唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第58号  平成元年4月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
昭和天皇陛下崩御
 一月七日崩御あらせられた、昭和天皇の御大喪は、去る二月二十四日、東京・新宿御苑での「葬場殿の儀」、八王子市・武蔵野御陵での「陵所の儀」を中心にして、諸儀式が斎行されました。葬場殿前の幄舎には、天皇陛下・皇后陛下・各皇族方をはじめ、竹下首相等三権の長、国民を代表する人々、又、世界百六十四ケ国の元首や代表者等約一万人が参列しました。氷雨につつまれた悲しみの中、誅歌が流れて祭儀が進められ、天皇陛下が弔辞にあたる御誅を奏上されました。
 葬場殿での諸儀式のあと、霊枢は八王子市の武蔵陵墓地に斂められ、陵所の儀が寒夜のしじまの中で斎行されました。
 この日は休日。デパートや商店のほとんどが休みで街中は静まっていたが、葬場殿へ向う車列の街道筋には、最後のお別れを申し上げようと、つめかけた人々約五十七万人余。全国各地でも追悼遥拝の式があり、国民斉しく昭和天皇の御遺徳をお偲びした。
 神社関係者は、新宿駅南口近くで奉送し、宮司も参列した。ここには全国各地から神社関係者約四百名が参列し、葬場殿の儀を終えられ、武蔵陵墓地へ向かわれる霊枢を、静かに奉拝した。

平成元年によせて
宮 司 戸 川 省 吾
 昭和六十四年の正月は、午前零時の謂る元朝参り″の頃、近年にないドシャ降りの雨の中で明けて行きました。雨は午前二時過ぎまで続きましたが、歳旦祭の午前五時頃には、星さえ見えるような空になっていました。
 昨秋以来、天皇陛下には御不例の御事とて、秋の神祭(唐津くんち)は、常ならざる緊張の裡にありました。先祖伝来の唐津の命を絶やすことなく、厳粛に新しい御代につなぐことが出来ました。昭和天皇最後の行幸の地である唐津らしいくんちだったように思います。
 このような中で迎えた本年の正月でしたが、早朝の雨のあとは、例年と変わらぬ初詣が見られる社頭でした。特に三ケ日は勿論、企業・団体の年頭参拝の多い四・五・六日にかけても、晴天続きでしたので、新年の諸祭儀は予定通り斎行することが出来ました。

 一月七日午前六時三十三分、天皇陛下には、崩御あらせられました。誠に哀痛の極みであります。
 昭和天皇には、御在位の間三回ほど唐津に行幸されております。いづれの御時も御機嫌麓わしくすごされておりますが、特に二回目の行幸の折には、親しく曳山勢揃を御覧いただいております。
 崩御の報に接し、昭和に生きて来たという種々なことが想い浮んで参ります。謹しんで奉悼の誠を捧げます。

 昭和天皇崩御という深い悲しみの中にも、新天皇御即位の儀等、御世代りの御儀は進められ、七日の午後には、新しい元号が「平成」と定められました。平成とは、「内平らに、外成る「地平らに、天成る」という二つの出典の二つの文言から決められたもので、諸般の混乱をさけるという配慮もあって、大正・昭和の改元の時とは例を異にして、明けて一月八日を以って平成元年とする旨も、発表されました。

 一月八日は、恒例の曳山囃子初め儀を斎行する日でしたが延期し、大行天皇を偲びながら、静かに平成の御世は明けて行きました。明治の御世に生を受け、大正・昭和そして平成へと、四代の御世に仕える方が多勢おられます。昭和に生まれ、新しい御世を見ぬまま過ぎし方もおられます。人それぞれの生命の中で、御世代りに同時代人として生きていた事に、深い感銘を覚えます。先祖より受け継ぎ伝へ来し日本人の命を、唐津人は曳山に託して、その無窮ならんことを期しています。
 「平成」の御世の弥栄ならんことを祈るや切であります。
 (因に、一月七日午後より一月十二日まで、唐津神社社頭での大行天皇遥拝記帳者は、六九七名でした。名簿は、一月十三日に宮内庁へ敬送いたしました。)
春まつり
(春季例大祭)
五穀豊穣民生安定祈願
諸産業隆盛家内安全祈願

5月5日 午前11時30分 斎行
唐津曳山社頭勢揃い
奉納 池の坊 生花

 曳山出動.よかトピア 博多どんたく
 曳山が、三十八年ぶりで博多に出動することになりました。
 去る三月十七日より 「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)が、福岡市の市政施行百周年を記念して開催されています。会期は九月三月までの一七一日間で、このうち、五月一日は唐津の日≠ニいうことになっているそうです。
 この唐津の日に合わせて唐津くんちを、よかトピアの会場内に再現しようと、曳山取締会では、曳山三台の博多出動を決定しました。続く五月三日は、博多どんたくに出動し、福博の街を雄壮華麗に曳渡ります。
 出動予定の曳山は、第二番曳山中町「青御子」・第三番曳山材木町「浦島太郎と亀」・第九番曳山木綿町「武田信玄の兜」の三台です。出動予定の町内では、出動人員の確認等の出動準備が進められています。

 曳山の塗り替え
 第一番曳山刀町の「赤獅子」(文政二年=一八一九年製作)は、去る昭和四十年の塗替以来二十四年を経ている。その間、小修繕はしてきているものの、近年色褪せが特に目立つようになり、又漆部分の損傷箇所も多くなる等で、塗替え工事をすることとなった。
 塗師は、福岡県八女市の近松岩吉商店とのこと。十月中旬には完成の予定。

 行事予定
四月
   一日 月首祭
 十五日 月次祭
二十九日 昭和天皇陵 遥拝式
五月
 一日 月首祭
 五日 春季例大祭
 八日〜九日
    九州連合神社総会
 十五日 月次祭
 十七日 神社関係者大会
六月
  一日 月首祭
 十五日 月次祭
七月
  一日 月首祭
 十五日 月次祭
二十九日 夏祭り
八月
  一日 月首祭
 十五日 月次祭
九月
  一日 月首祭
 十五日 月次祭
二十三日 秋季皇霊祭
         遥拝式
十月
  一日 月首祭
  九日 初供日奉告祭
 十五日 月次祭
二十九日 本殿祭

曳山立像完成
 JR唐津駅前に、このほど唐津曳山立像が完成しました。像は、特別製の唐津焼で、第一番曳山刀町「赤獅子」です。本物よりもやや小さめですが、唐津焼製品としては、史上最大のものだと言われています。
 曳山像の台座には、曳山十四台の姿図(陶版製)があります。又、毎定時には曳山囃子のメロデーが、電子音により囃されています。
 この史上最大の唐津焼による曳山立像は、中野窯の四代中野陶痴氏とその子息中野一政・中野政道氏が、一年有余の歳月をかけて、製作したものです。粘土選びから始まって、焼上試験を繰り返して、本体整形、乾燥、竃入れ、焼き上げること三十日間、冷却、竃出しと、それこそ精魂込めての力作と呼ぶに相応しいものとなっています。

 JR唐津駅発行のオレンジカード(曳山立像)
城下町整備が進められています
 城内地区では現在、石垣の清掃(雑草・雑木を除去し、石垣の面を綺麗にしている。)を始め、市役所前の外堀改修工事が進められています。築城時のような景感が見られるのではないかと期待しています。
 この他、観光客のための足元案内版の設置等も進められていますし、将来は、隈櫓の復元も計画されており、唐津新時代の到来といった感さえいたします。
(右=石垣・左=堀)