唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。 |
唐津神社社報 第91号 平成17年10月1日発行 |
発行人 戸川 惟継
編集人 戸川 忠俊
印刷所 (有)サゝキ高綱堂 |
唐津神社御鎮座1250年祭奉祝記念 平成17年4月29日 |
 |
@修祓(しゅばつ) |
 |
A参進(さんしん) |
 |
B鏡開き |
 |
|
唐 津 神 祭 |
十月九日 (日)
◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(土)
◎午前九時 神輿飾りの儀
一ノ宮 呉服町
二ノ宮 八百屋町
◎午前十一時 本殿祭
十一月二日(水)
◎午後七時三十分 宵曳山曳出
各町万灯をともして社頭勢揃(午後十時頃〜)
十一月三日(木・祝)
◎午前五時 神田獅子舞奉納
◎午前九時 発輿祭
◎午前九時三十分 ☆御神幸発輿(煙火五発合図 市内一巡)
◎正 午 御旅所祭
◎午後三時 還 御 ☆御神幸発輿(煙火五発合図 曳山は町内へ)
十一月四日(金)
◎午前十時三十分 翌日祭 曳山社頭勢揃の後曳出
◎午後二時三十分 米屋町通曳出
◎午後四時 江川町通曳出
◎午後五時頃 曳き納め (曳山展示場へ=煙火五発)
十一月五日(土)
◎神輿納めの儀
一ノ宮 中町
二ノ宮 木綿町
|
御挨拶 宮司 戸川 惟継
本年は、社伝にありますように目出度く唐津神社御鎮座一二五〇年の年を迎えました。一二五〇年前を見てみますと、御代は孝謙天皇・天平勝宝七年〔西暦=七五五年〕、都は、奈良朝の頃ということになります。最新日本史年表(昭和二十年八月十日第三版・増訂版)によっても、国家的、歴史的事項は見当たらず、先帝(聖武天皇)の御不快平癒を祈って、天下に殺生を禁断し、御陵などに奉幣があった。とか、使いして伊勢大神宮に幣帛を奉らしむ。の記載があるくらいです。この翌年の項を見ると、怡土城を築き太宰大貳吉備真備をして専ら其事ニ当たらしむ。とあります。平穏な中にも外圧への備えもしていたことが窺えます。
そのような中に毎年毎年の歴史が一筋につながってきて、今年は真に御鎮座から一二五〇年の式年の年を迎えることができました。この佳き年を寿ぎ、併せて唐津市は近隣の六町一村と大合併をして、広く大きな新「唐津市」が誕生いたしました。七十数年前の昭和七年に、唐津町と唐津村が合併し「唐津市」が誕生した時は、町々村々多くの出し物が出て、大賑わいのうちに合併行事があり、それを機に新市民としての一体感が大いに醸成されたと、先代宮司から聞いております。それには及ぶべくもありませんが、御鎮座記念と新「唐津市」誕生記念とを奉祝し、春季例大祭の四月二十九日を吉日と定め、曳山十四台の、祝賀奉曳神事を盛大に斎行することができました。
神社の恒例祭とは言え、大型連休の初日であり、特に物流・観光などの道路交通上のことなど諸般事情が種々考慮され、祝賀奉曳神事の気持ちは御理解いただけたものの、なかなか関係方面からのお許しがいただけませんでした。曳山関係を始め、多くの御賛同の御協力を仰ぎながら、巡路こそ唐津神祭の正規の順路より短縮せざるを得ませんでしたが、曳山十四台の祝賀奉曳神事を執り行うことができました。ここに、御苦労をいとわず度重なる話し合いに参じていただきました関係各位を始め、お許しをいただきました関係各方面各機関に対しまして、深甚なる謝意を表する次第です。この記念すべき年に、曳山も、人も、町も、新市も元気に生きた証を、曳山の祝賀奉曳と言う形で、とどめ置くことができましたし、新「唐津市」の歴史の一頁目に花をそえることができたように思います。
さて、例年になく殊のほか暑く感じた夏も、いつしか秋の気配に変ってきました。ついこの前までは、町田川・松浦川の川面に曳山提灯の灯りを映しながら、幕洗い神事の船乗込みが優雅に幻想的に、そして元気に行われ、くんち気分が日一日と高まってくるのを覚えました。ところが、この幕洗い神事も諸般の事情があって、残念ながら元気のない神事になりつつ感じます。各方面のお知恵をいただいて、古来からの神事ができますよう願って止みません。深まり行く秋、くんちを楽しく待っています。
|
  |