唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第94号  平成19年4月1日発行
発行人 戸川 惟継
編集人 戸川 忠俊
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
平成十八年十月三十日唐津曳山市役所前広場に勢揃いし御奉迎。


◎全国豊かな海づくり大会に御出席のため、十月二十八日〜三十一日のご日程で佐賀県入りされ、
有明海と玄界灘をご覧になった。
諸業繁栄祈願
春季例大祭
4月29日(日・昭和の日 祝日)
奉納神賑行事
浦安の舞・曳山社頭勢揃・池坊生花
五穀豊穣祈願
式年遷宮を
  ご存じですか

伊勢神宮とは
 「お伊勢さん」「大神宮さん」ともいわれる三重県の伊勢神宮は、皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)を中心とする、日本で最も貴い神社です。皇大神宮は内宮(ないくう)とも呼ばれ、皇室のご祖神であり、日本人の総氏神でもある天照大御神(あまてらすおおみかみ)をおまつりしています。豊受大神宮は外宮(げくう)とも呼ばれ、天照大御神のお食事をつかさどる豊受大御神(とようけのおおみかみ)をおまつりしています。日本人の主食であるお米をはじめ、衣食住のめぐみを与えてくださる産業の守護神でもあります。

日本の源郷
   伊勢神宮

伊勢神宮のおまつり
 神宮のおまつりは天皇陛下の祭祀です。皇居で歴代天皇さまによっておまつりされていた天照大御神を、約二千年前に伊勢の地におまつりして以来、神宮では天皇陛下の大御心のもと、皇室の平安と国家の繁栄、国民の幸福を祈る、年間千数百に及ぶおまつりがつづけられています。
 神宮のおまつりは、毎年行われる十月の神嘗祭(かんなめさい)、六月・十二月の月次祭(つきなみさい)などの 「恒例祭」、皇室・国家・神宮の重大時に臨んで行われる「臨時祭」、二十年に一度、大御神さまに新宮にお還りいただく「遷宮祭」とにわけられますが、これらの諸祭のうちで最も重要なおまつりが式年遷宮です。
臨時祭
 天皇陛下の御参拝は、皇室・国家の重大時に際して行われます。両陛下には、平成の御代に入り三度御親拝されています。
恒例祭
 毎年行われるおまつりで、十月の神嘗祭を中心に、六月・十二月の月次祭など種種の祭典と恒例式が行われています。
 なかでも一年中で一番大切な神宮のおまつりは、その年の新穀を大御神さまに供えて感謝の祈りを捧げる神嘗祭です。
遷宮祭
 二十年に一度、御正殿を始め御垣内の諸殿舎をすべて新しくお建て替えし、正殿内の御装束・神宝をすべて新しく調えて、新しい御殿へ大御神さまにお遷りいただく、神宮の諸祭のうちで最も重要な祭典です。
懸税(かけちから)
 御正宮の玉垣には、天皇陛下が皇居の御田で自ら育てられた御初穂とともに、全国から奉献された稲穂の束がかけられます。この神前にかけられた稲束を懸税(かけちから)といいます。
伊勢神宮の衣食住
 神宮では二千年にわたり神さまへのまごころを表すためにおまつりが行われています。悠久の時を超えて、国家の安泰・国家の幸福などが日々祈られています。
 「食」は毎月、「衣」は季節毎、「住」は二十年に一度。神宮では神様にお供えされる「衣」「食」(神饌)「住」(御社殿)など、すべてが自給自足でまかなわれています。紀伊半島の豊かな自然環境のなか、多くの人々の心を込めたご奉仕によって、神さまの衣食住はととのえられています。
衣−神さまの御装束
 神さまの衣服を神御衣(かんみそ)といいます。
 神宮では毎年春と秋、天照大御神に絹(和妙)と麻(荒妙)を奉る「神御衣祭=かんみそさい」が行われます。絹は(神服織機殿神社=かんほとりはたどのじんじゃ)で、麻は (神麻続機殿神社=かんおみはたどのじんじゃ)で織られます。神御衣の織りたてが終了すると、五月・十月の十三日に滞りなく奉織できたことを感謝するおまつりが両機殿神社で行われます。そして和妙・荒妙の神御衣は内宮に護送されます。
食−神宮の神饌
 神宮のおまつりの主旨は、「今年も豊作で国家・皇室が安泰で、国民が平和に暮らせるように」ということです。そのおまつりに欠かせないのが神さまにお供えされる神饌です。
お 米
 伊勢市楠部町にある神宮神田(じんぐうしんでん)では、神代の昔、大御神が天孫瓊瓊杵命に託されたごとく、お田植祭がおごそかに斎行されます。そして秋には稲刈りの「抜穂祭=ぬいぼさい」が行われます。
野 菜
  野菜と果物は二見町の神宮御園(じんぐうみその)で約百種類栽培されています。一年を通じて、各祭典ごとの野菜・果物の種類やサイズが定められており、清浄栽培はもちろんのこと大変な奉仕です。
アワビ
 神宮の神饌の代表はアワビです。アワビの身を薄く剥ぎ乾燥させた慰斗(のし)アワビを切り分け束ねた身取鰒(みとりあわび)や、慰斗アワビを藁紐(わらひも)に梯子のようにはさむ玉貫鰒(たまぬきあわび)などが、鳥羽市の神宮御料鰒調製所で奉製されています。
土 器
 神饌を盛る食器=カワラケは、多気郡明和町の神官御料土器調製所で奉製されます。六寸(約十八センチ)、四寸、三寸の土器、御盃台、御箸台、酒壷、水碗、土塙など、一年間に約八万個が作られます。
干 鯛(ひだい)
 干鯛は愛知県知多郡南知多町の篠島で作られます。ここには神宮御料干鯛調製所という施設があります。長期保存のため塩で固められ、天日干された鯛の干物は、一年間で大小あわせて約五百尾使用されます。
御 塩(みしお)
 伊勢市二見浦汐合にある塩浜で、神事に用いる塩は作られます。「入浜式塩田」の古式のままに、夏の土用に濃い潮水を取り、釜で荒塩に煮つめ、さらに三角錐の型に入れ堅塩に焼き固められます。
日別朝夕大御饌祭
 外宮(げくう)では千五百年余り毎日かかすことなく二度、天照大御神をはじめとする神々にお食事を奉るおまつりが行われています。毎朝、潔斎をすませた神職が、古代の火きり具によって火をおこし、神饌を調理します。「日別朝夕大御饌祭=ひごとあさゆうおおみけさい」と称されるこのおまつりは、数ある神官のおまつりのなかでも、最も古い起源を持つとされています。
住(神宮の建築)
 神宮の建築は「唯一神明造=ゆいいつしんめいづくり」と呼ばれます。
 堀立柱に萱の屋根、切妻造りの平入、屋根には千木鰹木(ちぎかつおぎ)が並ぶ、清楚で荘厳なたたずまいで、その原型は古代の穀倉、高床式倉庫といわれています。
 こうした建築様式は、二十年に一度の「式年遷宮」という造替(お建替え)制度によって、現代にまで伝えられています。

 式年遷宮
 神宮には内宮・外宮ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、二十年に一度同じ形の社殿を新しく造り替えます。また神さまの御装束・神宝も新しくし、大御神さまに新殿へお遷りいただくおまつりが式年遷宮です。遷宮とは新しいお宮を造って大御神さまにお遷り願うことで、式年とは定められた年限を意味します。
 なお両宮の十四の別宮や内宮の宇治橋なども造り替えられます。式年遷宮は日本で最大最高のおまつりです。
一、六十二回の歴史
 式年遷宮の制度は、今から約千三百年前に天武天皇の御発意によりはじまり、次の持統天皇の四年(西暦六九〇年) に第一回が行われました。長い歴史の間には一時の中断(戦国時代)や延期などはあったものの、これまで二十年に一度繰り返し行われて来ました。
 そして愈々平成二十五年には第六十二回の御遷宮が斎行されます。
二、永遠の祈り
 なぜ二十年かという定説はありませんが、その理由はいろいろ推定されます。
 まず、二十年というのは人生の一つの区切りとして考えられるでしょう。また、技術を伝承するためにも合理的な年数とされていますし、掘立柱に萱の屋根という素木造の神宮の尊厳さを保つためにもふさわしいとされています。他にも中国の暦学が伝わったという説などいろいろありますが、なによりも大切なことは、二十年に一度造り替えられる常に新しくみずみずしいご神殿で、永遠に変わらぬおまつりが執り行われるところに、その大きな意義があるのではないでしょうか。
三、二十年に一度の再生
 今の建築技術からすれば勿体ないように思われますが、神宮の式年遷宮は建築物の朽損が理由ではありません。この制度が定められたとき、すでに奈良の法隆寺は建てられていました。当時の技術で立派に永久的な社殿は造れたはずです。しかし、神宮の「唯一神明造」は、いつでも新しく、いつまでも変わらぬ姿を求めて、二十年に一度造り替えることにより永遠をめざしたのです。
 世界中には永遠をめざした石造りの古代神殿がいくつかありますが、しかし原初のスタイルを今日まで残しているのは神宮のみです。その理由は、式年遷宮を通じて社殿が新築され、今も昔も変わらぬまま毎日おまつりがなされているからです。
 二十年に一度生まれかわる発想、これは世界のどの国にも見られないものです。
四、一万本の檜(ひのき)
 遷宮に必要なご用材の檜は約八千五百立方メートル、一万本余りです。なかには直径一メートル余り、樹齢四百年以上の巨木も使用されます。今次の遷宮において、全て櫓材を使用した先例を見直し、社殿以外の施設部材の一部に限り、檜材の代替材としてヒノキアスナロが用いられます。
 また御用材の約四分の一が宮域材を以って充てられます。昔は神宮備林が木曽の山にあったのですが、今は国有林となり、次第に良材を調達するのが困難となっています。そこで神宮では、昔のように宮域林でまかなえるように大正十二年から二百年計画で檜の造林事業を進めています。今回はその宮域材がはじめて使用されます。
五、無限の資源利用
 式年遷宮では大量のご用材が伐採されます。伐り出されるご用材は丁重におまつりされ、たくさんの奉仕者によって伊勢まで運ばれ、新たな生命を宿します。そして伐採された後には苗木が植えられ、大切に育てられます。
 一方、遷宮で使用されたご用材は、地震や自然災害などで被害を受けた全国の神社に撤下されたり、移築されたりして活用されます。またご神宝類の一部も全国の神社に下附されます。
 第六十一回式年遷宮後の古材は、全国百六十九社の神社に譲り渡されました。
循 環
 内宮御正殿の棟持柱は宇治橋の内側、外宮の御正殿の棟持柱は外側の鳥居として二十年間用いられます。さらに内側の鳥居は旧東海道の関の追分(鈴鹿市関町)へ、外側の鳥居は桑名の七里の渡し場(桑名市)に移築され、計六十年間にわたって使用されます。

 平成二十五年の第六十二回式年遷宮には、総額五百五十億円の経費が見込まれています。その内、二百二十億円を財団法人伊勢神宮式年遷宮奉賛会で募財する運びとなりました。
 約一万本の檜材の伐り出しに始まり、その奉曳、建築、神さまの遷御と続く遷宮諸祭は、実に八年の長きに亘ります。またこの間、国宝級の職人方が持てる技術と精神を傾注した、御装束・神宝の調度も同時に進めなければなりません。
 どうして日本人は、このおまつりにこれ程までの労力と経費をかけてきたのでしょうか。
 それは、神官こそ日本人の心の源郷、原点であって、これに変革を与えるということは、日本人の文化意識や民族意識をも希薄化せしめるものと、潜在的に自覚してきたからに違いありません。
 神宮の社殿建築こそまさに日本建築の原点であって、御装束・神宝の奉製には、世界に冠たるハイテク国家・日本の、細部にまでわたる物作りの原点があります。そして神宮のリサイクルを基本とする循環型システムは、世界規模で進んでいる環境破壊への警鐘と、それを解決してゆくための知恵がちりばめられています。そういう意味においても式年遷宮は、単に神宮に留めおくものではなくて、世界に広く発信すべき宝とも言うメッセージ性を含んでいます。
 一本の御神木に、一個のお白石に、全国の人々の厚いまごころと祈りが込められています。そのまごころの結晶が神宮の神域をさらに神々しいものへと構築してゆくのです。我々の祖先が一所懸命守ってきた大切なおまつりを、私たちは御世に残していく務めがあります。
 各都道府県に奉賛会の地区本部が結成されます。皆さま方の神社の宮司さん・総代さんなど関係者が、いずれ奉賛のご依頼に参ると存じますので、その節には、皆さま方のまごころを何卒宜しくお願い申し上げます。

曳山関係
◎親睦スポーツ大会−米屋町当番で、五月十三日に開催(ソフトボール大会)
◎囃子練習会−毎月九日、午後七時三十分〜午後九時まで。唐津神社拝殿。
神社庁関係
◎改選−本年は改選の年。
 左の通り選任されました。
佐賀県神社庁
  唐津市地区支部
支部長  八島 弘直 再
   (唐津天満宮 宮司)
副支部長 鳥越 友彦 再
    (湊疫神宮 宮司)
事務幹事 戸川 忠俊 再
    (唐津神社 禰宣)
佐賀県神社総代会
  唐津市地区支部
支部長  宮崎  晃 再
    (唐津神社 総代)
副支部長 瀬川 金馬 再
   (熊野原神社 総代)
佐賀県神社庁
庁 長  草場 昭司 再
副庁長  東  正弘 新
 〃   武雄 哲司 新

もう一つの「唐津くんち」

 東京に(正確には神奈川県だが…)唐津出身の学生のための寮があることをご存じだろうか?その名も『久敬社塾(きゆうけいしゃじゅく・論語の「友ありて、久しゅうして良くこれを敬す」が名前の由来)』という。ここでは毎年十月になると「千代ヶ丘祭」また「東京唐津くんち」というもう一つの唐津くんちが行われる。
 曳く曳山は赤獅子(写真参照)。もちろん作り物であるが、良くできている。唐津の曳山が、和紙を漆で塗り固めて作られているのに対して、この久敬社塾の曳山は新聞紙を糊とペンキで塗り固めて作られている。毎年十月が近づいて来ると、塾生総出でこの曳山のペンキを紙ヤスリで剥ぎ落とし、
また新たにペンキを塗る。つまりこの曳山は毎年塗り替えを行っているのだ。また、それと時を同じくして夜七時頃から囃子の練習が始まる。
 私が久敬社塾にいた頃は地元の子ども達も練習に加わって、慣れぬ手つきで笛鉦太鼓を触っていたのを記憶している。普段この曳山は解体されて、頭の部分(?)のみ塾舎の玄関にドーンと置かれている。なので、大学の知り合いが塾に遊びに来た時は、必ずこの赤獅子の存在に驚く。中には酔っぱらった友達が、何の訳あってかは知らないが、赤獅子の前で土下座をしたまま寝ていたとか…。
 余談はさておき、この十月に行われる「千代ヶ丘祭」並びに「東京唐津くんち」は地元の人、また東京近辺在住の唐津出身者の皆様を招いて行われるもので、「東京で曳山を見て、お囃子を聴けるなんて懐かしい」と泣く東京在住の唐津出身の方もいらっしゃる。また、このお祭り前後には三輪車に紐を付けて「エンヤーエンヤー」と言いながら遊ぶ、くんち大好きのちびっ子がいたりして、「鳴呼、子どもの考えることは皆一緒なんだなあ」と関心するとともに、「唐津くんち」というお祭りが持つ一種独特の雰囲気を誇りに思ったりしたものだ。
 このような話を書こうと思ったのは、毎年正月に久敬社塾の学生が唐津神社に助勤に来るのであるが、その時に「千代ヶ丘祭」の話を聞き、また、ホームページに写真を掲載しているという話を聞いたからである。知る人ぞ知る「もう一つの唐津くんち」皆様ご存じだったろうか?

久敬社ホームページ

http://kyukeisha.turukusa.com/

総代異動
坊主町
    下平 義男 退任
大名小路
    麻生 博之 帰幽
    佐久間太郎 新任
山下町
    繁田  進 退任
桜馬場
    吉田  實 退任
    水上 廣喜 新任
山下町
    保利 満彌 新任
    智田 順一 新任
南富士見町
 (元)櫻井 博美 帰幽
坊主町
    吉岡 邦奉 新任
木綿町
    力武 定夫 退任
呉服町
    松尾 武彦 新任
inserted by FC2 system