掲示板過去ログ その14(2005.11.8〜)

あと12 投稿者:山内薬局 投稿日:2005/12/19(Mon) 10:27 No.544
午前10:27現在
アクセスカウント数99988



Re: あと12 山内薬局 - 2005/12/19(Mon) 13:37 No.547   HomePage

記念すべきアクセス数100000
12月19日12:28
管理人がgetしてしまいました。
申し訳ありません。



社報のバックナンバー 投稿者:山内薬局 投稿日:2005/12/06(Tue) 23:45 No.441   HomePage
今夜は正副取締の忘年会でした。
戸川宮司親子も臨席。
早速社報の話。
全てファイルしているとのことでした。
コピーの依頼に快く承諾して貰いました。
これで完結編ができます。
できれば図書館にもストックして頂きたい。
今夜はよか気色。
お休みなさい。



Re: 社報のバックナンバー ton - 2005/12/07(Wed) 07:02 No.443  

おめでたうございま〜す!


Re: 社報のバックナンバー 山内薬局 - 2005/12/10(Sat) 00:25 No.468   HomePage

社報に壁紙付けました。
唐津神社は三つ巴ですが、右廻りなのか左廻りなのか自信がありません。
貼付の巴は右です。
ご存じの方、教えてください。



Re: 社報のバックナンバー @神田中村 - 2005/12/10(Sat) 10:42 No.471  

あれれ?? ↑ この紋は反対になってませんか???

唐津神社の御紋は「左三つ巴」です。詳しくは
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/1482/1091695299/
に書きました。(^^)



Re: 社報のバックナンバー 山内薬局 - 2005/12/10(Sat) 17:51 No.475   HomePage

神社にお聞きしましたら、やはり左三つ巴が正解でした。
さあ、社報の壁紙やりなおさにゃ。



Re: 社報のバックナンバー 山内薬局 - 2005/12/15(Thu) 13:30 No.506   HomePage

御神輿のも左三つ巴でした。



Re: 社報のバックナンバー 山内薬局 - 2005/12/15(Thu) 13:41 No.507   HomePage

呉服町「九郎判官義経の兜」
吹き返しは右三つ巴



Re: 社報のバックナンバー @神田中村 - 2005/12/16(Fri) 00:38 No.513  

御神輿と神社本殿の下り幕、更に神社からの回答が揃えば神紋は「左三つ巴」で決まりのようですね。

ただ、あれほどに兜のシチュエーションに拘っていた「具足屋」さんがこんなに大事な部分を間違うとは
どうしても思えずに、ずっと調べていましたが!

これは!という説明ができそうです(^^)!!

どうやら平安期に爆発的に流行した巴紋は当時の有力公家であった西園寺家が「左三つ巴」を家紋とした事で、
この紋が最も「格の高い」紋となったようです。そして(ここからが本番)巴の左右はその数の多少とともに、
家の嫡庶・本末の区別にも利用されたという事実が残っておりました!!!(^^)

参考資料
http://www.harimaya.com/o_kamon1/hanasi/kamon_h.html

つまり、守護する主人である唐津大明神の「左三つ巴」に対して、へりくだって「右三つ巴」
を吹き返しに掲げ、主従の証としたのではないでしょうか。



Re: 社報のバックナンバー 山内薬局 - 2005/12/16(Fri) 22:36 No.520   HomePage


@神田中村さんの推理。お見事。
呉服町が兜曳山を作った意義、確かに唐津大明神をお守りするためのものだったんでしょうね。位は左>右ですから、へりくだって右三つ巴になった。ム〜ン!さすが。

蛇足:ちなみに父の兄弟、左衛門・右衛門・兵衛・衛門の順です。

大正末期の大手口の写真、右三つ巴。しかし赤旗を掲げていない。
社報46号の表紙にも同じ写真が載っています。明日にでも社報46号UPします。



一足違い 投稿者:山内薬局 投稿日:2005/12/11(Sun) 17:01 No.481   HomePage


早朝から二男の柔道の試合で5:30警察署集合。
その時、消防署では「交通事故による出動」
救急車1台、消防車2台、パトカー2台。
無事に二男を送り出した後、家に帰り着いて一寝入りしていると、7:30電話で起こされる。
「東に車の突入」
これは一大事。何はさておき駆けつけると、既に車はなく、町内の若っかもんが片づけて呉れておりました。
http://kishimoto-sketch.cool.ne.jp/saga-karatu.htm
大切なものを失ったようで、何とも言いようがありません。

気を取り直し、8:30長男の吹奏楽部のお手伝い。
長松小のPTAバサーミニコンサートに出演。

うちにたどり着いたのが11:00
なんと、私の留守中にぼんぶえさんがご来店くださったとか。
一足違いでした。残念・・。


いや〜忙しい朝でした。



先日・・・・・ 投稿者:おじゃが 投稿日:2005/12/04(Sun) 21:52 No.430  

忘年会は城内閣。
ちょっと探検してきました。



Re: 先日・・・・・ おじゃが - 2005/12/04(Sun) 22:02 No.431  

その2



Re: 先日・・・・・ フックン - 2005/12/05(Mon) 00:04 No.432  

この作者知ってるよ!


Re: 先日・・・・・ かっちゃん - 2005/12/05(Mon) 16:23 No.435  

おお〜っ 麒麟の曳山も悪くはないねぇ!
カッコイイ!



Re: 先日・・・・・ おじゃが - 2005/12/07(Wed) 07:43 No.444  

そういや一度フックンさんトコでこの作者の方と話をしましたなぁ・・・



99001 投稿者:山内薬局 投稿日:2005/12/06(Tue) 00:09 No.437   HomePage
アクセス数99001でした。
100000まであと999


無題 投稿者:こず男 投稿日:2005/11/29(Tue) 17:05 No.408  
さきほどRKBの今日感テレビで中町商店街から生中継だったわけですが、某薬局のご主人は、唐津で一番テレビ出演している素人さんではないかと思はれます・・・・・


Re: 無題 山内薬局 - 2005/11/29(Tue) 18:29 No.409   HomePage

こず男さん、お久しぶりです。お加減いかがですか?

あちゃ〜。見損のうた。
こないだは確か衛星放送に出演。
旧唐銀行でえんやえんやばしよらした。
中町は「大正昭和の町作り」?で脚光を浴びているのでしょうか?



Re: 無題 こず男 - 2005/11/29(Tue) 20:03 No.410  

どもども、その節はご心配おかけいたしました。何とか日常生活には問題なしです。

私もちょろっと見ただけですが、おなじみのガムやら焼酎やら、曳山関連商品のご紹介だったみたいです。



Re: 無題 @神田中村 - 2005/11/30(Wed) 22:44 No.416  

数日前の朝日新聞にも結構大きめのご尊顔付きで特集が組まれておりました。
週に一度は新聞・テレビ等でお顔を拝見しているような気がします。

こず男さん、お元気そうで何よりです。山内薬局様ともども来週末はお待ちしております(^^)

無題 投稿者:ぼんぶえ 投稿日:2005/11/27(Sun) 21:49 No.398  
こんばんは、記事引越し宜しくお願いします


Re: 無題 山内薬局 - 2005/11/28(Mon) 06:47 No.401   HomePage

かしこまりました
作業完了しました。

今後ともあちらでは色々と教えてください。楽しみにしております。
こちらにもたまにはお遊びにおいでください。



無題 投稿者:ぼんぶえ 投稿日:2005/11/26(Sat) 23:07 No.392  
黒獅子
秀吉の黄金に対して利休の黒・?火消しが曳いていたのに
宵ヤマの提燈の燃え移りでうろたえるじゃろか
人身事故の多かとか細かく良くないことのちょこちょこありよったちゃなかろうか、わざとうっかんがして造り替えよう手思うとったところが金銭トラブルでんおこってどんこんならんごてなったちゃろで氏子総代とか戸長とかが、関係惣町
にかん口令をだしてうやむやになしたんじゃないでしょうか?時代は明治欽定憲法の出る頃やったろうけん新時代に
そぐわんてこともあっちゃろう



はじめまして 山内薬局 - 2005/11/27(Sun) 13:23 No.393   HomePage

ぼんぶえさん
こちらでははじめまして。
唐松板では、呉服町の赤旗に始まり、この二・三日で次から次と問題提起には恐れ入っております。
七シ釜さんにうちの掲示板を紹介して頂き、早速の書き込みありがとうございます。

こと供日に関しての論述はあちらの方が盛り上がると思います。
あちらは「唐津くんち研究序説」というテーマです。

ぼんぷえさんの黒獅子うっかんがし説、宜しければあちらにそのままお引っ越し致しましょうか?



社報 投稿者:山内薬局 投稿日:2005/11/11(Fri) 23:17 No.345   HomePage
ある方から神社の社報を入手
飛び飛びではありますが、貴重な資料です。
曳山関係のものをまたまたOCRしてネット化致します。

お楽しみに。



Re: 社報 ton - 2005/11/12(Sat) 00:17 No.346  

 くんちが終わってもいつまんでも、「エンヤエンヤ」と教室で騒ぎよる小、中学生のごたるね、僕たちはwww



Re: 社報 山内薬局 - 2005/11/12(Sat) 00:46 No.347   HomePage


年中くんちて
N日本新聞もくんちの終わったっちゃくんちの記事ば載せよるごたるとん。
唐津はきゃんかふうて。しょんなかばい。

一昨日ジャスコに勤める知人から電話あり。
火災予防週間のポスター、入選しとらすよて。
早速昨夜店を早じまいして家族でジャスコに見に行きました。
やっぱい消防団ばい。



Re: 社報 ton - 2005/11/12(Sat) 03:49 No.348  

 もうすぐ、おんじゃおんじゃ やねえ。(とりあえず来年か)

 でも、おんじゃ、おんじゃを「走れ消防団!」の年間企画で取材したときには、やっぱ、感動に近いもんがあったヴぁい。



唐津神社社報 山内薬局 - 2005/11/17(Thu) 00:18 No.357   HomePage

唐津神社社報供日関係資料完全ネット化事業がいよいよスタートしました。
横の家マークをクリックしてください。



Re: 社報 @神田中村 - 2005/11/23(Wed) 13:19 No.377  

只今、ぴ〜ぷるで今年の相知くんちの様子が放送されています。
羽熊行列の奴さんの格好やしぐさは唐津神祭図そのものです。
更に山笠のお囃子、ヨイサーの掛け声、明笛、鳴り物は「鐘」でなく「鉦」。
興味は尽きません。羽熊が譲られた経緯などが社報に載っていると嬉しいですね。



Re: 社報 @神田中村 - 2005/11/23(Wed) 22:59 No.382  

社報番外編の「唐津新聞 熊原神社偏」も驚きの連続でした。
唐津神社の縁起譚が一部入っていますが、読み込んでみると
その始祖は唐津神社よりも歴史が古い???となると神功皇后征韓のくだりは
ここからスピンアウトしてきたのか???

などと楽しく妄想が広がっています(^^;)

・・・・・余談ですが今日見ていた相知くんち、ご祭神は「熊野神社」でした。



Re: 社報 山内薬局 - 2005/11/24(Thu) 00:43 No.383   HomePage

@神田中村さん
残念ながらぴーぷる見損ないました。
熊野信仰は全国各地で盛んだったようですね。

私が惹かれたのは、鵲のくだり。
私の子供の頃までは唐津ではほとんど見られなかった鳥ですが、最近では町田・城内・内町・外町と生活圏を広げているようです。
文禄慶長の役の時に鍋島公が持ち帰ったと父が教えてくれました。
20年ほど前、中国旅行をしましたが、北京の天安門にも居ました。天安門の脇のレストランの衝立には無数の鵲が乱舞する彫刻が施してありました。幸せを呼ぶ鳥だそうです。

唐津には太古から朝鮮半島から移り住んで帰化した人々が大勢居たと思われます。菜畑遺跡・桜馬場遺跡など。熊野原神社もその名残と言うことでしょうね。

かつてうちの前の郷土史家の岩下さんが唐津弁には朝鮮語に近いものが多いと申されておりました。この辺りは巣鴨さんがお詳しいのでしょうが、この松浦の地はなかなか面白いものが無数にあるようですね。

社報今後も楽しみにしていてください。



Re: 社報 山内薬局 - 2005/11/24(Thu) 23:45 No.387   HomePage

社報15号には「神と仏の民俗学」に出てくる「唐津神事思出草」が一面を飾っています。
また、裏面には雨乞いのことが書いてあり、明治10年、大正の初め、昭和6年に曳山を出しての雨乞い。明治10年のはまさにお供日さながら、更には鯛ヤマを泳がせたとまで・・・。



くんちもやっと終わり 投稿者:山内薬局 投稿日:2005/11/12(Sat) 22:18 No.350   HomePage


今夜はくんちの町内仕舞祝い
これでやっと今年の供日も終わります。
京町は町内仕舞祝いに奥さんやお母さん、子ども達が主役です。
無事に曳き終えることが出来たのも奥さんや子ども達のお陰。
写真は子ども達が曳山囃子をしている姿を感無量に聞いている町内の奥さんやOB先輩達です。
子供曳山囃子の後、例によって大人曳山囃子。フィーバーしてきました。



Re: くんちもやっと終わり @神田中村 - 2005/11/14(Mon) 15:37 No.351  

お疲れ様でした。皆さん良か笑顔ですね。おお、バックには垂れ幕が(^^)。

さて、この写真を見て思い出しましたが、素敵なHPを見つけました。
http://www.geocities.jp/sankyohou/

このHPの管理者様は京組の先輩殿に当たられますでしょうか。BLOGを読んでいてそんな感じが。



Re: くんちもやっと終わり 山内薬局 - 2005/11/14(Mon) 18:53 No.352   HomePage

@神田中村さん
サイト紹介ありがとうございました。
知りませんでした。@@さんがこんな立派なHPを作っておられたとは。早速うちのリンク集に。しかし、先輩ですから了承を得ねば・・・・。
お供日にはいつもカメラをひっさげて京町の前になり後ろになって着いてきておられます。1250年祭春祭りの写真も良いのがありますね。京町の正副取締ツーショット!



探しています 山内薬局 - 2005/11/15(Tue) 20:35 No.354   HomePage

唐津神社社報のバックナンバーを探しています。
まだ揃っていないもの
第3.5.6.8.18.19.21.24.25.48.57.58号
どなたかお持ちでしたらコピーさせて頂けませんでしょうか。

どの号も貴重な記録。
昭和38年の初供日、本殿に神祭図を架けて囃子の奉納をしたとあります。私も覚えています。本殿に七本の軸をかけてその前で囃子の奉納をしていました。当時は初供日も寂しいものでしたが、子供心に何とも良い初供日でした。



Re: くんちもやっと終わり @神田中村 - 2005/11/15(Tue) 22:58 No.355  

昭和38年と言えば、自分が生まれる一年前。
まだ曳山展示場も無く、神祭図は彰敬館に保管されていた頃でしょうか。

自分も現物を間近で見たことはありません。羨ましいお話ですね。お盆の閻魔寺みたいに年に一度だけでもご開帳願えないものでしょうか(^^;)。



Re: くんちもやっと終わり 山内薬局 - 2005/11/16(Wed) 18:21 No.356   HomePage

@神田中村さんご紹介のすばらしいサイト
管理人さんから了解を得まして唐津供日勝手にリンク集に加えました。

神祭図、初供日とは別に、毎年虫干しの頃に呼ばれまして、父に彰敬館へ連れて行って貰いました。そこで「絵物語」を聞かされていたというわけです。「もうそろそろ帰るばい」と父が口を切るまで時を忘れて食い入るようにして眺めておりました。
その後、唐津城天守閣が完成し、しばらくはそこに陳列してありました。その後曳山展示場が出来、そちらに落ち着きました。


はじめまして。 投稿者:みかん 投稿日:2005/11/07(Mon) 18:13 No.313  
子供に、唐津くんちの事を聞かれここにたどり着きました。
唐津くんちのことを書かれたホームページをいろいろ拝見したのですが、
黒獅子について余り詳しくわからず、
子供に”なんでなくなったのか”と聞かれ困っています。
夫婦共に県外出身のため。
小さな子供に、わかりやすい郷土本などあるのでしょうか。
よろしかったら教えてください。



Re: はじめまして。 山内薬局 - 2005/11/07(Mon) 20:33 No.314   HomePage

みかんさん
はじめまして

黒獅子の謎を尋ねられる子供さん、すっかり唐津っ子ですね。

「神と仏の民俗学」という本の中に、戸川宮司のご親戚の方が済州島から唐津を偲んで書き送った手紙が手がかりになるかと思います。

  黒獅子 紺屋町
名のみして今は昔の影も見ず深山かくりて思い絶えしか
此獅子は他の三者に比して大に見劣りせるが如し、一つは色の配合当らざるに起因せるならん。余の十二三歳の頃なりしならん其時他の町々と共に引廻り八軒町の東端に於て横倒れとなりどぶの中に陥入りて大に物笑ひとなりし事あり若者等もこれを耻とし夫れよりは祭時に列する事あり列せざる事ありていと冷淡なりしが終に廃絶となりしは若者等に於て遺憾なきか、唐津名物の歴史より見て復活するか他の製作を試みては如何

簡単に言えば、明治初期、お供日の時に八軒町の東端(恐らく現在の大手口交差点辺りではないかと?)で倒れてお堀に落っこち、他の町から笑いものにされて、引き上げはしたものの、次の年からは曳山を出す年もあれば出さない年もあり、ついに姿を消してしまったとさ。

こんな感じで良かったでしょうか?




Re: はじめまして。 みかん - 2005/11/07(Mon) 22:45 No.315  

回答ありがとうございます。
子供が、友達から川に落ちたと聞いたと言っていましたが、
本当だったのですね。
すっきりしました。
明日にでも、子供に話してあげようと思います。
また、おじゃまさせてください。



Re: はじめまして。 山内薬局 - 2005/11/08(Tue) 00:28 No.316   HomePage

川ではなくてお堀のドブです。
恐らく大手門をくぐり、橋を渡ったったところでバランスを崩して横倒しになり、そのままお堀に落ちたのではないかと思います。
曳山コースの変遷
https://tamatori.sakura.ne.jp/news/hikiyamako-su1.html

ここを見ながら想像してみてください。



Re: はじめまして。 ton - 2005/11/08(Tue) 10:05 No.318  

 通説では、明治20年代に宵ヤマの際に「ちょうちんの火が燃え移って炎上した」とされていました。

 しかし、唐津神社の縁者で故戸川真菅さんが昭和初期に記した「唐津神事思出草」が30数年前に唐津神社社報に発表。「黒獅子はみすぼらしくて、横転してどぶちはまり物笑いになった。以来、町では恥じて曳かなくなった」と書かれていますね。
 また、後日談として、「解体処分業者に売却。町田川に沈められ和紙をはがされ、酒代にされた」との悲しい末路の言い伝えもあります。

 今、原型をながめられるのは「唐津神祭行列図」(唐津市重要有形文化財)の中だけですかね?薬局屋さん。
 唐津市民会館の緞帳がその行列図ですので、伝説の「黒獅子」は、時を超えて唐津市民の前で生き続けているともいえるでしょうね。
 以前、黒獅子復活を望む人々を取材して、毎年行っていた新聞連載の一こまに4度も書いたことがありますので、薬局屋さんの話に付け加えさせていただきました。

 



Re: はじめまして。 山内薬局 - 2005/11/08(Tue) 23:38 No.322   HomePage

紺屋町の内野金網屋の古老がそのじいさんから聞かれた話(私はその話を京町の前々取締から聞きました)

宵山で提灯をつけて曳山小屋(旧山口商店・現在は駐車場になっています。山城屋の隣)から呉服町を通り大手門に差し掛かる時に獅子の毛に提灯の火が燃え移り、消すためにお堀に投げ入れたそうです。と言うことは肥後堀が埋め立てられる前、つまり明治24年以前。大手門は解放されていますので勝手曳き。各町思い思いに曳きだして神社前まで曳いて行っていた頃の話だと思います。

それ以前から紺屋町の黒獅子は評判が良くなく、町内の者は肩身の狭い思いで、その前提があり、提灯の火がついた時、思い切った行動が出来たのだと想像できます。

「唐津神事思出草」ではその後曳山を出す年もあり出さない年もあったと記してあります。引き上げられた黒獅子は恐らく獅子頭は何とか類焼を免れてはいたものの、一度お堀のドブに投げ入れられたので、ますますみすぼらしくなり、とうとう曳かなくなったのではないでしょうか。
紺屋町の太鼓は木綿町に譲られ、今でも使われているそうです。

唐津神社の総行事(神輿飾り・神輿納め)の当番町には紺屋町も入っています。
また、八百屋町も総行事の町です。

黒獅子はtonが書いているように、「唐津神祭行列図」(唐津市重要有形文化財)で見ることが出来ますが、それを元に青龍工房の福本画伯は得意の点描で黒獅子を見事に再現しています。中町角の青龍工房に行ってご覧ください。



Re: はじめまして。 ton - 2005/11/09(Wed) 02:34 No.323  

 ふむふむ。失火説にもやっぱり信憑性もあるかもねえ。
でも、燃えていたら、劇的な大ニュースですから、唐津神事思出草にも、そのあたりの記事は絶対に入れると思うし、唐津っ子のなんらかの文書、誰かの日記に書き記されていてもいいように思うなあ。

 ばってんが、唐津神事思出草だって、昭和初期の記述。事件は40、50年前に起こったことだからなあ。そいでも、やっぱり火は人間誰だって興奮するから、絶対に書き残すっちゃなかろうかねえ。

 日本最初の日刊新聞が明治3年の横浜毎日新聞(今の毎日新聞とは別ものです)。明治10年に西日本新聞の前身の筑紫新聞が創刊。明治13年には福岡日日新聞として報道活動を行っとるとばってん、そんときに唐津に福日の記者がおれば、真実ヴぁ書いっとたろうにねえ。残念ヴぁい。

 それにしても、「黒獅子伝説」は、悲しい末路にしろ、なんか唐津っ子の探究心をくすぐり、ロマンを感じさせますねえ。

 赤獅子のペアが青獅子。金獅子のペアが銀獅子。銀箔が酸化して黒獅子になったという説もありますが、さて、どうでしょうかねえ。
 いずれにしろ、黒獅子は失敗作だった。もしくは、修復費用がなかったのか?(つい最近までは、修復費用は全部町内負担ですけんねえ)



Re: はじめまして。 ton - 2005/11/09(Wed) 02:42 No.324  

 紺屋町の太鼓は練習用で確かに木綿町さんが使っておられます。ちゃんと、太鼓に「紺屋町」って書かれてました。(と、記憶しとります)


Re: はじめまして。 おじゃが - 2005/11/09(Wed) 08:05 No.325  

知り合いのおじいさんの記憶は襖絵のとは微妙に違い『鉢巻は紅白だった』との事。
真っ黒い顔に角があって紅白の鉢巻だった為に置物のコッテ牛に見えていたと。



Re: はじめまして。 山内薬局 - 2005/11/09(Wed) 21:27 No.327   HomePage

こんな感じかな?



Re: はじめまして。 @神田中村 - 2005/11/11(Fri) 00:44 No.334  

おお。いい感じに紅白だ(^^)。
ちなみに、やはり黒獅子の消失原因は「思出草」にあるとおりだと思われますね。
伝説では、獅子ヤマの中で最も小さくしかも黒かった為に見栄えがせず、更に大きな鼻に似つかわしくない小さな目と
お世辞にも格好のいいヤマとは言えなかったらしいです。
そこへもってきて目の前には最も大きく最も見栄えのする金獅子・・・当時の紺屋町の曳子たちはかなりモチベーションが下った事でしょう。
愛着が無くなってうち捨てられた背景はこんなところだったのかもしれません・・・。

別の文書ですが、実は金獅子も髪に火が燃え移ったボヤ騒ぎを起こしています。この話が黒獅子焼失話にすり替わったのではないのかと自分は睨んでいます。



Re: はじめまして。 ton - 2005/11/11(Fri) 22:57 No.344  

な〜るほど。金獅子の髪の毛出火説ですかあ。これは初耳でしすが、その事件と黒獅子出火説への話のすり替わり方が、いかにもありがちで、ものすごく説得力がありますね。勉強になりました。


そういえば・・・ 投稿者:かっちゃん 投稿日:2005/11/11(Fri) 14:16 No.337  
よく見たら神祭行列図の神輿の位置は魚屋町と大石町の間ですが、今は材木町と呉服町の間に入っていってますよね。これは時代の流れでこのようになったのか、それとも何か意味合いがあるのでしょうか??? ちょっと気になったもので・・・


Re: そういえば・・・ ton - 2005/11/11(Fri) 14:36 No.339  

 あ〜、それ取材したことあります。え〜と。

 忘れた。取材ノートどこにあるかなあ・・・。

 確か、材木町が関係していたと思うヴぁってん。最初は青獅子の後に神輿があったっちゃなかったですかね。それが、亀がうるさいもんやから、「あんたたちが先にいきやい!」ということじゃあなかったかいなあ。

 そんで、今度は亀の青獅子の髪舐め事件に発展。長年、町内紛争のもとになっとったヴぁってん、そいが大爆発したのが、昭和50年代の大事件。ヴぁってんが、中正会と材若会の歴史的手打ち式が行われ、今でも年に一度の親睦会で近隣紛争は収まったということですヴぁってん、神輿のくだりは、あいまいです。



Re: そういえば・・・ 山内薬局 - 2005/11/11(Fri) 16:37 No.340   HomePage

曳山のはなし
https://tamatori.sakura.ne.jp/syouemon.htm
神輿と曳山の順列(1)
これをご覧ください。

安政六年九月二十七日大年寄から各町の年寄に配布された神祭関係の文書が記述されている。
 その文面に、
 引山順番=一の宮・江川町・塩屋町・木綿町・京町・米屋町・二の宮・刀町・中町・材木町・呉服町・魚屋町・大石町・新町・本町
 注意書の中に年寄・組頭中は麻上下着用にて御付添可相成と、あるが、神社総代の服装については一言も記入されていない。これは年寄組頭等が当然氏子総代に任じられ曳山とともにお伴することになっていたためではなかろうか。神祭行列図には上下を着けた十数人の参列者が画かれているが、これが氏子総代神社総代であろう。
 三年後の文久二年九月二十八日付の文書に当年引山順左の通りと記す。
 江・塩・刀・中・材・呉・米・一の宮・魚・大・新・本・紺・木・京・二の宮
 右のように安政六年の順序と可成り違っている。従って、曳山の順は、その年、その年によって決められていたようである。西の浜の神祭行列図に描かれた順序は魚屋町を主題に画いたものだから、作為のある順序になっていると想像できる。
 元治元年信玄の兜ができ一閑張漆塗の曳山が十台揃った機会に十台の中間、五台目と六台目の間、即ち、鯛ヤマと鳳凰丸曳山の間に一の宮・二ノ宮の輿をおき、江・刀・中・材・呉・魚・一の宮・二の宮・大・新・本・紺・木・塩・米・京と順序を決め、さらに明治二年、平野町・米屋町の一閑張の曳山ができた折に、江・刀・中・材・呉・魚・一の宮・二ノ宮・大・新・本・紺・木・平・米・塩・京と順序を定め、明治八年京町の珠取獅子ヤマができ、翌明治九年江川町・水主町の曳山が加わり、江川町と水主町の紛争の結果、大石神社の神輿が行列に加わるようになってから、神輿に先駆するとされる獅子舞の獅子頭二台が先頭に並び、つヾいて神を運んだと伝えられる亀(当時は宝珠を負っていた)という因縁のある製作年代順に並び、つヾいて守護の武将源義経の兜というように、奉納順に永久的に決定した。
 つまり、刀・中・材・一の宮・二ノ宮・呉・魚・大・新・本・大石神社神輿・紺・木・平・米・京・江・水となった。ただし、紺屋町ヤマは明治二十二年まで、また、江川町と水主町は隔年順序交代となっている。

だそうです。



Re: そういえば・・・ かっちゃん - 2005/11/11(Fri) 20:03 No.341  

tonさん、面白い話をありがとうございました。
この掲示板、いろいろと曳山の逸話を知ることができるので楽しいです。

管理人さん、そうでした! ちゃんと「曳山のはなし」にも記述してありましたね! ということは現在の一閑張りの曳山が揃ってから神輿の順序も今のように整えられたという事になりますね!



Re: そういえば・・・ ton - 2005/11/11(Fri) 21:14 No.342  

戸川さんを取材したときに、以前は中町と材木町の間だったっていうことを聞いたような記憶がよみがえったきたばい。戸川さんに聞いてみてん?


Re: そういえば・・・ ton - 2005/11/11(Fri) 21:17 No.343  

 記憶違いかもしれんばってん・・・。そんときは、ごめん・・・。


はじめまして 投稿者:珠取大好き 投稿日:2005/11/08(Tue) 10:39 No.319  
いつも楽しく拝見しています。長年の珠取ファンです。ずっと不思議に思っていたことですが、お旅所にいる時に曳山の尻尾が取り付けてありますが、いつどなたが浜まで持っていかれてるのでしょうか?素朴な疑問で申し訳ございませんが、よろしかったらお聞かせ願えますでしょうか?


Re: はじめまして 山内薬局 - 2005/11/08(Tue) 18:08 No.321   HomePage

よくぞ聞いてくださった。
尻尾係というのがおりまして、2日曳山の飾り付けをする時に、御旅所近くの知り合いの家にお世話になり尻尾を置かせて貰います。3日曳き込みが終わった時点で尻尾係はその家に尻尾を取りに行き曳山の上に乗せます。
曳き出す時には尻尾を下ろし、曳山に積んで京町に戻ります。
翌4日の朝、尻尾を積んで神社に向かい、尻尾は展示場に納めます。

京町以外でも御旅所で飾りをするところがありますよ。
ご存じでしょうか?



ありがとうございました 珠取大好き - 2005/11/09(Wed) 10:29 No.326  

大変勉強になりました。ぜひ来年は、お旅所で尻尾の乗せ下ろしを見てみたいと思います。ありがとうございました。また何か知りたいことがあれば投稿させていただきます。


Re: はじめまして 山内薬局 - 2005/11/09(Wed) 21:52 No.328   HomePage

珠取大好きさん
来年の御旅所楽しみにしていてください。

他にも大石町は纒を、江川町は打ち出の小槌と旗だったかな?
かつては呉服町の義経の兜、大鍬形に替えていました。
京町も尻尾を取り付けて、更にセンギを上げていた時もありました。

御旅所は聖地。ここで各町の曳山は完全な形で明神台を賑わわせるわけです。

来年の供日まであと357日



Re: はじめまして フックン - 2005/11/10(Thu) 10:26 No.330  

江川町は打出の小槌と、軍配団扇と、小旗をつけています。
鳥居もつけよったかな?



Re: はじめまして かっちゃん - 2005/11/10(Thu) 14:41 No.331  

江川町はお旅所では鳥居はつけとらんよ。



Re: はじめまして 山内薬局 - 2005/11/10(Thu) 18:23 No.332   HomePage

フックン・かっちゃん
どうもありがとうございました。
よそん町んこたいっちょんわからんとです。

江川町に鳥居は付けとらしたごたるとん。
じゃん?



Re: はじめまして おじゃが - 2005/11/10(Thu) 22:49 No.333  

鳥居は展示場にお留守番だった気がするけれど・・・・・・


Re: はじめまして @神田中村 - 2005/11/11(Fri) 01:00 No.335  

鳥居はどうでしたっけ・・・?また要確認事項が。

江川町以外では・・・
呉服町〜大鍬形差し替え(現在は軽量鍬形の登場で無くなりました)
魚屋町〜アゴを絞って固定。
大石町〜縁輪の大纏を飾りつけ
木綿町〜天満座の取り付け
京町〜尻尾の取り付け
水主町〜綱引きセンギ上げ・胸鰭開き

・・・・・他にもありましたっけ(^^;)



Re: はじめまして 弁慶 - 2005/11/11(Fri) 09:42 No.336  

呉服町、義経の兜センギを一番高く上げています。
他所の町のことは解りません。(;^^A



Re: はじめまして かっちゃん - 2005/11/11(Fri) 14:28 No.338  

材木町もセンギを高くしてるみたいです。
新町は曳行中の高さでアゴを固定します。