唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第69号  平成6年10月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
唐  津  神  祭
十月九日 (日)
 ◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(土)
 ◎午前九時 神輿飾りの儀
 一ノ宮 大石町
 二ノ宮 紺屋町
◎午前十一時 本殿祭
十一月二日(水)
 ◎午後八時 宵曳山曳出
  各町万灯をともして社頭勢揃(午後十時過ぎ)
十一月三日(木)
 ◎午前五時 神田獅子舞奉納
 ◎午前九時 発輿祭
 ◎午前九時三十分
       ☆御神幸発輿(煙火五発合図 市内一巡)
 ◎正  午 御旅所祭
 ◎午後三時 還 御
       ☆御神幸発輿(
煙火五発合図 曳山は町内へ)
十一月四日(金)
 ◎午前十時三十分 翌日祭
  曳山社頭勢揃の後出発
 ◎午後二時三十分米屋町通曳出
 ◎午後四時 江川町通曳出
    (いづれも煙火三発合図)
 ◎午後五時頃 曳き納め
      (曳山展示場へ)
十一月五日(土)
 神輿納めの儀
  一ノ宮 魚屋町
  二ノ宮 平野町
「すりこみ」ということ
 宮司 戸 川 省 吾
 今年の夏は日照り続きで大変な暑さでした。特に西日本の各地では、水不足のため、農作物や市民生活への影響は甚大でした。そのため雨を伴うであろう台風の到来でさえも、強く心待ちにされていた方も多くいらっしゃったことと存じます。今夏のこの日照りからくる水不足を、人災だと言う人もおられるようですが、それはともかくとして、どんなにたえ忍んだとしても、最終的には「雨」という天然自然の「恵み」を待つことだけしか、水不足のすべてを円満に解決する術は無いというのが現状だと思います。
 古来、このような状況の中で自然に対する畏敬の念とか祈りが生れ育まれて、日本人の信仰の原形が、無意識のうちに日本人の心の中に、と言うより体の内の血や肉のように醸成されました。このように無意識のうちに、つまりは、生まれてすぐに、或いは胎児の頃から、生活の一部分的に体で感じ覚えているような経験し信仰心や原語のような文化的要素が多い−このような日本人共通の遺伝的要素であるかの如き現象を、「すりこみ」と言います。
 ところで、世界に目を向けてみますと、主義主張による国家間の対立は終息し、ようやく平和の兆しが見え始めつつ思われたのも束の間、民族部族間の対立紛争が多発し増々激化しています。そのための難民の増大が伝えられています。これらの難民は、主義主張の対立という構図の中からの敗者でもなければ、新時代の先駆者たらんとする人々の集団でもなく、唯々、好ましくない民族として追い出され、ひどい時には民族絶滅の危機からの、言わば、民族の存亡をかけた命がけの脱出者です。
 つまるところ、東西という対立が終息した今日、それぞれの国家や地域が、新たな国家・地域の存立の基盤を、それぞれの民族の固有の歴史的生き方に求め始めていることを示していると思います。と言うことは、違う生き方や考え方、異なる歴史観、価値感を持つ民族とは、一つのまとまった国家共同体を成し得ない−だから出て行け!消えてくれ!嫌なら絶滅の手段を−と言う、厳しい現実が難民問題の中にあります。 このように、世界的単位で、それぞれの民族がそれぞれの民族の生き方に、再び価値観を持ち始めている今日、私共、日本人も日本人として生きてきた道を顧る時が来ているような気がします。
 日本人の共通の祖神は、天照大神様で、伊勢神宮に祀られています。勿論、古事記・日本書紀に伝えられているように、天照大神の御顕現以前に、天御中主神・国常立神・高皇産霊神・神皇産霊神を始め多くの神様の御顕現が伝えられています。それらの中でも造化三神と呼ばれる神々は、その名称のように、何んでも創造されるだけの御霊威の神様で、山・川・木・石・水・明・暗・火等々、思いつくすべての天然自然のものを創造され、善は勿論のこと悪までも創造されています。
 そこへ御顕現になられるのが、天照大神様です。大神様は、長く暗い日本を、天の岩戸を開かれて、明るく輝やく日本に再生されましたし、弟神である須佐男命の数々の禍事を御身自ら大祓清をされました。
 つまり、悪を悪とし、非は非・罪は罪として、いわゆる事の善悪をお示しになり、道徳的日本人の生き方の原形を創造されました。それ故に、今日でも日本の祖神として伊勢の聖地に祀られています。大神様が非を非、悪は悪とされた日本人の道徳的な和の生き方は、このように遠く神代の時代より日本人に『すりこまれている』日本人にとって尊い宝の生き方です。
 恐らく現代にあっても、日本人として無意識のうちに内存しているであろう、神代より受け継いでいる尊い道徳的、和の生き方を続けられますよう、お祈りいたします。

境内の社務所改築
 これまで境内にありまして、主に神符守札授与所として使用しておりました建物は、昭和五十年に御鎮座一二三〇年祭記念事業として建設したものです。この建物は、本来の社務所・彰敬館の補完的なものでしたので、事務所(社務所)としての機能は無く、参拝者祭典御控所としても、神職詰所としても、とにかくすべての用途に充分対応することができない中途半パな建物でした。唯一、神符守札授与所としては、正月臨時幕舎を増設する他は、当所の計画の通り機能していました。
 ところが、最近少し心配しておりました白蟻の被害が、思いのほか甚大であったり、機能拡充のため増改築について種々検討しました結果、増築しても新築と変らぬ程費用がかかりそうでしたし、有効活用できるだけの改築が出来そうにありませんでしたので、全面改築することにいたしまし 幸い明年が丁度、御鎮座一二四〇年の式年祭に当りますので、この記念事業との思いを込めて、建設を進めております。
 建坪は約二十四坪で、旧建物の約二倍です。それでも社務所・参拝者休憩所としての両方合わせ持つ機能は果し得ませんので、今後は、改めて本来の社務所・彰敬館の機能をより充実させて、境内新社務所と連繋させながら、効果的運用を図り、神社の興隆に努める所存でおります。
 建物は周囲の環境保全を考慮して、前の位置より約一間ほど東側(参道方向)へ出ました。又、この全面改築に伴い、社頭大広前を整備し、燈籠二基(一対)と百度石一基を移設したほか、足長燈籠二基(一対)は、倒壊の恐れがありましたので、撤収し境内の一遇におきめました。
 尚、完工は全て神祭前の予定です。

仮設授与所
 境内社務所の改築に伴い、只今、神務・社務を仮設の事務所棟で執行しております。工事の現場事務所のような建物ですが、社頭直近に建設したので、日々の祭典、社務には重宝しています。

御鎮祭一ニ四〇年祭
 来る平成七年は、天平勝宝七年(西暦七五五年)九月二十九日に、唐津大明神の神号を賜り御鎮座されてより、一二四○年に相当ります。そこでこの式年の年の記念の思いを込めて、境内社務所の改築を進めることにしました。完成は十月始めの予定です。
 明けて、平成七年春を期して、御鎮座一二四〇年式年大祭を粛行します。

行事予定
◎唐津神祭は別掲
十月 二日 観月茶会(唐津新聞社主催)
  十六日 呉服町曳山創建百五十年祭
十一月
   九日 新嘗祭
   十三日〜二十日 七五三祭
十二月
   初旬 大麻頒布式
 二十三日 天長祭
 三十一日 除夜祭
◎平成七年
一月 一日 歳旦祭
   六日 新年祭
二月 三日 節分祭
  十一日 紀元祭
三月
 二十一日 春季皇霊祭
五月 五日 春季例大祭
◎毎月一日・十王日

        月次祭
曳山情報
 
 ◎幕洗い行事
 今年も多くの町々が幕洗行事を実施しました。松浦川・町田川に威勢の良い曳山囃子が数夜にわたって、心楽しく響いていました。

  
◎曳山ソフト
 恒例の曳山各町親善ソフトポール大会は、五月十五日の日曜日に、松浦河畔河川敷グランドに多数の曳山人を集めて開催きれました。
 前夜来の雨でグランド状態が心配されましたが、当番町の努力の甲斐もあって、楽しいゲームが展開されました。一日中、河畔特有の川風が吹き続きましたが、選手達には、快いそよ風だったようです。
 尚、優勝は新町、準優勝は米屋町でした。
 当番町は京町でした。

  
◎京都出動中止
 現在まだ続いている、平安建都千二百年祭の主たる行事の、全国祭礼行事には、先に京都より使者二人が来唐され、条件が整えば出動する方向で話が進められていました。しかし、輸送・保管・出動人員・日程等々なかなかうまく調整がつかず、止むなく出動を見合せることになりました。

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