唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第89号  平成16年10月1日発行
発行人 戸川 惟継
編集人 戸川 忠俊
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
 右の写真は、昭和四十一年の復活第一回(統一行事として復活)のものです。
船乗込みの幕洗い行事は、唐津くんちの始まりを告げる大事な行事です。この行事のころから曳山の各町々では、本格的に「くんち」のための会議や種々出務が多くなり、次第にくんちに向かって気持ちが引き締まり、気分が高まっていきます。いわば、くんちの出発点の行事です。
 ところが今年は違いました。船乗込みに関連する各種の法令・法律が非常に厳しく、多くの町内が幕洗い行事を中止せざるを得ぬ状況となり、多くの曳子達がケジメがつかぬまま、中途半端な気持ちのままでくんちを迎えることになってしまいました。
 神社の大祭礼の一つが幕洗い行事ですが、他者から見れば単なる町方の「お遊び」なのかも知れません。少し説明をしますと、祭礼にあたってはその前に、身心を清浄にする儀式があります。その儀式は二段階あって、祭りの一番最初の方にするのが、散齋(あらいみ)です。祭礼の直前に、致齋(まいみ)があります。この一つの齋戒をつとめた上で、初めて大神さまをお迎えし、身も心も神さまといっしょになって大祭礼を奉仕することになります。
 幕洗い行事は、その散齋 (あらいみ)の行事にあたるものです。本年は本年のこととして、来年からは、これまで通りの幕洗い行事が出来ますよう願って止みません。



幕 洗 い 今 昔
 幕洗いについて、昭和四十一年八月十八日(木)発行の唐津新聞にこのような記事が掲載されている。
 
古式しのぶ 「幕洗い」
      松浦川・町田川ゆうべ盛大に挙行

〇二十年ぶりに復活した 曳山の幕洗い″行事。唐津観光協会 (金子勝商会長)では、戦時中中止されたまゝになっている、唐津名物曳山行事の前奏曲ともいうべき、曳山の土用干しとゝもにその幕を洗い、その一日を曳山気分で楽しもうという、幕洗い行事を復活すべく先般来、曳山取締会とも話を進めていたが、いよいよ決行することになり昨十七日の夕方から、逝く夏を惜しみながら松浦川口から町田川一帯にわたって展開された。
○これは町田川上流で曳山の土用干しと幕洗いをすまして、秋の曳山準備を完了した若衆達が、川船で町田川を松浦川口へと下りながら、来たる日の曳山行事を思い浮かべては談笑し、杯を交わしてたのしんだ慣習にはじまるもので
○昨十七日は、へさきに 観光協会″の大提灯をかかげ、曳山十四の各町から持ちよった、それぞれ町名のかしら文字を冠した「若」の提灯で、船端を囲んだ川船三隻を仕立て、宮崎・殿川市議会正副議長はじめ、鉄道、観光協会、旅館組合等関係の来賓組、はやし組、曳山取締会とが分乗して、たそがれ近い七時半すぎ舞鶴橋の袂を、ようやく潮さしかかる松浦川にやまばやしとともに漕ぎ出し
○船出とともに金子会長は「幕洗い行事を名物曳山の前奏として復活するとともに、夏の観光行事につくしていたゞいた人々のしまい祝いとして、今後この行事を盛んにしたい」とのべ、平田曳山総取締また同じ意味の祝辞をのべ、三つばやし賑やかにまず松浦川を松浦橋をくゞって上り、千人塚附近から両岸の美しい夜景をほしいままにしながら町田川へ引き返し、千代田橋、中央橋、新大橋、札の辻橋を、気づかった橋も幸いの満ち潮に乗ってくぐることができた。
○かくて正調道ばやし、せりばやし、立山ばやしの曳山ばやしで町田川口に引きかえし、途中で橋の上から迎えた市民の歓迎に応えて、十時すぎ舞鶴橋の桟橋に着き、宮崎議長の万歳を最後に幕洗い行事をとどこおりなくおわった。

 ちなみにこの翌日の八月十九日(金)の西日本新聞には「十月二十八日に落成式 唐津城 天守閣建設急ピッチ」の見出しがある。八月三十一日(水)唐津新聞「六十五万の海水浴客を呑吐 きょう唐津市で海閉じ式」十月二十八日(金)唐津新聞「唐津くんち開幕天守閣落成で空前の人出か」。また、同広告欄によると、各映画館では「唐津城落成記念 神祭特別大興行」と銘打って、石原裕次郎主演『栄光への挑戦』小林旭主演『不適なあいつ』などが上映されている。

昭和44年の幕洗い実施要領
唐 津 神 祭
十月九日 (土)
 ◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(金)
 ◎午前九時 神輿飾りの儀
   一ノ宮 江川町
   二ノ宮 本町
 ◎午前十一時 本殿祭
十一月二日(火)
 ◎午後七時三十分 宵曳山曳出
  各町万灯をともして社頭勢揃(午後十時頃〜)
十一月三日(水・祝)
 ◎午前五時 神田獅子舞奉納
 ◎午前九時 発輿祭
 ◎午前九時三十分 ☆御神幸発輿(煙火五発合図 市内一巡)
 ◎正  午 御旅所祭
 ◎午後三時 還 御  ☆御神幸発輿(煙火五発合図 曳山は町内へ)
十一月四日(木)
 ◎午前十時三十分 翌日祭  曳山社頭勢揃の後曳出
 ◎午後二時三十分 米屋町通曳出
 ◎午後四時 江川町通曳出
 ◎午後五時頃 曳き納め
      (曳山展示場へ=煙火五発)(他はいづれも煙火三発合図)
十一月五日(金)
 ◎神輿納めの儀
  一ノ宮 呉服町
  二ノ宮 八百屋町
社 頭 日 記
 話しても話しても静かな日 一人 昔を思ふ

 今年の夏も、うだるような暑さの中で、蝉だけは元気に自己主張していた。昔はその蝉の声に釣られるように子供達が虫取りアミと虫籠を引っ提げて神社内を闊歩していたが、最近そのような姿を見かけることはない。この猛暑のせいか?それとも虫に対しての興味が薄れたのか? 神社で子供の姿をあまり見かけなくなったのは、夏にかぎったことではない。昨年の冬、大雪が降った日、境内一面を白く埋めた雪に「こりゃー小学生の来てかい、ガッチャンヒッチンして帰るばい」などと宮司と話していたが、結局のところ誰一人として雪遊びをしにくる小学生はいなかった。仕方ないので、宮司と2人で雪だるまを作ったことを記憶している。
 私が小学生の頃、神社の境内は遊ぶ場所であって、学校以外で時間を共有することのできる子供の社交場であった。そこでは同級生同士、あるいは上級生、下級生とともに遊ぶことによって、上下関係や同級生同士の力関係を確認する場所でもあった。野球はもちろんのこと、鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり神主の目を盗んで秘密基地を作り、木に登りと、毎日忙しく遊んでいた。が、しかし、今そのような小学生の姿を目にすることはない。目にできるのは、境内の隅っこのほうでこそこそ話をする高校生のアベックぐらいのもんである。
 今でもあるのだろうか?私たちの間では『トリゲン』と呼ばれているモノがあった。上級生下級生入り乱れて野球などをするときに、力の強い上級生二人がジャンケンをして、一人ずつ自分のチームに野球の上手な仲間を加えていくというもので、「メンバー取り合いジャンケン(略して『トリゲン』)」 のようなモノである。その『トリゲン』の仕組みで面白いところは、半端が出た場合は(大体、いつも余るのは弱小の下級生であるが)「い〜るか!い〜らんか!」といいながらジャンケンをして、決して仲間はずれを出さない仕組みになっているところである。この儀式において、それぞれが今の自分の能力であったり、力関係であったりを神妙な顔で確認するのである。「今は、子供が少なくて野球どころではない!」とおっしゃる方もいらっしやるだろうが、私たちが子供の頃は、二人でも工夫しながら野球をしていたように記憶している。
 さて、境内で遊ぶ小学生の減少は、そもそも小学生自体の減少も理由の一つであろう。唐津神社の隣は道を挟んで、今年大成小学校と志道小学校が合併して出来た大志小学校であるので日々小学生の元気な声が聞こえてくる。しかしながらその元気な小学生は帰宅後一体、どこで遊んでいるのであろうか?
 私は志道小学校の卒業生であるが、在学中は、学校で禁止されているにもかかわらず、ランドセルを参道にホッポリ出して野球に勤しむ級友がたくさんいた。しかしながら、小学五〜六年生にもなるころ、テレビゲームが普及し始め、境内で遊ぶことは少なくなったが、やはり暇をもてあました級友は颯爽と自転車を飛ばして神社に集合していたものである。はたして、今、このようにみんなで集まる場所を小学生は持っているのだろうか?
 今考えてみれば、私たちが遊んでいた境内は、子供の社交場であるとともに、大人の世界との接点でもあったのかもしれない。遊んでいる最中にいらっしやつた参拝客の方に挨拶をしたり、道を尋ねられたり、「元気だね〜」と褒められたり、「何ばしよっとか!」と怒られたりと、良いことも、悪いことも、その判別を知る場所でもあったような気がする。「遊んだ後は掃除して帰れ!」これは先々代の宮司戸川健太郎(健太郎はその昔、野球をしていたこともあって、子供達が野球をしていると「チョット貸してんけ」と言ってボールを受け取り、小学生のキャッチャー相手に本気で二〜三球投げていたが、下駄履きで剛速球を投げるお爺ちゃん神主は、小学生の間では伝説であった。何処でも健太郎の話になると、「よ〜あん人には怒られた。」とおっしゃる方が多い。ような気がする。)がよく言っていたことで、その辺のケジメはきちんとしていたし、私たちも遊んだ後は、慣れぬ竹箒をつかい、掃除のまねごとのようなことをして帰っていた。おそらくその後、神主さんが掃除をしていたのだろう…。翌日はきれいになっていた。
 小学生の皆さん、是非、境内で遊んでください!とは言わない。境内とは本来遊ぶところではないのですから…。ただ、「昔は神社で遊んでいたな〜」ということを、十月に入り、これから先、唐津くんちの行事で騒がしくなる境内に、日向ぼっこか、砂浴びか、束の間の静けさを楽しんでいるらしい二羽のカラスを眺めながら、昔のことを思う今日この頃です。
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