唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第54号  昭和62年10月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
唐 津 神 祭
十月九日(金)午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(木) 午前九時 神輿飾ノ儀
 
総行司一の宮 紺屋町
     二の宮 魚屋町
午前十一時 本殿祭
十一月二日(月) 午後八時 宵曳山曳出
      (煙火三発)
各町曳山万灯をともして
 社頭勢揃(午後十時半頃)
十一月三日(火) 午前五時 神田獅子舞奉納
午前九時 発輿祭
午前九時半 御神事発輿
  (煙火五発市内一巡)
正午 西ノ浜御旅所祭
午後三時 御旅所発輿 還御(煙火五発)
十一月四日(水) 午前十時半 翌日祭 曳山曳出(煙火三発)
午後五時頃 曳山曳き納め (曳山展示場へ)
十一月五日(木) 午後三時 神輿納めの儀 総行司一の宮 平野町
     二の宮 新町
十一月九日(月) 午前十一時 新嘗祭
 御 挨 拶
    宮司 戸 川 省 吾
 毎年七月一日は、恒例により唐津地方の海開き式が西の浜で斎行されます。本年も恒例により斎行されましたが、当日の好天は、この夏の幸い多きを予言しているかのようでございまして、誰一人として、夏らしからぬ夏を予感し得た人はいないと思います。唯、暦だけは旧六月と潤六月とニケ月にわたり、梅雨月を知らせておりました。そしてこの天候不順の夏の納めは、強烈な風を伴った台風十二号でありました。氏子の皆様方の家々はいかがだったでしょうか。お見舞申し上げます。
 さて、いよいよ年に一度の当神社最大の祭礼、秋季例大祭すなわち、唐津神祭が近づきました。毎回申し上げている通り、秋祭りとは、春祭りに祈願いたしました豊作豊漁・諸産業の隆盛等への感謝祭でございまして、特に主食であります「稲」の収穫感謝祭が、その原点であります。唐津神祭は、この収穫感謝の祭礼に、御祭神に直接つながります、御鎮座記念祭そうして、御鎮座の聖地への渡御という、神社にとって、極めて重要な意味を込めた祭礼が重なり合って、産土大神(うぶすなのおおかみ)様の御神威は、氏子各町々里々に、晋く広ごり行き渡りまして、日本各地の祭礼の中でも、神事祭の原初型態を忠実に斎行している祭礼でございます。
 このような祭礼を神社では恒例祭等と称し、年々歳々、怠る事なく、変る事なく斎行さるべきものとしています。祭礼が年々滞る事なく繰り返し繰り返し斎行される事によって、氏子民の将来につながる生命の躍動と継承があり、諸事発展の根源があると言えます。
 最近、と言っても、やや旧聞に属するようですが、あちこちで「むらおこし」等と呼ばれている、催しと申しましょうか、動きが時々報ぜられておりますが、一寸大袈裟な見方かも知れませんが、新なる祭りの創造という観点からみてみますと、新しい流れが生れつつあるのかも知れないと言う感を捨てきれません。その一つの証左として、それ等のうちの幾つかは、絶えて久しかった、鎮守の社の祭礼の復興を伴っていたり、以前に比べて、衰退しつつありと思われる祭礼の、大いなる活力の源となったり、或いは、全く新しい地域の核となるような行事を創設したりしているようでございます。
 顧みますと、戦後四十二年間が、多くの艱難辛苦の中からではありますが、気がついてみますと、終戦直後の生活は、夢幻が如くと言わないまでも、かなた遠くの出来事のように感ずる日々も多くなりつつあります。そしてこの間に置き去りにしてきた、大切なものが何如に多かったかを考えますと、譬えようのない暗く重苦しい気分が全身を覆うのを感じます。むらおこしの運動は、戦後四十二年間のうちに置去りにしてきたものの中で、古来日本人の社会共同の中心的役割を果してきていた、村落共同体の心情に相通じるものではないかと思います。
 こうしたことから村おこしの動きを、しばらく注意深く見守っていきたいと思います。神祭・年末年始の諸祭礼を目前にし、各位の弥栄を祈念します。

 新町曳山塗替え
 第七番曳山新町「飛龍」は、福岡市梅谷仏具店の手で塗り替え工事中の処、九月二十七日に、工期を終えて唐津へ帰ってきた。これからは、台車にとりつけて、最終の作業があるのみ。
 「飛龍」は、他の二台の曳山(刀町・米屋町)と共に一番最初に唐津を出て、博多に出動した曳山で、昭和二十六年、まだ戦後の復興の兆しがあるやなしやの時分、クレーン車等あろう筈もなく、駅のプラットホームの高さを利用して、台ごとトラックに積み込んで出動してから、早くも三十六年、今回は同じ街道を途中までだが、解体されての往復。昭和五十二年に東京NHKホールに出動してから十年、前回の塗り香えが昭和三十三年ですので、二十九年ぶりの総塗り番えです。弘化三年(一八日六年)の製作ですので、製作以来百四十一年目で五回目の塗り替えになります。
 また一つ、くんちの楽しみが増えました。
 尚、新町曳山から、塗り替え手続きが改善され、より多くの専門家の目が曳山に注がれることになり、特に保存・維持という面で、期待されています。

 行事予定
   (来年春祭りまで)

十月
 一日 月首祭
  四日 観月茶会 唐津新聞社主催
  九日 初供日  午後七時
  十五日 月次祭
  二十九日 本殿祭  神輿飾の儀

十一月
  一日 月首祭
  二日・三日・四日 唐津神祭
  五日 神輿納め
  九日 新嘗祭
  十五日 月次祭 七五三祈請祭

十二月
 一日 月首祭
 十五日 月次祭
 三十一日 古神札焼納祭  除夜祭

昭和六十三年一月
  一日 歳旦祭
  三日 元始祭
  六日 新年祭
  十五日 月次祭

二月
 一日 月首祭
   日 節分祭
 十一日 紀元祭
 十五日 月次祭

三月
 一日 月首祭
 十五日 月次祭
 二十三日 春季皇霊祭

四月
 一日 月首祭
 十五日 月次祭
 二十九日 天長祭

五月
  一日 月首祭
  五日 春季例大祭

 水主町曳山
 大 阪 出 動

 第十三番曳山水主町「鯱」は、十月十一日に開催される、今年で五年目を迎える『大阪二十一世紀計画−'87御堂筋パレード」(主催−財団法人大阪二十一世紀協会)に出動することになった。
 当日は、水主町々内や応援の曳山各町取締、又、特別参加の曳山踊りの花柳三祐師匠を始め御門下生等々百名近くが上阪し、在阪唐津人と一諸に、商都大阪の目抜通りである御堂筋の、約三・三km(くんちのコースの約二分の一)を、約二時間で曳き渡ることになっている。
 水主町曳山は、今回が初の出動で、町内ではその対応に早くより取りくみ、九月初めには、解体して、トレーラーに積み込むための総練習を、実際の車輌で試めす等、萬遺漏なく準備が進められている。昭和五十三年秋には、大石町・米屋町の曳山が帝都の大道脈の根元−日本橋通−を曳き、本年、水主町が商都大阪の大通脈を曳くことになった。大阪には、万国博以来の曳山囃子が響き渡ることになる。