしたことがありました。
https://tamatori.sakura.ne.jp/zakkityou.htm

宮島さんちのサイトに詳しくUPしてありました。
http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze12/shaze12.htm

大志小建て替えの間、授業はどうするのだろうか?
仮校舎は恐らく旧大成小学校校舎を利用するのだろうな。

運動場は早稲田の第二運動場。
合同使用なのか?

となると、筋書きでは大志小が完成までは、旧大成小の校舎は必要になるな。

このストーリーはどこで完結するのだろうか・・・・・・。


淡交会唐津支部 大島邸にての最後の茶会の記念誌をUPしました。
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/oosimatei.html

コメント(21)

なぬ!?
我らが唐津志道校が立て替えですと!?

こんなこと言ったら石投げられそうですけど、
大島邸付近の西城内辺りは私達が子供の頃の
町並み・景色すっかり変わってしまいました。
マンションにょきにょき、たくさんあった住宅は
壊され駐車場に・・・。
どうしてそんなに簡単にご先祖様から引き継いだ
家や土地を手放せるのか。

もっと城下町たる誇りを持て!!

あ~、石投げられる。

2009/4/23(木) 午後 11:10[ きーたん ]


ご意見のとおりと思います。
佐賀人にとって、唐津の歴史と心意気は、羨ましい限りです。
その歴史を壊してしまえば、二度と復元はできません。
唐津市役所では、唐津人の気概が失ってしまったのでしょうか。
今後とも、ご支援いたします。

2009/4/30(木) 午後 2:04[ tak*753* ]


きーたんさん
時の流れを止めることは出来ません。

屋敷は人が住まないと傷んでしまいます。
住んでても時折手を加えなければなりませんよね。

逼迫している市の財政も良くわかりますが、無駄遣いせんだったら大島邸の保存は出来ると思いますがね~。

きーたんさんには誰も石は投げませんよ。
後んえすかけん

2009/5/2(土) 午後 2:44山内薬局


えびす堂さん
はじめまして
唐津の歴史と心意気。お恥ずかしい限りです。

歴史的遺産はこうして消え去るのです。
こうして新しい歴史が始まるのですね。

えびす堂さんのブログ、大変読み応えがございました。

2009/5/2(土) 午後 4:15山内薬局


今、TV録画の市議会で北波多の同級生の石崎議員がその件で質問していますが、答弁では白蟻の被害が激しく、立ち入るのも危険なので苦慮しているみたいです。

2009/6/11(木) 午後 8:42赤帽トレーラー

高取邸、旧唐津銀行は莫大な費用で修復しています。
大島邸はもっと価値があるような気がしますが。如何でしょうか?
どなたか大島邸に詳しい方、いらっしゃいませんか?

2009/6/11(木) 午後 10:50山内薬局顔アイコン

唐津を離れて15年。たまに帰る実家には、もう母だけ。三男を連れて唐津を散策しました。結婚した時、親戚を集めて披露会をした水野旅館。家老屋敷の門も良いし、石垣の散歩道も本当に趣があります。高校時代は、しょっちゅう通ったのに何とも感じていませんでしたが。その母校も受験に失敗した大学の附属高校として改修工事中でした。懐かしさと寂しさを感じました。大島邸も見に行きました。もう無くなってしまうんですかね~。本当に残念ですね。唐津ほど趣のある町は少ないと思います。何とか城下町の佇まいを保存できないものでしょうか。

2009/6/29(月) 午後 0:29[ ラッキー父ちゃん ]

ラッキー父ちゃんさん
はじめまして
唐津は400年間変わり続けているんです。御上のなさること。下々はその中で生活し続けなければなりません。今の世の中は97%以上が経済で動いているように思います。残る3%も経済に押しつぶされそうです。

2009/7/2(木) 午前 9:20山内薬局顔アイコン

コメント有難うございます。以前から時々、拝見させていただいておりました。興味深い情報が多くて唐津っ子には嬉しいブログですね。
何年前だったか忘れましたが、唐津くんちでお見かけしました。「随分久しぶりにお見かけしたなぁ」と思いました。唐津に住んでいた頃は、血圧の薬をいただきに定期的にお店に伺っていました。お店に入ると何とも言えない漢方薬の香りがとても好きでした。
これからもブログ拝見させていただきます。宜しくお願い致します。

2009/7/2(木) 午後 2:50[ ラッキー父ちゃん ]

ラッキー父ちゃんさん
うちのお客様でしたか。15年前に唐津を離れられたとか。その後体調は如何でしょうか?
血圧の薬・・・・。何方かな~~~~?
唐津にお帰りの際にはどうぞお立ち寄り下さい。

2009/7/4(土) 午後 1:41山内薬局

今は、会社の前の病院に通院して新薬で治療中です。血圧は落ち着いているのですが、大酒飲みが災いして肝機能障害となり、健康診断で高度脂肪肝・要治療と診断されています。医者によると脂肪肝を治療する薬は存在せず、酒を止めるしかないと言われました。飲みながら治療するなんて、都合の良い薬はないものでしょうか?

2009/7/4(土) 午後 9:12[ ラッキー父ちゃん ]

時の流れに翻弄されています。
いよいよ大島邸もお取り壊しのようで、淡交会主催の最後のお茶会が行われたようです。
その際の記念誌を入手。早速ネット化してしまいました。
画像は淡交会唐津支部長にお願いして頂こうと思っています。
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/oosimatei.html

2009/9/23(水) 午後 5:17山内薬局

はじめてのコメントです。たまに拝見しています。
昨日ピープルで茶会の様子が放映されていました!
大島邸惜しいですね。もう決まったことですが、このまま無くなってしまうのが唐津の未来にとって本当に良いのか考えさせられます。文化財としては高取邸の方が上なのでしょうが、唐津を築いた偉人という意味でとても貴重だと思います。旧唐津銀行や高取邸、鉄道等とのつながりを売っていけば、観光的にも面白いと思うのですが・・・。もう遅いですかね。
唐津の人が唐津の歴史を語れるようにならないといけませんね。私も勉強不足ですが。宮島醤油のHPがとても参考になります。
(ニックネームが変えられないのでこのまま投稿します)
by hana

2009/9/27(日) 午後 3:19[ oqqqqqqqqqo ]

hanaさん
はじめまして。大島邸のお茶会、ぴ~ぷるで有りましたか。50ニュースでしょうか。
あの土地は唐津市が購入していたんでしょうが、先々は大志小の立て替えも見越して、それこそ筋書きに入っていたのではないかと疑ってしまいます。唐津の大事な物を全て台無しにしてしまった私たちは、次の新しい時代を迎えなければなりません。仕方有りません。
(ついつい叩くキーボードにも力が入っていました。)

2009/9/27(日) 午後 5:38山内薬局

大島邸を九大の建築学の先生に見て頂きました。大変素晴らしい歴史ある建造物だと、感激して下さいました。江戸の面影を残す明治の建造物は、日本中に非常に数が少ないそうで、とても、貴重な建造物だそうです。特に、お茶室の素晴らしさは先生を感動させる物が御座いました、痛みも、市役所の人達がおっしゃるほど、酷くは無い様です。やはり、大島邸を壊す事は、唐津の貴重な財産を潰す事になると思います。もっと、声を上げてください

2009/11/27(金) 午後 9:06[ boruni ]

boruniさん
はじめまして
行政は崩すと決めたら崩すしかないのでしょうか?
崩す理由は「シロアリにやられた」の一点張り。
補修すれば大丈夫。
この佇まいは120年かかって出来たものです。それを小学校改築というお題目で崩してしまうのは悔しくて耐えられません。
大島家は市に売ったので、市がどうしようととやかく言うことではないのかも知れません。しかし、これを崩してしまったらあの地区は何処にでもある静かなマンション地区になってしまいます。大島邸のあの建物と庭があるからこそあの風情が生まれるのです。何とかしたいのですが、どう動いたら良いのでしょうか。

2009/11/27(金) 午後 10:08山内薬局

はじめまして、まだ、はっきり決まっていませんが、まず、3つのお茶の組織、宗編、表、裏が協同で大島邸の保存に力を合わせ、文連、唐津塾の皆さんが唐津の文化物保存に立ち上がる、城内の景観条例の制定の会議に参加した人達に働きかけてみるとか?今、ささやかに、署名を集めています。市民の声を市長に届ければと思っています。まだ、具体的には決まっていませんが、何か動きがあれば、お願いします。

2009/11/27(金) 午後 11:21[ boruni ]

九大の藤原恵洋先生のホームページのブログを開いて見て下さい、大島邸につて、元気が出るブログです!!

2009/11/30(月) 午後 6:00[ boruni ]

boruniさん

そうした市民の声を行政はハイハイと聞いてくださるでしょうか。
何としてでも大島邸は残さねばなりません。

嘗て唐津に宗ヘン流の家元が居られ、お家のことでいろいろあって、その後中村宗珉が唐津で宗ヘン流を伝えていきます。
大島義興、伊沢、大乗寺、関根など宗珉に弟子入りします。
宗珉の後、直弟子の武雄(大島)、高取、多久島、小関と伝え、その後唐津では宗ヘン流が現在に続いております。この宗ヘン流の聖地とでも言うべきこの大島邸を、小学校の建て替えの為に消し去るようなことは決してしてはなりません。藤原恵洋先生のブログも拝見させていただきました。良い知恵をいただければ幸いです。

2009/11/30(月) 午後 7:56山内薬局

今日、市に署名運動1800人分と要望書をお持ちしました。1ヶ月半で1800人の署名ですよ!市民の関心の高さが解りますよね、しかし、なかなか、手強いですね、兎に角壊して、ふすまや建具を唐津銀行や図書館や小学校の中に分散して保存すると言う返答しか来ないですね、寂しい事です、

2009/12/25(金) 午後 8:37[ boruni ]

boruniさん
今日はご苦労様でした。
市長の心を揺り動かすことが出来ないかと考えています。
このままだと唐津は笑いものになりかねない。
大切なものを見失っているような気がしてなりません。

2009/12/25(金) 午後 11:16山内薬局




2009/11/15(日) 午後 2:53

唐津遺産は大島邸


三男を連れて大島邸で行われた茶花展に行ってきました。




今朝の朝刊にも記事が載っていました。
昨日は身動きがとれないほどの盛況だったと茶花の会の方が言っておられました。






茶花を観賞するというより、私にとってはお取り壊し前にこの大島邸をしっかりと目に焼き付けることでした。ですから茶花はほとんど見ておりませんでした。




釘隠です。





もう一つの釘隠です。





これも釘隠です。



座敷から庭越し。大広間への眺めです。




大広間側から庭を望みます。右のガラス戸の角には雨戸のレールの方向転換用の金具があります。





大広間の書院の棚





大広間の床の間
聚楽の壁がなんとも良い色合いです。



座敷の襖だったかな?




玄関の衝立は堂々としたもの




茶室の屋根瓦は他と違った鬼瓦です。



にじり口



裏から見た茶室です。



母屋の鬼瓦
大の字が堂々としています。



門は辛うじて残っております。



母屋の向こうには金子邸跡のマンションがそびえ立ちます。
しかし建物は立派なもの
シロアリの被害が大きいとのことですが、補修が効かないものでしょうか。
そして唐津の文化遺産として部材を残すのではなく、この場所にあってこその文化遺産。
大志小学校の建て替えが計画されているようですが、文化遺産を崩してまで建て替えなければならないものなのでしょうか。この大切さを、唐津の宝をもっと分かって貰いたいと思います。



コメント(12)

唐津の宝を解体して欲しくないな!

どうにかならないのかなぁ?

2009/11/15(日) 午後 5:57yut*n*o216

遺産は 壊してしまったら 元には戻りません
関係者は もっと知恵をだして 残す方法を考えるべきです
頭のいい人 唐津には居ないのかな?

2009/11/16(月) 午前 5:22yoshi


土曜日の十一時ごろ拝観に伺いましたが、多くの来場者は
建物本体の素晴らしさと、解体されることへの不満を口にされて
おいでのようでした。
ただ、(私の見解は間違っているのかもしれませんが)
建物自体に大騒ぎするほどの価値があるのか_?は
よくわかりません。
まあ、むかしであればどこの城下にも存在した普通の武家屋敷
ですよ。
しかし、(来場者のほとんどはあまりお庭を話柄にしていないのが
不思議だったのですが)
お庭のすがれた情趣の深さ、長い時間が醸成した庭木と
苔むした庭石、石灯籠、アチコチでささやく小鳥のさえずり、
樹間から差し込む秋の陽、
それらが、質素で穏やかな城内の武家の屋敷を抱合する
総合された空間というものは、「オイルステイン」などの塗料
で表面だけを古めかしく化粧するような即席古民家とは
次元がべつなのですがね。
壮大な、土建屋さんたちの算用が優先するのでしょうから、
それにしても口惜しいことです。

2009/11/17(火) 午後 1:13[ eny*1*dai ]


ゆたんぽさん

何とかしたいですね。

2009/11/20(金) 午後 5:01山内薬局



Yahoo!アバター

寂しいです。
地元じゃなくても遺産をなくしてしまえば
もとには戻らないのですから…

老朽化になったからといって壊す前に
別の目的で使用する建物だって沢山あります。
大正時代に作られた洋建造物で銀行だったのを
住民の意思で喫茶店になったという実例もあるのですから…

思い出はすぐに捨てられるものではないと思います。

2009/11/22(日) 午後 0:35memeronpa2000

顔アイコン

・・・きっと劣らず!の珠取さん宅のお庭と茶室を拝見したかった!千春

2009/11/24(火) 午後 8:06[ hfj*x5*2 ]顔アイコン

yoshiさん

唐津にもっと頭のよい人が欲しいですね。

2009/11/28(土) 午後 5:11山内薬局

顔アイコン

eny*1*daiさん
ご無沙汰しております。

唐津に残る城内のお屋敷はもうここだけしか残っていないですね。

何としてでもこの佇まいを残さねばならないと私は思います。

解体して部材を保管しておくそうですが、それでは意味がありません。あの場所にあの姿であることに意味があると思います。

2009/11/28(土) 午後 5:24山内薬局

顔アイコン

memeronpaさん
書き込みありがとうございます。
何とか残していけるようにしたいですね。

2009/11/28(土) 午後 5:27山内薬局

顔アイコン

千春さん
また来年のおくんちにお待ちしております。
いや、その前でも唐津にお出かけの際にはどうぞお立ち寄りください。その時には裏の茶室をご案内いたしましょう。(大したことはない)

おくんちまではまだ青々していた中庭の千両の実が色づき始めました。

2009/11/28(土) 午後 5:31山内薬局

顔アイコン

このブログを、もっと早く拝見していれば、訪問したかったですね。今はもう故人では見学できないのでしょうね~ 鹿島市からです

2009/11/29(日) 午後 7:03[ mas**068 ]

顔アイコン

masaさん
お久しぶりです。

鹿島の浜宿の家並も驚かせられましたが、城内の大島邸のあの風情は唐津に残しておかなければなりません。本物はあそこだけなんですから。

解体は来年ですから、もう暫くは大丈夫です。
山内薬局



2009/12/3(木) 午後 5:08

大島邸を残す会


大島邸を残す会ができたようです。

先ほどその会の方から藤原恵洋先生のご講演の案内をいただきました。

来る12月19日午前9:00~
場所は大島邸

藤原先生は先日大島邸をご覧になり、再度の来唐です。
専門家の目からこの大島邸をどのように見ていらっしゃるかお聞きしたいと思います。

先日こられたときのブログはこちらです。
http://keiyo-labo.blog.drecom.jp/archive/236

参加は自由。どなたでもOKだそうです。
多くの方々のご来場をお待ち申し上げます。とのことでした。

コメント(7)

残す会、発足良かったです。
その日は京都にいるので、行けずに残念です。

残して欲しい文化遺産だと思います。
東京でも武家屋敷の面影を残す明治時代の財閥宅を入場料をとって公開してある所へ行ったのですが、
大島邸は、それに劣らないですよ。
襖絵にしても、残りが良く立派なものです。

唐津はこれからますます、古い物がどんどん無くなっていきそうで怖いですね。
唐津の持つ魅力を、手ばなそうとされているようにも見えます。

先ずは、住んでいる地元の方々の意志が必要で。
古くからあるものへ対しての愛情と、価値があるんだという意識が
何より大事だと、勝手ながら思うこの頃です。

2009/12/4(金) 午後 0:28[ miwo ]

顔アイコン

先日6日、唐津市近代美術館へ「女性の美」展を見に行きました。先回は「椿」のテーマで、すばらしかったですが、今回も凄い企画でした。ついでに「高取邸」も見学しました。これも凄い。鹿島からで無駄アシかな~と危ぶんでましたが、大満足でした。アーケードでちらとお宅を探しましたが、時間に追われて、果たせませんでした。しかし唐津良いとこ、鍋島藩よりい~ですね。駅前の朝市で一夜干しを買って、酒の肴でした。

2009/12/8(火) 午後 7:37[ mas**068 ]

顔アイコン

大島邸は唐津の遺産と思います。旧高取邸の例もあり。今からでも残す運動をしたいものです。 三岳

2009/12/21(月) 午後 4:39[ mitutake223 ]

今朝の朝日新聞に19日の記事が載っていました。
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000000912210002

藤原教授の建築史の立場での説明はとても興味深いものでした。
また、中里紀元先生の大島家と宗ヘン流の関係の話は、現在の唐津の茶道界?が目をつぶってしまったことを明らかにしてくださいました。
その日は商店街のイベントで、勉強会の最中にもうちからの催促の呼び出し。残って今後の活動方針の話まで参加できず残念でした。

2009/12/21(月) 午後 6:43山内薬局

顔アイコン

miwoさん
新聞にも書かれておりますが、当日は50人を超える方々が勉強会に参加されました。とても寒い朝でした。講演の最中も雪が降っていたようでしたが、皆さん熱心に先生方の話を聞いておられました。大島邸は単なる金持ちのお屋敷ではない!唐津はもっと大切に考えなければならないということを感じられたと思います。

2009/12/21(月) 午後 6:55山内薬局

顔アイコン

masaさん
残念ながら私は「女性の美」展を見損ねました。
岡田三郎助の絵は見たかったな~。
次回唐津にお越しの際には是非お会いしたいですね。

2009/12/21(月) 午後 8:34山内薬局

顔アイコン

三岳さん
とても良い講演でしたね。何とかならんとでしょうかね。
大志小学校建設の為にこの唐津の大事な遺産を取り壊してしまうのは余りにも恥ずかしいことです。
早稲田の話が舞い込む前までは、大志小学校(旧志道小学校)の仮校舎を旧大成小学校を使うことで良かったんでしょうが、早稲田の進出により計画が全て狂って来たのかと思います。早稲田には大志小学校が建て変わるまで旧東高の校舎で全てをまかなうことができるなら、そうお願いしたいですね。大島邸存続の市民の声が大きくなればそれも無視は出来ないと思われます。今一度大志小学校の建て替えに関しては、大島邸をそのままに残してという線で考え直すことは出来ないものでしょうかね。

2009/12/21(月) 午後 8:43山内薬局




2009/12/24(木) 午後 3:11

大島邸を残す署名運動


大島邸を残す会は署名運動をやっています。

私も少しでも多くの方に署名をと思いますが、店をしているとなかなか思うようにいきません。

そこでネット署名を始めました。

ネット署名はこちらからお願いします。

http://www.shomei.tv/project-1401.html



大島邸を残す会 代表 辻いく子さんの趣旨は次の通りです。



 大島邸を残す会

 私たちは唐津に生活して、唐津をこよなく愛している、ごくごく普通の市民の集まりです。

 2010年に西城内の大島邸が大志小の校舎改築の為取り壊される計画と聞き、大島邸の存続の為、この会を立ち上げました。

 唐津の城下町の仔まいを残すはずの城内地区ですが、近年古い屋敷の取り壊しが進み、非常に無残な状態です。

 特に、西城内はマンションの建設が進み、大島邸のみが唯一の武家屋敷として残っている状態です、この大島邸が大志小になり、屋敷とこんもりとした庭の木が無くなるともはや、城内とは言えない状態です。


 大島邸を存続させる必要性としては、

①大島邸が唐津に残っている唯一の武家屋敷であり、江戸の建築様式を残す、全国的に見ても非常に貴重な建造物である事

②大島邸が無くなる事により、西城内の景観が著しく悪くなる事
 唐津は、意外に緑が少なく大島邸の庭は貴重な緑です。

③大島小太郎の業績、幕末に唐津藩の財政を守った父興義、唐津の現在の礎、鉄道、電気、港、銀行を作った小太郎氏父子二代に渡る、唐津市への貢献度

④観光ルートとして、唐津銀行、高取邸、大島邸、と回遊出来、唐津神社、曳山会館にも近く格調の高い散策ルートとして最高です
 又、三流派の茶会、華展、唐津焼の展示、俳句の会、ミニコンサート等色々な活用が考えられます。

⑤ 稀に見る大島邸の茶室の様式など、この江戸時代のタイムカプセルでもある貴重な建造物を取り壊すことは、唐津の人の良識の無さを世界中の人に疑われる事になりかね無いと思います。

以上5つのポイントを考えると、やはり大島邸の存続は必要と考えますので、私達にどれ程の事が出来るか解りませんが、皆様のご協力を頂いて貴重な歴史上の建造物である大島邸の存続に努力したいと思います。どうぞ、お力をお貸し頂きたく存じます。



再度お願いです。
ネット署名はこちらからお願いします。

http://www.shomei.tv/project-1401.html

ここを開いていただき、ご賛同いただける方はご面倒をおかけしますが
ご署名のほどよろしくお願い申し上げます。

「さようなら大島邸」
改め
「大島邸を残す会にご賛同ご署名お願いします」
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/oosimatei.html

よろしくお願いします。

コメント(3)

初日で10名のご署名を頂戴しました。
ありがとうございました。

もっともっとこの声を大きくして行けたらと思います。
皆様よろしくお願いします。

2009/12/25(金) 午前 1:01山内薬局

Yahoo!アバター

署名運動、頑張って下さい。
応援してますよ。
「ポチ」

2009/12/25(金) 午後 10:27masa

顔アイコン

masaさん
応援ありがとうございます。

経済で動いている世の中ですが、品格を失ってしまってはいけません。

胸を張って署名しましょう。
今後とも応援よろしくお願いします。

2009/12/25(金) 午後 11:20山内薬局



2010/1/21(木) 午後 1:55


「大島邸を残す会」正式結成

先日「大島邸を残す会」の会議があり、正式に発足しました。

署名活動は昨年の11月から行っており、1800名の署名を12月24日に副市長に提出されました。



現在大島邸の庭にはボーリングの機械が入り、新校舎建設のための地質調査が始まりました。

急がねばなりません。
このままだと木々は無惨に切り倒されてしまいます。

ネット署名が出来るようにしています。

会の正式な趣意書ができました。


大島邸保存要望書

                           大島邸を残す会
                              代表  辻 いく子

 旧大島邸は、春には大志小学校の建て替えの為に取り壊される事になるとの事でございます。旧大島邸は明治12年頃に建てられた珠玉の近代和風建築物で、唐津の百年の足取りを振り返るような木造タイムマシンでございます。
特に茶室は稀に見る遊び心溢れた貴重な建造物で嘗て京都の相国寺の有馬頼邸様が相国寺に引き取りたいと申し出られた程の物で御座います。
書院のあつらえも、檜の一枚板、美しい欄間、節一つ無い選りすぐりの材料、又匠の仕事の美しさ等、全国的に見ましても何処に出しても恥ずかしくない建造物で御座います。豊かな緑の庭は樹齢100年を越す樹木や素晴らしいつくばい、五輪塔、手水鉢、灯篭等があり、今の西城内にとっては非常に貴重な城下町の景観でございます。唐津が観光の目玉として、高取邸、唐津銀行を整備したのであれば、大島邸はまさしく、観光の目玉になる貴重な唐津の宝であると思います。本物の価値と誇りを見出し質の高い観光ルートとして整備して頂きたいと思います。尚、大島小太郎は唐津銀行の創始者であり、明治の疲弊した唐津に鉄道を轢き道路を作り、港を整備した唐津の偉人です。どうぞ、城内の景観保存、観光唐津、又、大志小の子供達の情操教育の為にも大島邸を壊す事は止めて頂きたく存じます。大島邸の保存運動を昨年より始めましたが、唐津以外の多くの方々も非常に感心を寄せて頂いています、全国的に今は歴史的な良い物を見直し、大事にしようと言う流れの中で、何ゆえ唐津だけが、このように無謀で見識の無い事をするのかと憤慨なさっていらっしゃいます。又、佐賀市は市民1人1本の木を植えると言う運動をして26万本の木を植えようとしているのに、唐津は美しい樹木の庭を事も無げに更地にしてしまうお考えで、悲しく恥ずかしい限りで御座います。どうぞ、もう一度ご検討頂きたく存じます。

ご賛同いただける方のご署名をよろしくお願いいたします。
http://www.shomei.tv/project-1401.html

大島邸に関するサイトはこちらから
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/oosimatei.html


今朝の佐賀新聞に取り上げられておりました。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1530326.article.html

これをご覧いただくとおわかりと思います。
行政は部材を新校舎に使うというお考えのようですが、全く大島邸の価値が分かっていません。
議会で推し進めてきた懸案を、住民の運動によって果たして覆すことが出来るのでしょうか?


2010/1/24(日) 午後 1:33
唐津市「旧大島邸」で保存団体 取り壊し中止を要望


2010/1/26(火) 午後 8:57
大島家からのメッセージ



2010/1/26(火) 午後 9:34
大島邸を残す会 第2回 勉強会のご案内です

唐津市民の皆様へ 大島邸を残す会
  代表 辻 いく子



大島邸を残す会 第2回 勉強会

拝啓 早春の候 皆様におかれましては、ますますのご清祥の事とお喜び申し上げます。2010年に入り最初の大島邸を残す会勉強会を下記の通りに開催する運びとなりました。一人でも多くの市民の皆様にこの大島邸の歴史と価値を知っていただきたく行なうものでありますので多くの方にご出席いただきますようお願い申し上げます。

敬具



日 時  平成22年2月11日(木)13:00~15:00
場 所  西城内4-23  大島邸

【1部】 講話「人と森との関係について」 
     講師 矢幡 久 先生
        九州大学名誉教授、西日本短大教授(森林生態生理学)
  
大島邸の茶室は世界に誇れる唐津の文化遺産といわれています。その茶室と一体である屋敷森の役割について話して頂きます。また唐津には防砂林として育まれた「虹の松原」があり人と森との共存関係を身近に感じることができます。こうした人と森との関係について話をして頂きます。

【2部】 大島邸を残す会会員による発表及び報告

大島邸の見学及び大島邸の建物、歴史 大島親子の唐津への貢献についての勉強会を開きます。
その後 これまでの活動経過報告 意見交換をおこないます。

~ 次回ご案内 ~
大島邸 ひな祭り
            同時開催 若手作家による唐津焼展
2月27日(土)~3月6日(土)
2月27日オープニングセレモニー胡弓演奏会

案内パンフレットをPDFファイルにしました。
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/benkyoukai21.pdf


2010/1/27(水) 午前 10:38
大島邸勉強会のご案内 PDFにしてみました。

コメント(2)
ほんなごて、大事かもんがよう見えん時のあるごたるですね。唐津ば離れて帰ってくるたびに、へんな建物んの増えるな~と思うとりましたが、どげん考えとらすとやら。やっと、パソコンがなおり、署名の出来ました。

2010/1/31(日) 午後 10:08 [ kiwatamachi1964 ]

顔アイコン

木綿町さん、お久しぶりです。
行政は逼迫しています。この景気ですから恐らく暫くは税収も見込めないと思われます。そんな中、耐震のための立て替えに対する国からの補助金が入ります。仮校舎を作らずに引っ越しも一度手間が省けて節約できます。大島邸は唐津市にとってお荷物なんです。しかし、目先のことだけで大切な文化をこの世から消し去るという今の唐津のやり方には決して納得いきません。大島邸については唐津市民のほとんどが見たことも聞いたこともないと思います。2月11日の勉強会には一人でも多くの唐津の皆さんが大島邸においで下さりこの目で見て欲しいと思います。

2010/1/31(日) 午後 11:01 山内薬局


2010/2/1(月) 午後 10:52
大島邸てあんまい知らんもんね~


先日唐津検定の協力依頼にある方がお見えになりました。

数日前新聞でも取り上げられ、そんなのが始まったことは知っていました。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1501136.article.html

ひとつ気になっていたのがその発足式での会頭の弁
「市民が郷土に誇りをもつような検定にしたい」

又しても唐津の誇りとはいったい何だろうかと。

依頼に見えた方にも私の疑問を打ち明けました。



その方にも大島邸の大切さをお話ししましたが、
「私は二度ほど上に上がったことはありますが、あんまい知らんもんね~」

そうなんです。
大島邸はほとんどの市民は見たことがないのです。

まあ、兎に角一度その目で見てください。
そして唐津最後の当時のお屋敷を味わってください。

来る2月11日 13:00 大島邸では次のような講演がございます。

まだ大島邸を見ていない方も是非お出かけ下さい。


【1部】講話「人と森との関係について」
講師矢幡久先生
九州大学名誉教授、西日本短大教授(森林生態生理学)
大島邸の茶室は世界に誇れる唐津の文化遺産といわれています。
その茶室と一体である屋敷森の役割について話して頂きます。
また唐津には防砂林として育まれた「虹の松原」があり人と森との共存関係を身近に感じることができます。こうした人と森との関係について話をして頂きます。
【2部】大島邸を残す会会員による発表及び報告大島邸の見学及び大島邸の建物、歴史大島親子の唐津への貢献についての勉強会を開きます。

案内のパンフレットはこれをクリックしてください。
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/benkyoukai21.pdf

コメント(1)顔アイコン[NEW]

私も「あんまい知らん」一人ですんで
仕事の都合がつけばおじゃまします!

ファン1号ありがとうございました。

2010/2/2(火) 午前 8:35たこはち


2010/2/4(木) 午後 5:24
昭和10年12月15日の映像

昨日大島小太郎ゆかりの方から一枚のDVDが送られてきました。

以前当店の掲示板に書き込まれた方でした。

掲示板
題名:お尋ね  名前:ふじ 2009/10/13(火) 07:39 No.1182
はじめまして。長崎市在住の大島小太郎のゆかりのモノです。
先日唐津の親戚筋より昭和10年に撮影されたビデオをいただきました。その中に大島小太郎翁の銅像除幕式の模様が写されておりました。一度その場所へ行ってみたいと思っているのですが、
もしご存知でしたら場所を教えてください。よろしくお願いいたします。

題名:Re: お尋ね  名前:山内薬局 2009/10/13(火) 16:10 No.1183

はじめまして
昭和10年の映像。私は見たことがありませんので、何とも申し上げられません。
もしよろしかったら、見せていただけませんでしょうか。

題名:Re: お尋ね  名前:ふじ 2009/10/20(火) 20:23 No.1184

その後こちらでも調べましたところ、銅像除幕式映像の場所は唐津市鏡山だそうです。その後一族で神社(場所不明)に参拝する風景、石灯籠の感じから大島邸の庭園が映っているようです。

大島邸解体前にぜひ訪れたいと思っております。

送られてきたDVDを何度も見ていました。





丘の向こうには海。唐津城から眺める松浦潟なのかと
思ってみていますと、どうも見慣れない風景。唐房の半島らしきもの。つぎに右にカメラが動きますとそこには神集島が見えてきます。
そして東の浜と思っていたところの先に小高い丘、恐らく衣干山。その先に西の浜が続きます。これは大島山からの眺望だろうと思われました。








除幕式
大きな台座です。


銅像は玄界灘に向かっています。


除幕式が終わり、恐らく大島山の山頂広場と思われる芝生の上で子供達が遊びます。

次は鏡山。鏡山神社も出てきます。展望台はお決まりのコース。
現在の展望台の辺りが映し出されます。
佐用姫のひれ振りの松の辺りに「酒の太閤」のベンチ


ひれ振りの松の前で記念撮影でしょうか。
立派なおひげの大島小太郎さんもにこやかです。


除幕式が終わって車にゆられて鏡山。少々お疲れのご様子。
この状態で小太郎さん暫く動きません。


元気を取り戻してさあ山を下りよう。
何とも言えぬ笑顔です。




これを撮影したのは大島小太郎の末息子さん。
鶴城同窓会名簿に依れば、古舘正右衛門と同級生。明治33年?生まれ。
不思議な縁で、これを送って下さった方のお父様と正右衛門の奥さんの弟の長男とは小中高大学まで同級生だったそうです。

このハンドルネーム「ふじ」はご自分の祖母である大島小太郎の長女フジからきたものでした。

大島小太郎に関しては宮島醤油さんのサイトに詳しく書かれております。
「去華就実」と郷土の先覚者たち
第12回 大島小太郎
http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze12/shaze12.htm

これを見ても分かるように、明治以降の唐津の産業の創世記、あらゆる分野で大島小太郎は唐津のために活躍された方です。

デジタル版 日本人名大辞典によれば
大島小太郎 おおしま‐こたろう
1859‐1947
明治-昭和時代前期の実業家。
安政6年8月9日生まれ。三菱商業学校、二松学舎にまなぶ。明治18年唐津銀行頭取、佐賀県会議員となる。呼子県道、九州鉄道、唐津鉄道、北九州鉄道の実現、唐津電灯の設立や唐津港の開港につくした。昭和22年12月17日死去。89歳。肥前唐津(佐賀県)出身。


大島鎭子さんの妹さん(現在96才)からの手紙では
「小太郎が受けた教育のことで私が小さい時に小太郎さんから聞いていたことです。興義(小太郎の父)は小太郎を福沢諭吉にあずけて教育をして貰ったと聞いていました。それで和服に前掛け姿で福井沢先生の下で教壇に立って教えたと聞きました。それが慶応大学の源だと小太郎から聞いておりました。私がびっくりしたのでよく覚えています。」

ウィキペディアに依りますと
三菱商業学校(みつびししょうぎょうがっこう)は1878年(明治11年)3月、神田錦町に三菱財閥が創設した教育機関、慶應義塾の分校[1]。明治14年に「明治義塾」と改名。1884年(明治17年)廃校。

なるほど。

さて大島山の除幕式だが、当時の新聞を探してみた。
唐津市近代図書館には昭和10年頃の唐津に関する新聞はなく佐賀新聞のマイクロフィルムしかなかった。
昭和10年12月15日前後に唐津の記事はほとんど見あたらない。
海軍中将が佐世保から転勤する時に、匿名で真綿が送られてきた。中将は唐津の消印を頼りに調べると、嘗ての海軍の部下で京町で旅館を営む主が居て、そこの女中から送られたものだった。旅館の主は中将をこよなく尊敬し常々女中達に話をしていたのだそうだ。
そんな記事しかない。

当時は唐津日々新聞だと思うが、唐津特ダネ新聞の時のように、また国会図書館に出向かねばならないのか。佐賀の県立図書館にはないのかな。

銅像が鏡山ではなく、石炭の積出港である唐津港と唐津の鉄道が望めるこの大島山山頂にあってこそ、大島小太郎の偉業は後の世まで語らい継がれるのだろう。

コメント(4)

もしかしたら、佐志の浜田城あたりでしょうかね?
砂浜が見える写真は西の浜かとも思いましたが、
左側に平地が続いていますので、これは大島に続く部分で、
丘は今の西唐津公民屋館がある場所でしょうか。

2010/2/4(木) 午後 10:41 [ sugamo_in_sapporo ]

たびたびすみません…

いま、Yahoo!地図を見ていますが、
以前二中があった所の西側、204号から橋本町に抜ける坂のあたりに
それっぽい所があるような気がします。

2010/2/4(木) 午後 10:49 [ sugamo_in_sapporo ]

なるほど
あの丘は衣干山ではなくて妙見神社の丘ですね。
ということは、銅像は大島ではなく、二中の西、佐志の八幡さんの上辺りですね。

2010/2/4(木) 午後 11:32 山内薬局

グーグルマップやグーグルアースを眺めています。
唐房の黒崎山からの眺望とは考えられませんでしょうか。

2010/2/5(金) 午前 10:47 山内薬局


2010/2/8(月) 午後 0:39
至難の業


市報からつ
5頁

12月市議会定例会から
12月1日から12月22日まで22日間の日程で開催されました。
今回の議会で可決された一般会計補正予算の主なものは、次のとおりです。

大志小学校用地取得費 518,137千円
 建築後52年を経過した校舎及び建築後43年を経過した屋内運動場を改築するため、必要な学校用地を取得するものです。
取得地 西城内68番1  5,127.97㎡
所有者 唐津市土地開発公社

この土地、すなわち大島邸は土地開発公社の所有になっています。


1月の市報で一般市民には知らされています。
このまま押し切られるのでしょうか。

議会でこのように決まってしまった以上、これに待ったをかけることが加納なのでしょうか。
大島邸の大切さに対しては行政や議会は全く目を壴ぶっているような気がしてなりません。


大島邸ではひな祭りが開催されます。
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/2010.2.27hinamaturi.pdf

どうぞお出かけいただき、一人でも多くの唐津市民の方々に唐津の遺産である大島邸の魅力をこの目で確かめていただきたいと思います。

2010/2/8(月) 午後 9:21
大島小太郎銅像は今

友人が大島小太郎の銅像の台座を探すため、飛んできてくれました。

彼は最初から八幡町の近くの丘と言っていましたが、私の範疇外。大島や黒崎山と二転三転する私の想像を見事に打ち砕いてくれました。

写真を入手。

2月6日、佐志八幡町に大島小太郎碑の台座跡を探しに行った時に撮ったものです。

 八幡橋バス停

八幡橋交差点を左折し、醤油店手前を左へ
 
ここから登ります
 
普段から人が通っているようです
 
道なりに5分ほど登ります

 分かれ道で、人気のない方へ
 
竹藪の中にコンクリ塊を発見
 
基礎部分は枯葉に埋まっています
 逆方向から  すぐ脇にあった積み石
 
上下ともコンクリ剥き出しです

 人為的に破壊されたのかも
 
基礎部分のコンクリ

 笹竹や雑木が生えまくりです
 
台座の一部? 粗い砂で化粧されています
 
あちこちに散乱しています
 
下にさらにもう1段ありそう

南西の高台に回ります 
   

パノラマ写真に構図を合わせて(1)  

 パノラマ写真に構図を合わせて(2)

「相賀松原の向こうに神集島が見えるのは、この辺りだけですので、
この方角で良いだろうと思います。

表紙画像の反対側は住宅でしたので、大島側は見られませんでした。
あと、台座の周りは竹藪が生い茂っていて、全く見えません…

ここは佐志氏居城の浜田城跡でもありますし、
歴史的経緯について、佐志公民館にきいてみても良いでしょうね。」

なんと佐志氏の居城跡でしたか。
大河ドラマ「北条時宗」では藤竜也が佐志房?久?を演じていました。

ご覧の通りです。
ここに大島小太郎の銅像があったということを
再び唐津市民の記憶の中に甦らせることができたら何よりです。
 
2010/2/14(日) 午後 11:40
大島家文書


平成8年度 唐津市近代図書館 郷土史料目録Ⅱ

大島家に残っていた文書を整理して目録が作られています。

また私の病気が出まして、それを勝手にネット化してしまいました。


唐津の産業、鉄道、築港、電気、文化面でも大島小太郎を抜いては語れません。


また、この目録だけで大島家一族の様子がよく分かります。

また、唐津の町の様子もうかがえます。

この目録を見て、気になる資料や更に詳しく見たいという時は唐津市近代図書館に出かけてください。


先日の大島邸での勉強会、ぴ~ぷるの50ニュースにも取り上げられておりました。

中里紀元先生の講演前に、先日紹介しました大島小太郎銅像除幕式の映像をお見せしました。
皆さん食い入るように見ていました。

大島小太郎さんも喜ばれたと思います。

唐津市民の皆さんがもっと大島小太郎のことを知って、今行政の手で取り壊されようとしている大島邸の重要性を少しでも感じていただけたら幸いです。

コメント(2)

ネット化ごくろうさまです。

小松製作所とのつながりや
領収証の差し出し名など興味深く
楽しませてもらってます。(まだ全部は読めてません)

先日の勉強会には参加できず残念ですが
保存活動頑張って下さい。

2010/2/15(月) 午前 8:16 たこはち


たこはちさん

でしょう。この史料目録だけでも大島小太郎の見えて来るでしょ。

勉強会、次は2月27日です。
どうぞお出かけ下さい。

また、友人が11年前、N新聞唐津支局長時代書いた記事を、うちの掲示板に載せています。必見!です。
http://bbs11.aimix-z.com/gbbs.cgi?room=2826

2010/2/16(火) 午後 0:58 山内薬局

 
2010/2/15(月) 午後 3:47
大島邸 第3回勉強会のご案内

2月7日の第二回勉強会には大勢の方々がいらっしゃいました。

続いて第三弾





『大島邸を残す会』第三回勉強会のご案内

拝啓 梅花の侯、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。
さて、平成18年に大島邸を重要建築物として見極め、詳しく調査された建築家の三原先生をお招きし、専門的な見地から大島邸が世界的に重要な建築物である事、最良の保存の方法等を解りやすくご講義頂けることになりました。

三原先生は、大島邸保存を願って頂いており、ご多忙の中講演のお時間を作って頂きました。大島邸の保存の意義を理解するための絶好の講演ですので是非ご出席頂きますようお願い申し上げます。
                                   敬具
                <記>
日時  平成22年2月27日(土曜日)19:00~
場所  大島邸

【講師】
NPOまちづくり研究所理事長 建築家
              三原 宏樹先生
【講演内容】
大島邸茶室が世界的文化遺産である条件と、正確な現状及び改修保存の必要性、そのための正しい工法について

【講師主な経歴】
・株式会社 アルフデザイン代表取締役
・NPOまちづくり研究所理事長
・NPOさが環境推進センター理事長
・佐賀県CSO推進機構理事
・佐賀伝承遺産研究会理事
・佐賀県景観アドバイザー
・佐賀大学非常勤講師(1998.4~2007.4)


また、当日27日から3月6日まで大島邸ひな祭りを開催いたします。
大島家に伝わるお雛様をお出ししてお待ちしております。

同時開催
若手作家による唐津焼展

2月27日はオープニングセレモニー胡弓の演奏会がございます。
その後はSPレコードを聴くように計画しています。

2月28日は三塩社中による琴の演奏会

一人でも多くの方々に大島邸を見ていただければ幸いです。
 
 


2010/2/16(火) 午後 1:54
大島小太郎物語


新聞記者をしている幼なじみが、久しぶりにうちの掲示板を覗いてくれました。
そして11年前の記事をUPしてくれました。

ブログの方に転載させて貰います。


題名:支局時代に書いたのですが・・・  名前:ton 2010/02/16(火) 01:41 No.1194

大島小太郎について、11年前に唐津時代に私が書いた記事があります。佐賀県の偉人を取り上げた年次企画で、県版で毎週日曜日掲載された「疾風人伝」の中で5回目の登場人物として掲載されました。確か30人を超える人物を取り上げました。なんであれ出版しなかったんだろう。残念です。
 小太郎さんの人物像に迫る資料も、つきあいのある生き証人もとにかく少なく取材には苦労しました。かすかに知っておられて取材した方々も、いまや他界されてしまわれました。したがって、想像力を働かせて読み物風に仕立てました。
 重要人物の証言、言葉を後世のために残すことは、記者としてとっても大切なことだと、そのとき痛感しました。余談ですが、昨年出版した「虫庭の宿」の溝口薫平さんの聞き書きも、由布院の町づくりの歴史を今のうちに語っておこうと思われた、薫平さんと私の思いが一致して実現したものです。

以下、長文ですが、「疾風人伝」を掲載させてもらいます。

1999年8月29日付紙面 
◎佐賀県/疾風人伝<5>
庭石の配置 大島小太郎 近代唐津つくった是清の生徒-連載 「貿易港」を銀行で支える

■20世紀から21世紀へ 佐賀を読む■
 「ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
 巷(ちまた)にこんな歌が流れていた、一八七一(明治四)年。唐津城大手門前に現れた青年の異形に、唐津っ子が目をむいた。
 ざんぎり頭にフェルト帽、洋服に赤のネクタイ、手にはステッキ。唐津藩が設立した県内最初の洋学校「耐恒寮」の英語教師として招かれたこの男こそ、後の首相、「財政の神様」とうたわれる高橋是清の若き日の姿だった。
 「異人かぶれの若造が。唐津が汚れる」と、大人たち。だが、生徒の五十人の少年たちは、次々とちょんまげを切った。
 中に、唐津銀行頭取として明治以降の唐津の産業経済の基盤づくりに奔走した大島小太郎(一八五九―一九四七年)がいた。「オイたちが変わらんと、唐津は時代から取り残さるっばい」。小太郎、十二歳の夏。玄界灘にまばゆい太陽が照りつけていた。

 ▼原点
 小太郎は是清の授業に驚いた。会話は一切が英語。唐津湾に入った黒船に乗船し、船員相手に英会話の特訓。徹底した英才教育を受け、次第に世界に目を開く。
 幕末の唐津の町は人口約八千人。商人の町として栄え、唐津くんちの豪華けんらんな曳山(ひきやま)を競って建造した。しかし、廃藩置県で譜代藩主の小笠原長国や重臣が東京に移ると、豪商は没落する。この激動期の地方にあって、小太郎は西洋文化の新知識をむさぼるように吸収する。
 「西洋人に負けん建築家になる」「オイは化学者や」。同窓の少年たちは大志を描いた。後に日本近代建築の礎を築く辰野金吾。さらに曽祢達蔵(建築家)、掛下重次郎(裁判官)、渡辺栄次郎(化学者)、天野為之(経済学者、早稲田大二代目学長)…。小太郎は誓った。「じゃ、オイは唐津ば良か町にする」

 ▼拠点
 十四年後の一八八五年、小太郎の自宅を唐津の商人たちが訪れる。「オイたちにも意地がある。どうか、銀行設立に力ば貸してほしか」。これより三年早く、伊万里に地元の資本としては県内最初の銀行が誕生していた。
 小太郎は東京の三菱商業学校・二松学舎を卒業して帰郷。唐津藩御金奉行だった父興義が漁民の資金、販売援助のために設立し、倒産寸前だった「漁会舎」を再建させたばかり。その手腕を見込まれ、唐津銀行設立への協力と初代頭取就任を要請されたのである。
 小太郎も、大陸との交流拠点として栄えた唐津の将来性を見据えていた。「これからの日本は海外貿易が命。唐津も貿易に備えて産業基盤の整備が急務です。唐津銀行をそのための拠点としたい」
 商人たちに異論はなかった。小太郎、このとき二十六歳。

 ▼繁栄
 小太郎は唐津銀行の資金力を背景に、猛烈な勢いで走り出す。
 まず、唐津の後背地の相知、厳木の良質の炭坑に着目。倒幕運動にも参加した女性運動家、奥村五百子(愛国婦人会創設者)とともに唐津港開港運動に乗り出す。
 当時、国内の貿易港は横浜、兵庫、長崎など、わずかに六港。小太郎は、佐賀出身の官僚や、榎本武揚らの政府首脳を相手に粘り強い開港工作を展開する。
 一八八九年、石炭の特別輸出港の資格を獲得。十年後、数十のライバル港を抑えて貿易港への昇格を果たす。唐津町民は喝さいした。唐津城本丸跡での祝賀会で、旧佐賀藩主・鍋島家や旧唐津藩主・小笠原家から贈られた豪華な衣装をまとった五百子は、舞いを披露しながら感涙にむせた。「これで唐津は繁栄する」。小太郎は自慢の口ひげを満足そうになでた。
 小太郎の予感は的中する。一九一四(大正三)年、第一次世界大戦ぼっ発。石炭市場は最盛期を迎える。この年開通したパナマ運河を通り、日本に来る外国船の三分の一が唐津港に入港する。三井、三菱の大商社が湾岸に事務所を連ね、英国領事も駐在した。

 ▼継承
 唐津興業鉄道が炭坑と港を結ぶ唐津線を敷設。唐津電灯社が工場や家庭に電気を供給する。唐津から糸島半島への海岸道路が開通。北九州鉄道(現・筑肥線)の着工が急ピッチで進む。これらの事業の経営者として、出資者として、小太郎は深くかかわった。
 「おじはよく私の父(小関世男雄・唐津電灯社支配人)に仕事の指示をしていた。金なら心配するなって」。小太郎のめい・西村初枝(88)=横浜市在住=は小太郎の陣頭指揮ぶりをこう述懐する。
 「唐津の基礎になる財産を残してもらった」と、唐津商工会議所会頭の金子勝商(81)。しかし、小太郎が死去して五十二年。肉親は既に亡く、人間・小太郎を今に伝える資料は皆無に近い。
 小太郎はかつて、唐津鉄工所会長の竹尾彦己(88)にこう語った。「庭木はね、目には楽しいが永遠じゃない。枯れるだろ。でも庭石は残る。古くなればコケもつき、味わい深くなるんだよ」
 この一枚のパズルで、あえて推論するならば、小太郎は唐津の町を庭に例えたかったのではないか。そして、自らは唐津の産業基盤を永遠に残る「庭石」として配置しようと考えたのではないか。

    ◇    ◇

 じりじりと肌を焼くような晩夏の日差しの下で、唐津港は眠たげだった。堤防に釣り人の影、遠くヨットが波を切る。
 貿易港指定からちょうど百年。かつての石炭港の面影はなく、今、観光交流基地を目指すウオーターフロント計画が進行中だ。
 唐津銀行はその後、吸収合併を繰り返し、一九五五年の最後の合併で佐賀銀行となり、県経済界を支える。市中心部に立つ赤レンガの旧本店は国の登録文化財に登録された。小太郎が暮らした「大島邸」(同市西城内)は、市土地開発公社が今春購入し、保存活用方法が検討されている。
 百年前、小太郎が配置した「庭石」は、現在も唐津の街のあちらこちらに残る。二十一世紀も小太郎の「庭石」を利用して、唐津の「庭づくり」は続く。 (敬称略) 

     ◇

 ▼高橋是清と唐津 幕府の御用絵師の息子だった高橋是清は、十二歳で家出し、横浜でホテルのボーイをしながら英語を勉強。仙台藩の留学生として渡米。帰国後、花街に入りびたり、東京でぶらぶらしているところを、唐津藩に見いだされて雇われた。
 知事の月給が三十円だった当時、是清は百円という破格の高給。しかし、東京時代の二百五十円の借金を返済した後は、自ら六十円に減給し、残りは学校の維持費に繰り入れた。
 是清の在唐期間は一年数カ月だったが、多くの逸材を育てた。後に日銀総裁、大蔵大臣を歴任。一九二二(大正十一)年、首相。一九三六(昭和十一)年、「二・二六事件」で暗殺された。

    ×      ×

 ●大島小太郎がかかわった唐津開発史
1859年 小太郎誕生
  71年 高橋是清の「耐恒寮」で学ぶ
  83年 「漁会舎」の再建に小太郎乗り出す
  85年 唐津銀行設立。頭取に就任。県会議員になる
  89年 松浦川河口の満島港が石炭の特別輸出港に指定
  90年 唐津物産設立。石炭の海外輸出始める
  96年 唐津興業鉄道設立。唐津線の着工
  99年 唐房湾(現在の唐津港)が貿易港に指定
1903年 唐津線全線開通
  09年 唐津電灯社設立
  12年 唐津銀行本店を新築
  14年 第一次世界大戦ぼっ発。パナマ運河開通
  19年 北九州鉄道設立
  26年 北九州鉄道、東唐津―博多間開通
  31年 佐賀中央銀行誕生。小太郎が頭取就任
  41年 太平洋戦争
  42年 小太郎、佐賀中央銀行の会長就任
  44年 小太郎、同銀行会長を退任
  45年 終戦
  47年 小太郎、死去
  55年 佐賀中央と佐賀興業の両行が合併、佐賀銀行誕生



--------------------------------------------------------------------------------


題名:資料に「生命」を!  名前:ton 2010/02/16(火) 02:31 No.1195

 11年前に「資料は皆無に近い」とか書いてますが、資料はたくさんあったんですねえ。当時は1回分のたち切り記事ということもあって、努力不足で発掘できませんでした。
 ただ、資料は生資料のままでは眠ったまま。誰かが資料に「生命」を与えて、小太郎の人物像を今の時代に蘇らせないといけませんね。


幼なじみのありがたさです。


2010/2/22(月) 午後 8:51

大島邸 第4回勉強会のご案内


大島家の写真です。

二枚ありますが、最初の一枚は侍の面長な人相から大島小太郎の父、大島興義ではないかと思われます。
右の女性は小太郎の母でしょうか。


もう一枚のこれは誰なのか分かりません。


第4回 勉強会

拝啓 梅の香の薫る候 皆様におかれましては、ますますのご清祥の事とお喜び申し上げます。4回目の勉強会を九州大学の建築史家でまちづくりオルガナイザーの 藤原恵洋教授をお招きして開催いたします。一人でも多くの市民の皆様にご出席頂きますようお願い申し上げます。

敬具
        記


日 時  平成22年3月3日(水)18:00~
場 所  西城内4-23  大島邸
講演会 
     講師 藤原 恵洋 教授
        九州大学教授 環境遺産デザイン部門芸術文化環境論講座教授
2月10日に大島邸の調査を行なって頂きました。結果報告及び考察をして頂きたいと思っています。その後、質疑応答を致します。

~ 同時開催 ~
2月27日(土)~3月6日(土)10:00~17:00
  大島邸 ひな祭り

3月1日(月)~3月6日(土)
  同時開催 若手作家による唐津焼展
  蓄音機によるSPレコードも鑑賞できます。
2月27日 11時&13時30分
  オープニングセレモニー胡弓演奏会
2月28日 11時&13時30分
  三塩社中による琴演奏会     

コメント(3)

顔アイコン

糸島の高原です。

3月14日から10日間、国内外の都市建築学を学ぶ学生のワークショップが開かれるそうです。(西日本新聞2/27)

第1回 AIJ国際建築都市デザインワークショップ唐津
http://www.aij-iaud-ws.org/new1.html

ぜひ、大島邸の存続問題を題材に研究してもらいたいものです。

2010/2/28(日) 午前 8:57 [ sho*ly*0 ]

高原さん
コメントありがとうございました。
そのワークショップの件、先日のまちなか再生会議の折、お聞きしました。国際的な勉強会のようですね。大手口の空き店舗を「唐津まちなか集い館」という広場に改造しておりまして、そこをお貸しすることになっています。出入り自由だそうです。ただし日本語が通じない。そのワークショップは行政も絡んでいそうですが、大島邸を題材にするには行政の待ったが入りそうですが。しかし、世界から集まった建築の学生さんには大島邸の素晴らしさを是非味わっていただきたいと思います。

2010/2/28(日) 午後 1:59 山内薬局

顔アイコン

明日、いや今日ですね。第4回勉強会。
藤原教授の講演です。

行政のTVに使われた先生です。勝手に間違った報道をした行政放送のこと、先生にお伝えすべきかと思います。

大島邸を残すため、もっともっと声を大きく広げてください。

今日も大勢の方で大島邸の大広間は埋め尽くされると

 
2010/2/25(木) 午前 9:40
大島家のひな祭り


各地でひな人形展が開催されているようだ。
ひな人形はその家にあってそこで祭られ、皆が集まりその家が華やぐもの。
展示場で見るひな人形は歴史的価値があるのかも知れないが、その持ち主やその家のことは見えてこない。

大島家に伝わるひな人形は武家の人形だから、決して華やかではない。
しかし、大島家を感じ取ることができる。それもやはり大島家のお屋敷で、あの佇まいで見るからこそ。

これをよそで見てはひな人形は生きてこないのだ。


大島家のひな祭りは楽しみにしている。

コメント(2)

三原宏樹さんの講演会参加して、その報告を「古民家の記」に書かせていただきましたので・・・こちらのブログもリンク(ご紹介)いたしました。事後承諾でごめんなさい。
なかなか現実で「ご挨拶」するヒマなくて、申し訳ありません。来週もう一度じっくり「昼間」におひな様を、見に行きたいと思っています。
とても楽しいおひな様の展示ですね。古い写真もわくわくしました、とても一日(短時間)では見きりません(方言。理解しつつ見ることができない)・・・
大島邸の魅力がたくさんの方々に、伝わりますように!

2010/2/28(日) 午前 7:29 [ kominka ]

顔アイコンkominkaさん
コメントありがとうございました。
三原さんの講演、大変参考になりました。前回の勉強会でも言われましたが、やはり地元唐津の声を大きくしていかないといけませんね。唐津の者の恐らく98%以上は大島邸を知りません。10年ほど前にも残そうという運動をした人がいたそうですが、賛同者が居なくてたち切れしたと聞きました。誰も大島邸を見たことがないわけですから残そうといっても何のことか分からないと思います。今回の勉強会やひな祭りは市民に見ていただく良い機会だと思います。唐津においでの際には是非当店にもお立ち寄り下さい。お待ちしております。

2010/2/28(日) 午後 0:07 山内薬局

 

2010/3/1(月) 午後 4:48
大志小学校改築計画の図面です


大志小学校・大島邸の現在の配置図(Yahoo地図を使用)




次に12月に提出された改築計画の図面



PDFファイルにしてみました。
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/oosimateizumen.pdf

先日の三原さんの勉強会、大変参考になりました。
残す会だけが一生懸命になっても行政は動かない。各方面から多くの声が上がれば大きな力になり、行政もそれを無視することはできない。
ですから皆さん、声を上げましょう。

大島邸を残した大志小学校の立て替えを訴えましょう。
唐津の風格・品格を守るため。


志道と大成が合併するとき、大成のPTAは海に面した大成の校舎を残して欲しい、志道は産業道路に面して危険でやかましい、運動場が狭いと行政に訴えました。

しかし、行政のシナリオは既に決まっておりました。

その問題をクリアすべく、建て替えを条件に大成は涙を呑んで志道の校舎を使った合併となりました。

その時の大成の訴えが大島邸取り壊しの大きな要因ではないかと思われます。


合併の話は昔からあったようですが、大島邸の土地を市が購入した後だと思います。具体的な合併の話で何度か説明会がありました。
行政の作ったシナリオ通りに事は運びました。

昨年の4月だと思います。大志小の立て替えが確定となり、大島邸は崩してしまい、記録保存が決まったようです。

私が初めてその話を聞いたのが4月のある日、まちなか再生の会議でした。
数名で大島邸を何とか残して欲しいと訴えましたが、もう決まったこと、シロアリの被害大の一辺倒の返事。会議が終わって行政の方に再度保存を訴えましたが「誰か解体部材を高値で買ってくれる人はいないものか」と言われたとき、行政は全く大島邸に関して理解しようとしていないと感じました。

それ以来私はブツブツと愚痴をこぼすようになり、そんな7月のある日、辻さんから電話を頂きました。大島邸を残す運動をしたいとのことでしたが、行政のこれまでのやり方を説明し、もう諦めるしかないと申しました。しかし、その後も悶々としておりました。

11月くんち明けのある日、再び辻さんが署名用紙をうちに持参されました。その頃私は行政に対してもうどうしようもない憤りを感じておりました。
家内の一押し「ブツブツ言いよらんで加勢しなさいよ」
その一声で吹っ切れました。言うべきことははっきり言わねばと。
4月の時点で大島邸を崩しての図面ができたようです。それは大島邸の所に道路に面して南北に長い校舎でした。それを見た父兄から、図面の東西向きではなく南向きの校舎にできないかと待ったが入り、12月の図面ができたようです。
大島邸とその庭や木立をそのまま残して、大成の要望も満たしてなんとかできないものでしょうか。
大島邸を残すことで唐津の宝を失うことはなくなります。
そしてその宝を宝として後世に伝え、それを使ってこそ唐津は文化的にも格を保てるというものです。
今日も東京から唐津関係者、大島家関係の方々から沢山の署名が届きました。
もっともっと声を大きくしていきましょう。
日本中の良識ある多くの人たちが今唐津の大島邸を注目しています。
唐津市のポータルサイトに唐津市トピックスというのがあります。
そこに次の記事がUPされました。
http://www.karatsu-city.jp/kouhou/topics/1002/index.html#3

これを読むと、「平成10年に唐津市が唐津市土地開発公社に依頼して、学校用地や文化財の保存を目的に購入し、老朽化の進む建物の修理を行ないながら、市民の皆さんに利用していただいておりました。」とあります。果たして市は本当に文化財の保存を目的にしていたんでしょうか?

またこのように続きます。
 「しかし、経年的な老朽化とシロアリの被害などにより、危険な建物として現況のままでの保存が困難になり、解体することとなりました。」
この程度のシロアリ被害で文化財を崩してしまう行政は、文化財を何とも思っていない。
まずシロアリ駆除をして、被害のある部分をすげ替えると立派に使えるようになります。
行政はこの作業をせずして、新建材の中に解体した貴重な部材をとってつけたようにして作法室を作るという何ともお粗末な保存をお考えのようです。
唐津の行政は目を覚ませ!と訴えたい。

コメント(3)

時代の流れの中で変化していくのは、歴史の常ではあります。

しかし、すべてを壊していくのではなかったはずてす。

唐津がどんどん変わっていくのは悲しいです。

なんとかならないのか、ではなく何とかせねばと言うことですね。

2010/3/22(月) 午後 5:26 [ 武将真田 ]

asoutさん
本当にお久しぶりです。

そうです。何とかせねばなりません。
運動場が狭いのなら後で作ったプールを移転すれば大所帯だった頃の広さに戻ります。現在の校舎を崩して、プールを含めたところの改築を考えると良いのかと思います。
志道地区・大成地区の合同のふるさと運動会を開催するが為に大島邸を崩してはいけない。合同でふるさと運動会をしなければならないなら、市民グラウンドや一中グラウンドを1日だけ借りれば済みます。色んなアイデアが浮かんできます。

2010/3/22(月) 午後 5:58 山内薬局

顔アイコン

大島邸のお屋敷全体のシロアリ駆除はおよそ150万円
シロアリにやられた部分のすげ替えに家一件分(2~3千万円?)だそうです。
3千万円で唐津の大切な遺産は後世に伝えることができるのです。
子供達は自分たちの学校建て替えのために大島邸が崩されることに対してまじめに考えています。「申し訳ない」と言っています。しがらみがない子供の方が正しい目を持っています。この子供達のためにも大島邸は残すべきと思います。

2010/3/22(月) 午後 6:05 山内薬局

 
2010/3/1(月) 午後 10:44

唐津というものを醸してきた過去なるものは?、

友人から心熱くなるメッセージが届きました。
ご紹介します。

♪♪たまに唐津にお出でになったお客様をおもてなしの意にて、
あちこちといわゆる名所などにお連れすることがあるのですが、
鏡山や、唐津城などは眼下の眺めのすばらしさからどなたにも愉しんでいただける、
いわば、鉄板の場所です。
安心してお連れできるのですが、ただ、皆さん口を揃えておっしゃるのは、
「なぜ、こんな素晴らしい風景なのに、煙突、、、、、、、(以下皆さんの想像通り)」

あの大島付近の二本の煙突、昨今は薄い色に塗りなおされていて前ほど目立たないように配慮されているのかも?
知れませんが、前は、赤白のかなり目立つものでしたね、


真相はよく存じませんが、
石炭によって明治以来殷賑を誇っていた唐津港もエネルギー革命なる黒船が襲来し、昭和後期、まだまだ付近には優良炭が残っているというに、どうにも売れないという仕儀になってきたそうです。

その頃、唐津のお偉いさんたちは、唐津炭を使った発電所を作ってそれを稼働させれば、一石二鳥と現発電所、誘致計画を打ち上げ地元経済界も諸手を挙げて、だい賛同。

しかし、当時、大名小路にお住まいであった市原源之助さんは、その住友鉱山勤務時代に実見した、公害の地元に及ぼす影響と、風光明媚な愛すべき松浦潟を子孫のために護らねばという見地より孤軍、反対運動を展開、しかし、理解は広がりを見せず現在、煙突はにょっきりと立っているわけです、その後、玄海原発の誘致があり、ほとんどその存在価値は失われているのに、にょっきりと、です。

唐津城は、(私は奇しくも唐津城天守落成年の生まれなのですが)
その美しい姿と、旧市街何処からでも折に触れ仰ぎ見る事のできる点で唐津市民誰もが、愛してやまぬ素晴らしいお城であると私は想います、実際、商用などで他出して、車で、電車で、博多より帰ってくる夕暮れ時、松浦潟にそびえるその白亜の姿が見えてくるとなんともほっとする、そういう実感は共感いただける向きも多いと想像します、
ただ、残念ではありますが、現在唐津市街に展開されている城郭遺構はそのほとんどは後世(いいかえれば現代)の鉄筋によって建設されたいわば、イメージです。

現在の唐津という町を醸成した歴史を俯瞰するとき、唐津くんちに代表され象徴される【町方文化】とその重みを共有するものとして【城内(武家)文化】というものもあわせ考えなければならないと私は常々考えています、

従来、その二つはなんだか、対立するもののごとく語られる事が多かったように想うのですが、(よくくんちは、町人の武士に対するレジスタンス、、、、なんという意味づけありましたが)
そうではなく、農漁業者も含めた地のものども、と、為政者の武家は(利害による対立はまま、あったとは想いますが)各々がその違いを認めつつ、互いが響きあい、車の両輪のように唐津という町を創ってきたのでしょう。

今回、この保存運動を遠くから眺めながら、その素材として大島小太郎さんの生涯をいたって簡単ながら知る機会を得ました。

彼は、いわば、財界人として(旧唐津藩の借財などを含んだ形で明治維新後の理財を担ったというスタンスは旧土佐藩の三菱、岩崎家をちょっと思い起こさせますが)自身の利殖という事をまったく考えていなかったとは思えませんが、しかし、地元経済、多くの人々の民福を図るという視点が彼の行動の中には色濃く見られます。

また、それは、炭鉱事業で集積した富を地元の教育などに大きく散じた高取伊好や、一身を捧げて鉄道敷設事業を進めるべく金策中に異土にて帰らぬ人となった草場猪之吉など私を滅しても公のことを考えて行動するという明治の先人に共有する気概であったと考えますし、その気概は儒教的教養を基とする城内(武士)の文化そのもののように想います。

町方の気概、を象徴するものとして【ヤマ】があるということにはおおよそ異論はないのでは、とおもいますが翻って、はて、城内を後世の唐津の人々に考えていただくものとして一体、ナニがあるのでしょうか?

ぜひとも、大島邸は、現在より未来へと唐津を俯瞰する重要な装置としてなんとか、残していただきたい、残すように衆知を集めなければ、と想います、

城内の文化、を感じるためにも、あの庭森に鎮まる、あの佇まいのお宅が必要なのです、
一部を移転して芝居の書割のような部屋を作っても意味はありません。
その時々の利害を超えて、今一度、ご一考いただきたいと書き込んでみました。
 

2010/3/2(火) 午前 9:39

これが行政の手口なんでしょうか


未確認情報なんですが、

唐津市のトピックスを見て!というメールが大島邸を残す会の方から届きました

「唐津トピックスは動画なんです、教育長が、大島邸の一番酷い状態の所だけの写真を出して、シロアリで酷くなっているので、大島邸を解体します、その話し合いが大島邸で行なわれましたと、なんと、藤原敬洋先生の勉強会の写真を出しているそうです!」

大島邸を残すために藤原先生を招いて開いた勉強会では、大島邸は見事な造りで、まずシロアリ駆除をして少しずつ手を加えていけば充分に使える建物だと言うことを話して貰いました。

これは市民を惑わす為のものなのか。
その動画を見ていないので何とも言えませんが、それを見たという方が激怒しているようです。

唐津市のポータルサイトには動画はないようですが、市政TV放送で流れているのでしょうか。
確認できたら報告します。

唐津市トピックス
http://www.karatsu-city.jp/kouhou/topics/index.html

コメント(53)

Yahoo!アバター

テレビ見ましたよ。 解体!? えっ?
保存するんですよね?

何だか強制されるように見えます… 悩

2010/3/2(火) 午後 1:40memeronpa2000

「記録保存」というのは、
公共工事などで地下から遺跡が出てきた時に調査・記録をした後、
それを埋めたり破壊したりして、公共工事を進めることですので、
あくまでも工事がメインです。
「保存」という言葉にダマされてはいけません。

2010/3/2(火) 午後 4:23[ sugamo_in_sapporo ]

別の場所に移動はできないのですか?今のグランドは狭く校区の運動会も一緒にできないし、子供の球技大会も大志小と旧大成小を使っていますよね

2010/3/2(火) 午後 9:37[ ryuichi19690105 ]

私としては広い運動場を期待します。子供たちが使うには狭いです。

2010/3/2(火) 午後 9:41[ ryuichi19690105 ]

ryuichi19690105さん
はじめまして
昭和39年私が小学一年の頃、一クラス40人、三クラスありました。それが6年まで。つまり今の恐らく二倍の生徒が居ました。

別の場所に移動はできません。大島邸はあの場所にあるから意味をなすのです。グランドの問題は昔から言われてきましたが、志道と大成合併後の問題。校区運動会ではなく今は志道地区・大成地区と各運動会の名称を変えています。それはそれでやっていければそれでよいのではないかと思います。大志校区の運動会ともなれば12月の図面を見ると、いくら広げても各町一張りのテントは到底張れません。
運動場の問題だけで大島邸を破壊することは余りにもお粗末。

2010/3/2(火) 午後 10:42山内薬局

ryuichi19690105さんが言われていることはたぶん、唐津の「普通の市民」の感覚なのではないでしょうか?
このあいだの三原氏のお話をもっと(資料として作成して)みなさんに広く伝えたらどうかな・・・と思います。
小学校区の問題は、うちのような田舎では「近すぎるくらいの距離」に二つ(合併しても)あるとすれば、あまりに狭い考え方のように思いますけれどネェ。
それより。あそこの「森」「貴重なお屋敷」は、無くなれば唐津城内の雰囲気は・・・・寂しすぎます。(悪いけれどお城や鏡山は何度も行かず「よか」です)
本日のふじはら先生のお話、とても楽しみにしております。

2010/3/3(水) 午前 7:30[ kominka ]

それは大島邸を残すために子供達にいろんな面で我慢しなさいということですか?

2010/3/3(水) 午後 6:24[ ryuichi19690105 ]

その図面もはじめてみたんですが合併の時に市は建て直しの時に運動場を今より広くすると言ったと聞きました
合併の時に建て直しの話が出ていたのに大成小より狭い志道小の校舎を使うようになったんですか?

2010/3/3(水) 午後 6:30[ ryu**690105 ]

kominkaさん、はじめまして私は唐津の「普通の市民」の意見ではなく大志小に通う3人の子供父兄として言っているつもりですけど
私の父は大成小の第1期卒業生で私も大成小卒業です。

2010/3/3(水) 午後 6:36[ ryuichi19690105 ]

逆に聞きたいのですが署名の件にしても大志小の保護者として署名活動も大志子の父兄に無く第3者に求めているように思えるんですけど大島邸をそのまま残せと言われますが地域の方と話し合いもないですよね。

2010/3/3(水) 午後 7:25[ ryuichi19690105 ]

市域の話し合いが会ったのならどういうところに話が言っているのですか?

2010/3/3(水) 午後 7:28[ ryuichi19690105 ]

大島邸を残すと言われる意見もわかりますが具体的にどうしたいのですか?大島邸を残して狭い学校で子供達に我慢させたが方がいいのですか?大島邸の件で学校の建設が遅れる可能性もあるのですよね。学校建設反対としか取れません。

2010/3/3(水) 午後 8:13[ ryuichi19690105 ]

決して学校建反対ではありませんと言われていますが具体的な部分が見えません、今の国会と一緒です。

2010/3/3(水) 午後 8:16[ ryuichi19690105 ]

kominkaさんへ私も唐津に40年住んでいますけど大島邸に行ったことは一度もないです。

2010/3/3(水) 午後 8:24[ ryuichi19690105 ]

質問ですけど山内薬局さんは合併の時どっちの校舎を使うという話し合いの時、志道か大成どちらを薦めたのですか?
その意見もお聞きしたいです。

2010/3/3(水) 午後 8:30[ ryu**690105 ]

校区の運動会はわかりましたが子供達の球技大会は大志小と旧大成小を使っているのはご存知ですよね。旧大成小は早稲田の第2グランドと体育館になりますよね子供達の球技大会できなくなりますよね。
唐津の小学校でナイター設備の無いのは大志小だけですよね。旧大成小はあります。少年野球の練習でもグランドが狭くてライトがない状態でまともな練習もできないし遊戯道具があって危険です。
大島邸だけを言ってありますが、今の学校の状況はまったく出ていないですよね。

2010/3/3(水) 午後 9:07[ ryuichi19690105 ]

すいません勝手なことばかりいっていますが
山内薬局様明確な返答をお願いします。

2010/3/3(水) 午後 9:19[ ryuichi19690105 ]

ryu**さん、ryuichiさん
私の留守中に沢山のコメントありがとうございました。

合併の時は私はどちらを薦めるでなく、ほぼ行政主導ではなかってんでしょうか? ryu**さんはどのように記憶されていますか?

何はともあれ、まずは大島邸のおひな祭りにお出かけになり、実際に大島邸を肌で感じてみてください。

2010/3/4(木) 午前 7:02山内薬局

合併の時は私の子供がまだ小学校に通ってなく、自分が通った小学校がなくなると言う話だけで、その当時は深く考えていませんでした。
しかし子供達が大志小に通うようになって少づつですが関心を持ったくらいです。

2010/3/4(木) 午後 6:38[ ryuichi19690105 ]

私が市役所で早稲田の説明会に行った時に合併当時の役員さん達は学校建て直しの時に運動場を広くすると行政の方が約束をしたので狭いけど志道小にきまったらしですよ、広くするにも隣は曳山展示場ですよね.当然これを移動は無理ですよね、合併の時から大島邸の解体は計画に入っていたのではないでしょうか?合併して7年目をむかえますが

2010/3/4(木) 午後 6:49[ ryu**690105 ]

部外者ですが、疑問がありますので、質問させてください。
1 大島邸は文化財に指定されているんでしょうか?
ひなまつりを開催されていることを考えると、指定されていないようですが。
2 宮島醤油さんのホームページで読んだのですが、茶室を利用されている方達がいるようですが、ここの利用料はいくらですか?そして、年間利用者の実数はどれくらいですか?
3 唐津市唯一の武家屋敷とのことですが、引用していらっしゃる文では明治に入ってから建設されたとあり、内容に食い違いが生じていますが、増築されているんでしょうか?
4 当時の図面を見ると、既に無くなっている建物があるようですが、そちらは保存する価値がなかったのでしょうか?
5 建築士の方が、文化財として保存するのは難しいとの見解をホームページに書いていらっしゃいますが、税金でどのように保存することを望んでいらっしゃるのでしょうか?
6 寄付を募って、市から建物を買い取ることは考えていらっしゃらないんでしょうか?
文化財保護について興味がありますので質問させていただきました。 よろしくお願いします。

2010/3/4(木) 午後 7:27[ mahiro5150 ]

すいません質問なのですが大志小の新校舎の図面はどこで手に入れたのでしょうか?

2010/3/4(木) 午後 8:51[ ryuichi19690105 ]

是非一度見に行こうと思いますが駐車場あるのでしょうか?
それと入り口がわからないのですが

2010/3/4(木) 午後 8:56[ ryuichi19690105 ]

山内さんではありませんが、(氏は現在、各方面への書状製作等でおそらく繁忙であると想います)大島邸は、産業道路、大志小側、西方向に最初の路地を左折、(角に大きなマンションがある角ですね)するとマンションに正対する感じで左側に門があります、駐車場は
手狭のようですのでお明神様か、曳山会館裏ではいかがでしょうか、
とりあえず、門前にちょと止めていただいて、受付でお尋ねいただければ、狭いスペースなので確約できませんが、邸内に駐車のご案内が
出来るかもしれません、また、お話させていただけるかもしれませんね、

2010/3/4(木) 午後 9:52[ eny*1*dai ]

山内薬局さん以外の保存会皆さんお詳しいと存じますので、どなたかご回答願えませんでしょうか?
ところで、浦田関夫さん(議員?)の本日のブログで、大島邸を"利用している団体"が、保存を訴えているとあります。
文脈から、貴重な文化財だから保存運動をなさっているのかわからなくなりました。
更に、ネット上の佐賀新聞の記事で、保存会の代表の方のコメントを読みましたが、小学校の保護者の方のご意見と、内容に食い違いがあります。
正直に申し上げて、大変混乱しております。
繰り返しになりますが、文化財の保護に興味があります。よろしくお願いいたします。

2010/3/5(金) 午後 8:48[ mahiro5150 ]

残す会の皆様はさまざま、(有識者などの知人などに保存に関するお力添えを賜るための依頼等)懸命に動かれてお出でのようですので
。まず、大島邸を利用、という記事ですが、これについては
昨年の年末以降、解体の動きをなんとかお待ちいただくために
裏千家淡交会唐津支部の名義にて今年三月まで使用許可をいただき
現在とりあえず、保存に向けての会合などに利用されているというのが現状です、私は、残す会のメンバーではないのですが、ryuichi19690105さまを始めとする方々にお話を少しさせていただきたくて、と文章を書いてみましたが、コメント欄は字数制限が
ありますので、よろしければ山内薬局様の掲示板をご覧ください、

2010/3/5(金) 午後 9:10[ eny*1*dai ]

掲示板です。

http://bbs11.aimix-z.com/gbbs.cgi?room=2826

2010/3/5(金) 午後 9:11[ eny*1*dai ]

まだご回答いただけないようで残念です。
さて、大島邸は裏千家淡交会唐津支部での使用を許可されているとのこと。行政との関係は良好ということでしょうか。何とも不可思議に感じます。
また、2の質問で書いた茶室の利用団体は裏千家淡交会唐津支部様の他はいらっしゃらないんでしょうか?
保存会の方がそうだとは決して申しませんが、昨今、なんらかの利益を被る者が、行政の計画を妨害することがあるようですし、そのような団体とみなされないような透明性を持った活動で文化財の保存活動を行って頂きたいと思います。

2010/3/8(月) 午後 8:49[ mahiro5150 ]

残す会メンバーによる回答ではありませんので、mahiro5150 さまには恐らくご不満ではあろうと存じますが、上記の通り山内薬局の掲示板にすでに当該のご質問につきましてはわかる範囲にてお話してございます。
しかし、茶室利用の既得権益保護のための残す会活動、という
見方があるのは、驚きました、
物事を裏の裏や、深い部分で洞察なさるかたなのですね、
mahiro5150 さま。
単純、浅薄な私などは思いもつかないことです。
市内にお住まいでしたら、よろしければ
保存運動にお知恵をお貸しいただければ、と熱望します。

2010/3/8(月) 午後 10:32[ eny*1*dai ]

山内薬局様と何度か、お会いしてお酒も一緒に飲んだことがありますが人柄的にはもの凄く気を使われてすばらしい人です。
利益とか妨害される方ではありません。だからこそ大島邸を残すことに一生懸命されているとおもいますが

2010/3/9(火) 午後 6:42[ ryuichi19690105 ]

私が質問している子供達に関する返答がないのですが?
大島邸の残したいと言う理由はわかりますが
掲示板に書込みしていんますので
未来ある子供達に少しでも広い学校を提供をしたい一父兄して書かせてもらっています。

2010/3/9(火) 午後 6:46[ ryuichi19690105 ]

スイマセンryuichi19690105 はryu**690105一緒です

2010/3/9(火) 午後 6:58[ ryu**690105 ]

Mahiro5150さん
残す会に入っているものです。残す会のメンバーでこのブログまで辿り着く人はあまりいないように思います。遅くなりましたが分かる範囲で回答します。
1.文化財には指定されておりません。以前唐津市の文化課に大島邸のことで話を聞きに行ったことがありますが、課長さんが言うには文化財にする為に補修を行なうと、十数億掛かると言われました。また、シロアリの被害がひどく危険家屋で取り壊すしかないと言われました。しかし、藤原教授は痛みの激しい箇所の補修を行なえばまた百年以上保てる、その費用は家一件分(二千万ぐらいだと思います)と言われました。
2.茶室は十数年前に使ったきり?今は使えないように思います。茶室のとなりにある樹木から茶室の柱に雨水が降り注いでいる状態です。
3.城内に残る武家屋敷の形式の建物で台所部分が増築されています。
4.市役所の駐車場が欲しかったのではないでしょうか。
5.現在の財政上難しいと言うことでしょう。残し使うことが大切だと

2010/3/9(火) 午後 8:21[ oqqqqqqqqqo ]

思います。将来文化財になっても良い様に痛んでいるところだけしっかりした補修を行うこと。使い方として大志小の書道や道徳の時間、また歴史や文化、庭の森を使って自然などの教育、小学生にとってかけがえの無い経験ができると思います。一般市民にも開放して、お茶、お花、舞踊などの文化活動、それから個人的にですが、社会保険センターでやられているお茶やお花、ヨガなどもこちらで出来るものは移してしまえばいいと思います。
6.土地を買い取るということでしょうか?建物だけを買っても、大島邸はあの場所にあって意味があると思います。

それから、裏千家唐津支部が保存運動をしているのではありません。

ここに書いたことはすべて決定事項ではありません。今まで関わった中で出た意見や感じたことです。個人的な考えがかなり入っております。私は残す会に入っておりますが、出来ることは大島邸の話をして署名をしてもらうぐらいです。

2010/3/9(火) 午後 8:22[ oqqqqqqqqqo ]

最近の唐津市の行政のあり方に疑問を感じております。今までの唐津の歴史を壊しておかしなものばかり造っているようで、未来の子ども達の為、自分も、もっと出来ることをしなければいけないのではと感じております。唐津には風景があり歴史や文化もあった、それが今取り壊されようとしている、本当にそれでいいのでしょうか?唐津の未来について私達は真剣に考えて行かなければならないところに来ているのではないでしょうか? ナミセ

2010/3/9(火) 午後 8:22[ oqqqqqqqqqo ]

通常は大島邸の門は閉まっていて中に入れないですよね。管理などは誰がされるのでしょうか?
それと大島邸を残されたい気持ちはわかりますが私の回答にもお答え下さい。

2010/3/9(火) 午後 9:07[ ryuichi19690105 ]

実際に学校のほうも建設に備えて行事予定を考えられているみたいで
9月にあっていた運動会も5月になっています、6月ぐらいから工事が始まるような話です。

2010/3/9(火) 午後 9:10[ ryuichi19690105 ]

大島邸の存続だけを言われいますが学校のほうはどうでもいいのですか?
学校建設反対ではないと言われていますが何らかの影響はあるのではないでしょうか?

2010/3/9(火) 午後 9:14[ ryuichi19690105 ]

現在体育館の床もブヨブヨして危ない所もあります。大志小事態耐震の構造にみたしていません工事が遅れなんらかの問題がおきる前に建替えして欲しいです。学校事態緊急避難場所にもなっていますよね。

2010/3/9(火) 午後 9:51[ ryuichi19690105 ]

出張している間に随分とコメントが増えてますね。
前回のコメントで「茶室利用の既得権益保護のための残す会活動」と書いたつもりは全くありませんでしたが、そう読めてしまうような伏線の情報が何かありましたでしょうか。
いずれにしても「物事を裏の裏や、深い部分で洞察」している訳ではなく、単に情報を集めてみたらいくつか食違いが散見されたということです。道路拡幅計画で立ち退き交渉時に文化財保護をタテに反対運動をして買収単価を吊り上げた事例を聞いたことがある程度の知識ですけど。

2010/3/10(水) 午後 8:35[ mahiro5150 ]

質問の回答については、せっかく書いていただいているのですが、質問の仕方が悪かったのでしょうね。
例えば6は「建物の買取り」は検討されていないのでしょうか、と書いたつもりです。現在の場所にこだわっていらっしゃることは他のWeb情報で重々承知しておりますが、私は子どもたちの学ぶ環境を重視しておりますので、次善の策として移築を考えていらっしゃらないのか、と思った次第です。共存できるのであれば、良いと思います。

2010/3/10(水) 午後 8:49[ mahiro5150 ]

それと4は、「駐車場」のために取り壊される時には、今回のような反対運動はなさらなかったのでしょうか、という意味です。
行政ではなく、皆さんが保存する価値が無いと考えられていたということではないとは思いますが。
意外でしたのは、茶室は10数年前から使用されていないとのこと。Web情報が古かったんでしょうか。裏千家の名前で現在借りていらっしゃるということなので、つい茶室は使用されているもの、と思い込んでいました。

2010/3/10(水) 午後 9:01[ mahiro5150 ]

本日のWeb版佐賀新聞を読みました。茶室は使われているようですね。保存会の方でもご存知なかったんですね。それに、明治12~13年に建築されたということは、「武家屋敷の名残を残す建物」が正しい表現でしょう。
文化財に指定されておらず、地域のイベントに活用したいとのことであれば、それは地域のコミュニティの話であって、私のような部外者の出る幕はなさそうです。
行政と小学校の保護者の方に保存会とで話し合うべきことだと思いますので、これにて退散いたします。ありがとうございました。

2010/3/11(木) 午後 8:07[ mahiro5150 ]

ryuichi19690105さん
管理は基本的に唐津市がしていると思います。
小学校のことですが校庭の広い大成小でなく志道小へ合併したことについて唐津市に質問したところ、志道小の方が古くからあるからだと言っておりました。また今回の新校舎建設についても、唐津市の議事録を見たところ納得いかないことが多々ありました。新校舎建設と耐震補強のどちらかか、ということについて、国の補助金があるため唐津市の負担はどちらも変らないので、新校舎建設だそうです。早稲田に譲ってしまった大志小についても一、二年は使わない様に聞いています。大成小に引っ越せばすべての行事が予定どうりでき、大島邸を壊すことなく、仮校舎も造ることなく、新校舎建ができるのにわざわざそれをできなくしているようです。
ナミセ

2010/3/11(木) 午後 9:21[ oqqqqqqqqqo ]

ryuichi19690105さん
もしお手数でなければ、小学校のことについて唐津市のホームページから父兄として質問をしていただけないでしょうか?色々な方々の意見や知恵によってより良い解決策が見つかればいいと思っています。
ナミセ

2010/3/11(木) 午後 9:31[ oqqqqqqqqqo ]

mahiro5150さん
4.以前も反対運動は何度かあったようですが、あまり市民の間に広がらずに消えてしまったと聞いています。
6.それはこの問題の終着点を見極めなければ...
唐津市の考えでは新校舎の部材に、また切り売りしてなどいっております。その最悪の事態だけは回避しなければならないと思っています。ご想像にお任せします。
茶室は二十年ほど使われていないようです。武家屋敷には形式というか様式というか、ある型があるそうで、その型でもって造られているので武家屋敷としたのではないでしょうか?
ナミセ

2010/3/11(木) 午後 9:52[ oqqqqqqqqqo ]

oqqqqqqqqqo さん
唐津小学校が別れて志道小と大成小になったので志道小の校舎が古くからとありますが、それは違うのではないでしょうか?

2010/3/12(金) 午後 6:51[ ryuichi19690105 ]

私も佐賀新聞の記事を見ました、山内薬局様のブログでの図面を印刷されてもらい何人かのご父兄とお話をしたのですが新聞見て活動されているの知りました。署名5000人を超えているとのことで、学校どうなるの疑問と不安ですと話しでした。も少し地域への説明が必要ではないでしょうか?

2010/3/12(金) 午後 7:03[ ryuichi19690105 ]

ryuichi19690105さん
私が大島邸のことについて唐津市に聞きに行った時に、“なぜ?校庭の広い大成小学校の方へ合併しなかったのですか?”と質問したところ、唐津市の職員さんは“志道小学校の方が古くからあるからです。”というお答えでした。私はそのことについて不勉強でしたので、それ以上聞くことができませんでした。
ですから、ryuichi19690105さんのようにお詳しい方、また父兄の方が唐津市の方へ質問されると、もう少しまともな返答がなされるのではないでしょうか?
ニックネームが打ち込めないので ナミセです。

2010/3/12(金) 午後 8:18[ oqqqqqqqqqo ]

私も行政の方に訪ねてみました。小学校を広くしたいと言う事で大島邸の所有の方にお話しをされて買とたれたらしいです。

2010/3/12(金) 午後 9:24[ ryuichi19690105 ]

署名のけんにしても父兄に説明も無く地域での話し合いもないですよね。第3者の方が署名されていますが、私達父兄ならびに地域関係者は無視ですか?

2010/3/12(金) 午後 9:29[ ryuichi19690105 ]

唐津市の議事録によりますと、『文化財保存の為また小学校用地として買い取った』と書いてありました。その後、聞いた話では、“文化財として大島邸を買う”ということでした。しかしそれでは議会で通らないので“小学校用地として買うという話を付け足した”といっておられました。小学校用地としては、図面を見れば分かりますが、あまり形の良いものでないと思いますが?
保存会のメンバー十数名中何人かは大志小校区の方がおりましたし、PTAの方に話をしに行くといっておりました。私は同行していないので正確なことはわかりませんが、地域の方、またPTAの方々の誰にも話しが行っていないのでしょうか?

ナミセ

2010/3/12(金) 午後 10:00[ oqqqqqqqqqo ]

eny*1*daiさん
御礼が遅くなりました。ありがとうございました。

山内薬局さん
勝手に色々なことを書いてしまって申し訳はりません。色々と勉強させていただいております。本当にありがとうございます。
ナミセ

2010/3/14(日) 午後 7:04[ oqqqqqqqqqo ]

2010/3/16(火) 午後 3:20

大島邸の大掃除

ひな祭りには大勢の方々が大島邸を訪れていただきました。

大島家縁の方々も先祖が暮らしたお屋敷を何とか残したいと、各地から駆けつけていただきました。

さて、大島邸に感謝を込めて、大掃除をしましょう。

柱や床や畳を拭き上げましょう。

綺麗になった大島邸の大広間で楽しいお食事会をいたしましょう。

まだ大島邸をご覧になっていない大勢の唐津市民の方々にも是非大島邸を見ていただければと思います。

コメント(3)

拙ブログでご紹介させていただきました。
「古民家の記」です、事後承諾ですみません・・・・
参加もしたいけれど・・・まだ未定です(辻さんに申し込みますね)

2010/3/17(水) 午前 7:25 [ kominka ]

まだご挨拶も「現実で」してなくて…申し訳ないですが。「はじめまして」
いろいろ考えて・・・佐賀選出の国会議員に(古川知事より「上」の方)市長さんなどに「口をきいて」もらったら、どうでしょうか?(浅智恵です)
保利コウスケさんしか知りませんけど(なんせ県外ですし・・)、今までのつながりからどなたか大物政治家ご存知あるのではありませんか?今こそ皆さんの人脈(生活してきたあかし)が生きる時だと。
じゃないと7月解体予定が「5月」とは!あちらも相当あせっているようです(立て替え、撤去したい業者、設計士など)
kominkaこと藤原純子です(「内緒」の書き込みするために、別の名前からアクセスしました)。
お掃除は、なんとか行きたいと思っています・・・地鎮祭なんですよねぇ。ケセラセラです(苦笑)

2010/3/18(木) 午後 3:31 [ sim**9f ] 内緒

各方面から多くのご意見を頂戴しましてありがとうございました。

きよせさんをはじめ私の代弁をしていただきありがとうございました。

私は目下、各方面へ手紙を書く毎日を過ごしております。
今日は三男の卒業式でした。彼は大志小学校第一回入学生ですから今日の卒業式は大志小としては第6回目の卒業式となります。

頭を冷やしてよく考えてみますと、私たちの頃は体育館もなく勿論プールもありませんでした。体育館は確か4年の時にできました。卒業後数年して仮設のプールが夏になると登場しました。
生徒数は今よりも多かったと記憶しています。その後運動場南に現在のプールが完成しました。当時はこの運動場にあのプールを作ることにより狭くなる運動場に対して行政や父兄はどのように考えていたのでしょうか。とふと思ったことを書いてしまいました。おしかりの書き込みあるでしょうね。
2010/3/19(金) 午後 6:11
大島邸 第5回勉強会のご案内

来る3月24日 午後6時より
 
ここ大島邸に於いて
 
森まゆみさんをお迎えしての勉強会が決定したそうです。
 
プロフィール
 
是非お集まり下さい。

 
 

2010/3/21(日) 午後 5:13

唐津銀行西支店

古い写真を整理していましたら
 
唐津銀行西支店の落成式と思われる写真が出てきました。
 
 
 
中央にはひげの大島小太郎、その向かって右は草場猪之吉。その隣は分かりませんが、どなたかご存じでしたら教えてください。左は平松定兵衞と山内久助(私の曾祖父)ですね。
 
 
唐津銀行西支店が何年にできたのか調べてみます。
これは数年前まで改装しながらも佐賀銀行大手口支店として存在しておりました。
 
(後日、この唐津銀行西支店は東松浦郡唐津村西唐津にあったと判明しました。佐賀銀行大手口支店とは全く別物でした。)
 
 
どなたの設計かは知りませんが。
これを包んでいたと思われる新聞の袋には明治32年12月12日火曜日 時事新聞?
 山内様 唐津銀行と書かれています。
 
 
 
当店の掲示板に書き込みがございました。
 
大正4年刊、【佐賀県官民肖像録】これは当時の官民の知名士や商店写真などが豊富で便利な本なのですが(辻薬店や、みのやさんの当時の写真など興味深い)これによると、どうも、唐津銀行西唐津支店くさい、うーむ。どうだろう?なお、明冶の営業報告にはなぜか、本店と相知支店しか記載がない、なぜだろう?
間違いなく唐津銀行西支店ですね。大正4年は私の父が生まれた年。
その頃になると建物の窓の上に何やら白いものが登場していますね。
 
米屋町通り、今の市役所の前の坂道が開通したのはいつでしょうか?
米屋町の通りも戦前の建物疎開で道幅が広くなっていたはず。
 
時代は下りますが大正15年の地図
さて唐津銀行西支店はどこにあったのでしょうか。
 
 
 
 

コメント(8)

古き良き時代の写真ですね

良いセピア色の記憶ですね

2010/3/21(日) 午後 5:15 [ Tomcat ]

今日は、初午さまもお彼岸も蹴っ飛ばして(罰当たりな)
有田ポーセリンパークののんのこの蔵開きに行っておりました、
試飲を横目で睨みながら(車なので飲めない)
お仕事、さながら蝦蟇のあぶらの、蟇蛙の心境でございました、

ああ、面白い写真ですね、。
次回の勉強会にいかがでしょうかね、
大島さんの左の紳士、あったことも見たこともない方ですが?
どなた様なんでしょうかね、

掲示板に少し写真を掲載させていただきましたが、
明治期の営業報告中には、取締役の陣容として
山崎常蔵、草場、山内、平松、とありますので
類推すると満島の山崎常蔵ということになるのでしょうが
、、、、、、、、、、、、お顔、知らないんです。
(そりゃ、そうだろう、昭和40年うまれなんだから)

2010/3/21(日) 午後 10:02 [ eny*1*dai ]

eny*1*daiさん
大島さんの左は草場猪之吉さんではないかと思います。
その左がわからない。山崎常蔵さんでしょうか。
猪之吉さんの写真は若かりし頃からうちに何枚かあります。
それによく似ています。

佐賀銀行百年史という分厚い本を眺めています。仰るとおり相知支店のことは載っています。明治32年10月16日開業。しかし、唐津銀行西支店の文字は見あたりませんね。

2010/3/21(日) 午後 10:19 山内薬局

掲示板に写真を載せてますよ。♪

2010/3/21(日) 午後 10:45 [ eny*1*dai ]

米屋町筋の拡張は、おそらく大東亜戦中のことです。
典拠は、石井忠夫、以下の文。

更に今一つ大きな業績としては、中町の拡大である。中町はそれまで市街地の中心部でありながら、道幅僅かに二間で人通りにも困難、取りひろげの世論は相当あったが、現住者の移転や軒先の切取り等で話がつかなかったもの。岸川市長は之を八間幅に拡大するよう計画、色々折衝の末、四間幅とすることに話が妥結し工事に掛ったとき、戦争末期に全国を騒がせた家屋疎開の命令が出たので、工事はうまく進捗して、今日のような見事な様相となった。
之れと前後して市内八カ所の家屋疎開が行なわれたが、その一カ所である平野町通り、之れは前から度々問題になっていた所であるが、この機会に唐津駅前の広場が約六倍大に拡張され道幅を約三倍大に拡大、平野町を横断し刀町を突切って、現市役所前に至る道路としたが、之れは間もなく県道に編入された。
之れは当時としては居住者に大きな損害を与えたようだったが、今日になっては戦争が残した大きな功績とも云えるだろう。

また、西支店の設立は、明冶45年の模様、
典拠は、唐津市史です。

2010/3/21(日) 午後 11:45 [ eny*1*dai ]

佐賀銀行百年史に西支店のことが書かれていました。
唐津線の開通で,従来,松浦川口で船積みされていた石炭がほとんど西唐津から積み出されるようになると,妙見地区の商業はいよいよ盛んになっていった。そして40年7月に唐津興業鉄道が日本国有鉄道に合体,これと同時に,妙見駅が西唐津駅と改称され,当地区は文字どおり大唐津の一画を占めるに至った。この商況に促され,同行は41年3月25日,2番目の支店である西支店を東松浦郡唐津村大字唐津7182番地5に開設した。

新本店(本町)の完成は明治45年4月15日です。

2010/3/22(月) 午前 10:21 山内薬局

eny*1*daiさん
米屋町通りではなく、市役所前の駅側の坂はいつ開通したのでしょうか?
昔は道がなかったと思いますが。
大正4年の西支店の写真を見ますと、坂道はないようです。
もっと東側に坂道があったのかも知れませんが。

2010/3/22(月) 午後 4:41 山内薬局

迂闊でした。大正4年の写真。下の方に「東松浦郡唐津村西唐津」と書かれておりました。この唐津銀行西支店とは西唐津の支店だったようです。唐津銀行相知支店は炭坑の町、同じく西支店は石炭積出港の町ですね。

2010/3/22(月) 午後 7:16 山内薬局

 
2010/3/30(火) 午後 11:32

大島邸の写真展を開催します。
 
 
 
 
 
3月の議会で計画通り大島邸は取り壊されると決まったようです。
 
しかし、私はまだ諦めません。この大島邸は後々唐津のどこよりも誇れる宝になります。
決して崩してはいけません。
 
もっと多くの唐津の方々に大島邸の素晴らしさを知っていただく為に、写真展を開催します。
4月5日(月)から16日(金)まで、佐賀銀行唐津支店二階での開催です。
 
でしたが、22日まで延長することになりました。
 
唐津銀行西支店(明治41年)落成の写真、他数点大島小太郎に関する写真も展示いたします。
 
唐津銀行初代頭取大島小太郎をご覧下さい。
 
ネット署名も続けております。
ご賛同いただける方は下のURLを開いてください。
 
 
 
チラシもできました。

コメント(5)

市議会の決議については、先日佐賀新聞で知りましたが、
あんなにあっさりと門前払いするとは思いませんでした。

ここ20年ほどの間で、城内にも高層マンションが林立し、
歴史的な景観がすっかり損なわれてしまいました。
行政と業者が、城下町としての歴史を受け継ぐ景観を
いともたやすく破壊してしまったことを、
肝に銘じなければならないでしょう。

写真展の開催期間に唐津に戻るのは難しそうですが、
1人でも多くの方(市外から観光でいらした方も含め)に
この問題を考えていただけたらと思います。
写真展の成功をお祈りいたします。

2010/3/31(水) 午前 1:10 [ sugamo_in_sapporo ]

自分も絶対に残すべきと思います。
写真展、多くの方々がこの大島邸の危機を知って下さるきっかけとなり、存続の声が高まることを祈っています。

2010/3/31(水) 午後 10:01 [ 大道寺 ]

唐津市議会の決定、唐津に住む方々の多数派の意思とはいえ、誠に残念です。

今回のことがきっかけで唐津を訪れ、とても歴史情緒のある素敵な城下町だと心から思いました。
残す会の皆様の熱い思いにも感動しております。
写真展の成功をお祈りしております。

2010/4/2(金) 午前 9:39 [ ふじ ]

こちらも転載可に致しました。

2010/4/5(月) 午前 11:27 山内薬局

22日まで延長です。どうぞお出かけ下さい。

2010/4/19(月) 午後 11:48 山内薬局


2010/4/4(日) 午後 5:02
それでも大島邸を残すべきだと思います。


大島邸の写真展は明日からです。
一人でも多くの唐津の方々に
見て、知って
感じていただきたいと思います。  
 
 
決まってしまったことだからと諦めないで、心ある方々の声を行政にぶつけてください。
 
 
 
 
 
 
新しいポスターができました。
 

コメント(8)

個人の意見で申し訳ないのですが ネットとかで横の展開をかける事も大切と思います

転載できる様にして頂けたら協力は出来ます

2010/4/5(月) 午前 11:21 [ Tomcat ]

おはようございます。
Tomcatさんのご指摘で気がつきました。
転載OKです。
こんな機能があるんですね。知りませんでした。
どうか多く方々の転載をお願いします。

2010/4/5(月) 午前 11:26 山内薬局

早速 転載します

項目は 葉隠れの里 佐賀県です

2010/4/5(月) 午前 11:36 [ Tomcat ]

珠取さん、ひさしぶりです。
未だ、決着ついとらんとですか?
それにしても、えら~く、変則的な校舎ですね??
パズルみたい、
それに、デッドスペースが多い・・・!
大島邸の南側の建物に入る生徒は、かわいそうです。
休み時間、グランドへはいけそうに在りませんね?
一番北側の建物に職員室(?)から一番南側の教室まで遠い・・!
先生とのコミニケーションは出来ると・・?

アパートなら、コイデンよかろばってん、学校じゃッけんね!

少し、いや大分余計なこつば、書いたごたる、m(__)m

2010/4/5(月) 午後 9:21 [ ]

Tomcatさん
転載ありがとうございました。
しかし、画像を更新しましたので転載先は新しい画像を認識していないようです。
ご面倒をおかけしますが、再度画像のUPをお願いします。

2010/4/6(火) 午後 2:00 山内薬局

初日の午前中、あまりに誰もいなくて・・・びっくりしました。一緒に行った田中瞳さん(赤レンガ館や、八女の大内順子さんの実家などいろんなことに関わってある女性です)がお当番の方?にアドバイスされてましたけれど。伝わったですか?
今山口美智子さんの「いのちの歌 薬害肝炎、たたかいの軌跡」という本を斜め読みしているのですが。裁判で勝って終わりじゃなかったのですね! 法制化するまで原告団が枝分かれすることなく、それを引っ張ってこられた山口さんの凄さ。一読ください。
直接関係ないように思われるでしょうけれど(笑)、いくつも参考になることがあります。こないだ中里先生が浮いたようになられてましたが、初日(午前中)に見えてましたし、これからの課題をきちんと話して意思統一をする必要があると思います。
あの大島邸が無くなっても(最悪の事態)、唐津観光(地場産業)などの浮上に向けてみんなで努力することとか・・
田中さん曰く「市側も困っていると思うので、代案を用意して臨むこと」とか・・・
とりいそぎ。ここへのコメントは、もう少しじっくり考えて書きたいと思いつつ。脱兎

2010/4/7(水) 午後 1:17 [ sim**9f ]

遅くなりましたが再度 転載します

2010/4/9(金) 午後 9:38 [ Tomcat ]

失礼な話ですが、小さい時はお化け屋敷だとおもってました…。
今は駐車場になっている辺りに小さな小屋があって、窓に人影が見えたり(実際は朽ち果てたカーテンなんですが)
小学校のグラウンドから裏のお庭にボールが入ってしまい、探しに行っては古井戸に怯えていた記憶が…(笑)
探検ごっこでは裏のお庭から、母屋を覗きに行った事もありました。
今思えばなんて失礼なことをしていたんだ…。
あのお庭の木々もなくなってしまうのですね…何だか寂しい気がします。

2010/4/16(金) 午前 2:13 [ こが ]

 
 
2010/4/15(木) 午前 11:26
大島邸の写真展が期間延長となりました。

佐賀銀行唐津支店で4月5日から開催中の
大島邸写真展
 
予定では明日16日まででしたが、22日まで期間延長となりました。
 
この機会是非ともこの目で唐津の遺産である大島邸を観て、知って、感じてください。
 

コメント(2)

それは良かった!。写真展へ一度訪問します。ブログからの署名は、イマイチ解りにくく、結局諦めました。67歳になると、柔軟にPCに対応出来ず、悲しいです。 済みません。

2010/4/15(木) 午後 6:38 [ mas**068 ]

良かったですね

転載しなくって良いのですか?

2010/4/15(木) 午後 10:26 [ Tomcat ]

2010/4/19(月) 午前 11:42

小学校改築地元住民説明会の開催のご案内


いよいよ行政の説明会が開かれます。
しかし、行政は案内を地元住民、つまり西城内・北城内・南城内の一部だけに案内していると聞きました。
 
しかし、この説明会はオープンだそうで、どなたでも参加することが出来ます。
 
どうぞふるってご参加下さい。
 
 
大志小学校改築地元住民説明会の開催について(ご案内)
 

  陽春の候、皆様方におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
  また、日頃から唐津市の教育行政の推進につきましては、格段のご高配とご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。
  さて、教育委員会では、安全で快適な教育環境の整備・充実を図るために、学校施設の耐震補強工事や改築により、耐震化を進めております。
  大志小学校は、老朽化が進み、耐震性が低い建物であることから、本年度から改築工事を実施していきます。
  つきましては、大志小学校の改築工事について、工事着手前に皆様にご説明いたしますので、次のとおりご案内申し上げます。
 

           記
 1 開催日時
   平成22年4月19日(月)19時から
 2 開催場所
   市民会館大会議室(4階)
 3 説明内容
   配置計画、基本平面図、工事内容、工期等
 4 問合せ先
   教育総務課
 
 
この説明会に関して
4月21日の朝刊各紙に取り上げられております。
 
朝日
 
読売
 
佐賀新聞
 
西日本新聞
 
 

コメント(48)

朝刊各紙に取り上げられておりました。
ブログにリンクを貼りました。
どうぞご覧下さい。
2010/4/21(水) 午後 1:28山内薬局
記事をコピーして、ご近所にもさしあげるといいです。
案外、見落として(読んでない)人も多いようですし。
いよいよ4月も終わり、伐採が始まるのですね(大涙)、まだまだあきらめてはいけません! 小さな穴でも、何か出来ることが残っているのなら、後悔しないように。頑張りましょう!
こちら(県外)側でも、出来ることを。微力でもしていくつもりです。

2010/4/24(土) 午前 8:40[ kominka ]

ところで。
「まいずる本店」とは?大名小路とは?どのあたり??(苦笑)ですか?
わかりません。どこがどこやら?さっぱりこんデス。よそものKominka

2010/4/24(土) 午前 10:29[ kominka ]

Kominkaさん
これは失礼しました。
正しくは「まいづる本店」です。鶴が舞うわけです。
地図ですね。どうしましょう。
福岡からでしたら舞鶴橋を渡り、唐津城の下のを過ぎ、二の門のお堀に「奥村五百子」の銅像があります。そこを大通りからはずれ左折して暫く行くと「まいづる本店」が右側に見えます。駐車場完備です。お買い物もよろしくお願いします。

2010/4/24(土) 午前 11:08山内薬局

お伺いしたいことが、あるのですが今日のニュースを見たら学校の新築をする必要がないと発言されていますが学校建設に反対なのですか?

2010/4/28(水) 午後 6:58[ ryuichi19690105 ]

決して学校建設に対して反対ではありませんの言葉嘘だったんですか?

2010/4/28(水) 午後 7:00[ ryuichi19690105 ]

もう少し学校に行く子供達のことも考えて欲しいです。

2010/4/28(水) 午後 7:03[ ryuichi19690105 ]

市長、市議会リコール請求それって脅しじゃないですか?

2010/4/28(水) 午後 7:04[ ryu**690105 ]

学校の父兄にお話しを聞いても私達のところには署名の話は直接はないみたいと回答が帰ってきますけど

2010/4/28(水) 午後 7:11[ ryu**690105 ]

ryuichi19690105さん
行政監査請求のニュースをご覧になったようですね。
「大島邸を残す会」は決して学校改築に反対をしているわけではないと思います。大島邸を残して、学校も改築できて、運動場も広くなって、全て旨く行くように訴えてきたはずです。しかし、行政は議会で決まったからと先日の地元住民に対する説明会でも計画の説明をするだけで全く聞く耳を持っておりませんでした。大島邸を残して学校改築をする努力を行政は全くしようとしないのですから困ったものです。議会で決まったらそれを実行することが議会制民主主義なのでしょうか?大島邸の木々を伐採したり移植したり、大島邸を丁寧に解体したりする時間を、設計変更などに費やせば子供達の為にもなるのではないかと思います。

2010/4/28(水) 午後 8:54山内薬局

ryu**690105さん

市長・市議会リコールの話、初耳ですが。
どこでそんな話が。

学校のご父兄、学校やPTAを通して大島邸保存を訴えるべきでしょうか?
学校は教育委員会が決めたことに逆らうわけにはいかないと思います。
また、PTAは学校改築に対して意見を言うことはあっても、大島邸保存に対しては言うべきものではないと思いますが。

5月のPTA総会に行政が改築の説明をされるそうです。質疑応答があるのかどうか分かりませんが、そこでPTAがこの設計図では子供達の安全が確保できないと設計変更を訴えるなら、少しは行政も考え直すことが出来るのかも知れません。

2010/4/28(水) 午後 9:08山内薬局

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100428-00000174-mailo-l41
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saga/news/20100428-OYT8T00035.htm
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/168288

2010/4/29(木) 午後 9:47[ ryuichi19690105 ]

http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000001004270001

2010/4/29(木) 午後 9:53[ ryuichi19690105 ]

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saga/news/20100428-OYT8T00035.htm
読売新聞の記事では市議解散も検討の記事で・、他は耐震の補修工事で新築は必要ない記事です。
これは建設反対ととられても、おかしくない内容におもわれますが。

2010/4/29(木) 午後 9:59[ ryuichi19690105 ]

記事の中で大志小学校が4千万で耐震補強工事ができると12億の建設費は税金の無駄使いと書かれていましたが、これって建設反対にとられても、おかしくないですよね。

2010/5/3(月) 午後 2:47[ ryuichi19690105 ]

西本新聞の中に補強工事でと書かれていますが、もし地震が起きて校舎自体に影響があって子供達に被害にあったら当然保障する位の気持ちで発言されているのですよね。

2010/5/3(月) 午後 2:53[ ryuichi19690105 ]

旧大島邸保存へ監査請求 唐津の市民グループ
請願は、公金支出差し止めの根拠として(1)約12億7600万円は、市の文化的財産を取り壊す目的の支出で、地方財政法8条に反する違法行為(2)大志小の耐震補強工事は約4千万円で可能で、12億円の無駄遣いは地方自治法や地方財政法に違反する行為――と主張している

2010/5/3(月) 午後 7:09[ ryuichi19690105 ]

同会は20日から署名を始め、1週間で目標の千人を上回る数の署名を集めた。松下会長(66)は「もし請求が却下されれば、大島邸を保存する市条例の制定を求めて有権者数の50分の1を目標に新たな署名活動を始めたい」と語った

2010/5/3(月) 午後 7:10[ ryuichi19690105 ]

上二つは、4月28日の朝日新聞の記事です、これに対してご回答を宜しくお願いします。

2010/5/3(月) 午後 7:12[ ryuichi19690105 ]

私の質問のけんはどうなっているのでしょうか?
ご回答宜しく、お願い致します。

2010/5/7(金) 午後 9:22[ ryuichi19690105 ]

もう一つ質問ですが、旧大島邸を残して維持するのどれくらいの、
お金が掛かるのですか?
学校建設費が無駄使いといわれていますが、私は子供達の安全が一番だと思いますが

2010/5/7(金) 午後 9:30[ ryuichi19690105 ]

ご回答、よろしくお願いします。

2010/5/11(火) 午後 8:06[ ryuichi19690105 ]

唐津市西城内の「大島邸」の保存を求めている市民グループ「大島邸を保存する会」(松下麗会長)は11日、新たに千人の署名を集めて市監査委員に住民監査請求書を提出した。同会は、先月27日にも1451人の署名を添えて同様の請求をしており、今回はその第2弾。監査委員事務局は「一括して審査したい」としている。

2010/5/12(水) 午後 6:38[ ryuichi19690105 ]

市は、老朽化した大志小学校の改築に伴って隣接する大島邸の解体を計画。今年度から2年間の事業費約12億7600万円を計上している。これに対して、保存する会は「市の文化的財産である大島邸を取り壊す目的の事業費の支出は違法」として、公金の支出差し止めなどを求めている。

2010/5/12(水) 午後 6:38[ ryuichi19690105 ]

市教委は「市民の動きは真摯(しんし)に受け止めたい。ただ、計画はすでに議会の議決を得ており、スケジュールはやや遅れているが、6月上旬には工事の入札の準備を始めたい」としている

2010/5/12(水) 午後 6:39[ ryuichi19690105 ]

上3は5月12日の朝日新聞の記事です。これは、あきらかに学校建設反対にしかとれません。もしこれで建設が遅れ、その間に地震が起こって子供達に被害があったら責任をどうとるつもりですか?

2010/5/12(水) 午後 6:45[ ryuichi19690105 ]

自分の子が卒業して関係ないかもしれませんが
吉冨様ご回答よろしくお願い致します。

2010/5/12(水) 午後 6:47[ ryuichi19690105 ]

あなたも元大志小学校の父兄でしょう。

2010/5/12(水) 午後 6:49[ ryuichi19690105 ]

ご回答よろしくお願いします。

2010/5/13(木) 午後 6:56[ ryuichi19690105 ]

吉冨様ご回答お待ちしております。

2010/5/15(土) 午後 11:34[ ryuichi19690105 ]

ご回答よろしく、お願い致します。

2010/5/17(月) 午後 8:43[ ryuichi19690105 ]

ご回答よろしくお願い申し上げます。

2010/5/18(火) 午後 7:38[ ryuichi19690105 ]

回答が遅くなって申し訳ありません。
建設が遅れて、その間に地震が起きて子供達に被害があるほど危険であると申されるのならば、今の校舎は即刻撤去。すぐにでも大成小学校に引っ越しして安全を確保すべきではないでしょうか。いかがでしょうか?

2010/5/18(火) 午後 8:46山内薬局

そちらが耐震補強で大丈夫と言って学校建設反対してるでしょう。

2010/5/18(火) 午後 9:17[ ryuichi19690105 ]

私の質問に真剣にお答え下さい。

2010/5/18(火) 午後 9:17[ ryuichi19690105 ]

監査請求で市長と市議会のリコールの件、学校建設は税金の無駄使い新聞で取り上げていますが、大島邸の存続維持費はいくら掛かるのですか?そのお金は何処が出すのですか?

2010/5/18(火) 午後 9:21[ ryuichi19690105 ]

ryuichi19690105さんはPTAの方ですか?
行政の方ですか?
建築関係の方ですか?
よかったら教えてください。

2010/5/18(火) 午後 9:22山内薬局

あなたたちは子ども達のことをどうお考えですか?今の吉冨様の意見は自分の子どもが通っていないので無責任としかいえません。

2010/5/18(火) 午後 9:25[ ryuichi19690105 ]

私は3つとも該当しません。単なる父兄です。おそらく顔みられたら「あんたやったと」言われるかもしれません。もしよろしければ、
今度の日曜日小学校の運動会に来ますので、会ってお話しててみま
す。?

2010/5/18(火) 午後 9:31[ ryuichi19690105 ]

お宅のテントは本部席の隣ですね。

2010/5/18(火) 午後 9:39[ ryuichi19690105 ]

明確なご回答宜しくお願いします。

2010/5/19(水) 午後 7:16[ ryuichi19690105 ]

吉富様は今度の大志小の学校の運動会は来られますか?

2010/5/19(水) 午後 7:25[ ryuichi19690105 ]

通りすがりで恐縮ですが意見を述べさせて下さい。
ここは個人のブログですので残す会の公的見解については、しかるべき場所でお問い合わせをなさるべきです。もし仮に大志小で会われてもそこから残す会の会議にかけて決を採る手続になるはずです。
非礼ですがryuichi19690105様は校舎新築のために汗をかいたり歩き回ったりされているのではなく机の前でただブログに書き込まれているだけではないのですか。それで大勢の気持ちが動かせるとは思いません。
新築でも補強でも、明日大地震がくれば間に合いません。工事が一日遅れても早まっても同じことです。そういう意味で私は説得力を感じません。感情が伝わるだけです。
ryuichi19690105様以外の父兄が全員取り壊しに反対する可能性だってないとは言えないのです。どうしても決定事項を優先し大島邸を取り壊すべきとお考えでしたら、残す会の皆様を説得できるだけの対案を用意すべきです。なぜなら残す会が模索しておられることこそ対案だからです。
ryuichi19690105様と残す会の皆様はもっと冷静な話し合いができるはずです。

2010/5/21(金) 午前 0:31[ 他県出身者 ]

ryuichi19690105様
私の実家は阪神大震災で取り壊され、同じ地区で三十人以上の方が亡くなりました。
学校が倒壊して児童に危険が及ぶほどの地震が発生すれば、他の建物も当然被害が出るのです。
たとえば、老朽化した市民病院を改築するために、ryuichi19690105様にとっての思い入れのある建物が取り壊されるとしたら、「双方にとってベストな妥協案を探す」ために行動するのが普通ではないでしょうか。
「何かあったら責任とってくれるのか」という発言は、立場が変わればそのままご自身に帰ってきます。そのような交渉カードを使われるのは感心しません。
蛇足ですが、市議会へのリコール請求は「脅し」ではなく市民の正当な権利です。
それが無ければ「市議会は何をやってもいい」という理屈になるではありませんか。

2010/5/22(土) 午前 0:56[ 他県出身者 ]

とつぜん失礼します。
まったく「他県出身者」さんの意見に賛同します。
私も現在通う保護者としてこの一連の騒動を見ていますが、どちらの意見も分かります。
そして、それを知ろうと努力しております。
こんなコメント欄で何かを知ろうとするのではなく、もっと自分で出向いたらいかがでしょうか。
同じ町内にPTA会長もおられることですし・・・・・

2010/5/22(土) 午前 10:11[ do_dada_do ]

こちらは「残す会」で、別の「保存する会」の方達が監査請求とかされているのでは?
混同されませんように。

2010/5/25(火) 午前 2:30[ 元紺屋町のY村です ]

元紺屋町のY村様、スイマセン旧大島邸にいくつかの団体があるのですか?良かったら教えて下さい。

2010/5/29(土) 午後 6:48[ ryuichi19690105 ]

6/12に蛍を見に、子供を連れて、唐津の姉宅の近くへ。もう既に時期的に遅かったようで、僅かな蛍を楽しみました。
蛍の前に、気になっていた大島邸を見に行きました。未だ、建物が有ったので一安心。西区なんて、すぐ近くなので、もっと唐津を訪れたいのですが中々・・・。
随分久しぶりに、このブログを訪れたら、まぁ!!
勿論、様々な意見が有って良いとは思いますが・・・。
知り合いを大分募りましたが、署名.TVの方も中々儘ならず・・・。もう時間が有りませんね。
母の所に時々、レバコール届けていただいているそうで。
有難う御座います。

2010/6/14(月) 午後 11:09[ ラッキー父ちゃん ]

顔アイコン
 
2010/4/23(金) 午前 11:41


大島邸の写真展 まいづる本店に移動しました。

4月5日から昨日22日まで
佐賀銀行唐津支店二階で開催しておりました大島邸の写真展
 
本日から大名小路のまいづる本店二階に移りました。
 
夜9時までですので多くの御来場をお願いします。
 
 

コメント(4)

転載いたしました

2010/4/23(金) 午前 11:57 [ Tomcat ]

Tomcatさん
いつも転載ありがとうございます。

先日の説明会では5月中旬から大島邸のお屋敷の樹木およそ360本。うち、他所へ移植60本。新校舎内に植え替え40本。他は全て伐採と教育委員会から発表されました。
哀しいことです。恥ずかしいことです。情けないです。
目を覚まして欲しいです。

2010/4/23(金) 午後 1:54 山内薬局

連休中も開催されるようになったんですね。
来週末に唐津に帰省しますので、必ず観に行きます。

2010/4/23(金) 午後 2:33 [ sugamo_in_sapporo ]

初めまして(o^ー^o)
シニア・ナビ事務局と申します。

ブログを拝見させていただきました。

よろしければブログをシニア・ナビに登録しませんか?
ブログ登録をして頂くとシニア・ナビ内で記事が紹介され
ブログ読者さんやアクセスを増やす事ができます♪

*シニア・ナビは1999年に日本で最初に開設されたアクティブシニア応援サイトです。
*コメントはブログ内容を確認して行っておりますが誤ってシニア・ナビに
合わないブログへコメントしてしまう場合が御座います。ご容赦ください。

2010/5/28(金) 午後 8:19 [ シニア・ナビ事務局 ]

 
2010/5/13(木) 午後 5:19

公開シンポジウムのご案内です。
 
2010/5/28(金) 午後 3:34
ポスター入手

大島邸を保存する会
ポスターとチラシができました。
 
 
 
チラシの裏面は
 
2010/6/4(金) 午後 2:11
勉強会が開催されます。

平成22年6月8日(火)19:00~
 
神奈川大学名誉教授
西和夫先生を囲んで
語ろう会開催
 
場所:聖持院本堂 唐津市西十人町 (唐津天満宮の南隣です)
 
 講師:西和夫先生
 
講師の先生のプロフィール
 神奈川大学名誉教授・工学博士・建築史学会長
 文化庁文化審議会委員
 横浜市文化財保護審議委員長
 
主催:「大島邸を保存する会」
 
案内のチラシに書かれているキーワードは
 
唐津の宝を探そう!
近代和風建築
歴史的建造物
武家屋敷
茶室
城下町
歴史的景観
文化財
欄間
数寄屋造り
屋敷森
書院造り
お座敷
鴨居
大島邸を語ろう!
大島邸を保存しよう!
 
 
先生を囲んで大いに語り合おうという企画のようです。
 
どなたでもご参加いただけます。
 
私も行こうと思います。
 
2010/6/12(土) 午後 10:57
夢の扉

 
これは必見です。
 
夢の扉 今の教育制度にあった校舎をデザイン…/ 20100606夢の扉~NEXT DOOR~
子供たちにより良い教育を受けさせてあげたい
【放送日】2009年6月6日
【出演】工藤和美(建築家)
【ドリームナビゲーター】川瀬良子

【内容】
「今の教育制度にあった校舎をデザインして、子供たちにより良い教育を受けさせてあげたい」▽公立の小学校の校舎が今変わって来ています。何と、教室に壁や扉が無いのです。いったいどんな校舎なのでしょうか!?

【ジャンル】ドキュメンタリー番組
 
以下はこの情報を下さった方からの手紙の抜粋です。
 
福岡市に今年4月に開校した「西南学院小学校」(西南学院大学系列)は校舎が「北向き」に設計されています。
「年間を通して採光が平準化されるよう、あえて北向きにした」ということでした。意外でしたが「南向きでは夏の日差しが強すぎる」という説明になるほどと思いました。
唐津市教委が「校舎を南向きにするには大島邸の場所しかない」という説明を聞きながら、学校によって随分考え方が違うものだと思いました。
「北向き」の校舎が新しいトレンドなのかどうかはわかりませんが、そういった学校もあることを、参考までにお知らせしておきます。
 
 
2010/6/18(金) 午前 9:36

日本建築史学会が市に対して大島邸保存の要望書を提出


朝日新聞6月18日朝刊佐賀版
大島邸保存へ要望書
       建築史学会「唐津の歴史語る」
 
 唐津市の「旧大島邸」について、全国の研究者約600人でつくる建築史学会(会長=吉田鋼市・横浜国立大学教授)が17日、保存を求める要望書を坂井俊之市長らあてに提出した。同学会はこれまで、大阪証券取引所(大阪市)の立会場があったビルなど貴重な近代建築の保存を求める活動をしており、元会長で文化庁文化審議会委員も務めた西和夫・神奈川大名誉教授(71)が市役所を訪れ、吉田勝利副市長に要望書を手渡した。<BR>
 要望書は、旧大島邸の建築史上の価値について「明治中期の大規模、上質な住宅」と高く評価。中でも、旧唐津銀行創立者の大島小太郎(1859~1947年)の自邸だったことに着目。西さんは「唐津の歴史を語るうえでも、小太郎の住んでいた空間の保存は欠かすことができない」と述べた。<BR>
 建物については「傷んでいるので一見、だめなように見えるが、構造的にはしっかりしている。手を入れさえすれば保っていける」と述べた。また、市立近代図書館内にある「大島家文書」の分析など建物に対する研究が不十分と指摘。時間をかけて検討して保存するかどうかの結論を出すよう要望した。<BR>
 西さんは8日に旧大島邸を見学後、保存を求める要望書の提出を学会に働きかけ、隣接する大志小学校の改築に伴って大島邸の解体が始まる前にと要望書を提出することを決めたという。<BR>
 吉田副市長は「解体時に保存することになる部材などの活用について、市民を含めて幅広く意見を聞きながら検討する場を設けたい」との坂井市長の6月議会での答弁を説明したが、解体の方針は変えなかった。
 
 
読売新聞   6月18日朝刊佐賀版
旧大島邸
  建築史学会「現地保存を」
 唐津市に要望 歴史上の価値強調
 
 唐津市西城内の大志小改築に伴って解体が決まっている「旧大島邸」について、元文化庁文化審議会委員の西和夫・神奈川大名誉教授(71)らが17日、市役所を訪れ、建築史学会名で保存を求める要望書を手渡した。同学会が建物の保存を要望するのは異例という。<BR>
 要望書では「建築史学上きわめて貴重な建築。かけがえのない文化遺産を後世に継承するように深甚なる配慮を求める」とした上で、「保存活動に際して可能な限り協力と支援をする」としている。<BR>
 建築史上の価値について①明治中期の大規模かつ極めて上質な住宅②吟味した上質の木材を使用し、明治の優れた住空間をつくり出している③茶室「敬日庵」は当時の茶の文化の高さを示す-など5項目を挙げている。<BR>
 対応した吉田副市長は貴重な建物との認識を示し、「これまで一部を生かし取りして記録保存するようにしていたが、生かし取りを広範囲にするなど解体の見直しを図っている」などと答えた。<BR>
 これに対し、西名誉教授は「記録保存は、建物を保存するものではない」と現地保存を求めた。小学校改築と旧大島邸保存の両立について「何とか知恵を出してせないか」と尋ね、図書館所有の大島関連の文書などを分析して、行政と価値を共有したい考えを示した。<BR>
 要望後の記者会見で西名誉教授は「鉄道敷設や港整備など多方面で活躍した大島小太郎という歴史上重要な人物の自宅をつぶして、唐津の歴史が語れるのか」と解体に疑問を呈した。
 
 
 
 
これまでの大島邸関係記事を次のサイトにまとめてみました。
 
2010/7/6(火) 午後 9:40
大島邸のシンポジウムin佐賀のご案内

7月18日(日) 14:30~17:30
 
佐賀駅南 iスクエアビル 5F
 大・中会議室にて開催されます。
 
 
ふるってご参加下さい。
 
主催 文化財保存佐賀県協議会
 
 
 
2010/7/12(月) 午後 7:10
大島邸見学会、意見交換会のご案内

 
 
勉強会を度重ね、大島邸の建物に関する大切さは分かってきました。
保存運動を推し進めていく中で、最近考えるようになりました。
貴重な近代和風建築だから残そうとしているのではない。
唐津の歴史を残そうとしているのだと。
唐津の歴史を学ぶと言うことは、現在の自分を見つめることです。
歴史を学ぶことによって先人への感謝が生まれます。
すると唐津の未来も開けてくる。
 
2010/8/3(火) 午前 9:57
鎮の能?


明日8月4日
午後3:30から旧大島邸の見学会が行われます。
専門家による解説もあるそうです。
 
新聞によれば、午前中には市役所では市長を交えての懇話会もあるとのこと。
どんな懇話会になるのか全く分かりません。解体した後のことについて話し合うとも聞いています。
 
 
一昨日の朝日新聞記事

旧大島邸活用考える懇話会
溝埋まらぬまま開催
 4日、唐津市教委と市民

 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市が市民の意見を聴く「旧大島邸の活用を考える懇話会」が4日、市役所で開かれる。市教委は「解体後の部材の活用について市民の意見を聞くのが目的」と、解体の立場を崩しておらず、現地保存を求める市民グループとの溝は埋まらぬままだ。「結局は市民の意見を聞いたというパフォーマンスに終わるのでは」という声が早くも関係者の間から出ている。 (田中良和)
 市教委によると、懇話会は4日午前10時からで坂井俊之市長も出席。12人の委員が会長、副会長を互選後、旧大島邸を視察。この後、市役所で旧大島邸の活用方法などを議論する予定。だが、12人の委員の名簿は公表されておらず、委員同士も当日まで互いに名前が分からない状況だ。
 懇話会には市民グループ「大島邸を保存する会」の会長も出席する。同会は30日に懇話会への対応を話し合ったが、メンバーがわからないために結局、旧大島邸の「現地保存」という基本線は確認したが、今後の対応は懇話会の進み具合を見ながら決めていくことにした。
 懇話会に「アドバイザー」として参加する元文化庁文化審議会委員の西和夫・神奈川大名誉教授(72)の役割も焦点のひとつ。市教委は「アドバイザーは、自分からは発言できず、会長や委員から発言を求められたときだけ発言できる」という。西名誉教授は全国の研究者約600人でつくる建築史学会の推薦で参加。全国各地のまちづくりに幅広い経験を持つ同名誉教授の見識を生かす場が十分、与えられるかどうかも未知数だ。
 一方、市教委は、憩話会とは別に、大島邸に隣接する大志小学校の屋内体育館解体工事に今月初めから着手する方針。旧大島邸の解体も10月に始めて、年内には終える予定だ。市教委は「懇話会は解体後の部材の活用を話し合う場なので、工事は、これとは関係なく予定通り進めたい」と話している。   (以上朝日新聞)
 
 
また、大島邸見学会の後、午後5時から7時までは休憩を兼ねて市民会館4階大会議室にて大島邸に関する映像を流されます。RKBの今日感テレビや夢の扉など。
その後7時から講演会ならびに意見交換会がございます。
 
そのことを博多の知人に申しましたら、
「そりゃ~鎮の能たいね。」
 
博多んもんならでは。
明日の見学会~意見交換会を、全ての山笠が清道を回り終えた7月15日の朝に櫛田宮に奉納される鎮の能に例えた博多の知人には恐れ入りました。
 
 
 
7月18日佐賀で行われた大島邸シンポジウムに参加しました。
元佐賀市教育委員会文化課長の方の話に心を打たれました。
旧古賀銀行・旧古賀邸の取り壊しが議会で決定していたとき、ただ一人保存を訴えて走り回り、
立派に残すことができた話をなさいました。
「自分は文化課長を拝命した以上、文化財を守のが使命。」
唐津市役所にこんな気概がある行政マンがいればと、佐賀を羨ましく思いました。
 
明日が大島邸内部を見る
最後のチャンスです。
大島邸にお世話になった方、
唐津の文化に興味のある方、
まだ大島邸を観たことがない方、
唐津に興味のある遠方にお住まいの方、唐津にいてもなかなか見る機会がなかった方々、
PTAの方々、
行政の方々、
議会の方々、
多くの方々。
猛暑の中ではありますが、是非大島邸に合いに来ていただきたいと思います。
 
 

コメント(1)

解体前提とせず議論へ 「旧大島邸」懇話会が初会合(「佐賀」http://p.tl/NeVt)に、なったそうですね。少しばかり運動がみのりましたね。

2010/8/5(木) 午前 4:07 ゆみちゃん

 
2010/8/5(木) 午後 10:45
次のステップ


昨日の大島邸見学会15:30~17:00には
猛暑の中大勢の皆様が様々な思いを抱き、大島邸に会いに来てくださいました。
 
大志小学校の体育館解体工事は始まっておりました。
 
午前中には市役所で懇話会が開かれました。
議長は公開すべしと仰って、懇話会の様子は新聞各紙が取り上げて様子が分かります。
 
以下今朝の各紙を載せてみました。
 
 
解体前提とせず議論へ
 「旧大島邸」懇話会が初会合
 
 佐賀県唐津市の大志小新校舎建設に伴い、解体が論議になっている「旧大島邸」の活用を考える懇話会の初会合が4日、唐津市役所であった。市は解体後の保存活用を話し合う考えだったが、解体を前提とせず幅広く議論することを決めた。10月まで4回程度開き、意見をまとめる。
 市は委員の名前と会議を公開しない方針だったが、会議の冒頭で委員から意見を聞き、いずれも公開した。委員は地域婦人連絡協議会会長や駐在員ら12人。会長に馬渡雅敏・唐津みなとまちづくり懇話会会長、副会長には岩本真二・NPO唐津環境防災推進機構KANNE理事長を選んだ。
 会議ではまず市が「解体保存後の有効な活用方法について検討を行う」とする市の設置要項を説明した。一方、馬渡会長は「多様な意見を集めて収れんしたい」と、現地保存を含めた幅広い活用について意見を求めた。
 委員からは「新校舎建設と旧大島邸の継承を両立するため別の場所に移築」「大島家の功績についても評価すべき」などの意見のほか、保存を求める市民団体や都市右太雄・唐津観光協会会長は「唐津の近代史を伝える上で貴重な建物」として現地保存を求めた。「市の財政を考えると現状保存は難しい」との意見も出た。
 アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授は「建物全体が残り、住宅建築の歴史をひもとく貴重な資料」と提言。委員らは「建築的、文化的価値を共有し、今後の議論に役立てたい」と、西名誉教授らによる建物調査を行うことを決めた。
 次回は25日に開き、活用の前提となる建物の価値などを議論する。
 一方、保存する会は同日、西名誉教授らによる同邸の見学会と意見交換会を開催。見学会には県内外から約130人が訪れた。(佐賀新聞)
 
 

唐津市・旧大島邸の活用へ
 建築史学会に価値調査依頼 懇話会が初会合

 小学校の校舎新築に伴い解体される唐津市西城内の「旧大島邸」をめぐり、解体後の部材の活用法を考える「旧大島邸の活用を考える懇話会」の初会合が4日、唐津市役所であった。旧大島邸の建築的・文化的価値について調査するよう市教委に提案。市教委もこれに応じ、近く建築史学会に調査を依頼する方針を示した。
 懇話会は現地保存派の市民を含め計12人で構成。建築史学会元会長の西和夫神奈川大名誉教授が助言者として加わる。会長に唐津みなとまちづくり懇話会の馬渡雅敏会長(54)を選んだ。
 この日、旧大島邸の茶室などを視察。その後の会合では「旧大島邸の『価値』を共有したい」「市の財政を考えると現状での保存は難しいのでは」との意見が出た。懇話会は10月まで4回をめどに会合を開く予定。(西日本新聞)
 
 
 

「旧大島邸」懇話会初会合、10月めどに結論

 唐津市西城内の大志小学校校舎改築に伴って解体される旧大島邸の活用を考える懇話会の初会合が4日、市役所で開かれた。委嘱された12人の委員からは「邸の現地保存を」「学校の環境を整備すべきだ」といったいろいろな意見が出た。このため、次回の25日の会合までに専門家から建築的、文化的な評価を受け、価値を共有して10月をめどに結論を出すことにした。(山田和男)
 委員は、唐津観光協会会長、唐津中央商店街会長のほか、現地保存を訴えている市民グループ・大島邸を保存する会の会長、城内を考える会代表ら。会長には馬渡雅敏・唐津みなとまちづくり懇話会会長(54)が選ばれた。
 冒頭、坂井俊之市長は「解体に当たり、貴重な部材などを保存することにしているが、その後の活用策について広くご意見をいただきたい」とあいさつした。委員は旧大島邸を視察し、これまでの経緯について市教委から説明を受けた。
 この後、各委員がこの問題について意見を述べた。「大志小の運動場は狭く、子どもたちの学習環境を整えるのがまず第一で、旧大島邸はしかるべき場所へ移築されるのが妥当では」、「何で今頃、保存の話が出てきたのか」などと現地保存に疑問の声のほか、「観光の立場から今の形での保存を」、「城下町の面影を残すものが少なくなっており、緑の空間もなくなってしまう」と現地保存を求める意見が出た。
 学識経験者のアドバイザーとして日本建築史学会から推薦を受けた元文化庁文化審議会委員の西和夫神奈川大名誉教授は「表(公の部分)と奥(私の部分)が、全体として非常によく残っているのが大きな価値のひとつ。書院造りで、日本の住宅の流れを知るうえで優れた存在だ」などと評価した。建築的、文化的な評価は西名誉教授ら専門家チームが行い、詳しい調査を行う予定。 (読売新聞)
 
 
 
保存求める声多く
旧大島邸活用考える懇話会


 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞く「旧大島邸の活用を考える懇話会」の初会合が4日、市教委主催で開かれた。会議では、議論の前提として、旧大島邸の建築的文化的価値について理解を共有する必要があるとしてアドバイザーとして参加している元文化庁文化審議会委員の西和夫・神奈川大名誉教授(72)に対し、改めて調査をしたうえで25日に開かれる次回会合にも報告を求めることにした。
 懇話会には市教委が選んだ各団体代表ら12人が出席。旧大島邸を見学した後、ひとりずつ意見を述べた。何らかの形で保存を求める声が多数を占めた。ただ、保存方法については、①現在のまま残す②残すべきだが、財政問題など留保付き③他の場所に移築など意見が分かれた。馬渡雅敏会長は「いいものを残したいという皆さんの気持ちがわかった。一番いい形、あるいは次善の形で残すやり方をまとめたい」と述べた。
 行政代表として出席した山下正美・市企画経営部長は「大島邸の建築的文化的価値を市として把握していなかったことが議論が進展しなかった原因」と述べ、西名誉教授に建築的文化的価値について評価を依頼することを提案し、西名誉教授も同意した。
 「城内を考える会」の辻いく子代表は現地保存を明確に主張。「城下町の面影を残す城内がどんどんなくなっている。あのまま保存してほしい」と訴えた。また、唐津観光協会の都市石太雄(といちうたお)会長は「大島邸に隣腰する大志小学校の改築に伴ってなぜ、大島邸を壊さなければならないのか、説明が不十分」と述べた。大志小の見学を希望する声も出て、次回に見学することにした。
 会は10月末、意見をとりまとめる予定。 (朝日新聞)
 
19:00から市民会館で意見交換会が開催されました。
これまでの勉強会やシンポジウム、更に昨日の見学会では大島邸のすばらしさを様々な先生が解説していただきました。
しかし昨夜の西和夫先生(神奈川大学名誉教授)の基調講演では具体的ないくつかの保存の道筋を教えていただきました。町づくりという観点から大島邸をどう生かしていくのか、まさに保存運動は次のステップに入った感じでした。
 
 
平戸からも「庭を守る会」の方々が参加され、大変参考になる話をしていただきました。
 
懇話会は8月25日、9月、10月と続きます。
ここで皆が納得できる方向へと何とか進めていただきたいと願います。
 
大島邸の屋敷森は固唾を呑みながら、大島邸を包み込んで唐津の行く末を按じているように思えました。

唐津市民会館大会議室より
 
 
 
 

コメント(2)

転載します

私のお知らせコーナーで ご紹介します

2010/8/6(金) 午前 8:49 [ Tomcat ]

更に今朝の朝日新聞では大々的に取り上げていました。
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000001008070001

2010/8/8(日) 午後 1:10 山内薬局


2010/8/22(日) 午前 9:36
市民の声が届くのだろうか・・・・・・?


[唐津市ホームページ]情報配信メール
(2) よりよい行政サービスを行うために市民の皆さんからの提案を募集します ~CSO提案型協働創出事業~
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=03828440012808045801027409698

唐津市のホームページより
~よりよい唐津市を目指して~ 
 
 ※CSOとは、市民社会組織(Civil Society Organizations)略で、
  ・同じ志を持った志縁組織:NPO法人、市民活動・ボランティア団体など
  ・地域性を持った地縁組織:自治会・町内会、婦人会、老人会、PTAなど
  といった組織・団体も含めて、「CSO」と呼称しています。
 
【概 要】
 市が行っている市民サービスの全ての事業を公表し、市民自らが、望み考えた市民サービスへの取り組みを実現するために、これまで市が実施していた事業について、 「この事業はこのように実施すればもっと効果があがる。」など 市民が企画立案し、実施していく提案を募集するもの。
 
【目 的】
 (1) 市民サービスの質の向上
 (2) 多様化する市民サービスへの対応
 (3) 市政への参画(計画立案から加わる)
 (4) 市政の透明性の確保
 (5) 効率的、効果的な行財政の運営
※この事業は、市民がサービスの提供者でもあり、受益者でもあることが重要な意味を持っています。 

【提案できる団体】
 (1) 唐津市内在住者、働いている人、学んでいる人で組織されている市民活動団体(CSO)
   ※提案内容の実施能力が備わっていることが必要です。
 (2) 市内に事務所がある企業や事業所
   ※地域貢献活動の一環として実施することが必要です。
    (地域貢献活動の取り組みなどの説明資料を提出のこと)

 (3) 条件により提案できない場合があります。
    (詳しくは要項をご覧ください)

【提案対象となる業務】
 (1)唐津市が公表した「唐津市業務内容一覧表」に掲げた業務
 (2)新たに取り組むことが望ましい業務
 
 <提案の形態>
(1) 委 託
 財政効率などを考慮して、企画段階から提案者と協議しながら進める委託契約による事業
(2) 事業協力
 提案者と市の双方が主体となって事業を実施。企画段階から双方で検討を行い、お互いの得意分野を活(い)かし、費用分担や責任の所在を明確にし、一定期間、継続的な関係のもとで行う事業
 
【唐津市業務内容一覧表の閲覧場所】
 ・男女共同参画・市民協働課および各支所 総務教育課
 ・特定非営利活動法人 NetworkStationまつろ(南城内2-6)
 ・唐津市ホームページ 
 
【募集期限】
 平成22年9月30日(木)まで

【提案書類】
 ・提案書
 ・提案者調書・誓約書
 ・企業については、地域貢献活動を説明した資料(様式自由)
 
【提出先・相談窓口】
 特定非営利活動法人 NetworkStationまつろ(南城内2-6)
 TEL 0955-70-0303 ・ FAX 0955-70-0304
 
※「唐津市業務内容一覧表」の詳しい事業内容については担当課にお問い合わせください。
 
【審 査】
 提案書に基づき、提案者と市の担当課とで協議を行います。協議には、男女共同参画・市民協働課が立ち会い、調整を図ります。
 採択に際しての基準はおおむね次のとおりです。
(1) 提案者と市との役割分担が適切で明確であること
(2) 現状より市民サービスの向上が図られること
(3) 事業の実施体制が整っていること
(4) 提案者の専門性や特性が市民サービスの向上に活かされていること
(5) 市民サービスの提供が、適切なコストであること
【問い合わせ】
 男女共同参画・市民協働課
 TEL 0955-72-9239・FAX 0955-72-9236 begin_of_the_skype_highlighting              0955-72-9236      end_of_the_skype_highlighting
 

--------------------------------------------------------------------------------

【添付ファイル】
 ・唐津市業務内容一覧表[Excel形式] (444,928 Bytes)
 ・募集要項[PDF形式] (224,562 Bytes)
 ・応募様式[Word形式] (36,864 Bytes)


  
これらの添付ファイルは
よりお入り下さい。

コメント(2)

顔アイコン

感想:高齢者関連の多さに比べて、子どもに関することが少なく、しかも既存の事業ばっか。

2010/8/22(日) 午後 7:56[ har*sor**30817 ]Yahoo!アバター

よそから来たから唐津の事は詳しくは解りませんが
今まで転勤族だったので街の活性化の良さというのは
個人=客観的にみることも重要だと思います。

団体で集まって「これは絶対ヒットするので是非!」
というのではなく…

あえてこの建物はどうなるんだろう?と(他にも沢山ありますが)
勿体ない!?ものもありますよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/memeronpa2000/51943873.html

2010/8/23(月) 午後 4:04memeronpa2000

 
 
 
2010/8/28(土) 午後 3:17

大志小学校改築スケジュール

8月25日 旧大島邸の活用を考える懇話会 が開催されました。
 
午前10時からは当店が一番忙しい時間帯。おかげさまで懇話会があっている時間当店は千客万来。ありがたいことです。この夏は昼間の猛暑を避け、朝早くと夕方にお客さんが見えます。
 
 
準備された傍聴席も満席だったとか。
 
新聞紙上でその様子は確認できました。
 

旧大島邸 懇話会報告
 主屋の損傷少ない 

 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞く「旧大島邸の活用を考える懇話会」の第2回会合が25日、開かれた。アドバイザーの西和夫・神奈川大名誉教授(72)が「建築年代は1884~93(明治17~26)年。主屋の損傷は非常に少ない」とする調査結果を報告。文化財的価値が高いとして、(1)大志小学校改築と旧大島邸保存の両立(2)旧大島邸は部分ではなく、全体を残す――との方向で次回以降、具体的な検討に入る。(田中良和)
 建築の専門家10人の学術調査団が、19日から22日まで旧大島邸を詳細に調査。その結果、1996年の県の調査で明治12~13年ごろとされた建築年代は、ふすまの下張りの記述や「大島家文書」などから、明治17~26年になることがわかった。
 また、雨漏りなどによる損傷が見られるのは、廊下や物置などの増築部分で、主屋は見えない所まで神経が行き届いた丁寧な工事で、ゆがみなどもほとんど無いことがわかった。
 今後について、山下正美・市企画経営部長は「旧大島邸の所有者だった大島小太郎は、進取の気性に富んだ人物。物的遺産を生かす方向で考えた方が、価値を見いだせる」と、活用に前向きな見解を示した。落合裕二・市商工観光部長も「合併特例債など、旧大島邸保存のために使える財源はある。むしろ、保存後の管理運営の方が問題」と述べた。
 西名誉教授は「旧大島邸のように規模が大きく、すぐれた明治期の邸宅は全国的にも非常に少ない」と文化財的価値を高く評価。そのうえで、「次善の策として移築保存する場合は、建物の文化的価値を損なわないよう十分な配慮をすることが前提」と、一部の部材だけを残すという考え方にくぎを刺した。  朝日新聞
 
 
 
旧大島邸「何らかの形で保存」
 唐津市で懇話会
 佐賀県唐津市の大志小改築に伴う「旧大島邸」の保存・解体問題で、建築年代が明治17~26年と判明し、文化財的価値があることが25日、活用策を探る懇話会で報告され、邸を何らかの形で保存する方向で議論することを確認した。
 懇話会は2回目で、邸を調査したアドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授が報告した。大座敷の違い棚のふすまの下張りに、大島家の魚会社の罫紙(けいし)で「明治17年度後期」との記述が見つかり、大島家文書などの文献と照合。増築の茶室や台所、仏間を除く母屋の建築年代を特定した。
 西名誉教授は「建物全体が良質に現存し、天井の高い豊かな空間や意匠、大工の技術、材料が優れている」とし、「文化財的価値は非常に高い」との見解を示した。
 調査報告を受けた懇話会では、財政面から慎重な意見も出たが、「大島小太郎氏の自邸が残ることで、その功績を含む総合的な価値が見いだせる」との意見が多かった。
 議長の馬渡雅敏会長は「壊すべきではないという委員の認識は共有できた」と集約、保存の可能性を探る方向で議論することを決めた。次回は9月17日に開く。
佐賀新聞

 

旧大島邸移築保存へ
調査団「文化財的価値非常に高い」

 唐津市西城内の大志小校舎改築に伴って解体される旧大島邸の活用を考える懇話会の第2回会合が25日、市民会館大会議室で開かれた。14~24日に行われた同邸の学術調査について、調査団代表で懇話会アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授は「明治の生き証人で、文化財的価値が非常に高い」と報告。懇話会の12人の委員は、建物を何らかの方法で残すことで一致し、移築される方向となった。
 報告によると、主屋の建築年代は1884~93年(明治17~26年)と推定した。大座敷(15畳)の違い棚ふすまの裏面下張りに「明治17年度後半期」と記されていたことなどが根拠で、県近代和風建築総合調査報告書(1996年)の「明治12、13年ごろ」よりやや時代が下った。
 建築的、文化的価値については、〈1〉デザイン、構造が優れており、表(公の部分)と奥(私の部分)の建物全体がよく残っている〈2〉明治中期の大規模住宅の現存例が少なく、住宅史上重要な存在〈3〉銀行・港湾・鉄道など様々な分野で活躍した大島小太郎の自邸で、唐津の歴史を確認するうえで大きな役割を果たす――などとした。
 報告を受けて、各委員が意見を述べた。保存方法について、西名誉教授は現地が一番いいが、次善の策として、場所をかえても全体の空間を確保するなど十分配慮すれば、文化財的価値は担保されるとした。次回は9月17日に開かれる。(山田和男)  読売新聞

旧大島邸:明治中期の上質住宅 第2回懇話会で評価
唐津 /佐賀

 唐津市の和風建築・旧大島邸(旧唐津銀行頭取を務めた大島小太郎邸)の保存活用問題で、建築・文化的価値を整理するため調査を行った西和夫・神奈川大名誉教授(建築史学会元会長)は25日、調査結果を発表し「明治時代中期の上質な住宅で、唐津市の歴史上重要な人物の功績を知る上でも欠くことができない」と評価した。
 発表は第2回旧大島邸の活用を考える懇話会への報告として行われた。
 これまで1879年ごろとされていた主屋の建築年代を1884~1893年と修正し、台所・仏間・茶室は大正時代の増築と判定した。西名誉教授は「主屋部分は工事が丁寧で損傷が少ない。損傷が目立つのは増築部分」と報告した。
 調査は今月19~22日、10人の調査団で実施した。【原田哲郎】
 
  毎日新聞
 
 
懇話会では、これまでの生かし取りの記録保存で押し通していた行政とは一変して、なんだか大島邸を移築して保存する方向に向かっているような雰囲気です。
 
あれだけの広さの移築。木々はどうなるのでしょうね。
 
さて大志小学校のサイトを覗いてみますと、
校舎改築のスケジュールが載っていました。
 
次の号には校舎改築の概要が掲載
 
大島邸を撤去した敷地で、色んな条件をクリアしようと無理をして押し込めた設計と思うのですが、何とかもっとすっきりした校舎にならないものでしょうか。プールは民地の向こう側の飛び地?何とか出来ないのでしょうか。
長年に亘って考えてこの設計になったのだろうが、何か無理しているような気がしてなりません。
すっきりした合理的な設計にはならないのでしょうかね。議会でも承認を得たとのことですから。もうどうしようもないのでしょうね。

コメント(2)

新聞記事の「切り抜き」(?)ありがとうございます!
それにしても。よかったですね。とりあえず、いくらか安心しましたので、ブログに書きました(リンク?というのかな?
「古民家の記」ブログです

まだ。ひと山もふた山も越えねばならないと思いますが。最後まであきらめず、応援しています。野次馬でごめんなさい。

2010/8/28(土) 午後 9:25[ kominka ]

ツイートしました。http://twitter.com/yumiyam1
残そう旧大島邸!移築保存の運動をひろげよう!→大志小学校改築スケジュール - 山内薬局のぼちぼちブログ - Yahoo!ブログ http://p.tl
 
2010/9/3(金) 午後 7:05

第二回 旧大島邸の活用を考える懇話会


遅くなりましたが、第二回懇話会の新聞記事をご紹介します。
 
 
 
 
「旧大島邸」解体問題
議論本格化
きょう建物調査の結果提示
大志小の保護者ら注視、思い複雑
 唐津市にある明治期の近代和風建築物「旧大島邸」の解体・保存問題は25日、邸の活用を考える懇話会で専門家の建物調査結果を示され、本格的な議論が始まる。市は解体して隣接する大志小の改築用地にする方針で、既に体育館解体に着手、秋にも旧大島邸を解体する考えだが、昨年末以降、保存運動は急速な盛り上がりをみせ、議論は平行線のままだ。解体方針を認めてきた市議会や新校舎建設を望む保護者は複雑な思いで議論の行方を注視する。
 市や市民団体らで構成する懇話会は今月4日に発足。市は解体後の活用を考える方針だったが、初会合では解体を前提とせず協議することになり、専門家による調査を決めた。調査は19日から4日間、懇話会アドバイザーで日本建築史学会元会長の西和夫神奈川大名誉教授ら10人が邸の構造や特色、建立時期を調べた。
 一方、市は懇話会発足の2日後、大志小体育館の解体工事に着手。「まだ協議中なのに」と疑問の声も上がるが、市は「議会で承認済み」として予定通り、体育館解体後の10月から同邸を取り壊す方針。2011年度に新校舎、13年度内には同邸跡地に新体育館を完成させる計画だ。
 市議会は昨年3月から議論してきた。①現校舎が震度6強の地震で倒壊の恐れがある②旧大島邸の敷地活用で仮校舎建設費5~6千万円が節減できる③保存には数億円が必要で財政的に困難などの理由で昨年12月に邸の敷地購入予算案、今年3月に新校舎建設予算案を可決した。邸宅は図面や写真で記録し、貴重な建材などは慎重に保存するとしている。
 ある市議は「早期建て替えを望む児童の保護者の意見や保存の可能性も含めて総合的に勘案し、結論を出した。民意を反映する議会の決定は重い」という。
 だが、保存を求める人たちは議会の決定過程で「価値が真剣に議論されたのか」と疑念を持つ。市の文化財保護審議会では価値について一度も協議されたことがない。そのことは議会で明らかになったが、対応はなかった。市民団体は「解体ありきの結論」と不信感を募らせる。
 旧大島邸は、唐津銀行頭取だった大島小太郎氏の邸宅。専門家は「明治期の近代建築を伝える費重な遺構」と評価する。保存署名は延べ約7千人に上る。
 一方、大志小の児童の保護者は複雑だ。ある父親(46)は「計画が白紙に戻ればだれが子どもを守ってくれるのか」と、保存の動きを懸念。別のPTA役員(50)は「議論が長引くほど、子どもたちが『自分たちのせいで旧大島邸を壊した』と責任を感じてしまう」と不安を口にする。
 懇話会は調査結果報告を受けて協議を再開する。今後3回の議論を経て、10月までには一定の方向性を出す方針だ。 (谷口大輔)   佐賀新聞 8/25
 
旧大島邸 懇話会報告
 主屋の損傷少ない 
 
 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞く「旧大島邸の活用を考える懇話会」の第2回会合が25日、開かれた。アドバイザーの西和夫・神奈川大名誉教授(72)が「建築年代は1884~93(明治17~26)年。主屋の損傷は非常に少ない」とする調査結果を報告。文化財的価値が高いとして、(1)大志小学校改築と旧大島邸保存の両立(2)旧大島邸は部分ではなく、全体を残す――との方向で次回以降、具体的な検討に入る。(田中良和)
 建築の専門家10人の学術調査団が、19日から22日まで旧大島邸を詳細に調査。その結果、1996年の県の調査で明治12~13年ごろとされた建築年代は、ふすまの下張りの記述や「大島家文書」などから、明治17~26年になることがわかった。
 また、雨漏りなどによる損傷が見られるのは、廊下や物置などの増築部分で、主屋は見えない所まで神経が行き届いた丁寧な工事で、ゆがみなどもほとんど無いことがわかった。
 今後について、山下正美・市企画経営部長は「旧大島邸の所有者だった大島小太郎は、進取の気性に富んだ人物。物的遺産を生かす方向で考えた方が、価値を見いだせる」と、活用に前向きな見解を示した。落合裕二・市商工観光部長も「合併特例債など、旧大島邸保存のために使える財源はある。むしろ、保存後の管理運営の方が問題」と述べた。
 西名誉教授は「旧大島邸のように規模が大きく、すぐれた明治期の邸宅は全国的にも非常に少ない」と文化財的価値を高く評価。そのうえで、「次善の策として移築保存する場合は、建物の文化的価値を損なわないよう十分な配慮をすることが前提」と、一部の部材だけを残すという考え方にくぎを刺した。   朝日新聞 8/26
 
 
旧大島邸「何らかの形で保存」
 唐津市で懇話会
 佐賀県唐津市の大志小改築に伴う「旧大島邸」の保存・解体問題で、建築年代が明治17~26年と判明し、文化財的価値があることが25日、活用策を探る懇話会で報告され、邸を何らかの形で保存する方向で議論することを確認した。
 懇話会は2回目で、邸を調査したアドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授が報告した。大座敷の違い棚のふすまの下張りに、大島家の魚会社の罫紙(けいし)で「明治17年度後期」との記述が見つかり、大島家文書などの文献と照合。増築の茶室や台所、仏間を除く母屋の建築年代を特定した。
 西名誉教授は「建物全体が良質に現存し、天井の高い豊かな空間や意匠、大工の技術、材料が優れている」とし、「文化財的価値は非常に高い」との見解を示した。
 調査報告を受けた懇話会では、財政面から慎重な意見も出たが、「大島小太郎氏の自邸が残ることで、その功績を含む総合的な価値が見いだせる」との意見が多かった。
 議長の馬渡雅敏会長は「壊すべきではないという委員の認識は共有できた」と集約、保存の可能性を探る方向で議論することを決めた。次回は9月17日に開く。
  佐賀新聞 8/26
 
 
 

旧大島邸移築保存へ
調査団「文化財的価値非常に高い」

 唐津市西城内の大志小校舎改築に伴って解体される旧大島邸の活用を考える懇話会の第2回会合が25日、市民会館大会議室で開かれた。14~24日に行われた同邸の学術調査について、調査団代表で懇話会アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授は「明治の生き証人で、文化財的価値が非常に高い」と報告。懇話会の12人の委員は、建物を何らかの方法で残すことで一致し、移築される方向となった。
 報告によると、主屋の建築年代は1884~93年(明治17~26年)と推定した。大座敷(15畳)の違い棚ふすまの裏面下張りに「明治17年度後半期」と記されていたことなどが根拠で、県近代和風建築総合調査報告書(1996年)の「明治12、13年ごろ」よりやや時代が下った。
 建築的、文化的価値については、〈1〉デザイン、構造が優れており、表(公の部分)と奥(私の部分)の建物全体がよく残っている〈2〉明治中期の大規模住宅の現存例が少なく、住宅史上重要な存在〈3〉銀行・港湾・鉄道など様々な分野で活躍した大島小太郎の自邸で、唐津の歴史を確認するうえで大きな役割を果たす――などとした。
 報告を受けて、各委員が意見を述べた。保存方法について、西名誉教授は現地が一番いいが、次善の策として、場所をかえても全体の空間を確保するなど十分配慮すれば、文化財的価値は担保されるとした。次回は9月17日に開かれる。(山田和男)   読売新聞 8/26
 

旧大島邸:明治中期の上質住宅 第2回懇話会で評価
唐津 /佐賀

 唐津市の和風建築・旧大島邸(旧唐津銀行頭取を務めた大島小太郎邸)の保存活用問題で、建築・文化的価値を整理するため調査を行った西和夫・神奈川大名誉教授(建築史学会元会長)は25日、調査結果を発表し「明治時代中期の上質な住宅で、唐津市の歴史上重要な人物の功績を知る上でも欠くことができない」と評価した。
 発表は第2回旧大島邸の活用を考える懇話会への報告として行われた。
 これまで1879年ごろとされていた主屋の建築年代を1884~1893年と修正し、台所・仏間・茶室は大正時代の増築と判定した。西名誉教授は「主屋部分は工事が丁寧で損傷が少ない。損傷が目立つのは増築部分」と報告した。
 調査は今月19~22日、10人の調査団で実施した。【原田哲郎】  毎日新聞 8/26
 
 
佐賀新聞ニュースの動画もありました。クリックしてして下さい。
懇話会の様子、大島邸内部、調査風景などです。
 

コメント(3)

私は、大島邸の問題、簡単なことだと思っています。
大志小を旧大成小に移転させればいいだけのことです。
現在の大志小の場所は、唐津のために、もっと有効に使うことができます。
でも、旧志道校区のお偉いさんは、ウンと言わないのでしょうね。
旧志道校区の方々には、もっと唐津全体の利益を考えてほしい、と常々思っています。

旧大島邸は、私の母がたいへんお世話になった場所です。
なくなってほしくはないです。
でも、しょうがないですよね。
旧志動校区の方々が招いたことだと思います。

偉そうな意見で申し訳ありません。
でも、根本的な問題は、そこにあると思います。

2010/9/3(金) 午後 10:59[ tam**ugar ]

顔アイコン

tam**ugarさん
はじめまして。仰るとおりです。
旧大成小学校を取り壊して、その後に耐震構造の新校舎を建てる。その間は現大志小学校を使う。

旧大成小学校の運動場は数年後、佐賀早稲田の第二運動場になると聞いておりますが、それは現大志小学校の運動場をそれに当てる。

こういった方法もありますね。

仰る根本的問題。志道・大成合併の遙か前に、大島邸取得の頃に、一連のシナリオは大方出来上がっていたのではないかと思います。これを今更と言うのが行政の立場。それで今まで全て推し進めてこられました。今回の大志小改築の設計図も行政はこのままやってしまおうとしているのです。
tam**ugarさんは新校舎の設計図や見取り図をご覧になったことがありますか?各教室にインターホンを設置する位であのへんてこな構造の校舎の弱点は補うことは出来ないと思われますがどう思われますか?
行政はもっとよく考えて新校舎建設に取り組んで貰いたいものです。

2010/9/3(金) 午後 11:56山内薬局

明日9月9日午後6時からNHK佐賀で大島邸に関することが放映されるという情報を入手しました。佐賀県の皆さんはどうぞご覧下さい。

2010/9/8(水) 午後 9:32山内薬局

 
 
2010/9/9(木) 午前 9:24
今日NHK佐賀で放送です。



今夜、6:10から
NHK佐賀放送の「NEWSファイル佐賀」で
「佐賀なう、文化的価値が議論となった旧大島邸問題」というタイトルで特集があるようです。
 
必見です。
 
県外の方々は残念ながら見られません。
こんな時ネットで放送されると良いのですが。
 
 
また、こんな記事を発見! 
【PJニュース 2010年9月9日】「唐津の『旧大島邸』解体へ」(唐津市西城内)。今年1月21日の佐賀新聞に掲載されたこの記事は、多くの市民にとって「青天のへきれき」であった。隣接する市立小学校の新校舎建設用地になるため、旧大島邸を取り壊すというもので、一部の部材や建具だけを残すという。さらに4月には「5月から解体作業に着手」と報道、動揺が広がった。「壊されてはおしまい、何とかしなければ!」、取り壊しに反対する市民は運動を始めた。

旧大島邸は、江戸時代から明治・大正の近代化の時代にかけて、藩財政の立て直し、宗偏流(茶道)の継承、銀行の設立、石炭輸出港整備、鉄道・電気・道路・通信・教育等の多くの功績を残した、唐津史に欠かせない人物の自邸であるだけでなく、佐賀県内有数の近代和風建築として評価された遺構で、深い緑に囲まれた貴重な緑地でもある。

これまでの市長が、旧大島邸は文化的に大切なものだ、という発言もしてきており、その言葉を信じていた人々は、今さら取り壊しは受け入れられないと反論。署名集めや勉強会が始まった。市の解体計画が市民へ正式に伝わることなく、議会で承認されたことだからと説明を受けても、それを人々が受け入れることは難しかった。保存への運動は、当然の成り行きともいえるだろう。

旧大島邸の解体には、それを壊さなければ、実施設計まで終了している新校舎の工事が止まってしまうという問題があった。工期は23年度までである。学校は、良いものができるだけ早く建ってほしい。しかし、旧大島邸の取り壊しは考え直してほしい。その板ばさみの中で、どちらも両立できる方向へ解決しなければならない。解体へのタイムリミットをにらみながら、苦しい中での活動が続いた。

解体工事直前の4月末、市民グループの一つ「大島邸を保存する会(松下会長・当時)」(以下、保存する会)は、「文化的価値の高い大島邸を取り壊す目的で、校舎新築の事業費を支出するのは違法」とする、公金支出差し止めを求める住民監査請求を市へ提出した。これに対し、市監査委員は5月末に請求棄却を決定、結果として、5月着手予定の植栽移植工事が遅れ、それに伴い、邸宅の取り壊しも延期されることになった。

取り壊しがまぬがれたとほっとする一方で、小学校建設を望む声には不安が広がった。少しでも早く、旧大島邸をどうするか、方向性を見出さなければならなかった。そのような不安の中の6月はじめ、建築史に詳しい専門家が旧大島邸を視察した。「保存する会」が相談を持ちかけ、ぜひ見てほしいと視察をお願いした、西和夫神奈川大学名誉教授(当時71)。視察は一つの方向を導いた。 

コメント(2)

見ますぞ~

2010/9/9(木) 午後 4:02[ mas**068

顔アイコン

流石に福岡では無理です

2010/9/9(木) 午後 10:27[ Tomcat ]

 



2010/9/10(金) 午後 0:10

旧大島邸を壊さないで PJニュース

旧大島邸を壊さないで(1) 保存運動へ=佐賀・唐津
2010年09月09日06時44分 / 提供:PJニュース




 
旧大島邸を壊さないで(1) 保存運動へ=佐賀・唐津 
「大島邸を保存する会」が運動のために作成したチラシ、同デザインのポスターも作成。(撮影:高橋泉、9月7日)
【PJニュース 2010年9月9日】「唐津の『旧大島邸』解体へ」(唐津市西城内)。今年1月21日の佐賀新聞に掲載されたこの記事は、多くの市民にとって「青天のへきれき」であった。隣接する市立小学校の新校舎建設用地になるため、旧大島邸を取り壊すというもので、一部の部材や建具だけを残すという。さらに4月には「5月から解体作業に着手」と報道、動揺が広がった。「壊されてはおしまい、何とかしなければ!」、取り壊しに反対する市民は運動を始めた。

旧大島邸は、江戸時代から明治・大正の近代化の時代にかけて、藩財政の立て直し、宗偏流(茶道)の継承、銀行の設立、石炭輸出港整備、鉄道・電気・道路・通信・教育等の多くの功績を残した、唐津史に欠かせない人物の自邸であるだけでなく、佐賀県内有数の近代和風建築として評価された遺構で、深い緑に囲まれた貴重な緑地でもある。

これまでの市長が、旧大島邸は文化的に大切なものだ、という発言もしてきており、その言葉を信じていた人々は、今さら取り壊しは受け入れられないと反論。署名集めや勉強会が始まった。市の解体計画が市民へ正式に伝わることなく、議会で承認されたことだからと説明を受けても、それを人々が受け入れることは難しかった。保存への運動は、当然の成り行きともいえるだろう。

旧大島邸の解体には、それを壊さなければ、実施設計まで終了している新校舎の工事が止まってしまうという問題があった。工期は23年度までである。学校は、良いものができるだけ早く建ってほしい。しかし、旧大島邸の取り壊しは考え直してほしい。その板ばさみの中で、どちらも両立できる方向へ解決しなければならない。解体へのタイムリミットをにらみながら、苦しい中での活動が続いた。

解体工事直前の4月末、市民グループの一つ「大島邸を保存する会(松下会長・当時)」(以下、保存する会)は、「文化的価値の高い大島邸を取り壊す目的で、校舎新築の事業費を支出するのは違法」とする、公金支出差し止めを求める住民監査請求を市へ提出した。これに対し、市監査委員は5月末に請求棄却を決定、結果として、5月着手予定の植栽移植工事が遅れ、それに伴い、邸宅の取り壊しも延期されることになった。

取り壊しがまぬがれたとほっとする一方で、小学校建設を望む声には不安が広がった。少しでも早く、旧大島邸をどうするか、方向性を見出さなければならなかった。そのような不安の中の6月はじめ、建築史に詳しい専門家が旧大島邸を視察した。「保存する会」が相談を持ちかけ、ぜひ見てほしいと視察をお願いした、西和夫神奈川大学名誉教授(当時71)。視察は一つの方向を導いた。【つづく】
 
 
旧大島邸を壊さないで(2) 学術調査へ=佐賀・唐津
2010年09月10日06時57分 / 提供:PJニュース
 
旧大島邸を壊さないで(2) 学術調査へ=佐賀・唐津
8月4日、唐津市民会館において「旧大島邸の活用を考える懇話会」の報告を兼ねた意見交換会で話をする、西和夫教授(左)と藤原惠洋教授(右)(撮影:濱田 正弘、8月4日)
【PJニュース 2010年9月10日】旧大島邸(唐津市西城内)について、取り壊しが延期になった後の6月8日、日本建築史家の西和夫・神奈川大学名誉教授(日本建築史学会元会長)が、これを視察した。このことをきっかけに、旧大島邸には学術調査が必要ではないのか?という声が高まることになる。

視察を依頼した「大島邸を保存する会(松下会長・当時)」(以下、保存する会)は、「西教授ははじめに、『実物を見てからでないとなんとも言えない』と話したが、現場へ行くと、3時間もかけて視察され、『材料がいい、良い建物』と丁寧にご覧になった」と話す。翌日の新聞は、西教授が非常に質の高い建物と評価したことや、どのような方法で残すことができるか真剣に検討すべき、との見解を報道した。

さらに、6月17日には日本建築史学会(吉田鋼市会長)が、旧大島邸保存に関する要望書を、坂井唐津市長らあてに提出した。

なぜ、学校の設計プロセスに文化的建築物が関わるのに、市民との対話も無く、取り壊しが前提の計画が進んでしまったのか。その原因の一つは、正式な専門の調査を行わなかったことである。正式な調査結果は、保存の一つの鍵となる、市民が評価を共有できる点でも重要である。

同27日、唐津まちなか集い館で「保存する会」が主催した意見交換会において、藤原惠洋・九州大学大学院教授(当時54)は、「いくら重要だとわかっていても正式な依頼が無ければ、わたしたちが調査をすることができない、何とかしたい」と訴えた。同席の西教授は「建物単体の保存主張だけではダメ、こうすれば大島邸が地域活性に役立つ、という存在意義を主張してください」とアドバイスした。翌28日、両教授は市民賛同者の名簿を添え、「これからの旧大島邸の扱いには建築史専門家の指導・調査を取り入れること等の申し入れ書」を市長へ提出した。

西教授が繰り返す言葉がある。「行政と対立する関係では前へ進みません、歩み寄り協力し合う方法を探してください」。学校を計画する時に、旧大島邸の扱いを広く市民に問わなかった行政の進め方は問題である。これに対する人々の不信は今も強い。しかし、対立せず歩み寄ることで、市民も次の方法を模索した。

旧大島邸を残してほしい。この想いが理想ではなく本当になるかもしれないと少し希望が持てたのは、市が「旧大島邸の活用を考える懇話会」(以下、懇話会)を開くという知らせであった。市は一部の部材だけを残す前提での懇話会と説明した。第1回目は8月4日の開催、多くの報道陣が集まり市民も傍聴席を埋めた。

懇話会では、学校の工事に支障をきたしてはいけない。旧大島邸はどこかへ移築したほうがよい。現地でそのまま残すべき、と多様な意見が出ながらも、何らかの形で残すという意志が確認できたようであった。その中で市の企画経営部長が一つの提案をした。

旧大島邸に対する評価を共有するため、第2回目までに、建築的文化的調査を建築史学会等へ正式に依頼しではどうか。その結果を土台にして懇話会を進めるべきではないか。この提案を受け懇話会は調査の依頼を決定した。

文書にまとめると淡々と事が進んだようだが、調査依頼の話にいたるまで、本当にいろいろな出来事があった。根気よく話し合い、行政へ通って建設的に会話をし、ようやく、8月の猛暑の中、西教授を代表とする学術調査団が現地調査を実施することになった。【つづく】
 

旧大島邸を壊さないで(3) 文化財として=佐賀・唐津

2010年09月11日 06:00 JST


8月4日、「旧大島邸の活用を考える懇話会」の後に、大島邸を保存する会の主催で現地見学会を開催。西・藤原両教授の解説に、約130名の参加者が耳を傾けた。 (撮影:濱田 正弘、8月4日) 
【PJニュース 2010年9月11日】旧大島邸学術調査団(西和夫代表)が、8月中旬から下旬にかけ建物調査と文献関係資料調査を実施した。猛暑での床下・小屋裏調査は過酷であった。同25日の第2回「旧大島邸の活用を考える懇話会」(以下、懇話会)の冒頭で、調査結果を西和夫神奈川大学名誉教授が報告し、文化財として扱うべきかの議論が始まった。(西教授は、日本建築史学会の推薦により懇話会のアドバイザーとして参加。)

「旧大島邸の建築年代は、およそ明治20年代で、増築を重ね現在に至る。増築時の工事の質があまり良くなくその部分の傷みが大きいが、初期に建てられた主屋は、見えない場所に至るまで質の高い材料と技術が確認され、状態も良好である」

これは意外な結果でもあった。これまで旧大島邸は、シロアリ被害に雨漏りにうっそうとした環境で老朽化激しく、残す価値は無いとも言われてきたからである。しかし、建築史専門家の評価は「傷み少なく良好な状態」、全く反対の見解である。見た目が悪いからといって短絡的に判断してきたこと、それはやはり誤りだったのではないだろうか。

旧大島邸には文化財としての価値がどれくらいあるのか?という委員の質問が出た。西教授は答えた。「文化財というものは、地元が大事にしたい残したい、と思っていればそれが文化財です」。指定や登録を受けたものだけが文化財という考え方ではない、という点を強調し、学術的な評価点も加え説明した。

また、部材などの部分だけを残す場合でも文化財の価値が残るか?という質問に対しては、西教授は「建築の場合、空間が確保されないと文化財的価値は確保されない、部材だけ残すのでは価値が損なわれる」と明言した。

旧大島邸は、建物の「表」(公の部分)と「奥」(私の部分)が残っており、現在この種の、規模が大きく良好な邸宅は、全国的にきわめて少ないそうである。すべての空間が残ることで、当時の生活や文化が直接語られる。この建物は近代唐津の「生き証人」になるという。懇話会の馬渡雅敏会長は、文化財として残すのであれば、部分的に残してあとはもういらないよという考え方ではないという、共通認識を確認できた、とまとめた。

文化財として旧大島邸を大事に扱う。5月には取り壊されていたはずの建物が、その方向へようやく舵がきられようとしている。懇話会での唐津市商工観光部長の言葉が、課題を投げかけた。「保存のための初期投資の財政面より、運営に入ってからが心配です。見学だけの施設では財政的にダメ」。文化財は残ってよかったという次元から、どう運営されるか?を問われる時代に来ている。まだまだわれわれ市民も行政も、宿題は山積みである。【了】

 
 
 

2010/9/11(土) 午前 10:32

大島邸の活用を考える懇話会の報告会

3回目の大島邸活用懇話会が、17日(金)15:00~開催されます。
 
その後の、夜19:00~21:00、市民会館3階会議室におきまして、懇話会の「報告会」が開かれるそうです。
報告者は、西和夫先生、山田由香里先生のお2人です。
皆様どうぞご参加ください。

コメント(2)

転載よろしくお願いします。

2010/9/11(土) 午前 11:22山内薬局

転載しました

2010/9/11(土) 午後 10:06[ Tomcat ]

 

2010/9/14(火) 午後 9:06

大島邸だより 入手しました。

大島邸の活用を考える懇話会を前に、懇話会報告会の案内が届きました。
 
 
 
 
17日午後3時からの懇話会は大土井の文化体育館会議室のようです。
 
傍聴できなかった方の為に市民会館3階会議室で19時から報告会が行われます。
これは是非聞きに行かなければ。
 
しかし、大島邸はどうなるんでしょうね。
大島邸の重要さは懇話会でも論じられているようですが。
しかし、この懇話会では小学校の設計図に関しては触れることが出来ないのでしょう。
 
大志小学校の学校だよりをネットで見ることができます。
校舎改築の概要について、完成予想図もカラーで見ることができます。
 
校舎改築の概要が掲載
 
今年4月19日の大志小学校改築地元住民説明会の開催(市民会館大会議室)で校舎の設計に対して、死角が多く、不審者に対する防備がない。自分が不審者であればここから進入すると言った市民の指摘がありました。
それに対しては、この学校だよりでは「不審者侵入などの緊急時に備えて、教室内にインターフォンを設置していただくようにお願いしたところ、了承していただきました(ただし、特別教室は廊下に設置予定)。」という対応のようです。
しかし、根本的に構造の無理があるのです。
 
校舎改築のスケジュールが載っていました。
 
学校の改築スケジュールに添って懇話会は終了するのでしょうか。
本当にこの設計で学校、保護者の皆さん、地域の皆さんは良いとお思いなんでしょうか。
 
皆さん決まったことだから仕方がないと口を揃えて仰いますが、そう言いながらもこの設計はおかしいと言う方が殆どです。
 
本当にこのままでよいのでしょうか?
 
大島邸保存と学校建設の両立!
 
もっと知恵を絞ってみるべきではないかと思います。
 

コメント(2)

転載いたします

2010/9/15(水) 午前 11:30[ Tomcat ]

Tomcatさん
いつも転載ありがとうございます。
一人でも多くの方に知っていただきたいですね。

2010/9/15(水) 午後 0:25山内薬局

 


第3回 旧大島邸の活用を考える懇話会が開かれました。

2010/9/18(土) 午後 7:55

日17日、大土井の文化体育館会議室で開催されました。
 
私は市民会館会議室で開かれた報告会に出かけました。
 
懇話会のアドバイザーである神奈川大学名誉教授、西和夫先生と調査団の一人である長崎総合科学大学准教授、山田由香里先生が先日の調査の報告をされました。
 
懇話会では大島邸は移築保存ということに決定したそうです。
新聞各紙をご覧いただくとその様子が分かります。
 
 
唐津市「旧大島邸」活用策
 移築保存を提言へ

 唐津市の大志小改築に伴う「旧大島邸」の保存・解体問題で、活用策を考える懇話会は17日、建物全体を移築保存するよう市に提言することで意見をまとめた。移築の候補地や活用方法などは次回の最終会合で協議する。小学校改築を予定通り進めることも確認した。 
 懇話会は3回目。会合ではまず、「教育環境の改善は危急の課題」として、小学校改築を優先することを確認。現地保存を求めていた市民グループの代表らも「次善の策」として移築に傾いた。 
 移築の方法などについては、アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授の「客間など重要部分だけでなく、当時の生活が分かる台所なども残してこそ価値が保てる」という見解を踏まえ、「一部ではなく全体を残す」とした。西名誉教授が監修して慎重に解体することも決めた。 
 移築後は市民が自由に活用できる場とすることでも一致。移築場所については「旧高取邸近郊」などとする意見が出た。 
 市の計画では邸の解体工事は10月から12月までの予定。移築保存で懇話会の意見がまとまったことについて市教委は「改築の工期は遅らせることはできず期間は限られるが、移築保存できるよう慎重に解体工事を進めたい」と話した。 
 「大島邸を残す会」として保存運動を続けてきた委員の辻いく子さんは「現地保存が最善」としながらも、「西先生の調査などで邸の価値が見直され、なくなる可能性があった建物を残すという意見で一致したのは大きな前進。今と変わらない価値を保てるよう、市には完全な全面移築をお願いしたい」と話した。
                                                                                 9/18 佐賀新聞
 
 

旧大島邸 「移築保存」で合意

 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞く「旧大島邸の活用を考える懇話会」の第3回会合が17日あり、「移築保存する」ことで合意した。10月6日の次回会合で最終報告をまとめる予定。「現地保存が最善」との意見もあったが、10月解体開始という市の工事日程などで、やむを得ず次善策の「移築保存」を選択した。
 移築方法については、アドバイザーの西和夫・神奈川大名誉教授の監修を受ける。西名誉教授は「門まで含めた全体を残す」と語り、一部の部材だけを保存して復元する案を退けた。移築場所は、国の重要文化財・旧高取邸などもある城内地区にして、市の観光資源として活用すべきだという意見が大半を占めた。次回に最終的な候補地を複数、市に示す予定だ。
 会議では、すでに屋内体育館の解体工事が進んでいる、旧大島邸に隣接する大志小学校の改築は、予定通り進めることでも一致した。
 8月初めに始まった懇話会では、「緑の木立を含めた旧大島邸の現地保存」「大志小改築と旧大島邸保存の両立」との主張が出されたが、議論を十分、深めることができなかった。馬渡雅敏会長は「もう一年、早かったら別の議論ができた。議会の議決は重かった」と語った。
                              9/18 朝日新聞
 

 

旧大島邸「移築保存を」 唐津市の懇話会

 小学校の校舎新築に伴い解体される唐津市西城内の「旧大島邸」の活用法を考える懇話会は17日、市文化体育館で会合を開き、「茶室や庭園も含めて全体的に移築保存すべき」との意見をまとめた。出席した市教委も「移築できるように解体する」との意向を示し、同邸が別の場所に移築保存される可能性が高まった。
 懇話会は市と市民、有識者などで構成。最終回となる第4回会合は10月6日に開かれる予定で、同邸の移築場所や活用法、維持管理の方法などを話し合い、報告書をまとめて市に提出する。
 この日の会合では、旧大島邸に隣接する大志小校舎の新築工事については、現行の計画通り2011年2月着工で一致した。
=2010/09/18付 西日本新聞朝刊=
 
 
旧大島邸移築保存で一致
小学校の改築に伴って解体することが決まっていた唐津市の和風建築・旧大島邸を市民などが保存するよう求めていた問題で唐津市と住民などで作る懇話会は建物を移築して保存するという意見で一致し文化財としての価値を損なわないように配慮しながら解体するという方針をまとめました。
唐津市にある「旧大島邸」は明治中期の和風建築で隣接する小学校の改築のため取り壊されることになっています。
しかし住民の一部などから保存を求める声が出ていたため、市は住民らと建物の活用を考える懇話会を設置し話し合いを進めてきました。
17日は3回目の会合が開かれ話し合いの結果、建物を取り壊す方針は変更しないものの別の場所に移築して保存するという意見で一致しました。
そのため文化財としての価値を損なわないよう配慮しながら、旧大島邸の解体を進めるという方針をまとめました。
こうした方針の決定は先月、建築の専門家による調査によって旧大島邸の文化的な価値が認められたことなどによるもので懇話会では今後移築先となる場所について話し合うことにしています。
09月18日    NHK佐賀放送 10時05分
 

旧大島邸:全面移築へ 懇話会の意見受け、唐津市教委が方針決める

 唐津市の和風建築物・旧大島邸(旧唐津銀行頭取など務めた大島小太郎邸)の保存活用問題で、市教委は17日、同邸の一部でなく、全体を保存する方針を明らかにした。同日開かれた「活用を考える懇話会」で、委員全員の意見が「全面的な移築保存」でまとまったのを受けて同意した。
 市教委は「移築保存のために技術的な問題も含めて、建築史学会元会長の西和夫・神奈川大名誉教授のアドバイスを受けながら解体を進めたい」とした。
 懇話会は次回(10月6日)の会合で移築後の施設の利活用なども話し合い、市教委に報告書を提出する。
 9月18日  毎日新聞  【原田哲郎】

 
*****
読売新聞
 
 
ご覧の通り、各紙移築保存決定を報じています。
しかし、あくまでも懇話会の決定です。市が決定したものではありません。
これからが正念場なんです。
 
大島邸は論じられても、大志小学校の無理をした設計に関しては議会の承認を得て決まったこととして誰も取り上げようとはしませんが、大島邸保存と同じくらい大切な小学校の構造。もう手遅れなんでしょうか。設計変更は出来ないんでしょうか。
 
現在決定している設計は大志小学校のサイトでご覧いただけます。
校舎改築のスケジュールが載っています。
次の号には校舎改築の概要が掲載
 
このような複雑な構造では地震に対して弱いそうで、それだけ耐震のためにコーナーごとに骨組みを強固なものにしないといけないとある建築家から聞きました。もっとシンプルにすれば地震に対しても強くなり費用も削減できます。
 
不審者の侵入に対しては各教室にインターフォンを設置するということでクリアできたとして良いのでしょうか。無理に大島邸を撤去した敷地に押し込めた校舎の設計はこのままこの通りに建設されるのでしょうね。
 
私たちの頃はひとクラス30~40名で3クラス。6学年ですから生徒数は540~700名。運動場はと言えば、現在のプールはなく、南の端(中央公民館・後に曳山展示場の北)に桜の木と上り棒とブランコがありました。
 
はたして現在の生徒数は?
 
 
 
行政が決め、議会が承認したこの設計を、
おかしいと言って
今更変更することは出来ないものでしょうか。
 
 
 



日17日、大土井の文化体育館会議室で開催されました。
 
私は市民会館会議室で開かれた報告会に出かけました。
 
懇話会のアドバイザーである神奈川大学名誉教授、西和夫先生と調査団の一人である長崎総合科学大学准教授、山田由香里先生が先日の調査の報告をされました。
 
懇話会では大島邸は移築保存ということに決定したそうです。
新聞各紙をご覧いただくとその様子が分かります。
 
 
唐津市「旧大島邸」活用策
 移築保存を提言へ

 唐津市の大志小改築に伴う「旧大島邸」の保存・解体問題で、活用策を考える懇話会は17日、建物全体を移築保存するよう市に提言することで意見をまとめた。移築の候補地や活用方法などは次回の最終会合で協議する。小学校改築を予定通り進めることも確認した。 
 懇話会は3回目。会合ではまず、「教育環境の改善は危急の課題」として、小学校改築を優先することを確認。現地保存を求めていた市民グループの代表らも「次善の策」として移築に傾いた。 
 移築の方法などについては、アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授の「客間など重要部分だけでなく、当時の生活が分かる台所なども残してこそ価値が保てる」という見解を踏まえ、「一部ではなく全体を残す」とした。西名誉教授が監修して慎重に解体することも決めた。 
 移築後は市民が自由に活用できる場とすることでも一致。移築場所については「旧高取邸近郊」などとする意見が出た。 
 市の計画では邸の解体工事は10月から12月までの予定。移築保存で懇話会の意見がまとまったことについて市教委は「改築の工期は遅らせることはできず期間は限られるが、移築保存できるよう慎重に解体工事を進めたい」と話した。 
 「大島邸を残す会」として保存運動を続けてきた委員の辻いく子さんは「現地保存が最善」としながらも、「西先生の調査などで邸の価値が見直され、なくなる可能性があった建物を残すという意見で一致したのは大きな前進。今と変わらない価値を保てるよう、市には完全な全面移築をお願いしたい」と話した。
                                                                                 9/18 佐賀新聞
 
 

旧大島邸 「移築保存」で合意

 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞く「旧大島邸の活用を考える懇話会」の第3回会合が17日あり、「移築保存する」ことで合意した。10月6日の次回会合で最終報告をまとめる予定。「現地保存が最善」との意見もあったが、10月解体開始という市の工事日程などで、やむを得ず次善策の「移築保存」を選択した。
 移築方法については、アドバイザーの西和夫・神奈川大名誉教授の監修を受ける。西名誉教授は「門まで含めた全体を残す」と語り、一部の部材だけを保存して復元する案を退けた。移築場所は、国の重要文化財・旧高取邸などもある城内地区にして、市の観光資源として活用すべきだという意見が大半を占めた。次回に最終的な候補地を複数、市に示す予定だ。
 会議では、すでに屋内体育館の解体工事が進んでいる、旧大島邸に隣接する大志小学校の改築は、予定通り進めることでも一致した。
 8月初めに始まった懇話会では、「緑の木立を含めた旧大島邸の現地保存」「大志小改築と旧大島邸保存の両立」との主張が出されたが、議論を十分、深めることができなかった。馬渡雅敏会長は「もう一年、早かったら別の議論ができた。議会の議決は重かった」と語った。
                              9/18 朝日新聞
 

 

旧大島邸「移築保存を」 唐津市の懇話会

 小学校の校舎新築に伴い解体される唐津市西城内の「旧大島邸」の活用法を考える懇話会は17日、市文化体育館で会合を開き、「茶室や庭園も含めて全体的に移築保存すべき」との意見をまとめた。出席した市教委も「移築できるように解体する」との意向を示し、同邸が別の場所に移築保存される可能性が高まった。
 懇話会は市と市民、有識者などで構成。最終回となる第4回会合は10月6日に開かれる予定で、同邸の移築場所や活用法、維持管理の方法などを話し合い、報告書をまとめて市に提出する。
 この日の会合では、旧大島邸に隣接する大志小校舎の新築工事については、現行の計画通り2011年2月着工で一致した。
=2010/09/18付 西日本新聞朝刊=
 
 
旧大島邸移築保存で一致
小学校の改築に伴って解体することが決まっていた唐津市の和風建築・旧大島邸を市民などが保存するよう求めていた問題で唐津市と住民などで作る懇話会は建物を移築して保存するという意見で一致し文化財としての価値を損なわないように配慮しながら解体するという方針をまとめました。
唐津市にある「旧大島邸」は明治中期の和風建築で隣接する小学校の改築のため取り壊されることになっています。
しかし住民の一部などから保存を求める声が出ていたため、市は住民らと建物の活用を考える懇話会を設置し話し合いを進めてきました。
17日は3回目の会合が開かれ話し合いの結果、建物を取り壊す方針は変更しないものの別の場所に移築して保存するという意見で一致しました。
そのため文化財としての価値を損なわないよう配慮しながら、旧大島邸の解体を進めるという方針をまとめました。
こうした方針の決定は先月、建築の専門家による調査によって旧大島邸の文化的な価値が認められたことなどによるもので懇話会では今後移築先となる場所について話し合うことにしています。
09月18日    NHK佐賀放送 10時05分
 

旧大島邸:全面移築へ 懇話会の意見受け、唐津市教委が方針決める

 唐津市の和風建築物・旧大島邸(旧唐津銀行頭取など務めた大島小太郎邸)の保存活用問題で、市教委は17日、同邸の一部でなく、全体を保存する方針を明らかにした。同日開かれた「活用を考える懇話会」で、委員全員の意見が「全面的な移築保存」でまとまったのを受けて同意した。
 市教委は「移築保存のために技術的な問題も含めて、建築史学会元会長の西和夫・神奈川大名誉教授のアドバイスを受けながら解体を進めたい」とした。
 懇話会は次回(10月6日)の会合で移築後の施設の利活用なども話し合い、市教委に報告書を提出する。
 9月18日  毎日新聞  【原田哲郎】

 
*****
読売新聞
 
 
ご覧の通り、各紙移築保存決定を報じています。
しかし、あくまでも懇話会の決定です。市が決定したものではありません。
これからが正念場なんです。
 
大島邸は論じられても、大志小学校の無理をした設計に関しては議会の承認を得て決まったこととして誰も取り上げようとはしませんが、大島邸保存と同じくらい大切な小学校の構造。もう手遅れなんでしょうか。設計変更は出来ないんでしょうか。
 
現在決定している設計は大志小学校のサイトでご覧いただけます。
校舎改築のスケジュールが載っています。
次の号には校舎改築の概要が掲載
 
このような複雑な構造では地震に対して弱いそうで、それだけ耐震のためにコーナーごとに骨組みを強固なものにしないといけないとある建築家から聞きました。もっとシンプルにすれば地震に対しても強くなり費用も削減できます。
 
不審者の侵入に対しては各教室にインターフォンを設置するということでクリアできたとして良いのでしょうか。無理に大島邸を撤去した敷地に押し込めた校舎の設計はこのままこの通りに建設されるのでしょうね。
 
私たちの頃はひとクラス30~40名で3クラス。6学年ですから生徒数は540~700名。運動場はと言えば、現在のプールはなく、南の端(中央公民館・後に曳山展示場の北)に桜の木と上り棒とブランコがありました。
 
はたして現在の生徒数は?
 
 
 
行政が決め、議会が承認したこの設計を、
おかしいと言って
今更変更することは出来ないものでしょうか。
 
 
 

 
 
いくつもの時代を超えて
2010/9/22(水) 午後 9:25

唐津にはfeelというフリーペーパーがあります。
9/10に出たvol.46は見応え、読み応えがありました。
 
まず表紙
 
 
問題です。さて、ここはどこでしょう。
 
正解は唐津の大手口。
 
まいづるが解けました。こんな風景もつかの間。もうじき6階建ての大手口センタービル(仮称)が建つと聞いています。
 
表紙をめくるとスウィーツコレクション。あ、ここ喰った、ここまだとチェック。
 
8ページ。知り合い。
 
12ページ。
今日のタイトル
「いくつもの時代を超えて わたしたちへのおくりもの 第4回」
 
 
読みやすくしてみました。
 
唐津市西城内 旧大島邸 築1879(明治12)年頃
 突然ですが、みなさん大島小太郎という方をご存知でしょうか?
 唐津薄の上級武士の長男として生まれ、明治4年(1871年)11歳にして耐恒寮(たいこうりょう・英学塾)にて高橋是清の指導を受け上京、二松学舎、三菱商業学校を卒業後帰郷、父の会社 〈魚会舎〉の再建に努めました。
 地元の活性化を担う若きリーダーとしての期待が集まり手腕を発揮した彼は、佐賀銀行の前身である唐津銀行を創立、唐津と佐賀・博多・伊万里を結ぶ鉄道 (現在のJR唐津線・筑肥線)や道路の敷設、市街地の電化、唐津港の整備など、地域産業の振興と郷土の近代化に大きな足跡を残し、唐津の近代化を図りました(詳しくは下記のHPをご覧ください。)
 唐津が誇るこの偉人の旧家、実は唐津に残存する唯一の武家屋敷なのです。それも、専門家からも「非常に質の高い建物」と評価されています。しかし唐津市では、大志小学校新築のために取り壊される計画があり、工事も始まっています。確かに老朽化が進み、このままでは崩れるのも時間の問題とも思えるような保存状態です。が、一旦中に入り様式を見ると、大ぶりの床柱を使った床の間や華やかと言うより(武家らしくとでもいうか)きっちりとした細工が施されている欄間、唐津藩の絵師に描かせたと言われる襖絵、そして遊び心にあふれた茶室、つくばいや五輪塔、数々の灯寵を備え、樹齢百年を超す樹木が茂る豊かな緑が残るお庭…。当時の敷地と比べると狭くなったものの、当時の風情は十分に伝わるものがあります。
 城下町唐津市。その昔お城を守る武士達の屋敷が建ち並んでいた西城内。しかし、開発と共に次々と取り壊され、現代の建物が建ち並び、『城内』とは名ばかりになってしまっています。
 そんな中に解体を待つばかりにひっそりと佇む旧大島邸。本当に解体だけしか道はないのでしょうか?
 「地域に残る唯一の武家屋敷で、江戸時代の建築様式を残す貴重な建物。何億をかけても再現できない」「唐津を誇る文化財を失ってはいかん」「大島邸を教育にも生かしつつ残してほしい」と工事中止、計画変更を求める市民団体【大島邸を保存する会】が数年前より活発な活動をしていらっしゃいます。
 一方、「子どもたちに安心安全な校舎と運動場を提供する義務がある」と解体に理解を求め、屋敷の図面を詳細に残し、建具等を保管、「将来の復元に備えたい」という行政。どちらも主張するだけでは何も変わらないどころか工事だけが進むだけかもしれません。
 お互いを認め合い歩み寄り、古きを温めながら子ども達にとっても郷土愛の持てる環境づくりが出来ないものでしょうか。
 家人がいない旧大島邸もまさか論議の的になるとは到底思っていなかったでしょうし、願ってはいないでしょう。
 どうなってくか、静かに仔み、黙って私たちを見ているのでしょう。
 
 
 
ちょっと間違い。
【大島邸を保存する会】が数年前より活発な活動をしていらっしゃいます。
実は保存する会が発足したのは今年になって。
その前に昨年3月議会で大島邸解体を知った後の「大島邸を残す会」代表辻いく子さんが何とか出来ないかと。そうそうその辺の経緯はここをクリックしてみてください。ご覧いただくとおわかりの通り2009年3月以降から活動は始まりました。
 
 
しかし、フリーペーパーが大島邸を取り上げてくれたことでより多くの唐津市民が大島邸の存在を再認識してくださったのではないか。本当にありがたいことです。
 
feel の設置場所は下記の通りです 
●唐津市内各支所
●玄海町役場
●唐津市観光協会(唐津駅内)
●唐津商工会議所
●アルピノ
●唐津市近代図書館
●りふれ
●浜玉インフォメーション
●浜玉図書館
●志摩町観光案内所
●唐津みなと交流センター
●リバティカルチャーセンター
●旧高取邸
●都市コミニテーセンター
●昭和バスターミナル
●壱岐・唐津フェリー夕ーミナル
●JR唐津駅構内売店
●道の駅「厳木」
●桃山天下市(鎮西町)
●鳴神の庄(七山)
●みなとん里(湊)
●JA唐津うまかもん市場
●JA唐鮮房(山本)
●まいつるグループ全店
●ジャスコ唐津店
●モリナガ唐津店
●スーパーちかまつ和多田店
●Aコープ(からつ・やまもと・かがみ)
●サンフレッシュ神田店
●セブンイレブン鬼塚店
●ローソン東城内店
●ファミリーマート
●Rショップ
●唐津ロイヤルホテル
●唐津シーサイドホテル
●唐津シティホテル
●唐津第一ホテルリベール
●海舟グループ全店
●大望閣(鎮西町)
●旅宿よぶこ
●活力旅館(呼子町)
●虹ノ松原ホテル
●国民宿舎呼子ロッジ
●国民宿舎波戸岬
●玄海海上温泉パレア
●鏡山温泉茶屋
●鳴神温泉ななのゆ
●厳木温泉佐用姫の湯
●相知天徳の湯
●佐里温泉登栄荘
●ポンポコ村
●ブーゲンの森
●宮脇書店
●明林堂
●レグナ・アルターム
●ドコモショップ唐津店
●ドコモショップ唐津和多田店
●au和多田店
●au神田店
●au西唐津店
●進藤病院
●平川病院
●あさひ薬局全店
●馬場薬局全店
●へにばな薬局
●白井接骨院
●KCSセンターからつ院
●Grow-UP.アイビー化粧品
●ヘアー・アクシス
●ブルーイン・グリーン
●ピーグラット全店
●ブライダルサロン中山
●ヨコタヤ
●ぎゃらリい舞(浜玉町)
●すいぐん(玄海町)
●萬坊・ふく萬坊(呼子町)
●シーテラス呼子
●セゾン・ドール(呼子町)
●しろやま(浜玉町)
●カフェサンの森
●檸檬樹
●たまご色のケーキ屋さん
●漁師村
●ティナプリ
●ポポット
●ワイズビビ
●カフェ工ルスター
●野田温泉(浜玉町)
●ティンバースカフェ
●草工房(浜玉町)
●村田英雄記念館
●昭月堂(相知.二夕子)
●岸岳ふるさと館
●山の駅円屋
●上場亭
●ワイズキッチン
●クレアーレ
●ファニー七山
●ルーシー(七山)
●ピラミッドゾーン
●美容室安樹
●アプローズ
●やすらぎ荘(浜玉町)
●コアスポーツクラブ
●あいメイク
●二ノ門館
●埋ノ門館
●ムローメアートショールーム
●ブックウエスト
●キャットスタジオ
●ピザミラノ
●喫茶ひきやま
●亜土里絵
●レストラン欅
●リキハウス(西唐津)
●油屋
●ボニート
●洋食巧房和み
●潮路乃
●ルシェルシエ
●ホリロール
●辻徳
●花ツル
●アクロス福岡(天神)
●喫茶アムール(多久市)
●JR前原駅●JR今宿駅
●JR浜崎駅●JR唐津駅
●JR東唐津駅●JR西唐津駅
●プティール倶楽部(糸島市)
●まむし温泉
●喫茶去(糸罠市)
●古材の森(糸島市)
その他、美容室、飲食店など多数
フリーペーパーです。
 
 

閉じるコメント(4)

「まいづる」本店が無い!
バスセンターは?

記事になったのは、また一歩前身ですね。

2010/9/23(木) 午前 7:49 [ 武将真田 ]

顔アイコン武将真田さん、まいづるがない景色も気持ちの良いものです。
Tomcatさん。いつも転載ありがとうございます。
にほんブログ村 唐津情報へ(文字をクリックしてください)を貼り回っています。

2010/9/23(木) 午前 10:38 山内薬局

しまった、前進ですね。しかし、唐津の変わる様、1年でも大きいですね。

2010/9/23(木) 午前 11:24 [ 武将真田 ]

 
 
旧大島邸問題 官民一体でさらに議論を
     (9月25日付) 佐賀新聞論説
 
2010/9/28(火) 午後 5:46


佐賀新聞の論説に大島邸問題が取り上げられました。
  
 
旧大島邸問題 官民一体でさらに議論を(9月25日付)
 
 保存か、解体か、唐津市民の大きな関心事となっている旧大島邸問題は、活用策を考える懇話会が「建物全体を移築保存」という結論を出し、来月、市に提言する。隣接する小学校改築を推進する市当局と、文化財保存を求める市民有志の、双方が「顔の立つ」結論だが、これで一件落着とするのではなく、財源問題と保存後の活用法など官民一体のさらなる議論を期待したい。
 
 緑豊かで閑寂な西城内の一角にある旧大島邸については、隣接する大志小が耐震強度問題で全面改築されるのに伴い、市当局が改築の一部用地として解体方針を打ち出した。
 
 昨年3月から市議会で議論されてきたが、重要政策で市民の意見を聴くパブリックコメントなどもなく、多くの市民が実態と経緯を十分知らなかったようだ。
 
 それが昨年冬、市民有志で旧大島邸を残す署名運動がわき起こり、次第に運動の輪が広がっていった。
 
 坂井俊之市長は今年6月議会で、市民を交えて活用を考える懇話会設置を表明し、12人で構成する懇話会が8月から計3回開かれた。
 
 ここで出た結論が「建物全体の移築保存」。大志小の新校舎建築計画を優先させる一方、旧大島邸を解体し移築保存する。校舎改築を推進する市当局に異存はなく、市民有志も現地保存こそ通らなかったが移築保存で、ともに面目を保てた。
 
 しかし、これで万事落着では決してない。新たな課題もみえてきた。
 
 一つは、移築保存がどう行われるか。移築候補地や活用法などは、最終会合となる来月6日の懇話会で協議する。文化財的価値の高いことが建築史学会で立証されただけに、移築には周到な準備と多額の費用が予想される。
 
 17日の3回目協議で、移築場所を「旧高取邸(北城内)近郊」とする意見が出たほか、移築後の活用方法も「市民が自由に活用できる場とする」ことで一致したが、どう活用していくのか具体的プランはこれから内容を煮詰めなければならない。
 
 旧大島邸は、専門家の言葉を借りれば「明治期の近代建築を伝える貴重な遺構」で、全国に誇れる文化遺産である。国指定重要文化財「旧高取邸」などと並び有力な観光資源になり得るため、唐津を訪れる観光客が滞留し、商店街を含む経済活性化につながるよう移築場所も考慮する必要があろう。
 
 唐津市民にとっては貴重な建物保存にとどまらず、移築後は旧大島邸の所有者であった大島小太郎の遺徳を顕彰し語り継ぎ、その意義を全国に発信することが重要である。
 
 大島は旧唐津銀行頭取で、海岸道路の建設、唐津鉄道の実現、唐津港の開港など、唐津市の社会基盤整備の礎を築いた。その功績を広く後世に伝えることは、ひいては旧大島邸の価値を高めることにもつながる。
 
 唐津市では今、市内の誇れるヒト、モノ、地域遺産などの資料収集を、編さん委員会が進めている。この機会に、大島ら偉人と誇れる遺産を副読本などにまとめ、小学時代から郷土の知識を身に付けさせることを考えてはどうだろう。同時に、これからも市民と行政が心を一つに、旧大島邸のあるべき姿の議論を続けてほしい。(吉富正憲)
 
 
9月議会で議論されるのでしょうか?
議会で決まったことを懇話会が提出した意見で覆すことが果たして出来るのでしょうか。
10月6日、4回目の懇話会ではどんな話が出るのでしょうね。
 
 

顔アイコン

官が一度決定させたことはなかなか変えさせるのは難しいと、以前は考えてましたが、昨年の政権交代(良し悪しは別として)で見直しがいくつもなされたという事を考えれば、けっしてありえない訳では無いと思います。
地元に居ないので、この程度のことしか書けませんが、応援はしております。

2010/9/29(水) 午後 8:38 [ 武将真田 ]



事の成り行きがずっと気になってときどきブログを拝見しております。
何もできないのが自分でももどかしいですが、陰ながら応援しております。頑張ってください。

2010/9/29(水) 午後 8:53 [ ふじ ]


武将真田さん。応援ありがとうございます。行政も辛いところなんです。行政も議会も市民もみんな立場立場で頑張って居るんです。懇話会が良い方向付けをしてくれることを期待しています。しかし、強制力はないもんね。昨年の4月残す会代表の辻さんから電話を頂いたとき、行政は自分たちの作り上げたシナリオは完結するまでやってしまうから大島邸はもう諦めなさいと言って諭したのに、11月彼女が署名を持ってこられたのを見て覚悟を決めた次第です。

2010/9/29(水) 午後 9:06 山内薬局

ふじさん
心強い応援ありがとうございます。唐津までしっかりと届いていますよ。
3月7日子供達を連れて長崎龍馬の旅。眼鏡橋の上流にそれらしい家がありました。例の映像のお屋敷の位置のようでした。勿論晧台寺の墓参りも。後で知ったのですが、近藤昶次郎の墓が祖母の実家の墓の近くでした。今度長崎に行ったときにはチックと昶次郎の墓もお参りせにゃいかんぜよ。

2010/9/29(水) 午後 10:13 山内薬局

 
 
 
大島邸が全国まちづくり会議2010in熊本に

2010/9/29(水) 午後 8:06

 
大島邸の保存する会の方から聞きました。
 
10月9.10日 熊本で開催される全国まちづくり会議に一区画エントリーされるそうです。
 
お近くの方はぜひ覗いてみてください。
 
 
 
 
 
 
昨夜、関東にいる親戚のおじさんおばさんが尋ねて見えました。
 
大島邸を残す会が始めた署名に尽力していただいたのでお礼を述べると、
「東京の方は大島邸随分と騒いでいるのに、唐津に来て聞いてみても誰も知らないて言うのよ。」
ちょっとショックでしたが、仕方ありません。行政にお世話になっている律儀な人たちは決して行政に意見するようなことはしないのでしょうから。

顔アイコン

顔アイコン

意見発表ではなく、ポスターセッションのようなものですか。

2010/9/29(水) 午後 8:42 [ 武将真田 ]

はい。ポスターセッションのようです。写真家の友人が撮影した大島邸の画像、ポストカードにして会場に置くそうです。

2010/9/29(水) 午後 8:53 山内薬局

9日は初くんち(小笑)、10日は結婚式ですが、ポスターは9日のみですね。釣りに行かなければ、覗きたいと思います。売れっ子の姜教授は、セイセイコウのご出身です。

※熊本市民会館は、数年前からスポンサーの名前を取って崇城大学市民ホールとなりました。見るたびに一瞬、崇城大学構内で開催かと、勘違いしています。

2010/9/30(木) 午前 7:53 [ 熊寅 ]

10日は木綿町の総塗替披露です。

2010/9/30(木) 午前 10:53 山内薬局

旧大島邸は現地保存を  佐賀新聞 私の主張より
2010/10/5(火) 午後 7:27


佐賀新聞 2010.10.5
私の主張
旧大島邸は現地保存を
小泉 知子(51) 唐津市
 
 
 旧大島邸は、解体から全面移築保存の方向で考えわれているようであるが、そこに至るまでの唐津市の対応をみる時、問題だらけの市政運営が浮き彫りになる。
 最大の疑問は、旧大成小学校を仮校舎に使用できないことである。唐津市民なら、誰もが旧大成小を仮校舎にすると思っていたに違いない。それが一番安上がりと知っているからである。
 旧大成小を早稲田佐賀中高一貫校に無償貸与を決める時点で、大志小学校の建て替えの必要性を把握していたはずの唐津市は、大志小の新築工事期間限定で旧大成小を使用する約束をなぜ取り交わしていなかったのであろうか? 旧大成小を仮校舎に使えば、旧大島邸は現地保存のため、ゆっくり時間をかけ「市民の財産」としての活用方法を話し合えたはずである。
 旧大島邸の保存を願う市民運動が起こり、唐津市長の呼び掛けで、懇話会が設置されたようだが、解体を前提に利活用を考える趣旨もまた疑問である。大志小の新築工事以前に、唐津市が旧大島邸の文化財的価値の調査を依頼し、「解体しても差し障りない」との結論で解体を決めたのなら、解体前提で利活用を考えるべきだが、市は何ら調査をしていない。
 旧大島邸の文化財的価値を市民運動によって知るという不手際で、解体前提の懇話会を招集するのは筋違いではないか。加えて、旧大島邸の全面移築保存となれば、新たな多額の税金投入が避けられない。よって、市民は市政運営の不合理で生み出された税金の負担を強いられることになる。
 唐津市は、旧大島邸の敷地内に大志小の新校舎を建築予定で、工事の間は現校舎を使用するため、仮校舎建設費用が浮くということで解体を決めたものである。それなのに、解体決定により多額な全面移築保存費用が予測されるのは皮肉な話である。しかし、文化財的価値の高い先人たちの遺産を引き継ぐのも私たちの大切な役割である。
 私は、旧大島邸の現地保存を強く要請したい。度重なる不手際に押し出されるように、解体移築保存の方向で進もうとしでいる中で、旧高取邸、旧唐津銀行、旧大島邸が三位一体となり、文化遺産として高い評価を受け、点でなく面でとらえた文化遺産となれば、唐津市民の誇れる財産となろう。
 私たちは、正しかった原点に立ち戻り、議論を重ねることを市に根気強く要望しなければならないのではないか。旧高取邸、旧大島邸がそれぞれの場所にある意味を知ることこそが、後世に伝えていくべき私たちの使命だと思う。  (自営業)
 
 
 
 
明日はいよいよ最後の懇話会が開催されます。
13:30~15:30 志道公民館
公開懇話会なので傍聴したい方はどうぞお出かけ下さい。
 
 
 
大島邸 第4回目の懇話会
 
昨日の「第4回 大島邸の活用を考える懇話会」関連の記事が
新聞各社取り上げてくださいました。
 
 
 
朝日新聞 10/7 朝刊
旧大島邸「3年内に城内移築」
懇話会が結論

バトンは唐津市・議会へ

 唐津市西城内の旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞く「旧大島邸の活用を考える懇話会」の第4回会合が6日あり、「全面的に移築保存」するとの結論をまとめた。馬渡雅敏会長が12日、坂井俊之市長に報告書を提出する。これを受けて、市は11月に旧大島邸の解体工事に着手する予定だが、解体後の移築復元には新たな予算措置が必要で、提言が実現できるかどうかは市と市議会の対応がカギになりそうだ。
 最終回となったこの日の懇話会では、前回の会合で「移築保存」で合意したのを受けて、市に提出する報告書案を巡って意見を交わした。移築先は、旧高取邸などがある城内地区が望ましいということで一致。移築後の活用方法については、観光資源としてだけではなく、「唐津の歴史や文化を学習・体験できる場」とすることなどが新たに盛りこまれた。
 問題となったのは、旧大島部を解体、保管した後の移築の時期。懇話会アドバイザーの西和夫・神奈川大名誉教授が「解体した部材(材木)は時間を置くと、暴れてしまって簡単には組み上げられなくなる」と、できるだけ早い時期の組み立て再現が必要だと指摘。具体的には「3年以内」と述べた。このため、財源の活用しやすい時期に加えて、「復元部材の変形など技術的な観点」も考慮して時期を決めることにした。
 また、移築保存のための市民の寄付などによる基金の設置、施設の管理・運営に「市民協働」の仕組みを採り入れるなどの点も報告書に盛りこまれた。移築場所については今後、市役所内に設けられる委員会などで決めるという。
 会合に出席した大塚稔教育長は、報告書がまとまった後、「趣旨を尊重してできるだけ実現できるような道を探っていきたい」と述べた。
 

 
 
佐賀新聞 10/7 朝刊
旧大島邸、移築先は城内地区に
 懇話会が最終報告案


 佐賀県唐津市の大志小改築に伴う旧大島邸の移築保存について、活用策を考える懇話会は6日、移築先を城内地区とし、市民らが利活用できる施設とすることなどを盛り込んだ最終報告書案をまとめた。12日に市に提出する。

 懇話会は4回目。前回までに建物全体を移築保存することで意見が一致したことを踏まえ、馬渡雅敏会長が用意した報告書案に沿って議論した。

 移築場所は、武士住宅の面影を残すことや、旧高取邸などと一体となった観光資源と位置づけ、城内地区とした。庭園の石灯籠(どうろう)やつくばいなどもできる限り移築することも盛り込んだ。

 移築時期は市の財政に配慮し「(合併特例債など)有利な財源を効果的に組み合わせて活用できる時期」としながらも、建材の変形なども考慮してできるだけ速やかに基本構想を策定するよう求めることにした。アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授は「解体後3年内にできればいいと考える」とした。

 移築後の管理運営については、市民の意見が繁栄できるよう市民協働の仕組みを取り入れることを提言。「歴史や文化を学習・体験できる場として市民や観光客が利活用できる施設とする」とした。

 西名誉教授は「邸と大島小太郎に付随する古文書などが豊富に残っており、邸と資料を活用すれば今後のまちづくりや観光にも役立つ」との報告書を作成。懇話会の報告書とともに市に提出する。

 市は10月中旬を予定していた邸の解体を11月に変更、工期は1月中旬までの予定。大塚稔市教育長は「報告書が提出されれば、関係部局と相談し、できる限り実現できる道を探っていきたい」と話した。

 
読売新聞 10/7 朝刊
旧大島邸移築保存、唐津市長に報告へ
懇話会最終会合


 唐津市西城内の大志小校舎改築に伴って解体される旧大島邸の活用を考える懇話会(馬渡雅敏会長、12人)の最終会合が6日開かれ、邸の移築保存という報告書をとりまとめ、12日に市長と教育長に提出することにした。これを受け市は近く、移築保存に関する基本構想委員会(仮称)を発足させ、移築の規模、具体的な活用策などを決める。
 報告書では、旧大島邸について、全国的に見ても第一級の近代和風建築物であり、多くの観光客をひきつけている唐津の歴史的街並みに付加価値を与えるなどと評価。移転先は、武士住宅の面影を残す城内地区を望むとし、時期についてはできるだけ速やかにとした。懇話会アドバイザーの西和夫神奈川大名誉教授は、解体した部材が変形することなどから3年以内が適当と指摘している。
 基本構想委は、懇話会のメンバーらにも入ってもらう方針で、移転先やその土地利用などを決める。報告書に盛り込まれた基金の設置、市民協働の仕組みを取り入れる管理・運営などについても具体的に詰める。
 旧大島邸は、邸内にある約300本の樹木が今月末から伐採、移植が行われ、建物は11月上旬にも解体が始まる予定。
 

 
西日本新聞 10/7 朝刊
移築保存意見書
唐津市に提出へ
「旧大島邸」活用懇話会

小学校の校舎新築に伴い解体が決まっている唐津市西城内の「旧大島邸」の今後の活用法を考える懇話会が6日、同市大名小路の唐津商工会館であり、「全面的に移築保存すべき」との意見を最終的にまとめた。懇話会は今回で終了し、12日に意見書を市に提出する。市は11月上旬から同邸解体に着手し、懇話会の意見を参考に活用法も検討する方針だ。
 解体は懇話会のアドバイザーを務めた西和夫神奈川大名誉教授が監修する。西教授は「部材は時間を置くと変形し、活用が困難になる。邸宅の復元工事は3年以内がめど」と注文を付けた。
 また活用法については、①まちなかの観光資源②唐津の歴史、文化の学習の場とし、管理・運営については、市民による基金の設置を挙げた。馬渡雅敏会長は「市は、唐津を大切に思う市民の意見を十分にくみ上げてほしい」と話した。 


 
以上。移築保存という線で大島邸を残すという意見書を12日に市長に提出され、それから市や議会が判断するという運びのようです。
 
まだ移築保存が決定したわけではありません。
 

 
大志小学校の新校舎設計に関しては全く変更される気配はありません。
大島邸完全移築保存が決まれば、解体部材の一部を使って作法室を作るという、行政や市議会の議員さんが言われる「生かし取り」は出来なくなります。
 
5日の佐賀新聞「私の主張」に投稿された方の考えが普通なら正論なんですが、多額の補助金がらみの学校建設。額が多くなればそれだけ市税もつぎ込まなければならないのですよ。「これだけ多額の費用をかけて新しい校舎を作れるんだから、文句ないよね。」と教育委員会がPTAや地域住民に言い含めて有無を言わせないような感じ。実はおかしな話です。大島邸問題はもっと根が深いような気がしています。
 
顔アイコン

大島邸に関して、いろんな情報を楽しみに読ませていただいています。どこに移築されるのだろうかと、気がかりでしたが、移築が決まったわけではないのですね。佐賀新聞に投稿された方の意見に賛同したいのですが、もう後戻りできないのでしょうか。

2010/10/7(木) 午後 8:09 [ eguchan4777 ]
顔アイコン

eguchanさん、コメントありがとうございます。今年に入って再三行政に手紙を出しました。5月には現地保存を前提とした校舎の設計図まで提案しました。それらに対する回答が来たのが9月7日。懇話会で広く意見を聞いてますのでご理解下さいという内容でした。校舎に関しての回答は老朽化、運動場が極端に狭く教育環境の改善が急務という当初から全く変わらぬ姿勢です。多くの方々がこの設計はおかしいと言っているのに聞く耳を持ちません。恥ずかしい限りです。行政・議会の意地もあろうが、唐津のためを思えばもっと良い方法を考えるべきだと思います。もっともっと市民の声が必要です。

2010/10/7(木) 午後 9:36 山内薬局


今朝、通りがかりの見知らぬご婦人が、7日の夕方NHKを見てがっかりした。新聞の番組表を見て大島邸について特集があるかと楽しみにしておられたらしく、ほんの1分足らずだったとお怒りでした。私に言われても困りますが、大島邸を何とかしたいという唐津市民は表には出なくても大勢いると勇気づけられた朝でした。

2010/10/8(金) 午後 7:12 山内薬局

 
全国まちづくり会議2010 受賞 大島邸を保存する会
 
10/9.10と唐津では初くんち、木綿町曳山総塗替披露と浮かれている最中、
 
ご案内しておりました全国まちづくり会議2010in熊本がございました。
 
唐津から大島邸を保存する会がエントリーし、熊本の会場でパネル発表をされました。
 
 全国まちづくり会議2010
 全国まちづくり賞
唐津旧大島邸を保存する会殿
 
今日その会の方からのツイッターでこの吉報を知り、暫くしてもう一人の会員の方が賞状のコピーを持ってきてくださいました。
 
私は残念ながら熊本には行けませんでしたが、会場では異彩を放っていたと聞きました。
ご準備下さった方々のご苦労に心から感謝いたします。
本当におめでとうございました。
 
また、会場では写真家松本和生氏の撮影・編集によるポストカードも販売しました。
5枚セット500円以上で販売しております。
カンパだそうで500円以上ならいくらでも結構だそうです。
手元に25部ございます。ご興味のある方は当店でお尋ね下さい。
この売り上げは会の運営に使わせていただいております。


 
 
 
まちづくりの祭典での受賞。
大島邸を保存する活動は「まちづくり」として世間に認められたと言うことでしょうか。
 
今日は「旧大島邸の活用を考える懇話会」の報告書を馬渡会長が市長に提出する日です。
この受賞を踏まえて行政も議会も土建業者も学校関係者も唐津市民も大島邸・大島小太郎家・唐津の宝を今一度よ~く考えてみる良い機会ではないでしょうか。
 
 
 

顔アイコン

良かったですね

早速 転載して皆様にも読んで貰います

ブログ応援投票

2010/10/12(火) 午後 9:03 [ Tomcat ]

顔アイコン

おめでとうございます!

これがいいきっかけになると良かですね。
応援しています!

2010/10/12(火) 午後 11:13 たこはち

顔アイコン

町づくり会議が、表彰されるなんて、おめでたいですね。
これが実現されるかどうかが問われると思います。会議だけに終らないことを祈ります。それにしても、大志小学校跡は、どうなるのでしょうか。気になります。(もしかして、大島邸が移築なんてことは無いでしょう)。

2010/10/13(水) 午前 10:27 [ eguchan4777 ]

Tomcatさん。いつもありがとうございます。

たこはちさん。応援ありがとうございます。

eguchan4777さん。ありがとうございます。
今朝の朝日新聞で報じてありました。
現地保存の道はもう閉ざされてしまったのでしょうかね。
学校の設計変更はもう出来ないのでしょうかね。
私はもっと良い方向に進んでいくべきだと思うんですが、どうすればよいのでしょうか。

2010/10/14(木) 午前 9:14 山内薬局

 
大島邸の活用を考える懇話会、報告書を市長に提出 
2010/10/13(水) 午後 4:40
旧大島邸移築提言の報告書提出
      唐津市、検討委設置へ
 
唐津市西城内にある旧大島邸の解体計画を巡り、市民の意見を聞いてきた「旧大島邸の活用を考える懇話会」の馬渡雅敏会長は12日、「旧大島部を城内地区に全面的に移築保存する」とした報告書を坂井俊之市長に提出した。これに対して、坂井市長は、移築先などを決定する基本構想検討委員会を来年4月にも設置して提言を具体化する方針を表明した。
 報告書は、旧大島邸の歴史的・文化的評価について、懇話会アドバイザーの西和夫・神奈川大名誉教授を団長とする学術調査団の報告書を基に、「全国的に第一級の近代和風建築物」と評価。旧唐津銀行の創立者で、鉄道敷設や唐津港整備に功績のあった大島小太郎(1859~1947年)の自邸を残すことは重要な意義があるだけでなく、「唐津の歴史的まち並みに付加価値を与える」とした。
 旧大島邸は、庭園の石灯寵やつくばいなどを含めた「全面的な移築保存」とし、西名誉教授の監修の下に解体し、城内地区の大島小太郎ゆかりの地への移築を望むとした。具体的な移築先は市が設置する有識者や市の担当者らによる基本構想検討委員会で約1年をかけて検討し、必要な予算措置を議会に求める方針だ。
 復元の時期について馬渡会長は、同市の合併特例債を使えるのが2014年度までであることに加え、解体した部材が変形しないよう「3年以内」が望ましいとした。また、財源として、市民から集めた寄付などを基にした基金の活用も提言した。
 市長は唐津港近くの歴史民俗資料館、名護屋城跡周辺の陣跡、唐津焼発祥の地とされる北波多の「古窯の里」など、市内の歴史的な建物などの整備も、同時に進めると明言。来年4月にも研究会を立ち上げる考えを明らかにした。  朝日新聞 2010.10.13
 
馬渡さんが坂井市長に報告書を渡しているカラー写真付きで出ておりました。
 
大島邸が移築されて唐津に残る方向に向かっているようにも思えます。
喜ぶべきことですが、私は何故か寂しい思いをしています。
 
どうしても現地保存が不可能なときは次善の策として移築もやむなし。
 
この問題の根源は大志小学校の設計にあると私は考えます。
 
大島邸関連メモを眺めながら、果たしてどの時期に大島邸保存運動を起こせたか、仮に保存運動を起こして「今更言われても・・・」なんて言えない時期だろうか等と思いめぐらしております。
 
市民が大島邸撤去を知ったのは昨年4月、「大島邸を残す会」が騒ぎ出してから。それまでは静かに着実に計画は進められておりました。
 
皆さんも大島邸関連メモをじっくりと眺められてはいかがでしょうか。
何か見えてくるかも知れません。
 
 
全国まちづくり会議受賞報じられる
2010/10/14(木) 午前 9:38

旧大島邸を保存する会
      全国まちづくり2位
       「最後まで目光らせる」
 
 唐津市西城内にある旧大島邸の保存運動に取り組んできた市民団体「旧大島邸を保存する会」が、9、10日に熊本市内で開かれたNPO法人日本都市計画家協会(事務局・東京都)主催の「全国まちづくり会議」で、49の参加団体のうち第2位にあたる「全国まちづくり賞」に選ばれた。会場で発表をした会長の山﨑久美子さん(58)は「励みになる。旧大島邸がちゃんと復元されるよう最後まで目を光らせていきたい」と語った。
 「保存する会」は会場の崇城大学市民ホールで、旧大島邸紹介のパネルや絵はがきを展示。山崎さんがこれまでの会の保存活動や、かつて居住していた大島小太郎について約10分間、参加者にプレゼンテーションをした。

 受賞は、約130人の参加者の投票で決まった。山﨑さんの発表を聞いた、京都市の町家保存に取り組んでいる団体の女性から「いまの時代に逆行していませんか」との質間が出た。旧大島邸の現地保存が実現しなかったことを指してのものだが、山﨑さんは「やっとここまで来ました」と答えたという。
       「保存する会」は今年3月に発足、2千人余の署名を集めて旧大島邸の解体も含む大志小学校の改築工事への公金支出差し止めを求める住民監査請求をするなど、旧大島邸の保存活動を続けてきた。
 
朝日新聞 10月14日朝刊
 
 
山﨑さんの「やっとここまで来ました」という言葉が、これまでの保存運動、活動の全てを物語っていると思いました。
 
議会ではどのような手続きが待っているのでしょうか。昨年の三月議会で大島邸解体が前提での大志小学校改築の基本方針が承認されて、それ以降は議会では何ら変わっていないのですから。
 
 
大島邸 まだ釈然としない
2010/10/24(日) 午前 10:01

世間をお騒がせしております大島邸問題。
 
「大島邸の活用を考える懇話会」では移築保存と決定。
市長に報告書を提出し、それに対し市長は来年度に移築場所や財源、活用法などを考える「基本構想検討委員会(仮称)」を、市民や建築の専門家、市職員らで発足させる考えを示し、「3年以内の着工を目指したい」とした。(朝日新聞)
ということで今はおさまっているようですが、果たして議会が承知しているのでしょうか。
 
私が4月5月と市に出した手紙(市は要望書としておられる)に対する回答が9月に届きました。
 
要望内容
大島邸を現地保存できるよう、大志小学校改築計画を変更すること

要望回答書
 大志小学校は校舎建設から55年を経過しており老朽化が著しく、耐震診断の結果、崩壊の恐れがある危険な建物であると診断されております。また、運動場も極端に狭く、教育環境の改善が急務となっているものでございます。
 一方、旧大島邸の今後の活用につきましては、「旧大島邸の活用を考える懇話会」において、広く意見を伺うことにしておりますので、ご理解の程お願いいたします。
(唐津市長  担当課:教育委員会 総務教育課)
 
私は大志小学校設計変更を訴えたんですが、それに対しても懇話会に任せなさいとの回答。この度の懇話会では移築保存という方向性だけが認められたわけで、学校設計変更に関しては、もう触れないで諦めなさいと言うことと受け止めました。
 
どうも腑に落ちない。
 
 
保存運動を始めた昨年の11月。もっと早く保存運動が起これば何とか仕様があったのにという声も耳にしました。
果たしていつ言うチャンスがあったのか探るべく、大島邸関係のこれまでの経緯をメモしてみました。(修正版)
知るチャンス、聞くチャンスが果たしてあったでしょうか。
 



 
 
当初は南北に長い敷地に南北に長い校舎を建てる設計であったところ、校舎は南向きでないといけないと言う意見が出て、設計変更されてこのような複雑な構造になったと聞きます。複雑になれば建設費もふくらみ、耐震に対する補強もそれだけ増え、何はさておき不審者などに対する管理、生徒の安全面に対する対策が必要になります。(教育委員会はこれに対して各教室にインターホンを設置するとして問題解決したとしております。おかしな話です。)
 
本当に市はこれで良いと思っているのでしょうか。
PTAは何故黙っているのでしょうか。
私は未だに腑に落ちません。
もうこれに関しては口を閉ざさねばならないのでしょうか。
 
 
大島邸を保存する会がポストカードを作りました。
当店でもご用意しております。ご来店をお待ち申し上げます。
 
旧大島邸の活用を考える懇話会の報告書
2010/10/30(土) 午後 0:21

唐津はというか、旧唐津の旧市街地はおくんちを迎えるばかりとなりました。
台風もそれ、二日の宵山からお天気の心配もしなくて済みそうです。
 
今朝
[唐津市ホームページ]情報配信メールが届きました。
 
● 唐津市ホームページ 情報メール配信サービス ●

 配信日:2010/10/30
============================================================

■□ 新着情報 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

(1) 旧大島邸の活用を考える懇話会 報告書
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=06214200012871074921027409698
おくんち前お忙しいとは存じますが、ちょっと覗いてみてください。
 
 

大島邸の保存とまちづくりを考える講演会のご案内です。
2010/11/8(月) 午後 8:52

唐津が一番華やぐ唐津神社秋季例大祭「唐津くんち」が11月2.3.4日終わり、唐津の町はまた落ち着いたよい町に戻りました。
 
おくんちのことは後ほどブログにUPするとして、またまた大島邸で恐縮です。
 
先月の22日でしたか、佐賀で建築士学会全国大会が開催されました。
その時「大島邸を保存する会」の会員さんが西村さんのまちづくりに対する発表を聞き、感銘を受けられ、是非とも唐津の皆さんに聞いて貰わねばということで、西村さんに唐津の講演をお願いされたそうです。
 
講師の西村浩氏のプロフィールはこちらです。

 
 
 
11月23日 祝日です。
13:30開場 14:00開演
唐津市民会館大会議室
 
西 村 浩 氏
■プロフィール
1967年 佐賀市生まれ
1993年 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
現在 株式会社ワークヴィジョンズ代表
   北海道教育大学芸術過程特任教授
   東北大学工学部・日本大学理工学部非常勤講師
 
建築・土木・まちづくり等、常に「まち」を視野にいれ、分野を超えてモノづくりに取り組むデザイナー。
昨年竣工した北海道の「岩見沢複合駅舎」では、鉄道の街としての記憶を紐解きつつ、市民とともに駅舎
づくりに関わり、日本建築学会賞(作品)、グッドデザイン賞大賞、BCS 賞(建築業協会賞)、鉄道建築協
会賞最優秀作品賞、北海道建築賞、北海道赤レンガ建築賞など多数の賞を受。その他、長崎水辺の森公園(橋
梁群担当)、三重県鳥羽市海辺のプロムナード、広島市平和大橋歩道橋(国際コンペにて最優秀賞受賞後、
現在設計中)等、全国各地で活躍中。
岩見沢複合駅舎|北海道岩見沢市
鳥羽海辺のプロムナード「カモメの散歩道」
 まちにとって「変わらない価値」をもつ駅舎とは何か?2005年の「岩見沢駅舎建築デザインコンペ」のお題目である。
考えてみれば、現在の疲弊したまちの様相は「変わり続ける価値」に翻弄され続けてきた結末だ。
 2000年12月、3代目岩見沢駅舎消失後、8年余りの時を経てようやく竣工した、市民待望の4代目岩見沢複合駅舎。
「鉄道の街」という岩見沢発祥の記憶を見つめなおし、未来を見据えるこの駅舎は、JR北海道、行政、市民との協働によって誕生した。
 建築という枠を超えて「まち再生」に向かう約4年間のプロジェクトの全貌と、これからの建築の可能性、まちの歴史に根ざしたまちづくりにおける市民活動ついて、私見を交えて紹介する。
 
● 大島邸の未来が心配
やっと残ることになったのに、私たち市民は どう動いていいかわからない
まちの人に声をかけようと思っても、どう声をかけていいかわからない 
これまでのように 誰かが決めるのを待っているだけではいけない
だから わたしたちが動きだすための一歩をみつけたい
大島邸の未来に
わたしたちが直接かかわっていく方法をみつけ出したい
西村浩氏を講師に招き、まちづくり活動のあり方と、大島邸保存についてお話をうかがいます。
 
これは聞きに行かなければなりません。
 
 
 

その後の大島邸 1

すっかり秋めいております。
 
11月10日の新聞によりますと10月下旬に大島邸内の建具を外す作業が行われたようです。
 
朝日新聞
 旧大島邸の移築保存
市教委が建具を外す
   監修者に連絡なく

 移築保存の方針が決まった唐津市西城内の旧大島邸のふすまと障子など建具約160点が、解体を監修する西和夫・神奈川大名誉教授への連絡がないまま、市教委職員らによって外されていたことが9日、わかった。市民団体「大島邸を保存する会」は同日、市の責任を問う「質問と要望書」を坂井俊之市長あてに提出した。市教委は「解体前の準備作業」と釈明している。
 市教委によると10月25日、邸内の16室のふすまと障子約160枚を文化課職員らがジャッキなどを使って取り外して別の場所に保管。8月ごろからは、額縁、ついたて、びょうぶなどの家具5点も取り出して保管していたという。
 市教委が設置した「旧大島邸の活用を考える懇話会」(馬渡雅敏会長)は、先月6日にまとめた報告書の中で、「専門家の監修、指導のもとに丁寧な解体保存を行う」と明記。馬渡会長は「懇話会アドバイザーの西名誉教授の監修を受ける」と論議をまとめた。坂井市長も西名誉教授の監修の下での解体の方針を確認していた。
 ところが懇話会後、市から西名誉教授への連絡は無く、報告書も送られていなかった。市教委は「ふすまなどの取り外しは、解体前の準備。西名誉教授には解体の日程が決まってから連絡するつもりだった」と釈明している。
 これに対して、西名誉教授は朝日新聞の取材に対して、「今後、解体をどう進めるかについて、みんなで知恵を出し、力を合わせなければならない時期。市からは、監修について相談もなく心配になっている」と話した。
 また、旧大島邸は今月6日から、邸内の樹木約370本の伐採・移植などの作業が本格化し、既に約20本の立ち木が切られた。庭園にあった高さ約6㍍の常緑のモッコクの木も根本から切られ、これを見た「保存する会」の会員は「見る影もない」と残念がっていた。  (田中良和)
 
西日本新聞
 小学校の校舎新築に伴い移築される唐津市西城内の「旧大島邸」をめぐり、市民団体「大島邸を保存する会」(山崎久美子代表)は9日、市に対し、解体工事に関する情報通達の徹底などを求める要望書を提出した。
 同邸の活用法を考えるため10月まで計4回開かれた懇話会では、「懇話会の助言者を務めた西和夫神奈川大名誉教授が解体を監修する」との意見で一致していた。
 市は10月25日、邸内の障子やふすま計約160枚を取り外したが、「解体工事の前段階の作業」として西教授に連絡しなかった。
 同会は「解体に含まれる」と指摘し、(1)解体工事に関する対応窓口を明確にしてほしい(2)解体に関するすべての情報を西教授に報告すべき-などと要望した。田島龍太市教育副部長は「解体前の準備作業で連絡は必要ないとの判断だった。ふすまなどは正式な方法で丁寧に取り外した」と話した。
 
 
17日に薬の配達の途中で
大島邸の屋敷森が切り倒されている状態を見てまいりました。

   
   
これらの写真は17日に撮影したものを貰ったものです。
この痛々しい光景を公開するのを躊躇っておりましたが、
これは記録として世間にお見せするべきと涙を呑んでUPいたしました。
 
19日の朝日新聞です。
大島邸庭石移設
きょうから始まる

 
市教委、「監修者へは連絡」

 移築保存の方針が決まった唐津市西城内の旧大島邸の庭園の庭石と灯寵(とうろう)などの移設作業を19日から始めると、同市教委が18日、発表した。
 市教委によると、移設されるのは庭石約150個、灯籠10基、石柱と五重塔が各1基。19日に市教委の文化財専門員らが業者が現場で打ち合わせ、庭石などに番号を付ける「番付作業」をした上で、22日から移設するという。
 同邸のふすまなどの建具を解体監修者の西和夫・神奈川大名誉教授に連絡しないまま、市教委が取り外したことが問題になったが、今回は、西名誉教授への連絡はすませたという。旧大島邸の解体工事の入札は25日に実施される予定で、12月上旬に着工、来年2月下旬に終える予定になっている。
 
 
明後日の西村浩氏の講演会においで頂く皆様には講演会が始まる前にでも是非ともこの状況を目に焼き付けていただきたいと思います。そして大島邸を残すことの意義を肌で感じて頂きたいと思います。
 
往生際が悪く、未だに私は現地保存の道がないものか、小学校の設計変更の道はないものか、
そればかり考えています。

コメント

そういや先日、有田での吞み会の時かなんかに既に作業をしてるよって言ってた造園屋の社長が居て『え!?一時中止のままストップじゃなかったの??』なんて思ってたんですよねぇ。

2010/11/21(日) 午後 3:45 [ jag*jag**973 ]

いや~、大島邸も屋敷本体ばかり映像で見ていましたが、この立派な風情には驚きました。逆に、切られて無残に哀れさを感じますね。これでは佐賀の大隈邸とかの、無味乾燥な屋敷が移転されて残るだけの様な気がしますね。このまんま出来るなら残したいですね。移転しての脱殻は駄目ですね。人間の呼吸が感じられません。頑張ってください。

2010/11/21(日) 午後 6:47 [ mas**068 ]

旧大島邸は随分古いと感じていたのですが、移築するとなると、庭がなくなりますよね。庭のことは意識していませんでしたが、これは、本当に取り返しのつかないことになりそうで、残念です。邸より庭の風情は、一朝一夕には出来ませんものね。

2010/11/22(月) 午前 11:39 [ eguchan4777 ]

 
 

その後の大島邸 2

NHK佐賀放送
 
旧大島邸解体始まる
 
移築することが決まった唐津市にある明治中期の和風建築、旧大島邸の解体作業が7日から始まりました。
唐津市にある「旧大島邸」は明治中期の和風建築で隣接する小学校の改築のため取り壊される予定ですが保存を求める住民などの意見を受けて市は別の場所に移築して保存する方針を決めています。
7日は市や土木建築の関係者などが集まり、建物の解体が安全に進むよう祈願しました。
このあと解体作業を監修する建築史学会の元会長で神奈川大学の西和夫名誉教授が柱などに番号などを書き込んでいく番付打初式と呼ばれる作業を行い解体作業がスタートしました。
建物の解体は来年2月末までかかるということで西名誉教授は「一つ一つの作業を慎重に進めて行きたい」と話していました。
12月07日 20時24分
 
 
 
佐賀新聞
12月8日
「旧大島邸」解体始まる
  2月末までに完了予定
 移築保存の方針が決まった佐賀県唐津市の明治期の木造建築物「旧大島邸」の解体工事が7日、始まった。2月末までの予定で、西和夫神奈川大名誉教授が監修する。着手は当初計画から5カ月遅れたが、解体後に建設される大志小の新校舎は、予定通り2011年度内に完成できるという。

 旧大島邸は一部2階建て、延べ床面積約450平方メートル。建材はすべて保管し、土壁は崩して再利用する。作業員10~15人に加え、西名誉教授と同大の研究生ら5人が常時交代で監修する。

 瓦などの構造物や建材を上から順に取り外し、木材には位置や方角を示す番付と呼ばれる札を打ちつける。外側に見える木材は梱包(こんぽう)し、市内の保管場所に運ぶ。解体工事費は4300万円。

 7日は安全祈願があった。神事の後、監修メンバーが作業に取りかかる番付打ち始め式を行い、作業手順を確認した。西名誉教授は「小学校改築に支障をきたさないよう、段取りを工夫して無駄なく取りかかりたい」と話した。
 
 
朝日新聞 12月8日
移築保存の旧大島邸
柱に番付札
解体始まる

 
移築保存が決まった唐津市西城内の旧大島邸を解体する工事が7日、始まった。解体作業を監修する西和夫・神奈川大名誉教授らがさっそく、番号を書いた「番付札」を柱に取り付けた。
 旧大島邸は、明治時代中期の和風住宅で、木造平屋一部2階建てで延べ床面積約450平方㍍。解体作業は「映画のフィルムを逆回しするように、建てたときとは逆に作業を進める」(西名誉教授)。瓦から始めて、天井板や柱など約5千点の部材をすべて外して別の場所に保管し、移築場所に運んで組み立てる。その最初の作業が、柱に「い一」などの番号札を付ける「番付打初式」だ。
 工事は11月25日の入札で、唐津土建が約4300万円で請け負うことが決まった。実際に作業を進める10~15人の大工が、西名誉教授らの監修を受けながら、部材に傷をつけないよう作業を進める。
 西名誉教授は「一番大事なのは、建物を再現すること。いまは、ほどくのが始まっただけ」と話した。解体は来年2月末までに終える予定だ。
 
毎日新聞  12月8日
旧大島邸:解体始まる 部材「番付札」取り付け
 
 移築保存される唐津市西城内の和風建築・旧大島邸の解体工事が始まった。現在は解体を監修する西和夫神奈川大名誉教授らが部材の位置を示す「番付札」の取り付け作業を進めている。解体工事は来年2月までに終える予定。
 作業は西名誉教授ら監修メンバー6人と解体業者10~15人が柱や天井板などに「い一」などと書いた札を取り付けている。部材は約5000点あり、すべて外して別の場所に保管される。
 同邸は旧唐津銀行頭取など務めた大島小太郎の自邸。明治時代中期の和風住宅で木造一部2階建て、延べ床面積約450平方メートル。【原田哲郎】
 
 
 
 
12月議会
 
12月10日の一般質問が気になるところでした。
 
佐賀新聞 12月11日
旧大島邸の移築
      財政と整合性を
     唐津市
 唐津市議会では、旧大島邸の問題などについて、5議員が質問した。
 旧大島邸は小学校改築に伴う解体が市議会で決まっていたが、市は反対運動の高まりから懇話会を設置、移築保存に向け基本構想をまとめることに方針転換した。
 これに対し「3月議会で保存を求める請願は不採択だったのに、議会が知らされないまま保存が決まっている。大きな方針転換が市役所内でも十分に論議されていない。多額の支出が必要となる保存は将来の財政計画とも整合性がとれなくなる」との指摘があった。
 大谷正広教育部長は「議会への配慮が足りなかった」と陳謝したうえで、「今後は基本構想の検討委員会で十分検討し、議会の理解を求めたい」とした。
 
議会では先日着工された大手口再開発ビルについて、唐津日赤移転先問題についてが注目されるところのようでしたが、大島邸もどうなるのか心配です。 
 
とあるサイトに12月12日の大島邸の画像を見つけました。
こちらでも見ていただけるようお願いしましたら快く画像を送っていただきました。
 
哀しい画像ですが。
 
 
 
・・・・2010年師走の大島邸 表札残影・・・・・

 
 
 
 
 
切り倒された大きな槙の丸太がゴロゴロ、20本はあろう。
 
 
 
庭木は一部移植され、伐採されたものは廃棄物として処理されるそうな、、
廃棄されて木材チップとして加工されるとか、
これだけの槙の木は山奥でない限り出てこないらしい、
木材としての価値は充分、一本数万円はするだろう。もったいない話である。
以上は現地で聞いた話である。


 
 
今後も大島邸の解体されていく様子などこのブログで報告していきたいと思います。
その後の大島邸を撮影された方、もし宜しかったら使わせていただけませんでしょうか。
投稿先はこちらです。 
 
よろしくお願いいたします。
 
古民家さんのブログにも現在の大島邸がUPしてありました。
 
大島邸を残す会の勉強会が始まって丁度1年ですね。
本当によくやったと思います。
 
心ある方々の応援があったからこそ、ここまで持ったんだと思います。
本当にありがとうございます。これからも唐津を見捨てないでくださいね。
 

コメント(2)

解体・移築ですか。
難しかった問題も、これで一段落ですね。

今後は、活用等の事もあるでしょうが、ともあれ良かったですね。

群馬では、同様の問題で、逆転?の事態が・・・。

2010/12/15(水) 午後 8:23 [ 武将真田 ]

先日、教えてもらいこのブログを知りました。フジと同じく大島小太郎の曾孫にあたるものです。数年前に学会が福岡であった際に、足を伸ばして唐津に伺いました。その日は唐津銀行本店が改装のためしばらく休館になる最後の日でした。幼いときに父と松露まんじゅうを店先で食べた記憶がよみがえりました。

8ミリ映像に写っておりました、父が鏡山にあると記憶していた大島小太郎翁の銅像の位置が判明し感謝しております。残念ながら銅像は第二次世界大戦の折、供託徴用されたようですね。

今回の大島邸の保存に多くの方が努力して頂き感謝しております。
文化財として移築保存が決まって安堵しております。
現場保存が最善であるのは言うまでもありませんが、曾祖父が生きていたら、恐れ多くて移築依頼をしてくる人もいない(笑)とは思いますが、小学校のためにとお願いされたら、唐津の発展に迷いもなく力を尽くしてきた曾祖父なら、喜んで実家の土地を提供したと思います。
移築された新しい大島邸を、その昔、曾祖父の見守る中で遊んだ記憶のある父と訪れることが出来ますよう、今後ともよろしくお願い申し上げます。

2010/12/20(月) 午前 8:45 [ フジの弟 ]



その後の大島邸 その3
昨日配達の帰りに大島邸の前の道を通りました。
 
デジカメを持っていませんでしたが、同じく昨日気になって大島邸を見に来た方から画像を頂きました。
 
今、大島邸はこんな風になっています。

  
1月から本格的な解体工事が始まるそうです。
 
 
先ほど夕方のNHK佐賀で
大島邸保存のための基金ができたと
報じられていました。
明日の朝刊が楽しみです。
 

閉じるコメント(3)

あまりにも、、むごいですよね、、。
保存する価値があるのに、、。

2010/12/29(水) 午前 2:50 [ miwo ]

旧大島邸基金を1月に設置へ
移築保存のために解体作業が行われている唐津市の「旧大島邸」について、建物の保存運動に取り組んできた住民で作るグループなどが1月下旬から旧大島邸の基金を設置し、移築後の建物の維持費などに活用するため寄付金を募ることになりました。
隣接する小学校の改築のため解体作業が進んでいる唐津市の旧大島邸は、明治中期の和風建築で、市は、保存を求める住民などの意見を受けて別の場所に移築して保存する方針です。
これについて、旧大島邸の保存運動に取り組んできた「城内を考える会」のメンバーなどが移築後の建物の活用に住民が主体となって関わろうと基金を設置することになりました。
基金は、▼移築後の建物の維持費や管理費として使用するほか▼イベントの開催など市民や観光客などによる建物の利用に有効活用するということです。
メンバーらは、▼県内外の個人や企業に協力を呼びかけるほか、▼「ふるさと納税制度」を利用して寄付できるようにすることを検討しているということです。
メンバーは、1月下旬以降県内外から広く寄付金を募ることにしています。

12月28日 19時04分 NHK佐賀
2010/12/29(水) 午前 11:56 山内薬局


基金に関しては新聞の報道はないようです。
どなたか新聞に大島邸基金に関する記事を見つけられましたら教えてください。

2010/12/29(水) 午後 5:54 山内薬局

 
 

唐津市長 年頭記者会見

朝日新聞 2011.1.5
 
旧大島邸、周辺施設とつないで活用
「歴史ゾーン」づくり
  唐津市、3月に検討委
 
 唐津市の坂井俊之市長は4日の年頭記者会見で、移築保存の決まった旧大島邸の活用方法などを話し合う基本構想検討委員会を3月にも立ち上げる方針を明らかにした。坂井市長は「唐津城、旧高取邸、旧唐津銀行、歴史民俗資料館などとつないで、観光客らが散策できる面的整備をしたい」との構想を述べた。
 同市西城内にある旧大島邸は昨年11月から樹木の伐採などが始まり、住宅の解体も今月から本格化する。検討委員会は、市の担当者の他、市民代表、専門家ら約40人で構成。約1年間かけて議論した結果を市長に報告する。建築、歴史、教育などの分科会も設置する予定。
 坂井市長は移築される旧大島邸について「市民の使い勝手のいいものにしたい。子供たちが唐津の経済発展に貢献のあった大島小太郎について学ぶ場にもしたい」と表明。特に、城内地区を中心とした他の観光施設とつながりのある「歴史ゾーン」づくりを重視する考えを示した。
 復元時期については、解体した部材が変形しない3年以内としている。ただ、坂井市長は「全面的な移築保存が原則だが、朽ちた部材は捨て、最終的にどう復元するかは話し合って決める」と述べた。
 

コメント(2)

修復すべきところは修復しながら、
完全な形で移築されるといいですね

> 歴史民俗資料館などと
妙見までつなげれられるでしょうか…

2011/1/5(水) 午後 5:45 [ sugamo_in_sapporo ]

シロアリの被害大であるという当初の行政の見解が覆されなければなりません。事前調査では母屋は立派なもの。茶室および仏間がシロアリが入っているとのことでした。解体には西和夫名誉教授をはじめ、建築関係の方々が監修されると聞いております。移築保存に際しても最大限現在の大島邸を使っていただきたいと思います。
巣鴨さんが仰るとおり妙見まで繋がると良いですね。 削除

2011/1/5(水) 午後 8:36 山内薬局

 
 

その後の大島邸 その4

いつも気に掛けてくださっている方が一昨日ブログに載せていただきました。
いつもありがとうございます。
 
 
 
有田に佐賀営業所があるようですね。
恐らく西先生が推薦された確かなところだろうと思われます。
 
 
 
 
灯籠も飛び石もつくばいも完全に撤去されています。どこに保管してあるのでしょうか。
 
雨戸の所にはコンパネが貼られているようです。
ガラスの扉も貴重な吹きつけガラスです。大事にして貰いたいです。
南側の部屋には明かりがついております。

 
 
茶室に渡る廊下にも明かりが。この辺の床が一番傷みがひどかったようですが。
 
 
屋敷森がすっかり切り払われ、お隣さんのたき火も道路から丸見え状態です。
今後ここに小学校が建つと、お隣さんは益々住みづらくなるのでしょうね。
学校と民家との境は教育委員会はちゃんとなさるとは思いますが。

 
 
この連休明けから本格的に解体(ほどく)工事が始まるものと思われます。
目が離せません。
 
唐津市議会議員の浦田関夫さんのブログに
大島邸内部の様子がUPしてありました。
シロアリ被害大という場所です。
ここを見せられたら「こりゃひどい。どうしようもない。」と言うことになるでしょう。
しかし、母屋の方はそこまでひどくはないとのことでした。
 
3月に検討委員会が設置されるそうですが、十分に検討していただきたいと思います。 




その後の大島邸 その5

去る1月11日 解体の監修:神奈川大学名誉教授 西和夫先生がいらっしゃいました。
いよいよ解体工事が始まりました。
 
情報によれば南の厠は解かれたそうです。
 
 
旧大島邸解体(ほどく)工事の見学会
が開かれるという情報を入手しました。
 
1/22(土) 14:00~16:00
お茶室を中心に西先生他建築関係の方々による解説があります。
 
2/11(金) 14:00~16:00
母屋を中心にして同じく解説していただきます。
 
と言うことは茶室は1/22以降に、母屋は2/11以降に解体と言うことになるんだと思います。
 
「茶室の炉の土が大したもんだった。」と祖母が話していたと母から聞いたことがあります。
祖母は明治35年生まれ。大島さんちの何番目かのお嬢さんと唐津高女で同級生だったと思われます。
祖母のアルバムに「大島」と書き込まれていましたから。祖母はその同級生から聞いたのではないかと思います。
 
茶室の壁、大広間の壁の土はどのように解体されるのでしょうか。
そしてどのようにして再現されるのでしょうか。
移築保存とはどこまで再現されるのでしょうか。
 
我々素人には全く分かりませんが、どうか立派に移築保存できますように。
 
見学会には、どのように解体して、解体した部材をいかにして再現していくのかというお話を聞きたいと思います。
 
正式なチラシができ次第再度ご案内申し上げます。
 
見学会には皆様どうぞお出かけください。
 

閉じるコメント(4)

群馬では、前橋の旧「麻屋デパート」の取り壊し問題で騒動になっています!

2011/1/14(金) 午後 6:56 [ 武将真田 ]

旧麻屋ビル:県内初の百貨店、解体進む 手塚社長「建物守れず心苦しい」◇国登録文化財、3年余で維持断念/群馬
市民の一部に保存を求める署名活動もあるが、手塚さんは「せめて跡地に旧麻屋の思い出のよすがとなるものを残したい」と考える。解体は今月末に完了。跡地を買い取る市は今後の用途を具体的に決めていない。
武将真田さん。今年もよろしくお願いします。

2011/1/15(土) 午前 9:32 山内薬局

説明を加えていただいて、ありがとうございました。

建築や歴史、文化財等の団体からの保存の要請も来ているのですが・・・。
国指定までなっている物が、指定解除の末に解体とは・・・?!
情けない状態です。

2011/1/15(土) 午後 2:56 [ 武将真田 ]

商店街の入り口のようですね。これから先、地方の商店街はどうなっていくのでしょうか。
唐津の場合は大手口は再開発。行政も入るビルが出来るようですが。
京町の入り口、商店街の入り口には崩れかけて放置されている家があります。それなりに味があったんですが、いよいよ危なくなってきました。個人の建物です。他人がとやかく言うことは出来ませんが、唐津の玄関口です。何とかならないものでしょうかね。

2011/1/15(土) 午後 3:57 山内薬局

 
 

その後の大島邸 その6

寒い中解体(ほどき)作業が始まっています。
 
久しぶりにこの目で確認してきました。ここに大志小学校が建てられるんですね。
 
厠は解けたと聞いていましたが、まだ健在でした。しかし、壁が崩されていました。

 
 
茶室はご覧の通りです。
1月22日の見学会までにどのように手を加えられるのか分かりませんが、原形を留めていると思います。
解体はその後となると思われます。
 
 
茶室に繋がる廊下です。ここの傷みがひどかったようです。しかし、板を替えれば済むこと。
復元は可能です。戸板がはずれると廊下には手すりがあったんですね。
 
 
 母屋は立派なもの!
 
遠景。全景です。屋敷森亡き後、寒々とした風景です。
 
 
 
ここでちょっと昔に作ったポスターをご覧ください。
状況は変わり、もはや移築保存と決定していますのでっていますが、大志小学校新校舎の設計図はこのまま生きているんだと思います。
 
 
素となった設計図です。(参考)
 
上の設計図と下の写真を重ねてみるとよく分かると思います。
ここに新校舎が建つんです。

お隣との境です。ここはどうなるんでしょうね。
校舎から民地を挟んでの運動場。
私には不自然な校舎としか思えませんが。 

 
新校舎東側。ここは新校舎の駐車場ですね。 
 
本格的な解体(ほどき)はこれからです。
ちょくちょく見に行きたいと思っています。




大島邸の解体(ほどき)見学会のご案内

1月22日14:00~16:00です。
 
 
見学会の日は、この寒さがやわらいでくれると良いのですが、寒さ対策をしてお出かけください。
 

閉じるコメント(2)

復元された後に再現度をチェックするために、
細かいところまで写真撮影しておいたほうが良さそうですね。

今週末の午後は学長選挙があり、来月11日は入試真っ最中ですので
どうしても帰省することができず残念です。

2011/1/17(月) 午後 5:54 [ sugamo_in_sapporo ]

いよいよ明日が見学会です。お天気もまずまずの様子。主に茶室の細部に亘る解説と解体の手順などの説明があると思います。

ご興味のある方はぜひお出かけください。

2011/1/21(金) 午後 10:02 山内薬局

 

その後の大島邸 その7 茶室の瓦が剥がされています。

明日は宵恵比須
 
わが京町でも有志で恵比須様をお祀りしています。
 
唐津神社に竹を切りに行きました。
 
刀町の二十日恵比須の準備で境内は賑やかでした。
 
竹を4本、縄と幣を頂いて、20日11時からお祓いの予約。
 
勿論大島邸も見てきました。
 
解体が進んでいました。
茶室の屋根瓦が外されています。
22日の見学会までは手つかずかと思っていましたが、着々と工事は進んでいます。

   
鉄塔が気になりますが、これは定点観測用のものだと或る方のブログで知りました。
 
茶室の屋根瓦はご覧の通り。
外された瓦は下に積み上げられています。
 
こんなに近い場所に現在の校舎があります。
新校舎が大島邸の跡に建つんですが、工事の騒音などで子供達は気が気ではない様な気がします。
なぜ大成小学校を仮校舎として使えなかったのか。子供達は勉強できるのだろうか要らぬ心配をしてしまいます。
 
茶室に向かう廊下の屋根瓦を外しておられました。




 
 
解体の工事期間は全てに平成22年12月24日までの記載しかありません。
期間延長のように訂正しないといけませんね。

 
厠もまだ残っていました。
 
 
門~玄関
シートが架かっているところは台所

  
こんな具合です。
 
寒い中、解体業者の皆さんはもくもくと作業をされていました。
 
私は恵比須さんのお飾りを。
竹と縄と幣で恵比須さんに結界をこしらえました。
 
今年は良い年になりますように。
 

閉じるコメント(2)

今年の出初式の時に、初めて大島邸を見ました。
山内薬局のブログを見てなかったら、たぶん気にしてないでしょう!
詳しいことは、解りませんが、歴史的な建物なんですね。

2011/1/18(火) 午後 8:12 ジャンボくん

本格的な保存運動が始まって1年と1ヵ月経ちました。多くの方々に在りし日の大島邸を観ていただけたかと思います。
大志小学校の新校舎が建っても、その方達の目には大島邸の格調高い大広間が残ってくれていると思います。
移築保存されても、嘗てはここにあったんだと言うことを忘れないでくださいね。

2011/1/21(金) 午後 10:06 山内薬局

 
 

旧大島邸 基金を設置

NHK佐賀放送局
 
旧大島邸 基金を設置
 
移築して保存されることになっている唐津市の「旧大島邸」の保存運動に取り組んでいる住民グループなどが、移築後の維持費などに活用してもらおうと基金を設けました。
唐津市の旧大島邸は、明治中期の和風建築の建物で、保存を求める住民などの意見を受けて市が別の場所に移築して保存することにしています。
旧大島邸の保存運動に取り組んできた「城内を考える会」のメンバーや唐津商工会議所などは建物の移築後の活用に住民が主体となってかかわろうと基金を設け、18日、設立総会を開きました。
総会では、▼1月中に設ける基金用の口座に一口1000円から寄付できるようにすること▼県の内外の個人や企業に協力を呼びかけ、集めた資金を建物を所有する市に寄付することが決まりました。
また具体的な使い道としては、▼建物の維持費や管理費、▼イベントの開催などにあてて、市民や観光客などによる建物の利用に有効活用するということです。
01月18日 20時44分
 
 
サガテレビ
1月18日 20:16 フラッシュニュース
旧大島邸基金設立へ委員会発足
 
解体・撤去から移築・保存の方針が決まった唐津市の旧大島邸を管理・運営するため、基金の設立をめざす市民委員会が18日発足しました。市民委員会は経済団体や市民グループなどの代表が発起人となり発足したもので会長に唐津商工会議所の太田善久(おおたよしひさ)会頭が選ばれました。旧大島邸は小学校の建て替えに伴い解体される計画でしたが、市民グループの運動をきっかけに懇話会が、高い文化的価値を認め、移築・保存の方針が決まりました。市民委員会の初会合では、旧大島邸の復原やその後の運営に協力するため、基金の設立をめざすことを確認し、募金活動や講演会の開催などに取り組むことになりました。募金活動は来月にも始め、特に目標金額は設けず、集まった善意を唐津市に寄付することにしています 
 
 
 
西日本新聞
旧大島邸の管理・運営
 有志が基金設立 唐津市
2011年1月18日 01:06 
 
小学校の校舎新築に伴い移築保存される「旧大島邸」(唐津市西城内)の管理・運用に活用する「大島邸基金」が設立される。発起人は同邸の保存活動に取り組んできた市民団体「城内を考える会」の辻いく子代表ら9人。18日には唐津商工会議所で第1回会合が開かれる。
 同邸の活用法を考えるため昨年8月から10月まで計4回開かれた懇話会では、「市民が移築保存に貢献することを目的とした基金を設置する」との方向性が打ち出されていた。その後、辻代表が参加を呼び掛け、基金設立が実現した。
 発起人には、同商議所の太田善久会頭や唐津観光協会の都市右太雄会長らが名を連ねる。顧問には、同邸の解体工事に携わる西和夫神奈川大名誉教授と、かつて同邸の管理人をしていた印刷会社社長の松尾武彦さん(同市呉服町)が就く。
基金の目標金額や募金方法については、発起人による会合で今後決めていく。「誰でも参加できる仕組みにしたい」と語る辻代表は「市民全体で大島邸を守りましょう」と基金への協力を呼び掛けている。
 
 
朝日新聞  2011年1月19日朝刊
移築・運営の基金設立
旧大島邸募金呼びかけへ
 移築保存の決まった唐津市西城内の旧大島邸の移築や運営費用の一部を市民の手で集めようと「旧大島邸基金」を設立することになり、18日、市内に発起人が集まり、市民委員会を発足させた。さらに賛同する団体を募り、2月中には市内外の人たちに一口千円の募金を呼びかけることにしている。
 旧大島邸の移築保存を提言した「旧大島邸の活用を考える懇話会」の報告書には、「市民自ら移築保存に少しでも貢献することを目的とした基金等を設置する」と明記されており、今回の基金設立はこうした経緯を踏まえたものだ。
 この日の会合には、唐津商工会議所、唐津観光協会、唐津焼協同組合、茶道表千家唐津などの団体の代表ら9人が集まり、市民委員会の発足を決めた。会長には、唐津商工会議所の太田善久会頭を選出。懇話会のアドバイザーを務め、解体工事の監修も引き受けている西和夫・神奈川大名誉教授は市外在住ながら、「象徴的な存在」として顧問に就任した。
 懇話会の馬渡雅敏会長は監事に就任。復元後の旧大島邸の活用について「市が管理している旧高取邸などとは違って、お花の会や文化的な催しなど誰でも使えるようなものにしてほしい、との意見が発起人の間から出た。自分たちの手で基金を集め、3年以内といわず、なるべく早く復元できる手助けになればいい」と語った。
 旧大島邸は昨年12月から解体工事が始まっているが、坂井俊之市長は4日の年頭記者会見で、移築後の活用方法などを話し合う基本構想検討委員会を3月にも立ち上げる方針を表明している。市民委員会への問い合わせは、事務局の唐津商工会議所(0955・72・5141)へ。
    ◇
 唐津市教委は18日、市民を対象にした旧大島邸の解体工事の見学会を今月22日と来月11日の2回にわたって開催すると発表した。
 
 
佐賀新聞
1月19日
旧大島邸、移築保存支援へ基金創設 唐津市
 移築保存の方針が決まった明治期の木造建築物「旧大島邸」(唐津市西城内)の移築費用などを支える基金創設に向け、「旧大島邸基金市民委員会」が18日、発足した。邸の活用を考える懇話会の委員らが発起人で、2月から募金を呼びかけ、市に寄付する。
  発起人は懇話会の馬渡雅敏会長や市民団体「城内を考える会」の辻いく子代表、唐津商工会議所の太田善久会頭ら9人。この日の発起人会では、募金活動のほか講演会など邸の啓発活動を行う規約を確認し、太田会頭を会長に選んだ。 
  事務局は唐津商工会議所に置き、移築やその後の管理運営費として募金を集める。一口千円で、委員も募る 旧大島邸は、当初は解体される予定だったが、保存を求める声が上がり、市民や市職員らによる懇話会で協議。城内地区に移築保存することが決まった。懇話会の最終報告に基金設置も盛り込まれていた。
 
 
毎日新聞
1月19日
旧大島邸:移築保存へ基金発足
       来月中に募金活動スタート /佐賀
 唐津市の和風建築物・旧大島邸(旧唐津銀行頭取など務めた大島小太郎邸)の移築保存に向け、同邸基金市民委員会が18日発足した。2月中には募金(1口1000円)活動をスタートさせる。<BR> この日の発起人会で、会長に唐津商工会議所の太田善久会頭を選び、顧問には西和夫・神奈川大名誉教授らが就任した。<BR> 基金は、旧大島邸の早期復元と復元後の運営協力が目的。市内外の各種団体に募金協力を呼びかけるほか、講演会やチャリティーバザーなどを通して啓発活動をする。<BR> 基金の設立趣意書では「移築保存された大島邸の活用を考えた場合、登録文化財として広く市民に利用してもらうことが大切」と指摘し「子供の情操教育の場として活用できる市民の財産として、管理運営するためにも基金設立が望まれる」と基金の必要性を訴えている。 問い合わせは同会議所0955・72・5141。【原田哲郎】
 
 
基金設立を新聞報道各社が報じています。ありがたいことです。
 
読売新聞はどうだったんでしょうか?
 

閉じるコメント(2)

幅広い運動になるといいですね。
もちろん私も募金を通じてお手伝いできればと思います!

2011/1/18(火) 午後 10:07 [ sugamo_in_sapporo ]

巣鴨さんの仰るとおり。
文化財に対する唐津市民の意識の向上ができればと思います。
唐津を離れた唐津っ子の方が唐津を大切にする気持ちが強いような気もします。大島邸ふるさと納税も検討すべきでしょうね。

2011/1/21(金) 午後 10:12 山内薬局

 
 

旧大島邸解体(ほどく)工事見学会について(案内)

[唐津市ホームページ]情報配信メール
 
============================================================
● 唐津市ホームページ 情報メール配信サービス ●

 配信日:2011/1/19
============================================================
 
■□ 新着情報 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

(1) インフルエンザ患者が急増しています!!
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=03264930012949821671027409698

(2) 「唐津日本語教室」受講者募集
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=05066460012948145241027409698

(3) 旧大島邸解体(ほどく)工事見学会について(案内)
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=03033230012952498961027409698

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

  ◎このメールに関するお問い合わせは info@karatsu-city.jp まで
---------------------------------------------------------------

唐津市ホームページ
 847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号
   Tel 0955-72-9189
   Fax 0955-72-9189
   PCサイト http://www.city.karatsu.lg.jp/
   携帯サイト http://www.city.karatsu.lg.jp/m/
   E-mail info@karatsu-city.jp
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 
これで、大島邸の見学会が唐津市主催であることがはっきりしましたね。
 
 旧大島邸解体(ほどく)工事の監修者西和夫神奈川大学名誉教授の説明による現場見学会を次のとおり実施します。
 
【開催予定日時など】
 
と き 
 内 容
 第1回
 平成23年1月22日(土)
 午後2時から午後4時まで
お茶室を中心とした見学会 
 第2回
 平成23年2月11日(金・祝)
 午後2時から午後4時まで
主屋を中心とした見学会 
※開催予定日時に変更が生じた場合は、ホームページでお知らせします。
 
【ところ】
 旧大島邸 地内(北城内)
 
【参加対象者】
 どなたでも参加できます。
 
【駐車場】
 駐車場は水道部庁舎北側の駐車場(約40台)を用意していますが、満車となった場合は最寄りの公共駐車場などをご利用ください。
 
【安全対策】
 当日も現場では工事作業を行っています。安全上のため外部からのみの見学になります。また、当日は動きやすい服装、運動靴などでお越しください。
 
【その他】
 主要な構造材以外の内装材や壁土などは、順次解いておりますので、その旨ご理解ください。
 
【問い合わせ】

 教育総務課 TEL 0955-72-9157 begin_of_the_skype_highlighting              0955-72-9157      end_of_the_skype_highlighting


【添付ファイル】
 ・案内図[PDF形式] (226,647 Bytes)
 
 
 

その後の大島邸 その8 解体(ほどき)見学会

NHK佐賀放送局
 
旧大島邸解体作業の見学会
 
移築して保存されることが決まり現在解体作業が行われている唐津市の「旧大島邸」で、解体作業の進行状況などを見てもらおうと見学会が開かれました。
唐津市にある「旧大島邸」は明治中期の和風建築の建物で隣接する小学校の改築のため取り壊されることになっていましたが、保存を求める住民などの意見を受けて唐津市は別の場所に移築して保存することを決めています。
22日は建物を解体する作業の進み具合などを地元の人たちに見てもらおうと市が見学会を開きました。
見学会にはおよそ40人が集まり、工事を監修する建築史学会の元会長で神奈川大学の西和夫名誉教授が参加者に建物の解体はことし3月下旬までかかることや茶室や主屋などの解体の状況を説明しました。
この中で、西名誉教授は「解体するにつれて茶室はあと1年ももたないほど傷みがひどかったことがわかった。いま解体していなければいつ壊れてもおかしくない状況だった」と話しました。
参加者たちはメモをとったり建物をじっくり見たりしながら、熱心に説明に聞き入っていました。
この見学会は2月11日にも開かれる予定です。
01月23日 09時53分
 
 
 
 
昨日大島邸解体見学会が開催されました。
(私は生憎の福岡出張、画像は友人が撮影してくれたものです。)
 
主催は唐津市です。
唐津市は本気で大島邸の移築保存に取り組まれているようです。
「解体した部材を誰か高値で買ってくれないか」という行政のお考えは
もうこれっぽっちも無いと信じて良いのでしょうね。
 

   
   
   
   
 
トタンが被っていた大玄関の解体も始まったようです。
 
蛙股は健在。
正面は「頭合わせ三つよせ蝶」

裏面は何でしたっけ?
 
以前撮影した画像を探してみました。
ありました。
大島邸大玄関の蛙股裏面です。

 
台所でしょうか
 
門はまだ手つかず。
まさかこの門だけは大志小学校の一部として使おうなんて、教育委員会はお考えではないでしょうね。
門も移築保存されるべきもの。これだけをここに残してはいけません。

 
テレビ局も取材に来ていたようですね。
NHKでしょうか?
ぴ~ぷるは来てましたでしょうか?
 
シロアリ被害に遭っている柱ですね。


新聞報道など目にとまりましたら随時加筆して参ります。





旧大島邸のおひなさま

旧大島邸のおひなまつり。今年も開催!

昨年は大島邸で開催されましたが、もうあの佇まいはありません。
 
今年のポスターを入手しました。
 
昨年は(社)茶道裏千家淡交会唐津支部の主催でした。
今年はご覧の通り主催:(財)河村美術館
そして唐津市と社団法人唐津観光協会の後援をいただけたようです。
凄い進歩だと思います。
この一年でここまでやってこられた方々のご苦労の賜物だと思います。
 
大島邸の移築先はまだ決まっていないようですが、然るべき場所に落ち着いた暁には、大島邸のお座敷で再び大島家のひな人形をお飾りしてお祭りしたいものです。
 
去年の大島邸の雛祭りはこちらです。
 




唐津市議会だより第26号より

市報と一緒に配られる議会だよりに
12月議会での大島邸関係の質疑が載っていました。
以下の通りです。
 
楢崎三千夫議員
「旧大島邸について」
質問】懇話会の意見を聞いて移築とあるが、審議会等まだ議論が必要ではないのか。
 
部長】市民と学識者の声を、幅広く聞いて決定した。
 
質問】3月議会では、移築の話はなかった。何時、誰が大きな方向転換をしたのか。
 
部長】11月5日に庁内会議で決定した。
 
質問】3月議会で、保存の請願を不採択にしているが、それなのに移築するとは、議会軽視ではないのか。
 
部長】議会への配慮が足りず陳謝したい。移築についてはご理解頂き、進めていきたい。
 
質問】財政計画にもない事業を取り入れる事は、他の事業が実行できなくなり、財政計画との整合性はどうなるのか。
 
部長】財政計画は、財政健全化への方針を、提示している個々の事業実施は、その必要性や財源を精査して、議会に提案する。
 
質問】移築に関しては、問題が多すぎ議論が足りない。市長はそれでも移築するのか。
 
市長】市民の幅広い意見を聞いて決定した。今後検討委員会を立ち上げ、場所などを決めていきたい。

井上常憲議員
「旧大島邸保存問題について」
質問
「記録保存」から「復元」に変更になったが、費用と財源は。
 
部長】来年度に検討委員会を設置し、時期や場所、活用法等について検討してもらう。見積もり等はこれからで、財源も有利な財源を活用する。
 
質問】類似する高取邸の現在の利用状況は。
 
部長】21年度は入場者数が6万3千人。3078万円の収入、経費は3895万円。ほぼ横ばいで推移している。
 
質問】旧大島邸の活用法は。
 
部長】「まちづくり」の観点からの活用を考えている。
 
質問】唐津は昔からいつの時代も素晴らしい歴史がある。「歴史的建造物」はどんなものがあるか。
 
部長】旧唐津には竹屋、山本駅など24件、厳木には天川若宮神社など23件、相知は商家や民家など9件、北波多は天満神社など15件、肥前は入野神社など4件、鎮西は旧名護屋郵便局など12件、呼子には鯨見張所など7件、計94件がある。
 
質問】これら旧郡部の文化財の保存はどのように考えているか。
 
部長】総合的な計画のもとに保存整備を進める必要がある。
 
質問】熊本県山鹿市の「八千代座」は市民がお金を出し合い修復し、今は国指定重要文化財になっている。氏は保存活用にどんな方針を持っているのか。
 
部長】他の文化観光施設と連携した活用をすれば効果が上がるのではないかと思う。
 
 
 
大西康之議員
大志小学校改築工事等について
質問】スケジュールについて。
 
部長】改築スケジュールの変更については、学校だよりやホームページ等で、PTAや市民へ、知らせていきたい。
 
質問】旧大島邸の文化的価値は。
 
部長】文化的な価値は評価するが、文化財として指定するものではない。
 
 
議員さん達のお腹立ちもごもっともだと思います。
議会軽視に対して行政は陳謝ということで事は治まったかに見えますが、来る3月議会で再び具体的に議論を交わされるものと思われます。
唐津の遠い将来を見据えた議論をしていただきたいと思います。


 

大島邸 明治26年旧4月18日建つ !!

号外!号外!
 
大島邸の建築年代判明!
 
佐賀新聞によれば
 
 
旧大島邸の棟梁、旧高取邸と同じ人物
 屋根板に名前

 佐賀県唐津市にある明治期の近代和風建築物「旧大島邸」を建てた棟梁(とうりょう)と、同市の国重要文化財「旧高取邸」を建てた棟梁が同一人物であることが分かった。旧大島邸の母屋の屋根に使われていた板に墨で名前が書かれていた。 
 旧大島邸の移築保存のための解体工事で「明治廿六(二十六)年旧四月十八日建之 棟梁 吉田吉次郎」と書かれた板(長さ193センチ、幅16・3センチ)が見つかった。 
 邸の解体を監修する西和夫神奈川大名誉教授によると、棟梁は唐津出身で、明治37年に建てられた旧高取邸の工事年月日や建築者を記す「棟札」に棟梁として同じ名前があるという。 
 母屋の建築時期は西名誉教授らの調査で明治17~26年と判明していたが、だれが建てたかは分かっていなかった。西名誉教授は「建築年代と大工の技術の高さを裏付ける物的証拠で、建物の文化財的価値を評価する上で重要な発見」と話す。
写真 
旧大島邸の解体工事で見つかった、棟梁の名前と日付が書かれた板=唐津市の同邸
 
参考まで
大島小太郎がかかわった唐津開発史
 
1859年 安政 6 小太郎誕生
    71年 明治 4 高橋是清の「耐恒寮」で学ぶ
    82年 明治15 東京の三菱商業学校卒業後、帰郷 
    83年  明治16 「漁会舎」の再建に小太郎乗り出す
    85年 明治18 唐津銀行設立(大石町)。頭取に就任。県会議員になる
    89年 明治22 松浦川河口の満島港が石炭の特別輸出港に指定
    90年 明治23 唐津物産設立。石炭の海外輸出始める
    96年 明治29 唐津興業鉄道設立。唐津線の着工
    99年 明治32 唐房湾(現在の唐津港)が貿易港に指定
  1903年 明治36 唐津線全線開通
    09年 明治42 唐津電灯社設立
    12年 明治45 唐津銀行本店を新築(本町)
    14年 大正 3 第一次世界大戦勃発。パナマ運河開通
    19年 大正 8 北九州鉄道設立
    26年 大正15 北九州鉄道、東唐津―博多間開通(後の筑肥線)
    31年 昭和 6 佐賀中央銀行誕生。小太郎が頭取就任
    35年 昭和10 唐津を眺望できる佐志浜田城跡に小太郎の銅像除幕 12月15日
    41年 昭和16 太平洋戦争
    42年 昭和17 小太郎、佐賀中央銀行の会長就任
    44年 昭和19 小太郎、同銀行会長を退任
    45年 昭和20 終戦
    47年 昭和22 小太郎、死去
    55年 昭和30 佐賀中央と佐賀興業の両行が合併、佐賀銀行誕生
 
 
明治26年頃の唐津はどういった時代だったんでしょうね。夢が膨らみますね。
 
棟梁吉田吉次郎氏に関して、
唐津の松本建設さんのブログに
興味深い記事がありました。
ちょっと覗いてみてください。
 

第2回 旧大島邸解体(ほどく)工事見学会について

1月22日第1回目の旧大島邸解体(ほどく)工事見学会については
[唐津市ホームページ]情報配信メールで1月19日に配信され、
唐津市民をはじめ多くの方々の知るところとなりました。
 
配信日:2011/1/19
============================================================

■□ 新着情報 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

(3) 旧大島邸解体(ほどく)工事見学会について(案内)
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=03033230012952498961027409698


2月11日の
第2回旧大島邸解体(ほどく)工事見学会
の案内も[唐津市ホームページ]情報配信メールで今日明日にでも配信されると思いますが、念のためご案内いたします。
 
第2回
  平成23年2月11日(金・
   午後2時から午後4時まで
   母屋を中心とした見学会
 
※開催予定日時に変更が生じた場合は、ホームページでお知らせします。
 
【ところ】
 旧大島邸 地内(北城内)
 
【参加対象者】
 どなたでも参加できます。
 
【駐車場】
 駐車場は水道部庁舎北側の駐車場(約40台)を用意していますが、満車となった場合は最寄りの公共駐車場などをご利用ください。
 
唐津市の主催による見学会です。
一人でも多くの方々に明治26年に建った大島邸の母屋の最後の姿を
目に焼き付けていただきたいと思います。
 
先日解体で発見された棟梁吉田吉次郎が明治26年に書いた板も見学会の時に展示してほしいと思っています。

その後の大島邸 その8 解体(ほどく)見学会

昨日の見学会を新聞は報じています。
 
朝日新聞
2011年2月12日 佐賀版
移築解体進む旧大島邸
「明治廿六(にじゅうろく)年」に産声
 
 移築のための解体工事が進む唐津市西城内の旧大島邸で11日、見学会があり、「明治廿六年旧四月十八日建之」と建築年代を墨書した天井板が公開された。工事を監修している西和夫・神奈川大名営教授は「これまではっきりしなかった建築年代が、墨書の発見で確定した」と語った。また、同市の国指定重要文化財、旧高取邸を手がけた棟梁が旧大島邸を建築したこともわかった。 (田中良和)
天井板の墨書から判明
 この天井板は、解体工事中の今月1日、南広縁のひさし付近から発見された。幅約15センチ、長さ約190センチ、厚さ約1センチ。表には「明治廿六年旧四月十八日建之 棟梁 吉田吉次郎」と墨書されていた。旧大島邸は、施主や建築年月日などを記した「棟札」は見つかっておらず、この墨書が建築年代を特定する唯一の証拠となった。
 西名誉教授が調査団長として昨年9月にまとめた「旧大島邸学術調査報告書」では、建築年代を1893(明治26)年~1906(明治39)年と推定したが、年月までは絞り切れていなかった。
 棟梁の吉田吉次郎は、旧高取邸や旧唐津銀行本店など唐津を代表する建物を手がけたことで知られていたが、旧大島邸を建築したことがわかったのは初めて。複雑な工法が使われていたため、解体工事は一時、難航したが、墨書の発見で棟梁が吉田とわかり、旧高取邸の修復工事の経験を生かして2月以降は急ピッチで進んだという。
 広い主屋と茶室、庭園を抱えていた旧大島邸も玄関口を残してすべて解体された。後は工事の足場を外し、20日前後には更地にする。
 この日の説明会で西名誉教授は「旧大島邸は木と木が細かく組み合わされていて、ほどくのが難しかった。それだけ丁寧につくられた質の高い建物だった。墨書は旧大島邸の来歴を知るうえで大きな発見」と語った。
 

佐賀新聞
旧大島邸解体工事公開
   「棟梁」の仕事、目の当たり
 
 移築保存に向けて解体が進んでいる唐津市の旧大島邸で11日、工事見学会があった。市内の国重要文化財・旧高取邸と同じ棟梁(とうりょう)が手掛けたことを示す屋根板の墨書などが公開され、訪れた市民約30人が熱心に見入った。
 解体作業を監修する西和夫・神奈川大名誉教授が、屋根板の墨書によって1893(明治26)年の建築年代が判明した経過などを報告した。名前が記された棟梁の吉田吉次郎について、市教委の田島龍太副部長が説明。1855(安政2)年に近くの坊主町に生まれ、筆頭棟梁として旧高取邸のほか、旧唐津銀行本店の建設などに腕を振るったことが紹介された。
 訪れた同市の福島環さん(79)は「約120年前の丁寧な仕事ぶりがうかがえる」と話した。解体は柱や梁(はり)の一部と基礎石などを撤去し、今月下旬に終了する見通しになっている。

NHK佐賀放送局
旧大島邸の建築年代資料が発見
文化的な価値が高いとして移築して保存されることになっている唐津市の明治中期の和風建築、「旧大島邸」の解体工事の見学会が開かれ、解体作業の中で明治26年に建物が建築されたことを示す資料が初めて見つかったことが紹介されました。
見学会は、唐津市が1月に続いて開き、市民およそ30人が参加しました。
解体作業は、主屋の一部を除いてほぼ終わっていて、参加者たちは解体工事を監修する神奈川大学の西和夫名誉教授からこれまでの作業について説明を受けました。
西名誉教授は、主屋の南側にある縁側の天井板を見せ、裏側に大工の親方である棟りょうの名前とともに建物の建築年代を示す「明治廿六年」と墨で書かれていたことを紹介しました。
西名誉教授によりますと、建物の建築年代を特定する資料が見つかったのは初めてだということで、貴重な発見だとしています。
旧大島邸の解体作業は、予定より3週間ほど早く2月末に終わる見通しで、唐津市は今後、地元の住民や専門家などで作る委員会を設置し、移転先を決めることにしています。
           02月11日 19時48分

 
私が大島邸に到着したのは13:40頃。
市の担当の方が数名受付におられました。
受付を済ませ、解体が進んでいる現場へ。
西先生に挨拶を。すると先生「お店は奥さんですか。」と気遣ってくださいます。
「良いのが見つかったそうで」
「これです」
と先日見つかった墨書板を説明してくださいました。
 
雨に濡れるといけないと言うことでビニールが被せてありました。
 
 
 
西先生からこれまでの解体についての説明があり、墨書板の発見で色んな事が分かってきました。
 
 
教育副部長・図書館長の田島さんから、棟梁吉田吉次郎について紹介がありました。 
 
 
吉田吉次郎 安政2年(1855)生まれ
 
大島邸 明治26年(1893) :棟梁吉田吉次郎38歳
唐津尋常小学校 明治34年(1901):棟梁吉田吉次郎46歳
高取邸 明治38年(1905):棟梁吉田吉次郎50歳
唐津銀行本店 明治45年(1912):棟梁吉田吉次郎57歳
 
良い仕事してますね~。
 
 
ボードにこれまでの解体風景を経時的に紹介してありました。

   
   
   
   
解体部材は、きちんと梱包してあるものもあれば、シロアリにやられているものは別に並べてありました。
梁(はり)は松のようでした。

 
梁の一本ですが、ご覧の通りシロアリにやられています。
放射状に伸びているのは枝だそうです。ここが節になるようです。
梁の一本ですが、ご覧の通りシロアリにやられています。
放射状に伸びているのは枝だそうです。ここが節になるようです。
雨も降る気配がなくなったので、墨書の天井板のビニールが外されました。
工事の方から解体(ほどき)の手順を聞きました。
西先生が最初に説明されたようにほどく順番は作った順番の逆。
その順番を探るのが難しいようでした。
しかし、高取邸と同じ棟梁だったので、構造的に似たような木組みで予想できたとのことでした。
瓦は使えるものは保管して、その他はこのように山積み。
明治26年の瓦です。去年やりかえたうちの離れの瓦と同じものです。
京町の入り口に朽ち果てた家がありますが、ここも同じデザインです。

壁土は各部屋のサンプルは取ってあるそうです。
移築後の土壁はまた新調されるのでしょうね。
再利用できなかったんでしょうかね。
通りに面した門だけがポツンと建っておりました。
解体を管理しているアルセッド建築研究所の方に門はどうなるのか尋ねました。
門に関しては他の業者さんが担当されているとの返事でした。
 
まさかこの門だけ大志小学校の一部として使うなんて、とってつけたような計画ではないとは思いますが。
   
一時間半ほどの見学会でした。 
写真は150枚ほど撮っていました。
移築先が決まって、再び格調高い大広間をこの目で見る日を楽しみに。
 
 

蘇鉄の木も唐津小学校由来のものではないのか?

先日の大島邸解体(ほどく)見学会で、教育委員会の方だと思いますが、その方から柘榴の木を新しく建つ大志小学校の敷地内に移植すると言うことをはっきりとお聞きして一安心しています。
 
大島邸の棟梁吉田吉次郎について調べていくと辰野金吾が設計した唐津小学校も、彼が棟梁として仕事をしていることが分かりました。
 
志道小学校が閉校するに際し、ネット化した母校百年史を見てみました。
 
 
ここに新たな問題が。
志道小学校閉校記念誌は移植保存が決まった柘榴の他に、蘇鉄の写真があります。
 
 
立て札が写っていますね。
柘榴(ざくろ)
志道小学校開校に當り昭和三十三年旧唐津小学校玄関右手より此處に移植した記念樹で樹齢は六十年と推定される
 
このように読めます。大志小学校になって、志道小学校の名前が入ったこの立て札も姿を消し、その後に赴任された先生方は全くこの由来も知ることはなく合併して7年。
樹齢60年は昭和33年現在の樹齢です。何故ならば私が昭和39年に入学した後、在校中の記憶では当時の札(柘榴の木にぶら下げてありました)札にも確かそのように書かれていたからです。つまり現在の樹齢はおよそ110年。
 
さて、保健室の窓の外には昔から蘇鉄の木があります。
志道小学校閉校記念誌にも柘榴の木と共に掲載してあります。
この画像でも蘇鉄の木の根本に白い立て札らしきものが確認できます。
 
 
この蘇鉄の木も唐津小学校から移植されたものなのではないかと思われます。
 
先ほどの母校百年史には
「講堂前にあった蘇鉄」として印刷してあります。
 
恐らくこの蘇鉄ではないかと思われます。
確証がありません。
どなたかご存じの方。教えてください。お願いします。
 
(しかし、現在の市役所坂を上って左に折れたところにも蘇鉄があったような気がするな。
唐津小学校には何カ所か蘇鉄が植わっていたのだろうか。)
 
唐津小学校に通った先輩方、もしこのブログをご覧になっていたら、
どうか記憶を甦らせて
蘇鉄のことを教えてください。
 
 

その後の大島邸 その9 ビッグニュース

号外!号外!
と触れ回らねばならないくらいの記事です。
 

 
今朝の朝日新聞記事です。
 
大島小太郎の足跡
      伝える品75点展示
     来月5日から唐津

 旧唐津銀行の創立者で、唐津市の近代化に大きな足跡を残した大島小太郎(1859~1947年)とその時代を紹介する展示会が3月5日から同30日まで、同市近代図書館で開かれる。自邸の旧大島邸の解体をめぐり関心が高まったことを受けたもので、小太郎についての本格的な展示は初めて。
 展示は「明治と唐津藩」から始まり、小太郎と父親の大島興義の年譜や写真、同時代に交流のあった人物像、鉄道、電力、港、銀行と広範にわたった小太郎の仕事ぶりなどが6部に分けて紹介される。特に、注目されるのは、解体作業で取り外された旧大島邸の「菊と鳥」の絵が描かれた床の間の天袋などの建具や、ついたて、ひな人形などの文物類。計75点を展示する予定だ。
 近代図書館の田島龍太館長は「明治、大正、昭和の3代を生きて、唐津の近代化に貢献した大島小太郎の人と時代をこの機会に知ってほしい」と話している。
 期間中の午前10時~午後6時(入場は午後5時半まで)。月曜休館。入場無料。問い合わせは近代図書館(電話0955・72・3467)へ。
 
  大島邸移築
      募金箱設置へ
      唐津の市民委員会20カ所に
 唐津市西城内の旧大島邸の移築や運営費用の一部を市民の手で集めようと発足した「旧大島邸基金市民委員会」の第1回総会が18日、聞かれ、募金活動がスタートした。事務局の唐津商工会議所や商店など20カ所に募金箱を設置するほか、郵便振込用紙を使って1口千円の寄付を募る。
 総会には、市内の各団体の代表ら約20人が参加。唐津商エ会議所の太田善久会頭の会長就任など役員と規約を承認した。寄付集めの方法については、5千円以上の寄付をした場合、確定申告をすれば所得税と個人住民税の税額控除を受けられる「ふるさと寄付金」の適用も検討。今後、市側と調整するという。
 坂井俊之市長は1月4日の年頭会見で、旧大島邸の移築場所や活用方法などを話し合う「基本構想検討委員会」を3月にも立ち上げる方針を表明している。市民委員会は、市側の動きに合わせて、資金と運営の両面で市との役割分担のあり方を探っていくことになりそうだ。
 基金の問い合わせは、唐津商工会議所(電話0955・72・5141)へ。

続いて西日本新聞です。
 
旧大島邸基金の募金活動を開始
 小学校の校舎新築に伴い移築される「旧大島邸」(唐津市西城内)の復元や運営に協力しようと、「旧大島邸基金」市民委員会(会長・太田善久唐津商工会議所会頭)は18日、募金活動をスタートした。
 同商議所や唐津観光協会など、活動に賛同する団体や企業に募金箱を設置したほか、「一口千円」で寄付を募る。委員会事務局を務める辻いく子さんは「期間も目標額も決めていません。息の長い活動になりますが、市民みんなの手で旧大島邸を復元しましょう」と呼び掛けている。
 寄付は郵便振込口座「01710-8-122362 『旧大島邸基金』市民委員会」まで。
      同委員会事務局(唐津商工会議所内)=0955(72)5141。
 

佐賀新聞
旧大島邸、移築保存支援へ基金創設 唐津市
 移築保存の方針が決まった明治期の木造建築物「旧大島邸」(唐津市西城内)の移築費用などを支える基金創設に向け、「旧大島邸基金市民委員会」が18日、発足した。邸の活用を考える懇話会の委員らが発起人で、2月から募金を呼びかけ、市に寄付する。
 発起人は懇話会の馬渡雅敏会長や市民団体「城内を考える会」の辻いく子代表、唐津商工会議所の太田善久会頭ら9人。この日の発起人会では、募金活動のほか講演会など邸の啓発活動を行う規約を確認し、太田会頭を会長に選んだ。
  事務局は唐津商工会議所に置き、移築やその後の管理運営費として募金を集める。一口千円で、委員も募る。
 旧大島邸は、当初は解体される予定だったが、保存を求める声が上がり、市民や市職員らによる懇話会で協議。城内地区に移築保存することが決まった。懇話会の最終報告に基金設置も盛り込まれていた。
 

読売新聞
 
旧大島邸復元へ募金活動を開始
 唐津で市民委総会
 唐津市の旧大島邸の復元や復元後の運営に協力するために募金を集める「旧大島邸基金」市民委員会の第1回総会が18日、唐津商工会議所で開かれ、規約や役員などを承認し、募金活動を始めた。商議所や唐津観光協会の窓口などに募金箱が置かれ、さっそく募金に応じる市民もいた。
 総会には、委員会にボランティアで参加する18人が出席。会長の太田善久・商議所会頭が「唐津は文化都市として生きないといけない。旧大島邸の保存に勢いがあるうちに、募金活動を盛り上げていこう」などとあいさつした。
 募金箱のほか、振り込み(郵便振込口座番号01710―8―122362、名義は「旧大島邸基金」市民委員会)で、一口1000円(何口でも可)から受け付ける。目標額は設定せず、一定の額が集まれば、市へ寄付する。問い合わせは唐津商工会議所(0955・72・5141)へ。
 

NHK佐賀でも取り上げてました。
 
旧大島邸基金で寄付呼びかけ
 唐津市の明治中期の和風建築「旧大島邸」の保存運動を進めているグループは18日総会を開き保存に賛同する署名をした6000人あまりの人たちに建物の活用に関する基金のために寄付を募ることを決めました。
 明治中期の和風建築唐津市の旧大島邸は、保存を求める住民グループなどの意見を受けて移築されることになり、1月グループなどは移築後の建物の維持費などに活用してもらおうという「旧大島邸基金」を設置していました。
 唐津市で18日行われた総会では基金のための寄付をどのように集めていくのか話し合われ去年、グループが行った署名活動で運動に賛同してくれた人たちに寄付を呼びかけることを決めました。
 署名をしてくれた人は全国各地の6000人あまりでグループは基金用の口座に一口1000円から寄付できる振込用紙などを郵送したいとしています。
また、基金に賛同した地元の商店街や唐津商工会議所などにあわせて20個の募金箱を設置するということです。
02月19日 09時20分

 
この募金箱は当店にもございます。
ご協力の程よろしくお願いいたします。
 
振替用紙などご準備できましたら、ブログでもご案内いたします。
 
しかし、近代図書館での展示会は、大島邸を知るだけではなく、明治期から現代に至る唐津がどのようにして創り上げられていったかを知るまたとない機会です。これは何としても見に行かねばと思っています。
多くの唐津市民に足を運んでいただき、大島邸を移築保存する意義を感じ取って欲しいと思います。
 

ビッグニュース!と聞いて飛んできました(笑)

ちょうど私が唐津に帰省中に展示会が開かれるとは
何とも嬉しいことです!!
唐津の近代史を切り開いた偉人の足跡が
市民の皆さんに広く知られることを願っています。

「ふるさと寄付金」適用の予定もあるとのことですが、
常連(笑)の私としては、寄付のし甲斐もあります。

2011/2/19(土) 午後 1:29 [ sugamo_in_sapporo ]

巣鴨in札幌さん
3月の帰省ですね。展示会の帰りにでもお立ち寄りください。

3月議会があります。成り行きを見守っています。

2011/2/19(土) 午後 6:30

いつも情報提供ありがとうございます。実家の父と電話で話す際に話題にさせてもらってます。大島小太郎直系の唯一存命中の叔父(父とは従兄弟にあたります)に父が連絡し、唐津の皆さんが大島家の為に尽力頂いていること伝えたそうです。久しぶりに会ってその話もするそうです。3月には自分も家族と帰省します。その折には近代図書館での展示会見学に父と唐津に伺うつもりです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

2011/2/20(日) 午後 8:31 [ フジの弟 ]

顔アイコンフジの弟さん
書き込みありがとうございました。
今日大島邸の道を通りまして完全に更地になっているのを確認しました。門と板の塀のみ残っておりました。
大島家の皆様にはご心配をおかけしております。移築保存という形にはなりましたが、この大島邸保存運動でふるさと唐津の歴史を大切に思う皆さんの心の輪がもっと広がればと思います。
唐津にお越しの際には是非うちにもお立ち寄りください。お父様にもどうぞよろしくお伝えください。

2011/2/20(日) 午後 10:36



大島邸の募金。連日紙面に取り上げられています。

 
佐賀新聞
平成23年2月20日
 
「旧大島邸」移築へ募金始まる 唐津市民委呼びかけ
 移築に向けて解体工事が進む明治期の和風建築「旧大島邸」(唐津市西城内)の移築を支えるための募金活動が始まった。1月に発足した「旧大島邸基金」市民委員会(会長・太田善久唐津商工会議所会頭)が取り組み、市に寄付する。
 
 唐津商工会議所や唐津観光協会の事務所など市内各地に募金箱を設置。振り込みでも受け付ける。郵便振替で一口千円から。口座番号は01710-8-122362、口座名は「旧大島邸基金」市民委員会。同委員会は「移築やその後の運営には相当の費用が予想される。市民の力で文化的財産を守り継いでいきたい」と協力を呼びかける。
 
 18日は、太田会長ら発起人のほか、商工観光、茶道関係者ら約20人が総会を開き、活動の趣旨を確認。発足時に決まっていなかった副会長や理事ら役員を選んだ。
 
 募金に関する問い合わせは唐津商工会議所内の同委員会事務局、電話0955(72)5141へ。
 

当店でも募金箱を設定しております。
皆様のご理解とご寄付をよろしくお願いいたします。
 

大島邸に関する議会だよりのまとめ

明日から3月
議会が始まります。
 
これまで大島邸やそれに関わる問題について市議会で討議されたことを順を追って並べてみることにしました。
 
それぞれのお立場で筋を通してこられた様子がよく分かります。
 
市長の年頭記者会見で発表された移築保存に向けて、行政も議会も市民も良い方向に向かっていって欲しいものです。
 
平成21年6月議会
定例議会の一般質問
石崎俊治議員
文化遺産の活用と観光振興
質問】旧大島邸は、唐津の歴史上での大島小太郎の業績や建築学上の価値を考えると、本来市として保存活用すべきものと考えるが、旧大島邸を購入された目的について伺いたい。
部長】平成10年7月に市教委から当時の志道小学校の運動場が狭い為、学校用地として活用する。また、文化財的価値のある建物の保存のため、市の土地開発公社が先行取得し、管理している
質問】最終的に、この遺産をどういった形で残すのか。
部長】記録保存のため、建物の軸組み、平面、立面、断面等の図面の作成、写真記録作成等を行う。また、門や建物の一部など、価値あるものについては、移設し、保存活用を考えている。
      (以上 
唐津市議会だより第20号 平成21年8月1日 より
 
 
平成21年12月議会
大西康之議員
旧大島邸について
質問】大志小学校の建物の一部に茶室を再現し、そこでお茶会を開いていただく等、子供達とお年寄りの接点として利用できないか。開かれた学校・生涯学習の一環として利用できないか。
部長】改築校舎の一部に、作法室を計画している。その内装材に旧大島邸の材料を使用したい。その茶室を、子供からお年寄りまで利用できる学校施設として、検討していく。
 
正田孝吉議員
大志小学校の建築について
質問】平成22年度から建設予定になっているが、年次計画及び、どのような団体と協議をしているのか。
部長】平成20年度から21年度にかけ校舎及び屋内運動場の耐力度調査と耐震診断及び基本設計・実施設計を行っている。平成22年度は旧大島家住宅と屋内運動場の解体を行い平成23年度にかけ校舎建設と旧校舎の解体を行う。平成24年度は屋内運動場の建設を行う。また、PTAや茶道団体等と協議している。
質問】 屋内運動場の使用については、旧大成小学校の屋内運動場を使用する事になるが安全対策は大丈夫か。
部長】改築期間中は大志小学校を最優先に使用できるよう協議する。また移動時には十分な安全対策を行う。
質問】 工事期間中の安全対策と隣接地とのトラブル対策は。
部長】 トラブル防止のために十分な協議を行う。
 
 
 
平成22年3月議会
 議案質疑
議案第1号 平成22年度唐津市一般会計予算
10.大志小学校改築事業費 4億3,307万9千円<BR>質疑 市が学校用地として購入後、大島邸の修復や残して欲しいという要望はあったのか。
答弁 具体的な話は無かった。平成17年頃から一部の市民の方々、例えば茶道や建築の専門家の方から保存修理して欲しいとの意見はあった。その後、平成21年12月定例議会終了後に「大島邸保存要望書」が提出された。
質疑 校舎改築について、どのようなメンバーで何回話し合いをされたのか。
答弁 学校長、PTA役員、建築の専門家等を交え15回程協議を重ね、平成21年12月24日教育委員会に説明をし、ご理解を得、本年1月基本計画を策定し、市長の決裁を受けたところ。
 
総務教育分科会
◎大志小学校改築事業費
質問】改築に伴う旧大島邸の取り扱いについて、茶道関係者等との協議はなされてきたのか。
答弁】代表の方々と協議を行い、了解を頂いてきた。
質問】大島邸で行われていた茶会などは、国指定の文化財でもある高取邸等で行うとのことだが出来るのか。
答弁】日常的な練習や大きな大会等高取邸で出来るもの、他の施設でしか出来ないものなど調整を行っている。
質問】大島邸の保存について、文化財保護審議会に諮問する必要があるのではないか。
答弁】平成22年2月の審議会で、保存の経過を報告し、記録保存という事で了解された。
質問】審議会委員の中に、建造物などの専門家は。
答弁】平成6~7年の高取邸・大島邸を含めた調査に関わられた、大学教授が入っている。
尚、附帯意見として
旧大島邸の取り扱いについては、将来、復元できるような記録保存に努め、旧大島邸の解体時に発生する貴重な部材について、慎重に取り扱いを行うよう要望しました。
一般質問
山下正雄議員 
大島邸について
質問】市が大島邸を購入するまでの状況とその後の経過は。
部長】昭和60年5月から空き家で、平成2年l2月から買収交渉し平成11年2月に土地開発公社が主に学校施設用地として買収した。建物は付帯施設として土地につけて売却された。市は一部を茶道の練習場として貸付けていた。平成21年12月定例市議会後に大島邸保存の要望書が出た。文化財的価値は所定の手続があって初めて判断される。
質問】大志小学校の現状は。
部長】市で一番古く、耐震診断で早急な改築が必要。運動場も拡張する必要がある。これまで4千万円の調査設計費が支出済。新校舎の一日も早い完成が望まれる。
質問】市は大島邸を記録保存と部材の保存としているが。
部長】茶室は生かし取りを行い、復元に際し価値を見出す。
 
平成22年9月議会
唐津市議会
定例議会 一般質問
志佐治徳議員(日本共産党唐津市議団)
旧大島邸を文化財に指定することを求める
質問】唐津市は、「武士住宅の面影を残す近代和風建築物」で、旧大島邸を超えるものは県内にない。つまり、県を代表する建物と認めた。県の『報告書』と今回の元文化庁審議委員西和夫調査団の中間報告書をどう判断しているか。
副部長】旧大島邸の文化的価値は十分認識しているが、総合的に判断して市の指定文化財にしていない。調査は継続中で、評価は確定していない。
質問】専門家集団の建築史学会の要望書は何と評価しているか。
部長】建築史上の価値を五項目について、書いてある。
質問】要望書で、旧大島邸が「きわめて貴重な建物であり、唐津市の歴史を示す遺産としても重要」と最高の評価だ。文化財指定の『事前調査』となるか。
副部長】当然、包括していると理解している。
質問】専門家は「旧大島邸のように規模が大きく、優れた明治期の邸宅は全国的にも非常に少ない」「国の重要文化財に指定されている旧高取邸より評価が低いことはない」と評価している。市文化財保護審議会に『諮問』を予定しているか。
副部長】その予定はない。
      (以上 
唐津市議会だより第25号 平成22年11月1日 より)
 
 
平成22年12月議会
唐津市議会 一般質問
10:00 楢崎三千夫議員
 「旧大島邸について」
質問】懇話会の意見を聞いて移築とあるが、審議会等まだ議論が必要ではないのか。
部長】市民と学識者の声を、幅広く聞いて決定した。
質問】3月議会では、移築の話はなかった。何時、誰が大きな方向転換をしたのか。
部長】11月5日に庁内会議で決定した。
質問】3月議会で、保存の請願を不採択にしているが、それなのに移築するとは、議会軽視ではないのか。
部長】議会への配慮が足りず陳謝したい。移築についてはご理解頂き、進めていきたい。
質問】財政計画にもない事業を取り入れる事は、他の事業が実行できなくなり、財政計画との整合性はどうなるのか。
部長】財政計画は、財政健全化への方針を、提示している個々の事業実施は、その必要性や財源を精査して、議会に提案する。
質問】移築に関しては、問題が多すぎ議論が足りない。市長はそれでも移築するのか。
市長】市民の幅広い意見を聞いて決定した。今後検討委員会を立ち上げ、場所などを決めていきたい。
15:00 井上常憲議員
「旧大島邸保存問題について」
質問】「記録保存」から「復元」に変更になったが、費用と財源は。
部長】来年度に検討委員会を設置し、時期や場所、活用法等について検討してもらう。見積もり等はこれからで、財源も有利な財源を活用する。
質問】類似する高取邸の現在の利用状況は。
部長】21年度は入場者数が6万3千人。3078万円の収入、経費は3895万円。ほぼ横ばいで推移している。
質問】旧大島邸の活用法は。
部長】「まちづくり」の観点からの活用を考えている。
質問】唐津は昔からいつの時代も素晴らしい歴史がある。「歴史的建造物」はどんなものがあるか。
部長】旧唐津には竹屋、山本駅など24件、厳木には天川若宮神社など23件、相知は商家や民家など9件、北波多は天満神社など15件、肥前は入野神社など4件、鎮西は旧名護屋郵便局など12件、呼子には鯨見張所など7件、計94件がある。
質問】これら旧郡部の文化財の保存はどのように考えているか。
部長】総合的な計画のもとに保存整備を進める必要がある。
質問】熊本県山鹿市の「八千代座」は市民がお金を出し合い修復し、今は国指定重要文化財になっている。氏は保存活用にどんな方針を持っているのか。
部長】他の文化観光施設と連携した活用をすれば効果が上がるのではないかと思う。
 
大西康之議員
大志小学校改築工事等について
質問】スケジュールについて。
部長】改築スケジュールの変更については、学校だよりやホームページ等で、PTAや市民へ、知らせていきたい。
質問】旧大島邸の文化的価値は。
部長】文化的な価値は評価するが、文化財として指定するものではない。
「大島小太郎」とその時代展開催 修正削除移動 傑作(0)
2011/3/1(火) 午前 11:06唐津の情報佐賀県 Yahoo!ブックマークに登録 旧大島邸移築保存に向けての展示会?と思います。着々と保存への布石がなされております。

============================================================
● 唐津市ホームページ 情報メール配信サービス ●

 配信日:2011/3/1
============================================================

■□ 新着情報 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


(6) 「大島小太郎とその時代」展 開催
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=01966160012976523661027409698

開いてみると

「大島小太郎とその時代」展 開催
 唐津銀行の初代頭取として唐津の近代経済を支えた大島小太郎と、その残した歴史遺産を通して、幕末から昭和にかけての近代唐津の発展の歴史をたどります。

【と き】
 平成23年3月5日(土)から平成23年3月30日(水)まで
 午前10時から午後6時まで(入場は午後5時30分まで)

【ところ】
 近代図書館 美術ホール(地図)

【休館日】
 毎週月曜日

【入場料】
 無料

【問い合わせ】
 文化課 TEL 0955-72-9171
 近代図書館 TEL 0955-72-3467

一人でも多くの唐津の方々に、大島小太郎にまつわる明治大正昭和の唐津の息吹を感じ取っていただければと思います。

会場には基金の募金箱は
   設置してあるのだろうか?

唐津市主催だから設置できないのかな。
しかし官民一体になって意識を盛り上げて寄付を募るべきではないのかな。三月議会で方向付けが終わってからなのかな。要らぬ心配をしています。  



続いて議会の日程案内です。
============================================================
● 唐津市ホームページ 情報メール配信サービス ●

 配信日:2011/3/1
============================================================

■□ 新着情報 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

(1) 平成23年3月市議会定例会
http://www.city.karatsu.lg.jp/article.php?articleid=05859150012988792801027409698

平成23年3月市議会定例会
平成23年3月市議会定例会の会期及び議事日程は次のとおりです。
 【テレビ中継】欄に○印のある本会議は、行政放送「チャンネルからつ」で生中継します。
 また、次の日程で録画放送を行います。
本会議が午後6時30分までに終了した場合、当日の午後7時から再放送します。
本会議が6時30分以降に終了した場合、終了後30分を目途に再放送します。
◎平成23年3月定例会会期及び議事日程
 1 会 期  平成23年3月1日から平成23年3月25日まで25日間
 2 議事日程及び会議時刻
本会議及び委員会    内 容     場 所  テレビ中継
1 本会議(午前10時) 提案理由説明 市議会議事堂 議場 ○
2
3
4
5
6
7
8 会議(午前10時) 議 案 質 疑 市議会議事堂 議場 ○
9 本会議(午前10時) 議 案 質 疑 市議会議事堂 議場 ○
10 本会議(午前10時) 議 案 質 疑 市議会議事堂 議場 ○
11 本会議(午前10時) 一 般 質 問 市議会議事堂 議場 ○
12
13
14 本会議(午前10時) 一 般 質 問 市議会議事堂 議場 ○
15 本会議(午前10時) 一 般 質 問 市議会議事堂 議場 ○
16 本会議(午前10時) 一 般 質 問 市議会議事堂 議場 ○
17 予算等特別委員会 分 科 会 第1~4委員会室
18 予算等特別委員会 分 科 会 第1~4委員会室
19
20
21
22 予算等特別委員会 分 科 会 第1~4委員会室
23 予算等特別委員会 全体のまとめ 市議会議事堂 議場 ○
24
25 本会議(午前10時) 討論・採決 市議会議事堂 議場 ○

どの議員さんがいつ大島邸に関して質問されるのか分かりませんが、後世に語り継がれる立派な議会になりますように願っています。

 
 
今後大島邸に関するブログをUPするたびにここを更新していきたいと思っております。
郷土唐津コーナーに戻る