唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第61号  平成2年10月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
 総代異動
魚屋町 日高 進  退社
 〃    小井手 巧 新任
山下町二丁目
      光岡 重吉 新任
西城内  久保 英敏 新任
山下町  富岡 清  帰幽

参 道 の 改 修
 唐津神社の参道は、今の市役所前の新装なった肥後堀と、まいづる百貨店の間から神社へと通じる道路、即ち歴史的街路名で言えば「明神小路」から、社殿に至るまでと言えます。このうち、明神小路は、もともと道幅は狭く、謂る小路でありましたし、又、大手口方面への連絡はなく、肥後堀で遮断されていました。ですから神祭の曳山神事は、大手門をくぐり、大手小路(検察庁前の道路)から、明神横小路(神社前を東西に横切る道路)を経て、社頭勢揃をしていましたし、発輿(神幸)の際は、明神横小路より大名小路を経て、大手門より町へ神幸していたそうです。
 明治に入り町内と城内地区を直接連絡できるようにと、明神小路切通しが計画されました。それには、通行の便を良くするため、両側の各御屋敷の一部を譲り受け、明神小路を拡幅し、更に県へ願い出て公有水面埋立許可を得て、参道の道幅の分だけ、氏子民の労力奉仕でお堀を埋め立て、大手口と直接往来出来るようになりました。先人遠の努力に限りない敬意を表します。
 その明神小路を含めて、唐津市では現在、城内を中心として景観整備が進められています。城内地区の散策から、一歩境内へ歩を進められたら、そこはセメント張りの、しかも随分傷みの激しい路面の参道がありました。
 本年は時恰も、平成の御大典という佳年でありますので、その記念事業にすべく、去る八月十八日より境内参道の全面改修をしました。この参道は元来、葛石だけで中は砂地でした。そこで、御鎮座一二〇〇年祭の記念事業として、セメント張りにしました。これにより雨儀の際の困難も解消されましたし、社頭の景観も大いに良くなったものでした。しかし、完成後三十五年を経て、損傷もひどく再補修も限界にきており、当時は斬新だったセメント工法も時代遅れになったようです。
 そこで今回は、景観上もさることながら、尊厳な雰囲気も考慮して、石畳にしました。工事は脇山進石材店の御奉仕を得ました。
 尚、正面石段下のセメント張り箇所は、大型自動車の進入や、曳山の清祓位置であり、それ等の重量に堪え得るだけの従前の工法を残しております。

唐津神祭
十月九日(火)
  ◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(月)
  ◎午前九時 神輿飾ノ儀
   一ノ宮 呉服町
   二ノ宮 八百屋町
  ◎午前十一時 本殿祭
十一月二日(金)
  ◎午後八時 宵曳山曳出
   各町曳山万灯をともして社頭勢揃(午後十時過ぎ)
十一月三日(土)
  ◎午前五時 神田獅子舞奉納
  ◎午前九時 発 輿 祭
  ◎午前九時三十分 御神幸発輿(煙火五発合図 市内一巡)
  ◎正  午 御旅所祭
  ◎午後三時 還御
    御旅所発輿(煙火五発合図)
十一月四日(日)
  ◎午前十時三十分 翌日祭
   曳山社頭勢揃の後曳出
  ◎午後二時三十分 米屋町通曳出
  ◎午後四時 江川町通曳出
  (いづれも煙火三発合図)
  ◎午後五時頃 曳き納め
   (曳山展示場へ)
十一月五日(月)
  ◎午後三時 神輿納めの儀
   一ノ宮 中 町
   二ノ宮 木綿町

秋に想ふ
宮 司 戸 川 省 吾
 本年の暑さは、例年になく厳しく長く感じました。毎日心待ちにしておりました夕立もほとんど無く、ただジリジリと照りつける日射しに、何らなすすべもなく、日一日を過したように思います。それでも季節は正直に秋の気配を漂わせています。夏が暑かった分だだけ、次は秋らしい秋が訪れるのかも知れません。
 今秋は、今上陛下の御即位・大嘗祭という、平成の御大典がございます。御代一度の大祭を想えば、秋らしい秋の訪れが待たれます。
 顧ますれば、六十数年前の昭和三年には、国を挙げて昭和の御大典を奉祝しました。唐津でも町区毎に飾り山笠がつくられ、くんちさながらの奉曳行事がありましたし、記念事業として曳山の塗替は数ケ町に及びました。今年は又、神武天皇即位紀元二六五〇年という節目の年に当ります。昭和十五年の紀元二六〇〇年には、国威発揚の意気盛んな時でありましたので、全国的規模で奉祝会がありました。
 さて本年は、平成の御大典と紀元二六五〇年(神話に伝える日本が誕生して今年で二六五〇年)という記念すべき佳き年を迎えています。この二つは、日本の「イノチ」を継承する儀式であり、イノチの原点がこれらの中にあります。
 国の内外は、今、極めて厳しい環境にあります。この時にこそ、日本の真の姿である平和を希求し、自然と共に生きている日本の精神を、明確に内外に示す好機だと思います。神社での祭典は勿論ですが、奉祝行事がどのように催行されるのか見守りたいと思います。
 さて、間もなく今年も唐津くんちが始まります。くんちは収穣感謝祭であり、その代表は「稲」です。くんちを通して、唐津の「イノチ」を継承しつつ、御大典の盛儀を祈る次第でございます。
 「くんち」は、申すまでもなく、唐津人にとりまして神人和楽の境地に入る最大の祭りです。めでたい時に着る着物を「ハレギ」と言いますが、日常の生活空間から見て、祭りの空間を「ハレ」と言います。つまり、祭り=くんち=は日常を超越した空間だと言えます。図示すると次のようになります。
 即ち、イ点からハレに入り、ロ点にくると、何事もなかったように又、日常の生活が始まる−継続する−のです。人人は、このハレの時間に魂を磨くと言います。良いハレの時間を過していただきたいと思います。
 今年も安全で楽しい唐津くんちでありますよう祈ります。


曳山情報
 
 ◎博多出動
 昨年に引き続き、福岡市のどんたくより招請を受けて、「博多どんたく港まつり」に出動。どんたくのジンクスの通り雨となったが、その雨を晴らす唐津曳山の意気を、福博の街に示した。昨年同様三台の曳山が出動した。第一番曳山刀町「赤獅子」・第六番曳山大石町「鳳凰丸」・第十一番曳山米屋町「酒呑童子と源頼光の兜」の三台が出動。

  
◎塗り替え等
 塗り替え中の第四番曳山呉服町「源義経の兜」は、十月中旬までに完成予定。兜の綴(しころ)は本組なので、組立に相当の人手と日数を要すとのこと。
 第五番曳山魚屋町「鯛」は、台車(車輪部)の損傷が予想以上にひどく、修理の準備が進められている。自動車のタイヤを取り替えるように、いつでもどこでも簡単にというものではないので、材料から技法に至るまで入念なチェックが行われている。

  
◎全国曳山連合会
 正式な名称を、全国 山・鉾・屋台保存連合会(会長・田中常雄=京都祇園山鉾連合会長)と言い、全国の国指定有形・無形民俗文化財のうち、文化庁の指導もあって、11団体が加盟しており、唐津曳山は去る昭和六十三年より参加した。
 いづれも全国有数の発礼行事の団体であり、発礼行事の進行方法、曳山本体の保存・祭り人の育成等、基本的問題も含めて、全国的規模で、より良き情報を得ることが出来るようになった。

  
◎幕洗い神事
 曳山囃子の保存・伝承者の育成・普及につとめる唐津曳山囃子保存会を始め、各曳山町内で行われた。保存会では、八月四日の潮時に合わせ、四隻の船を並べ松浦川に、更に土曜夜市の賑いに呼応しつつ、町田川を上り、しばし曳山囃子を打ち興じた。本年は、保利文部大臣夫人、保利美萌さんも乗船され、いつになく華やいだ雰囲気だったそうだ。

  
◎児童生徒とくんち
 去る九月二十二日に、取締会と小・中・高の各学校の生活指導担当の先生方との話し合いがありました。この会合は、児童生徒の曳山参加が、楽しいものになるようにと願う双方の考えが重なり合って、三年前から開催されているものです。
 祭りに酒は付きものですし、一寸とした冒険心も湧いてきますし、日常とは違う雰囲気にのまれてしまいがちです。児童生徒の飲酒喫煙は無論御法度ですが、くんちの雰囲気には、実社会学的な面もあります。
 昔から、曳山の曳子には小学生には小学生の、中学・高校には中・高生の責任と役割分担が、町々に伝統的にあります。と同時に、これ等は町内や社会での身の律し方を訓練する場でもあります。
 より良き指導は勿論のことですが、責任者の方々の労苦を感謝します。