唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第86号  平成15年4月1日発行
発行人 戸川 惟継
編集人 戸川 忠俊
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
本町
 火伏稲荷神社(仮設授与所)
呉服町
 白飛稲荷神社(社殿)
新町
 白玉稲荷神社(社殿)
唐津三座稲荷 初午大祭   (三月十日)
 唐津神社境内には、稲荷神社が三社鎮座しています。

◎白飛稲荷神社    (呉服町)奉斎
 慶長の頃、京都伏見より呉服町に飛来されてから、町内で奉斎。一時期、木浦山に鎮座し、千量院が奉斎するも、明治三十七年唐津神社境内に奉遷する。昭和五十四年、社殿総改築。

◎火伏稲荷神社     (本町)奉斎
 文化年中、当唐津首町である本町の町内安全のため勧請する。此の時蜆貝に乗って着き給うと伝えられる。火除の霊験あり。明治三十七年唐津神社境内に奉遷する。昭和二十六年、コンクリート造りに社殿を総改築する。

◎白玉稲荷神社    (新町)奉斎
 江戸末期頃、黒崎坊が町内安全のため奉祀する。その後、町内で奉斎することとなる。初午祭のほか、町内夏祈祷等もある。昭和五十五年唐津神社境内に奉遷する。

 稲荷大神は、衣・食・住、商売繁昌、農業振興、漁業振興等に、福徳を授け給う神様として町内はもとより、近郷の崇敬が厚く、初午祭は賑やかでしたが、近年は道路交通の利便や余暇気分等で、遠方の初午参りが多いせいか、三社とも少し静かな初午祭となっています。
 来年は、ほんの少しだけでも工夫して「唐津三座稲荷」の御神徳を広めたいと考えています。
春季例大祭
4月29日(みどりの日・祝日)
午前11時30分執行

奉納神賑行事
曳山社頭勢揃・池坊生花・浦安の舞

五穀豊穣・諸業繁栄
 ▼行事予定
◆四月
 二十四日 寿社祭
 二十九日 春季例大祭
◆五月
 九〜十日 九州各県神社庁連合神職総会
 二十一日〜
      神社本庁会議
◆六月
   中旬 総代研修会
◆七月
  一日 海開式
 二十九日 夏祭
      茅の輪神事
◆八月
 三十一日 海閉式
◆九月
   中旬 合同研修会
月次祭=毎月一日・十五日

◆総代異動
大名小路
    馬渡 俊子 新任
呉服町 久保 孝七 退任
 〃  前田 善伯 新任
大石町 牧川 洋二 新任
高砂町 原田 一翁 退任
 〃  宮崎 光矢 新任
平成14年唐津くんち記録     禰宜 戸川忠俊

 午前五時、雲で星が見えない天候の中、曳山清祓いの祭典終了後、山囃子もにぎやかに木綿町の曳山が町に帰っていった。いよいよ平成十四年、激動の唐津くんちが始まったのである。
 この日を迎えるにあたり、数多くの書類を作成した。その書類の中に『曳山移動状況』という書類がある。これは十一月二日に展示場から曳山が各町内に戻っていく時間を表にしたものだが、これが全く役に立たなかった。と言うのも、雨の心配があったからである。日中は晴れたり曇ったりを繰り返していた天候も午後三時頃から怪しくなり始め、四時頃には小雨がぱらついてきた。宮司の話によれば、「総取締と話した結果、宵山は決行。明日、雨が降った場合は刀町と神輿だけを大手口まで出す。詳しくは、明朝八時からの会議で決定する。」ということだった。
 「刀町と神輿だけを大手口まで出す。」 この言葉には大きな意味がある。城内地区に鎮座する唐津神社は、その昔、町衆にとって遥拝(ようはい・遠くからお参りすること) するしかなかった。しかし、唐津くんちのときだけ、城の大手門が開き御神体を乗せた神輿が町を行くのである。つまり、唐津神社の御神体が大手口を出ることこそ、町衆の祭りである唐津くんちにとって重要なことなのである。また、雨中その先導役を務める刀町は、言うなれば各町氏子の代表であり、刀町が先導することによって、神人一体の祭礼である唐津くんちになるのである。そういう意味では、御幣を戴いている責任は重い。
 午後四時頃からの小雨は一時間ほどでやみ、天候は薄曇、宮司が宵山の出発を見届けるために大手口に向かった時には、空を見上げると星がいくつか見えるほどであった。
 時に、十一月二日、午後七時三十分。宵山開始の火矢を聞く。手帳にこの時のことを書き記しているのでそれを抜粋すると

19時30分 薄曇。火失を授与所にて確認。その三分後、江川町が展示場を出発。参拝客多い。不思議と傘を持っている人が少ない。
 まずもって心配なのは天候である。傘を持っている人が少ないからといって、雨が降らないとは限らないが、何か心強いものを感じたことを記憶している。しかし、この後が大変だった。午後八時二十三分、降り出した雨とともに神社に帰ってきた宮司はずぶ濡れであった。
 その混乱ぶりは、手帳に書き記した文字の荒れ具合と、内容からよく解る。以下、手帳から抜粋。(記録者は唐津神社授与所にて記録している。頭の数字は時間を示している)
20時23分 強い雨。宮司・権禰宜帰社。雨は思ったより強い。しかし降ったり止んだりする。
20時31分 さらに強い雨。観光客より「雨で中止になることはあるのか」との質問あり。観光客は露店などの屋根のある所に避難。
20時38分 強い雨。刀町が展示場に帰ってくるのを授与所前参道にて確認。雨は本降りになる。
20時45分 豪雨。音を立てて雨が降る。雨粒が見えるほどの雨。
20時49分 豪雨。雨足益々強くなる。曳山の移動情報等混乱。
20時52分 強い雨。太鼓の音にて新町の帰りを確認。雨は小降りになるもまだ強い。
20時54分 強い雨。中町・本町の順で帰る。雨のためバラバラに帰ってきているのか?
21時03分 曇?雨が上がったか?授与所前の曳子から「雨やんだ」の声。
21時05分 曇。宮司、曳山会議のため社務所に向う。
21時25分 小雨?太鼓の音にて、江川町の帰りを確認。また雨が降り始めたのか、傘をさす人が増える。
21時35分 雨。雨が強くなる中、授与所付近の曳子から「えんやーえんやー」の声を聞く。傘をさす人が多くなるが、人出は変わらず。
22時00分 曇。本来ならば曳山の帰ってくる時間。観光客から「まだ曳山は帰ってこないのか」という質問チラホラ。手に傘を持っている人が増える。雨は降っていない。
 その後、また強い雨が降り、午後十一時三十七分、市民会館の守衛さんから電話。「明日は曳山展示場を何時に開けたらよいか」というもの。おそらく、今日の雨で当初の予定(前述の「曳山移動状況」という資料が全く役に立たなかったという事実)が大幅に変更されて、もしや明日も?と思われたのであろう。通常通り午前六時開けでお願いする。その後、雑務をこなし、午後十一時五十二分、外に出て雨が止んでいることを確認し、安心して就寝。
 明けて十一月三日、朝。「ジョリジョリジャリジョリ・・・」これは髭を剃る音ではない。ハチマキをキリッと締め、くんち草履を履いた曳子が参道を歩く音である。天候は曇。心配である。というのも、この日の早朝、午前五時より神田地区のカブカブ獅子の奉納があり、しかも今年二百年祭ということで、特別に拝殿の中で奉納してもらった。
その後一時帰宅し、午前六時発表の天気予報を祈るような気持ちで視る。以下、手帳の記録より抜粋
 5チャンネルの天気予報(六時発表)によると、唐津の三日の天気は、曇のち雨。降水確率は、午前六時〜正午まで三十%・正午〜午後六時まで九十%・午後六時〜午前零時まで百%・午前零時〜午前六時まで七十%。雷指数が九十。佐賀県北部に強風波浪注意報。
 何かの間違いではないかと思って何度も見たが間違いなかった。気象庁に文句を言ってもどうにもならないのだろうが、とりあえずは気象庁に文句を言いながら神社に来たのである。
 そんな予報が出ていようが、行事は進んでいく。午前八時二十分、刀町御幣清祓祭(ごへいきよはらいさい・刀町が三日の日だけ載せる御幣を清め、すべての曳山に神様がお越し頂くよう祈念するお祭り)。八時四十七分、発輿祭(はつよさい・神輿の出発を神様に報告し、道中の安全を祈念するお祭り)を行うため、神主が拝殿へ集合する。この時、私の座った位置から、手水舎横の大松に見え隠れしながら、市民会館前に並ぶ曳山が見える。感動の一言である。祭典開始直前、セリ囃子も賑々しく、中町が展示場から所定の位置まで移動していた。揺れる後ろ髪を見ていたら、涙が出てきて、しばらく上を向いていたことを記憶している。
 午前九時、発輿祭。祭典開始直後は晴れ間も見えた天候であるが、だんだん雲行きは怪しくなる。最後、厳粛な雰囲気の中、総取締の挨拶、
 「今年は浜(御旅所)まで、なんとしてでも行きたいと思っております。雨が強くなったら止めるかもしれませんが」
 ザワザワッ。拝殿前がざわめいた。なぜならば、その時すでに弱い雨が降っていたからである。この「雨が降ったら止める。」という言葉は平成十三年のくんちでも聞いた。曳山を大事にする町衆の心は、曳山を持たない人々の想像に難いほどである。そういう町衆にとって曳山を濡らすことはもっとも避けたいことの一つである。しかし曳山を曳きたい気持ちもある。そういう葛藤の末、出てきた言葉が先の総取締の言葉なのである。
 午前九時半、御旅所神幸が始まる。午前十時十分、筆者は準備を行うために御旅所に到着。空は厚い雲に覆われていたが、雲が薄くなっているところもあり、そこから弱弱しい太陽の光が射す。午後十時二十分、宮司からの連絡は、なし。神幸行事は続行されていると推測するも、神田地区トラック隊(毎年、御旅所での祭典用具・直会の弁当などを軽トラで運ぶ)の人たちと、御旅所の幕を張るタイミングを雲の流れを見ながら相談する。御旅所の上で書きとめた手帳には「風、少し強い。雲は西から東へと流れている。西の空に黒い雲を確認。所々にある薄い雲の部分より弱弱しい太陽の光。寒い。」とある。
 午前十時四十二分、曇。唐津曳山取締会広報委員長の橋村氏を見かけたので話をする。「二年連続で曳き込みの中止はない」という声で決断。御旅所の最終準備を開始する。午前十一時十三分、小雨。神饌(しんせん・お供え物のこと)の準備も整う。この頃より風が強くなってきた。手帳には「空を見上げると、西の空は晴。上空は黒い雲に覆われている」とある。
 時に、十一時四十分。雨の中、御旅所より、くぐもった太鼓の音と共に赤獅子を確認。本日二度目の落涙である。
 十二時五分、小雨の中、曳き込み開始。それと同時進行で御旅所祭が斎行される。その祝詞に日く

 
平らけく安らけく敷き坐せる御氏子諸々を始めて御前に拝み奉る諸人等の家にも身にも禍事(まがごと)有らせず 子孫(うみのこ)の八十続(やそつづき)弥栄えに栄えしめ給ひて各も各も和み睦びて浦安くウタタ楽しく有らしめ給へと 鹿自物(かじもの)眞膝折り伏せ 鵜自物(うじもの)頚根付き貫きて恐み恐みも白す
<意  訳>
 穏やかに神様が治められる曳き子を始めとした地域の人々、また、多くの参拝者たちが、家内安全・子孫繁栄・地域共同体の平安と憩いとに恵まれますよう、鹿のように幾重にも膝を折って拝礼し、鵜のように頚を神様に突き寄せながら、恐れ多くと申し上げます。

 唐津くんちの素晴らしいところは、このように神賑行事と神社祭祀が同時進行で行われることで、これは全国的に見ても貴重な祭礼行事と言えます。これは、日本の神祭りの原初形態であり、今後ともこの伝統を守り続け、継承しなければといつも思っています。
 そのためには、神事が醸し出す、神人和楽(じにんわらく)の境地を、曳き子も氏子も参拝者も、そして神主もみんなが共有できるように、努力し、協力しているからこそ唐津くんちという空間が成り立っているのだと、祭典中の雨に打たれながら感じました。
 今年は晴れますように。
 唐津曳山取締会 役員改選
退任 総取締 宮田一男
 〃 副総取締 山口 秀彦
新任 総取締 牧川 洋二
 〃 副総取締 橋村 信義
 〃  〃   岡   了
 〃  〃  多久島聖吾
 唐津曳山取締会では、先に役員会を開催し、宮田総取締・山口副総取締の退任に伴う役員人事について協議した。その結果去る三月二十七日に定期総会を開催し、前記の如く役員会での決定が報告され、了承され た。今後は、該当町の本部取締選任等を経て、牧川総取締の新態勢が整えられ、くんちを迎えることとなる。
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