唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第88号  平成16年4月1日発行
発行人 戸川 惟継
編集人 戸川 忠俊
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
改選の春
宮司 戸川 惟継
 春は官公衙を始め、多くの団体・企業等で人事異動や改選の時期になっています。唐津神社でも宗教法人法(戦後、占領軍の指導の下に昭和二十六年四月に公布された。)に基づく神社の規則の定めに従い、四年に一度、氏子総代の改選をしています。昭和二十七年の改選以来、今年は第十四回目の改選年に当たります。最初の改選年月日が、昭和二十七年一月二十六日でしたので、それよりは一月二十六日付をずっと書面上の定例改選日としています。又、ちょうど社頭では節分祭神事の諸準備と改選時期か重なりますので、毎回、節分祭終了後に改選の手続きをしています。
 氏子総代には、町内推薦と区推薦、それに曳山総取締が加わり、今回は総員で六十九名の方に氏子総代を委嘱しました。
 氏子総代には、別に名誉氏子総代の制度があり、今回の改選で新たに金子勝商様を推薦いたしました。名誉総代の金子勝商様は、唐津くんちお旅所が終戦直後空白地となり、いろんな利権が錯綜する中、きちんと整理され、その中からお旅所用地として土地を神社に寄進されました。お旅所用地は、終戦と共に国に没収の状態となり、これまで神縁地として慣例的に、お旅所として使用していた飛地境内″でした。そこで、宗教法人唐津神社の飛地境内として、無償払下げの手続きを始めたのですが、進駐軍の意向もあってか、たった三時間しか使用しない土地を飛地とは言え、境内とは認められないとのお達しを受け、途方にくれていました。そうこうするうち、多くの人達が、この所に利権を主張し始めました。何回となく会議をし、何度も利権者と談合を重ねて、ようやく現在のように学校用地としてまとめられ、慣習によりお旅所としての縁地が確定しました。学校用地となりながらも、お旅所として公認されたのは、寄進されて明確に神社有地となった境外飛地″のしからしむる処です。
 いささか遅きに失しましたが、氏の功績を継承すべく名誉氏子総代に推戴した次第です。
 さて、唐津神社の氏子総代推薦には町内と区の二通りがありますが、町内推薦とは、氏子二十七ケ町より推薦を頂き、氏子と神社を直接おつなぎいただく総代様方で、区推薦とは、氏子二十七ケ町を三分してそれぞれの区よりお名前をいただき、町内推薦総代に協力して、地域と神社をおつなぎいただく総代様方です。
 氏子二十七ケ町と三区の内訳は左の通りです。
  第一区(内町地区)
       合計十四町
 本町・呉服町・八百屋町・中町・木綿町・京町・刀町・米屋町・紺屋町・魚屋町・平野町・新町・弓鷹町・高砂町
  第二区(城内地区)
       合計五町
 東城内・西城内・南城内・北城内・大名小路
  第三区(旧・大成地区)
       合計八町
 坊主町・山下町・桜馬場・元旗町・西旗町・西浜町・富士見町・南富士見町
 以上の通りです。
 新しい総代様方は別表の通りです。どうぞよろしくお願いします。
 ◆総代異動
退任
 弓鷹町 金子 正巳
退任
 坊主町 山本 義雄

唐津神社氏子総代名簿 (平成十六年一月二十六日改選)
 《第一区》町内推薦
本 町   中川 邦彦
 〃    大西 康雄
呉服町   前田 善伯
八百屋町  竹内 澄子
中 町   藤川 末義
木綿町   力武 定夫
 〃    長野 雅計 新任
京 町   古谷 武
刀 町   山口 秀彦 新任
米屋町   平田 正廉
紺屋町   緒方 正男
魚屋町   坂本 三郎
平野町   井上 正介
新 町   佐々木良太
弓鷹町   永田 泰仁 新任
高砂町   宮崎 光失

(第一区推薦》

本 町   中野 陶痴
呉服町   宮田 一男
中 町   石松憲一郎
刀 町   辻  駿吉
 〃    冨田 栄磯 新任

 【唐津曳山総取締】
大石町   牧川 洋二

【志道校体協会長】
中 町   原田 晃

(名誉子総代〉
北城内 竹尾 彦己
桜馬場   中山 次雄
平野町 瀬戸 利一
鏡 虹町  金子 勝商 新任
 
 《第二区》町内推薦
東城内 青田 正人
 〃  小田 勉
 〃  小嶋 昌子
 〃  市丸 徹男
 〃  田中 謙次
大名小路 宮崎 晃
 〃  馬渡 俊子
 〃  麻生 博之
 〃  永江 領
西城内 久保 英敏
 〃  向 英雄
 〃  倉持 泰男 新任


南城内 吉田 忠司
 〃  鈴木 哲男
 〃  横山恭次郎
 〃  河内野恒雄


北城内 多久島悦次
 〃  本山 英子
 〃  皆良田芳子

《第二区推薦〉

大名小路 古舘 鴻輔
南城内  豊田 茂
 
 《第三区》町内推薦
坊主町 辻 富士雄
 〃  久保 幸雄
 〃  中山富美枝 新任
 〃     (下平氏兼務)
 〃  佐伯 生子
山下全区
山下 一丁目  吉野 粂久
 〃 二丁目  光岡登美子
 〃 三丁目  (川原 宏)
 〃 四丁目  繁田 進
 〃 五丁目 (山崎 宏)新任
桜馬場   吉田 実
 〃    柴田 伸久
 〃    田中 整
元旗町 坂本 伸
 〃  賀長 仁一
西旗町 安田力太郎
西浜町 福島 環
富士見町 森 孝司
南富士見町 櫻井 博美
 〃  宮嵜 岩男
 〃  田島 照和

〈第三区推薦》

坊主町 田邊 厚
坊主町 下平 義男
坊主町   原口 洋亮
山下一丁目  吉田 静剛
山下二丁目  佐藤 正明
宮司 戸川惟継
名誉宮司 戸川省吾
禰宜 戸川忠俊
権禰宜 戸川 健士
(平成十六年四月一日現在)

 

春季例大祭
4月29日(木・祝日)
奉納神賑行事
浦安の舞・曳山社頭勢揃・池坊生花

五穀豊穣祈願・諸業繁栄祈願
曳山関係
◎改選−本年は四年に一度 の役員改選の年に当たり、 現在その事務が進行され ている。四月下旬には新陣容が整う見通し。
◎親睦球技大会−本町の当番で、五月九日(日)に開催予定。
神社庁関係
◎改選−本年は三年に一度の役員改選の年に当たり、左の通り選任されました。
  佐賀県神社庁
  唐津市地区支部
支部長 八島 弘直 再
  (唐津天満宮 宮司)
副支部長 鳥越 友彦 再
   (湊疫神宮 宮司)
事務幹事 戸川 忠俊 新
   (唐津神社 禰宜)
佐賀県神社総代会
  唐津地区支部
支部長 宮崎  晃 再
    (唐津神社 総代)
副支部長 瀬川 金馬 再
   (熊野原神社 総代)
佐賀県神社庁
庁  長 草場 昭司 再
   (佐嘉神社 宮司)
副庁長 宮田  豊 再
 (佐賀県護国神社 宮司)
  〃  笠原 充博 再
   (稲佐神社 宮司)
理  事 鍋島 朝倫 再
  (祐徳稲荷神社 宮司)
  〃  加志田恵久 再
  (伊万里神社 宮司)
  〃  戸川 惟継 再
    (唐津神社 宮司)
  〃  武雄 哲司 再
    (武雄神社 宮司)
  〃  田中 雅治 新
   (脊振神社 宮司)
佐賀県神社総代会
会  長 長沼富士男 再
副会長 峰松 嘉哉 再
  〃  山口 正人 再
  〃  田村 晃朗 再
  〃  笠原 充博 再

◎県神社庁、県神社総代会
兼任監事 日吉 昭馬 再
  〃  藤井 久男 新
 

平成十五年 からつくんち
《禰宜の手帳から抜粋》
十一月二日 宵山
〇4時17分
 起床 境内静かなり
〇4時44分
 外に出て星を見る。女性4人が参拝中。参道、白の鳥居下に露天商関係のトラックが駐車。
〇4時50分
 そのトラックの後ろに木綿町到着。
〇5時00分
 木綿町、曳山清祓祭。
〇5時21分
 木綿町、町へ。大手口右折を確認後拝殿へ。
〇5時36分
 曳山を動かす、例のゴロゴロ言う音聞こえる。その後、「オーノ」「オーノ」の声。センギ上げ?
〇5時50分
 江川町曳山清祓祭。祭典中、水主町の囃子聞こえる。江川町の方々が御神酒を受けられている時に、水主町は参道に入り町へ。
〇6時10分
 江川町町へ、采配の代わりにピカピカ光る警棒のようなものを使って曳山を誘導。その後、大石町の町衆が大勢で展示場へ(大石町の囃子はかなり前から聞こえていたが…)。牧川総取締神社へ。
〇6時20分
 大石町、参道に入り町へ。その後、露天商の人と話す。今年は晴れるらしい。
 【さて、宮司の話によると、くんちの前に降る雨のことを昔は「馬のクソ流し」と呼んでいたそうである。これは自動車の変わりに活躍していた馬車の落し物を、前日の雨が洗い流して道を綺麗にしてくれることからそう呼ばれていたようである。ちなみにくんちの後の雨のことは「ショウベン流し」と呼んだそうである。】
〇7時18分
 材木町、囃子はじめ。七 時二十五分町へ。
〇9時15分
 神社へ。牧川総取締、リリアンを持って来社。
〇10時00分
 魚屋町、町へ。
〇10時18分
 奉賛金看板・おみくじ納め所の設置。
〇11時15分
 今までに宮参り(二件)七五三(一件)がある。その後、昨年お世話になったテルテル坊主をおみくじ納め所に奉納する。
〇11時40分
 七五三のお祭り。四十五分から新町、曳山清祓祭。
〇12時00分
 新町・米屋町、町へ。
〇12時9分
 本町の方々が、釆配に御朱印を捺しに来社。
〇12時13分
 昼飯。ここまでの天候は晴れ。(朝方は曇り)
〇12時30分
  「いらっしやいませー!冷たいものはいかがですか〜?」の声。露天商の皆さん始動。確かに今日は暑い。
〇12時45分
 平野町、曳山を神社前へ。曳山清祓祭。
〇13時6分
 刀町、太鼓の撥の清祓祭。
〇13時12分
 刀町・平野町、町へ。
  (京町も町へ?確認できず)
〇13時28分
 本町、町へ。
〇13時45分
 気象庁のホームページにて明日の天気を確認。結果、晴れ。降水確率、午前十%、午後十%。
〇16時26分
 賽銭箱を移動し、賽銭用の幕を張る。中町の方々、采配に御朱印を捺しにこられる。
〇16時42分
 呉服町、町へ。神社前のバイクサーカスのエンジン音活発。また、その隣のキリンの遊具にもいつの間にか空気が入って元気に揺れている。
〇18時00分
 中町、曳山の前にて清祓祭の後、町へ。
〇19時8分
 宮司・権禰宜、大手口へ出発。
〇19時30分
 唐津神社授与所にて宵山開始の火矢確認。
〇19時57分
 参拝者増。拝殿前に参拝待ちの列ができ始める。
〇20時15分
 参拝者未だ多い。参拝者から「今日は暑い」の声。旗を先頭に観光客の参拝者も有り。
〇20時40分
 宮司・権禰宜帰社。
○21時22分
一度は減少した参拝者が、また増え始める。唐津くんちの時、拝殿の鈴は三つであるが、「来年からは七本(鈴を七つつけるという意味)体制にせないかんな」と宮司談。その後、私は大手口にて曳山見物。神社に帰ってくる途中、かすかな雨を感じる。

〇23時24分
 私の友人より「雨ですよ」と携帯電話にメール有り。
〇23時30分
 授与所閉め、就寝準備。
〇23時39分
 実行委員長の大塚氏より「雨が降りそうなので曳山会館に入れる」との電話。
〇23時51分
 曳山を動かすゴロゴロという音続く。何台かの曳山が展示場に入ったかは確認せず。
〇23時58分
 曳山囃子が聞こえる。(あれは中町か?)
〇0時12分
 授与所の中で雨の音を聞く。露天商にあたるパラパラという音が聞こえる。 「あっ!すごい雨」の声。 雨は強くなっているらしい。
〇0時18分
 雨、強くなるも、外の話し声はやまず。おそらくは、授与所前の屋根の下で話しているのか?
〇0時39分
 いつの間にか、境内静かになる。就寝。

十一月三日 神幸祭
〇4時17分
 起床。細かい雨音。それ以外は境内静かなり。
〇4時39分
 雨足強くなる。
〇5時6分
 神田カブカブ獅子 獅子舞奉納
〇5時29分
 神田地区の方々、帰る。雨は止むも、星は見えず。
〇7時59分
 神社開け。雑務をこなす。
〇9時00分
 発輿祭斎行。終了後、神輿は神社前へ移動。
〇9時30分
 二ノ宮の神輿前に座る。雲行きは怪しい。座った直後、出発の火矢。刀町すぐさま参道へ出る。中町・材木町・一ノ宮と続き、二ノ宮出発。
 【さてその昔、神仏習合の時代、神社の中には神宮寺(じんぐうじ)と呼ばれる寺があり、唐津神社にも勧松院(かんしょういん)という神宮寺があった。ここのお坊さんは神社の神主よりも偉いとされ、それは『唐津神祭神幸図』を見ても明らかである。神幸図の中で御神輿が描かれている部分に注目していただきたい。お坊さんは駕籠に乗り、神主は馬に乗っている。つまり、お坊さんのほうが優遇されているのである。
 こんな話がある。勧松院があったころの話。唐津くんちの時の賽銭は、神輿が神社の境内にあるうちはすべて寺の取り分とされていた。そして神輿が神社を出たら賽銭は神主の取り分となっていた。もちろん寺はゆっくりと神輿を出したいし、神社としては急いで出したい。この神輿の出発に関しては、寺と神社の駆け引きが絶えなかったようである。もちろん今はそのようなことは無い。】
○9時47分
 かも川前(木綿町)到着。
〇10時1分
 二ノ宮出発。
〇10時8分
 サーパス材木町前到着。天候曇。風無し。一ノ宮の周りに曳山取締会の方々を見る。
〇10時16分
 二ノ宮出発。
〇10時29分
 藤井病院前(大石町)到着。相変わらず曇。
〇10時41分
 二ノ宮出発。
010時56分
 中町の玉置前到着。通常ならばここでは十分ほど休憩時間があるのだが、二分後出発。神田の神輿供揃の方々、氏子総代の方々くんち参り中。二ノ宮にあっては残っておられた二人で曳いてもらう。
○11時9分
 刀町(京すし前付近)到着。中町でハグレタ方々と無事再会。天候は相変わらずの曇。ちなみに、二ノ宮が駅前通に出るころ(居酒屋ゆーさん、または鳥よし付近通過中) には刀町が正面(鶴田文具店横)にて待機中。
○11時39分
 神輿出発。その後、一旦大手口にもどり、西寺町方面へ、坊主町交差点を右折。総合庁舎横に待機中の刀町・中町・材木町を追い抜いて御旅所へ。到着後、神輿は御旅所に着御、すぐさま御旅所祭斎行。
〇12時30分
 御旅所祭終了。その時、材木町が曳き込み中。すべての曳山の曳き込みが終了後、すぐさま曳山取締会の参拝。その後、直会。
〇14時32分
 帰り支度始め。
〇14時44分
 一ノ宮出発。
〇14時50分
 二ノ宮、御旅所を出て、大成小学校校門付近にて待機。
〇14時59分
 曳き出し開始の火失。
〇15時3分
 刀町が二ノ宮横を通過。
〇15時10分
 中町が二ノ宮横を通過。
〇15時13分
 材木町が二ノ宮横を通過。二ノ宮すぐさま列に入る。
〇15時26分
 江川町(坂本タバコ店付近)、に到着。
〇15時55分
 二ノ宮出発。
〇16時17分
 一ノ宮・二ノ宮、唐津神社着御。

 時系列を追ってくんちの記録を書くと、曳山を曳いている人などから「へ〜、きゃんかことのありよるて知らんやった。面白かね〜。」と言われる。一人ひとりの中で唐津くんちは特別な時間である。これからもそうあって欲しいと思う。
 ▼行事予定
◆四月
 二十九日 春季例大祭
◆五月
 十日〜十一日
  九州各県神社庁連合会 神職総会 (於・熊本市)
◆六月
  中旬  総代研修会
◆七月
   一日 海開式
 二十九日 夏祭 茅の輪神事
◆八月
 三十一日 海閉式
◆九月
  中旬  神社庁・総代会  合同研修会
 二十三日 秋季皇霊祭
月次祭=毎月一日・十五日
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