唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第83号  平成13年10月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
  昇 級
佐賀県唐津市南城内
 唐津神社宮司 戸川惟継
 神職身分二級上とする
  平成十三年九月十日  神社本庁

 
総代異動
西城内 吉田 ミヨ 帰幽
神田区獅子舞
 唐津神祭は、神幸祭当日の午前五時、御祭神「神田宗次公」の縁地、唐津市神田区より奉納の「獅子舞」(カブカブ獅子、獅子カブカブ等とも言います)によって始まります。獅子舞の奉納は、毎年、神田区青年団の奉仕で今日まで続けられています。重さ約二十kgの獅子頭を、左右上下に大きく円を描いて、三回舞います。そして、その節目ごとにタタキ(上顎と下顎をたたき合せる)を五連打、三回します。この奉納舞を最初に社殿正面で、それから社殿を三周し、角角でそれぞれ奉納舞をします。そして、最後に再び社殿正面で奉納舞をして納めます。
 神田区の青年団は、神祭の獅子舞奉納のため、訓練を重ねて当日にそなえるということです。
 この写真は右下にもありますように、昭和三十一年(今から四十五年前)の奉納直後の写真です。当時は十月二十九日が神幸祭でした。奉仕神職は先々代の戸川健太郎、奉仕の青年団は総員二十名も参加しています。
 神田区は、その後宅地化が急激に進み、大変な住民の増加がありました。住民の生活に関するものは、大いに発達発展しています。その中で、青年団の活動だけが、縮小の一途を辿り、近年はとうとう町廻りや集落廻りを休止するまでになってしまいました。
 青年団員も、獅子舞に必要な六人(一頭に三人)の最低人員すら厳しい状況になってしまっています。
 世情に流されず、忠実に活動してきた青年団の、再興を願っています。

教科書と靖国と      宮司 戸川惟継
 今年の夏は、総理大臣の靖国神社参拝と新しい中学歴史教科書のことで、マスコミ・メディア・ジャーナリリズム…というあたりや、近隣国家からは、親が子を・補導主任の先生が生徒をたしなめるが如き状態で干渉されて、大騒ぎでした。
 マスコミ・メディア…等が仕立て上げた、国論を二分したかのような論争も、秋風と共に遠くへ吹き流されたようです。そこへ、米国での同時多発テロ事件があり、再び「国家」が問い直されています。
 ここに、教科書と靖国の本質な部分を転載します。御参考になれば幸いです。

 ◎新しい歴史教科書をつくる会版
  中学 社会「歴史」の教科書(白表紙版)の始め部分(六貢〜七頁)
 −歴史を学ぶとは−
 歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。
 今の中学生にとって、中学に通うことは空気を吸うように当たり前のことであるが、ほんの半世紀前までの日本人の中には、中学校に行きたくても行けない人がたくさんいた。それより前の時代には、小学校にも行けず、七〜八才で大きな商店の丁稚(でっち)や豊かな家庭の使用人として働く子どもが少なくなかった。どんなに勉強がよくできる子どもであっても、教育は権利だと法律に書かれていても、国の生産が低く富が限られていた時代に、公平は単なる理想にとどまっていた。今の中学生のお祖父さんやお祖母さんの世代がよく知っていた現実である。
 そのような不公平が実際にまかりとおっていた社会に不快を覚え、ときにひそかにいきどおりを感じて、なぜもっと社会的公平が早くから行われなかったかという疑問や同情をいだく人もおそらくいるだろう。しかし歴史を知るとは、そういうこととは少し別のことなのである。
 当時の若い人は、今の中学生よりひょっとすると快活に生きていたかも知れないではないか。条件が変われば、人間の価値感も変わる。
 王の巨大墳墓の建設に、多数の人間が強制的にかり出された古代の事実に、現代の善意の尺度を当てはめることは、歴史を考える立場からはあまり大きな意味がない。
 歴史を学ぶとは、今の時代の基準から見て、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。
 歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることでは必ずしもないと言ったが、過去の事実を厳密に、そして正確に知ることは可能ではないからでもある。歴史は科学ではない。何年何月何日にかくかくの事件がおこったとか、誰が死亡したとかいう事実はたしかに証明できる。それは地球上のどこにおいても妥当する客観的な事実として確定できる。けれども、そういう事実をいくら正確に知って並べても、それは年代記といって、いまだ歴史ではない。いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたかを考えるようになって、初めて歴史の心が動き出すのだといっていい。
 しかしそうなると、人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがき出すことは難しいということに気がつくであろう。
 ジョージ・ワシントンは、アメリカがイギリスから独立戦争(一七七五〜一七八三)で独立を勝ちえたときの総司令官であり、合衆国の初代大統領であった。アメリカにとって建国の偉人である。しかし戦争に敗れてアメリカという植民地を失ったイギリスにとっては、偉人でもなんでもない。イギリスの歴史教科書では、今でもワシントンの名前は書かれていないか、反逆者として扱われているかのいずれかである。
 歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。
 歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。
 そうすれば、おのずと歴史の面白さが心に伝わってくるようになるだろう。

唐 津 神 祭
十月九日 (火)
 ◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(月)
 ◎午前九時 神輿飾りの儀
   一ノ宮 米屋町
   二ノ宮 大石町
 ◎午前十一時 本殿祭
十一月二日(金)
 ◎午後七時三十分 宵曳山曳出
  各町万灯をともして社頭勢揃(午後十時頃〜)
十一月三日(土)
 ◎午前五時 神田獅子舞奉納
 ◎午前九時 発輿祭
 ◎午前九時三十分 ☆御神幸発輿(煙火五発合図 市内一巡)
 ◎正  午 御旅所祭
 ◎午後三時 還 御  ☆御神幸発輿(煙火五発合図 曳山は町内へ)
十一月四日(日)
 ◎午前十時三十分 翌日祭  曳山社頭勢揃の後曳出
 ◎午後二時三十分 米屋町通曳出
 ◎午後四時 江川町通曳出
 ◎午後五時頃 曳き納め
      (曳山展示場へ)(いづれも煙火三発合図)
十一月五日(日)
 ◎神輿納めの儀
  一ノ宮 紺屋町
  二ノ宮 魚屋町
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