唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第49号  昭和60年4月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
唐 津 神 社
御鎮座壱千弐百参拾年式年大祭
昭和六十年四月二十九日
奉納神賑曳山巡行10時揃1時30分曳出
記 念 事 業
 一、神輿二基総塗替
 一、神 輿 庫 新 築
 一、玉 垣 改 装

御  祭  神

一の宮
 底 筒 男 神(そこつつおのかみ)
 中 筒 男 神(なかつつおのかみ)
 表 筒 男 神(うわつつおのかみ)
 二の官
 神 田 宗 次 神 霊(こうだむねつぐ)

相  殿
 罔 象 女 神(みづはのめのかみ) (水の神)

霊  験
 開運、海上安全、大漁豊満、火伏

祭  日
 五月五日 春季例祭
 十一月三日 唐津供日
 十一月九日 新 嘗 祭

御  由  緒
 唐津神社は、神功皇后が三韓綏撫の砌、舟路静かならざるを憂い、底筒男神、中筒男神、上筒男神、この住吉の三神に祈り給いて、程なく風波が治まり、渡海の上、三韓との和平をなされ、御帰朝の後、鏡を捧げて松浦の海浜に祀り給うたのに創る。
 その後、社殿の廃滅に瀕せんとした時、恰も時の領主神田宗次の神夢により、海上に一つの宝鏡たるにより、時の帝に奏聞に及んだところ、詔命を下し給いて、神号を「唐津大明神」と賜った。時に天平勝宝七年九月二十九日にして、これより今年は正に一千二百三十年を迎える。
 爾来、郷党の崇敬加わり、文治二年、神田広は社殿を再建し、祖先宗次の功を追慕し、その霊を合祀して二の宮とす。降って文安六年時の領主波多三河守親は田地を寄進し崇敬をいたした。
 慶長七年、寺沢志摩守広高は、唐津を相して築城し、その完成と共に、城内の守護神として鎮座し給い、改めて社殿を再興し、境内を拡張し、領内の火災鎮護として水神、罔象女神(みづはのめのかみ)を勧請し相殿となす。
 その後、大久保、松平、土井、水野、小笠原の各城主も相次いで祈願所と定め、神輿渡御に随伴し、正月には社参の儀を行うなど敬神の範を領内に垂れ、広く唐津領内の総社として明治維新を迎え、明治六年唐津神社と改称し、郷社に列した。
 しかしながら、郷土の氏子は、敬神の念やみがたく、同社の旧態に甘せず、明治二十六年には参道を延長し、明治二十七年には拝殿の改築をなし、大正五年より昭和八年までに境内拡張のため隣接地を買収し、その間大正十三年には社務所を新築し、昭和十二年よりは社殿の頽廃せるを以て総改築を計画し、昭和十四年竣工を見、茲に社殿及境内は全く旧態を一変するに至る。
 又、昭和二年には、東郷平八郎元師の筆になる社号標を、昭和六年には刀町、宮崎清氏より参道正面へ石の大鳥居を、昭和十五年には消防団より、コンクリート大鳥居を火伏の霊験の奉賽として奉納、昭和十五年には国民学校職員生徒一同の寄進によって、小笠原長生公の筆になる社号標が建立されるなど整備が行われた。
 昭和十七年には、氏子待望の県社列格が実現し、神徳の宣揚が進められた。
 戦後は、宗教法人として神社太庁に所属し、氏子崇敬者の敬神の念いよいよ篤く、昭和三十年には御鎮座一千二百年式年祭を斎行し、手水舎の新築などがなされた。
 昭和四十九年の唐津供日には、三笠宮崇仁親王殿下、同百合子妃殿下、同寛仁親王殿下の御親拝と、曳山台覧の光栄に浴した。
 今日まで、恒例の礼典怠ることなく奉仕され、社頭益々殷賑である。

式年祭を迎えて
宮 司 戸 川 省 吾
 唐津神社におきましては、本年御鎮座壱干弐百参拾年を迎え、四月二十九日の佳き日に、献幣使の参向を仰ぎ、式年大祭に併せて、春季例大祭と天皇陛下御在位六十年奉祝祭とを斎行し、神恩奉謝と、皇室を始め奉り、国家・郷土の安寧と、五穀の豊穣・諸産業の隆盛とを祈願いたしますことは、誠に目出度く慶賀の至りに存じます。
 当神社の創祀は、孝謙天皇の天平勝宝七年九月二十九日詔命を降して、唐津大明神の神号を賜ったのでございまして、それより歳を重ね数うれば、本年は、正に壱千弐百参拾年に相当るのでございます。
 この永い歳月の間には、世上幾多の興亡が繰返えされてきたのでしょうが、夫々の時代時代の人々によって、拝み継がれ伝え継がれて、今日に至っているのでございます。その間にありましても、恒例の祭典・祭礼が盛りに栄えて参りましたことは、御神徳によるものでございまして、神威を畏み奉りつつ、明神様に寄せられた先人の御遺徳を偲びますと共に、氏子皆様方の変らぬお力添えによるものと一層感銘を深くするものでございます。
 私共は、この記念すべき式年祭を迎えるに当り、議を興し、大祭典に相応しい記念の行事をも為さんとして、先づ神輿二基の総塗替えを行い、実に七十年振りに華麗な御姿を拝すことが出来ました。
 又、この神輿を納める神輿庫も五十年振りに新築再建されましたし、神域の玉垣・塀などの補修や塗替えをも行い、殿内調度類の新調を為すなど、社頭の面目を一新いたしました。
 これらに要しました諸経費は、総て氏子皆様の篤い心の籠った浄財の御寄進によるものでございまして、誠に感謝に堪えません。ここに、有難く厚く御礼申し上げる次第でございます。
 今後共、唐津神社の弥栄と、皆様方の御健勝と御繁栄を祈念申し上げまして御挨拶といたします。

式年祭を奉祝して
祭典委員長 金 子 勝 商
 唐津神社は、一の宮に住吉の三神・二の宮に神田宗次公を御祭神として奉斎せられ、この松浦地方の総氏神様でございます。天平勝宝七年の御鎮座以来、本年は、正に壱千弐百参拾年を迎えまして、四月二十九日の佳き日に、式年大祭が斎行されることになりました。
 このことは、氏子崇敬者一同の慶びでございまして、ここに謹しんでお祝い申し上ぐる次第でございます。
 この式年大祭を記念して、神輿の塗替えを始め、神輿庫の新築が計画され、神社役員・氏子総代様方はもとより、広く氏子各家庭や崇敬者各位が一体となって奉賛活動が進められ、皆様方の熱誠溢るる御賛助をいただいて、記念の諸事業も、この度、めでたく完成を見ましたことは、御同慶の至りでございます。
 ここに、氏子の方々を始め崇敬者各位に対しまして、深く感謝申し上ぐる次第でございます。
 唐津神社の神域は、市民の心の拠りどころでございます。この緑濃き神域に鎮ります大神様は、郷土の守護神として御神威益々に発揚され、氏子各位はもとより、崇敬者の上に限りない御神徳の輝きまさんことを祈念いたしまして、御挨拶といたします。

御 奉 賛 に 感 謝
式年祭実行委員長 脇 山 英 治
 唐津神社は、御由緒古い名社であり、唐津の総氏神、総鎮守として、広く郷土民の崇敬をあつめておられます。
 このたび、勧鎮座一千二百三十年という、めでたき佳き歳を迎えることになりました。そこで昨年、総代相寄り「御鎮座一千二百三十年式年祭準備委員会」を結成し、審議を重ねて、記念事業を起すこととなりました。
 この記念事業とは、氏子永年の念願でありました、神輿二基の総塗替えと、それを納める神輿庫の新築、その他玉垣・塀などの補修、及び殿内調度の整備などでございます。これらのうち、神輿二基の塗替えや、神輿庫の改築等、記念事業の多くは、昨年のうちに竣工し、昨年の唐津供日には、漆の色も華麗な神輿の渡御が行われまして、関係者一同感謝に堪えざるところでございます。
 これひとえに神威のもと、氏子崇敬者を始め関孫者各位の熱心なご協力と、各方面よりの手厚い御支援、御奉賛の賜物と衷心より有難く厚く御礼申し上げます。
 これからも、唐津神社の御儀につきまして御高配を賜りますようお願い申し上げます。唐津神社が、今後益々御神威を高揚され、郷土の総氏神様として発展されますようお祈り申し上げまして御挨拶といたします。

住吉の神とは
 唐津神社にお祀り申し上げる神さまは、一体どんな神さまであろうかという疑問をお持ちの方は沢山おありになると思います。
 そこで、このたびの式年祭を迎えるに当り、その御神格と御霊徳とを申し上げ、一層篤い信仰を寄せられますようお願いいたします。
                             
 そもそも、唐津神社に奉斎する主祭神たる神さまは、「底肋間男神(そこつゝおの)」「中筒男神(なかつゝおの)」「表筒男神(うわつゝおの)」の三柱で、この神さまを、「住吉の三神」と申し上げて、その総本杜は、福岡市住吉に鎮座される、元官幣小社住吉神社であります。
 住吉三神は「伊奘諾大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に『禊祓へ(みそぎはら)』給いし時」の御出現であり、遠く神代の昔、其の御出現の地であるこの筑前住吉に奉斎されたと伝えられております。又、天照大神、月読命、素戔鳴命の三貴神が、住吉大神に次で初出現の次第は、日本書紀に明らかで、以て住吉三神の御神格の高さを伺うことが出来ます。
 住吉三神を奉斎する神社は全国二千一百二十九社ありますが、当唐津神社もその中の一社であります。
 そこで当社に奉斎を見たのは、一体どういう由縁によるものであるかと申しますと、この住吉の大神は、「禊、祓」の霊徳を以て諸人の心身の清浄に御加護あらせ給い、而してその心身の清浄から生ずる「開運と光明」とを恵ませ給うのであります。
 更には、神功皇后紀、八幡禺童訓等の古書に、住吉神は、神功皇后に御神教を垂れ給い三韓御渡海の砌、その荒魂は、舟師を導き給
い、和魂は皇后と胎中天皇(応神天皇)の玉体を守護せられ、刃に衂らずして悉く平定し凱旋遊ばしたので、皇后はその御神徳を奉謝され、新羅の府に、住吉の大神を国の鎮護として斎き奉り、又摂津、長門、壱岐に住吉神社を御創建になった次第が記されております。 唐津神社も実はその時、御凱旋の上陸地であるこの松浦の地に最初に三神を鎮祭せられたのでありまして、誠に深い由縁が伺はれるのであります。
 住吉三神の御霊徳は「祓と光明」「光明と祓」と表裏一体観に根ざす「住吉大神と天照大神とは同心異体」との説も伝承されるなど信仰の中心となっています。
 唐津神社の御祭神としての、住吉三神の御霊験は、神田宗次公の熱烈たる信仰心によって、再建奉祀されたもので、その御霊徳は「祓え」の霊徳と併せて、神功皇后の御霊験に基く、海洋、船舶航海交通の安全守護、大漁豊満の信仰を柱として、祭政一致の心を以て領民の嚮導をなされたのでありましょう。
 当社に於きましては、かゝる霊徳を基として、一千二百三十年という永い歳月を祀りつゞけ、受けついで今日の、あの唐津供日に見られるような、氏神さまと氏子との固い絆は実に遠い祖先から伝えられたもので、その、いやちこなる神縁を畏み奉るのであります。
 こゝに、この式年祭を機に改めて一層のお力添えをお願い申し上げます。