唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第93号  平成18年10月1日発行
発行人 戸川 惟継
編集人 戸川 忠俊
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
奉祝  秋篠宮悠仁親王殿下
御誕生 平成18年9月6日

 九月六日、秋篠宮殿下の第三子として御誕生になった親王殿下の命名の儀が、一般のお七夜にあたる十二日午後、秋篠宮妃殿下と親王殿下が御入院されている東京都港区の愛育病院でおこなはれた。
 「命名の儀」は午後三時三十五分から、病院の個室でおこなはれ、秋篠宮殿下が親王殿下のお名前を「悠仁」(ひさひと)、お印を「高野槇」(こうやまき)と、それぞれ毛筆で 「大高檀紙」と呼ばれる厚手の和紙にしたためたものを、両殿下が順に確認された後、宮務官が白木の桐箱にをさめ、悠仁親王殿下の枕元に置いた。
 宮内庁によれば、両殿下は「ゆったりとした気持で、長く久しく人生を歩んでいくこと」を願ひ、今年七月頃から考へ始められ、天皇・皇后両陛下と御相談の上、「ひさひと」という音に合ふ漢字を探して決められたといふ。
 お印は、皇族が身の回りの物に名前代はりに付けるもの。
 「高野槇」は高さ約三十〜四十メートルにも育つ常緑針葉高木で、両殿下は「大きく、まっすぐ育ってほしい」との気持をこめて選ばれたといふ。
 悠仁親王殿下の御名前は、週明に「皇統譜」に登録される。
 (平成十八年九月十八日付・神社新報ヨリ転載)
唐津神祭
十月九日 (月・祝)
 ◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日 (日)
 ◎午前九時 神輿飾ノ儀
   一ノ宮 中町
   二ノ宮 木綿町
 ◎午前十一時 本殿祭
十一月二日 (木)
 ◎午後七時三十分 宵曳山曳出
  各町曳山万灯をともして社頭勢揃(午後十時頃〜)
十一月三日 (金・祝)
 ◎午前五時 神田獅子舞奉納
 ◎午前九時 発輿祭
 ◎午前九時三十分
       ☆御神幸発輿 (煙火五発合図−市内一巡)
 ◎正 午 御旅所祭
 ◎午後三時 還 御
       ☆御旅所発輿 (煙火五発合図−曳山は町内へ)
十一月四日 (土)
 ◎午前十時三十分 翌日祭
  曳山社頭勢揃の後曳出
 ◎午後二時三十分 米屋町曳出
 ◎午後四時 江川町通曳出
 ◎午後五時頃 曳き納め (曳山展示場へ=煙火五発)
十一月五日 (日)
 ◎神輿納ノ儀
  一ノ宮 材木町
  二ノ宮 京町
新聞に見る唐津くんち
 昭和二十六年、日本はサンフランシスコ条約・日米安全保障条約を締結し、翌昭和二十七年、日本は主権を回復した。その当時、唐津くんちがどのようだったのか、新聞記事からご紹介したいと思う。当時、唐津神社宮司(戸川惟継)は六歳進駐軍に「へい!ちゅーりんがむ!」とネダッタ記憶があるとか。
 当時、唐津くんちは十月の二十九日三十日の二日間にかけて行われていた(ちなみに当時の宵山は二十九日の午前零時からの勝手曳き)。

【毎日新聞 昭和二十七年十月二十四日(金)の記事より】
 「唐津名物山笠祭り近づく」
 二百年の伝統を誇る唐津名物山笠まつり″は二十九、三十両日刀町の赤獅子を先頭に金銀朱碧色とりどりの山笠十四台がそろい、けんらんな祭り絵巻を繰りひろげるが、今年はとくに独立日本を祝って各町内とも非常なハリキリ方で毎夜遅くまで山ばやしのけい古に一生懸命、街は早くもお祭り前奏曲を呈している。

【佐賀新聞 昭和二十七年十月二十七日(月)の記事より抜粋】
 「お供日野菜は豊富
    唐津三月倒れ
       魚は値上か」
 唐津ッ児の血を湧かす唐津供日はいよいよ二十九、三十の両日、豪華けんらんの山笠行事とともに “三月倒れ”といわれる饗宴のごちそう準備にお台所は大童だがお供日用の魚と野菜類はどうだろうか三魚市場と両果菜市場に聴く魚菜事情。
 魚…海上時化の関係かまた供日用としての入荷が少ない、二十七日ごろからどっと入る予想で期待している、やはり二十八日、九日が最盛期で三市場で六千貫(一貫は3.75キロ)程度の水揚げを見込んでいる、この取引高が約一千万円、煮付用のアラ、鯛、刺身用のブリなど大物はやはり二十八日、九日に入るのが通例、二十六日ごろまでの値段は大鯛百五十円、小だい七、八十円台、あら(生き物)百円、ぶり八十円、えび百五十円、青物二十五円〜三十円といったところ
 野菜…神祭用の野菜はどっさり入荷、値段も平常と変わりありません≠ニおくんちを控え唐津市内両青果市場の報告は次のような明るい野菜事情である、二十五、六日の入荷量はレンコンが本場の福富村一日二千貫内外、大量入荷で上七円という安値、里芋八円五十銭〜七円

【毎日新聞 昭和二十七年十月二十九日(水)の記事より】
「唐津おくんちはじまる」
 エンヤ、エンヤ、ドンチンチン、暁闇をついて三ばやしの太鼓一きわさえる二十九日午前一時肥前路の名物唐津おくんち″がはじまった。各町の山笠十四台が威勢よく深夜の街を練りながら明神様に集結、かくて百三十年間続いた唐津おくんちのお祭り絵巻が今年も二十九、三十両日繰り展げられ同市はごった返す大にぎわい。

【唐津新聞 昭和二十七年十月三十日(木)の記事より】 (一部漢字等新字に改めあり)
 「掉尾を飾る唐津ぐんち」
 「練る二万両の山笠 けんらん目を奪う十四台」
 「繰り展げた豪華版」
 唐津ぐんちの第一日目である二十九日は午前一時ごろから材木町をはじめ提ちんに飾された町の山笠はあかつきの闇をついて三つばやしもにぎやかにぞくぞく唐津神社の社頭に乗り込み午前九時煙火を合図に刀町(赤じし)を先頭に中町(青じし)材もく町(浦島と亀)呉ふく町(義経の兜)魚や町(たい)大石町(ホウオウ丸)新町(飛龍)本町(金じし)き綿町(信玄の兜)平野町(けん信の兜)米や町(酒呑童子と頼光の兜)京町(たまとりじし)水主町(しゃち)の順で江川町(じゃ寶丸)を殿とし、金銀青丹の豪華けんらん眼を奪うような「二万両の山笠」は唐津神社および大石大神社の神輿をさしばさんで太鼓、鐘、笛の三つばやしに乗せ、揃いの衣しょうの曳子によって一斉にひき出され、近郊近在から押しよせた、五万にのぼる山笠見物の雑踏を縫い大手通から一路県道を東に練り、材木町を経て東三角屋敷角を曲って市道水主町大石町通りに入り、新町角から刀町、大手口に帰り、唐津校前通を西に向って裏坊主町から西の濱に出て、車じくを没する砂濱の引込みに唐津くんち特有の壮観を展開したが、一方唐津大石大両神社では神輿の御旅所到着をまって直ちに秋祭りを厳修、戸川唐津神社、八島天満宮両宮司によるおごそかな祭典が執行われ、午後三時から再び一せいにひき出し全市を練って各町に引きあげた、この中やまがさ製作七十七周年の喜寿を迎えた水主町(しゃち)江がわ町(じゃ寶丸)では自祝のもちまきを行った

【唐津新聞 昭和二十七年十月三十日(木)の記事の続き】 (一部漢字等新字に改めあり)
「押しかけた人出五万」
「迷い子二十三人・喧嘩十三組」
 唐津供日第一日の二十九日朝のうち気づかわれた空模様もひるすぎからカラリとはれて絶好の祭日和に山笠見物の人足は国鉄唐津筑肥両線臨時ダイヤの列車からバスから続々と神輿進発時の午前九時頃からはやくも唐津神社・明神小路・大手口一帯は人のうずをまき山笠沿道も人人人、ひるすぎの人出は約五万、唐津市内はおくんち客の人海化した
 明神広場を中心にサーカスや各種見世物露店がズラリと立ち並びジンタの音やのぞき目がねの昔なつかしのメロデーなどお祭り気分をかき立てたが、駐留軍関係の家族連れや、またこのほど来唐した米人宣教師パーマー氏夫人ドーラさんが日本の着物姿で神祭の街にあらわれるなど異色の一コマも人目をひいた
 さて一年を秋まつり二日で稼ぐといわれる唐津神社のおさい銭の上り工合は?一圓紙幣や五圓のアルマイト貨が断然多く十圓札や百圓札などハリ込む者は数えるくらい、財布のヒモはひきしめる社会断層がうかがわれ神様もアテが外れたといったところ

 さて、いかがだろうか?
この他、当時(昭和二十七年)の新聞には、唐津くんちに合わせた大売出しや催し物の宣伝が踊っている。
例えば、「砂糖一袋(一斤)が当たる 神祭福引大売出し」と宣伝を打ったのは『ヤマトヤ』さん。「おくんち用のお酒は電話六八六番へ!」と打ったのは 『伊藤又酒店』さん。石炭商の『下平商店』さん、舞鶴橋施工の『間組唐津出張所』(舞鶴橋は翌年の昭和二十八年五月十六日に開通)、その他、『タマヤ』(京町)・『池田屋』(大手口)・『みやこや支店(呉服町)』 などの衣料品店をはじめ、たくさんの広告がお目見えしている。

 広告で面白いものを発見したので、最後にご紹介したい。これは昭和二十五年の新聞の切り抜き(新聞名は不明)である。広告には、「神祭興業プレイガイド」とあり、「唐津神祭をあと二日を前に書入時をツラネテ唐津興業街はいづれも神祭感覚をとらえた名へん、巨へんをそろえているが以下神祭興行を案内する」として、『日の出館』 「ロッパ金語楼の恋愛台風圏」「腰抜け二刀流」・『唐津座』「アリゾナの決闘」・『世界館』「長崎の鐘」『近松座』「大川龍之介一座」などの案内が続く中、『明神広場』(今の市民会館前のこと)での催しの案内にはこうある。
 △新日本サーカス
スリルと美の祭典 オートバイ曲芸・ストリップショウ「肉體を捨てた女」「蛇使い」「二頭双胴の怪物」等を公開 二十八日〜三十一日

 時代とともに、くんちの楽しみ方も変わってきているようであるが、神様と人
とが共に楽しむという「神人和楽」 の精神だけは昔も今も変わらぬようである。
今年の唐津くんちも、晴天に恵まれ、怪我無く楽しく元気よく行われることをセツに願う今日この頃である。
曳山ニュース
曳山スポーツ大会
 恒例の、唐津曳山取締会スポーツ大会が、去る五月二十一日に開催された。本年の当番は、平野町。これまで野球・ソフトボール・ミニバレー等で戦ってきた曳山十四町は、今年は趣向を変えて「綱曳き」大会の大勝負。市民体育館に元気一杯の好勝負が続いた。
 優 勝 米屋町
 準優勝 木綿町
 三 位 京 町
曳山塗替
 第十番曳山「平野町・上杉謙信の兜」は、先に保存修理委員会の議を経て、塗替工事中(はせがわ美術工芸)のところ、この程、工場での工程を終え、十月初旬に唐津へ戻った。これよりは、台車に据え付け、微調整をして、くんち本番に向かっての作業が進められる。
幕洗い行事
 くんち恒例「幕洗い神事」は、船乗込みに関し、先年来種々困難なる情報が寄せられ、開催を「陸上」に移し、不完全なる気持のままくんちを迎えなければならぬ状況があった。今年関係各方面の知恵が形となって、台風余波などで開催不可の町内を除き、八町内が船乗込みによる、恒例の幕洗い神事に近い形式での、くんちの始め式を迎えることが出きた。更なる拡がりを期したい。
行事予定
十一月
 二十三日 新嘗祭
十二月
 二十三日 天長祭
 三十一日 古神札焼納祭
      除夜祭
一月
   一日 歳旦祭
 四・五・六・七日〜
       企業新年祭
   七日 囃子初め式
二月
   三日 節分祭
  十一日 紀元祭
三月
 三十一日 春季皇霊祭
毎月一日・十五日 月次祭
総代異動
平野町 井上正介 退任
 〃   堀  c  新任
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