唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第45号  昭和58年4月1日発行
発行人 戸川 省吾
編集人 戸川 惟継
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
春 祭
五穀豊壌   祈 願
諸 産 業 隆盛祈願

5月5日 午前11時30分斎行
献 幣 使 参 向

総代異動
京 町 岩下 忠正 帰幽
 〃   山口  哲 就任

平野町 袈裟丸春雄 帰幽
 〃   徳永 徳次 就任
 〃   瀬戸 利一 就任

東城内 近藤  隆 退任
 〃   宮後 嘉市 就任

南城内 北村 廣二 退任
 〃   戸田 陞  就任

桜馬場 鈴木 俊煕 就任

南富士見町
     梅村 弘司 退任
 〃   桜井 博美 就任
昭和五十八年度 祭典行事予定

  四月二十九日   天長節祭
  五月五日   春季例大祭
    (からつ城まつり)
  七月一日 (前後の日曜)   唐津海水浴場海開き式
  七月二十九日   夏 祭  (茅の輪くぐり)
  九月秋分の日   秋季皇霊殿遥拝式
  十月九日   初供日奉告祭
  十月二十九日   神輿飾りの儀 本殿祭
  十一月二日   唐津神祭 宵祭
  十一月三日   唐津神祭 神幸祭
  十一月四日   唐津神祭 翌日祭
  十一月五日   神輿納めの儀
  十一月九日   新嘗祭
 十一月十五日   七五三祭
  十二月  日   伊勢神宮・佐賀県神社暦・唐津神社大麻頒布始式
 十二月三十一日   古神札焼納祭・除夜祭
昭和五十九年
 一月一日   初太鼓・歳旦祭
 一月三日   元始祭
 一月六日   新年祭
 二月節分の日   節分祭
 二月十一日   紀元節祭
 三月春分の日   春季皇霊殿遥拝式
 ◎毎月一日・十五日は、 早朝に月首祭(月次祭)を執行。

正月から
  春祭まで
 社殿内外を清掃して新しい注連縄には新しい紙垂を附し、門松を樹てゝ、かがり火の燃え盛る中に、午前零時号鼓を打鳴らし、皇紀二千六百四十三年昭和五十八癸亥元旦を告ぐれば待ち構えたる参拝者一度にどっと垣を切って向拝口に額き鈴の音拍手大太鼓の音しばしも鳴り止まず、賽銭の雨あられと飛び散りて一心に祈願する状は誠に壮観である。やがて午前五時宮司以下奉仕して歳旦祭を行い、同家の隆昌、皇室の繁栄、氏子の安穏を祈った終日参拝は絶間なく、今年の初詣は晴着姿が少く地味な格好か目立った。
 二月三日には節分祭を盛大に行い、四日は文字通り天気のよい暖い立春を迎う。二月十一月の紀元祭、十七日の祈年祭と共に国家皇室につながる大祭中祭として斎行仕る。三月十日は元の陸軍記念日で、この頃より春めいて旧二月の初の午の日は各稲荷社で初午祭が行われた。境内社の本町の火伏稲荷、呉服町の白飛稲荷、新町の白玉稲荷の社々には沢山の幟を樹てて賽者に神酒神符を授けて福徳を祈る。然し、三月の初には神社界にとって厳しい事件が次々知らされる。箕面市の忠魂碑裁判の判決で公務員が宗教行事に参加することは出来ないとか、宮中祭祀の乱れとか、日本国以外の国は皆平和愛好国で日本国のみが侵略国であるとかである。これらが知らせるもとは、終戦時に占領軍の押しつけたる神道指令による新憲法の政教分離のことから発したものである。一体、諸外国の宗教というものが、人類愛と平和を説く割に実戦闘的で殊に欧州ではアイルランド又はイラン・イラク中東紛争の現れで宗教と国家と宮廷とが結んで様々の葛藤を生ぜしめ国家の存亡に関する事態に立至ったことは東西洋史を繙くまでもなく明かである。それで諸外国では、殊に欧州ではこれら弊害を除く為に政教分離の政策を採っているので我日本の神社神道を戦後進駐軍か宗教と見做し政教分離の神道指令を発し、占領終了後と雖も憲法に入れこんで実施しているのは聊か的はずれのようである。
 それはさておき、我が唐津明神のみはるかします唐津駅は見事に高架となり、これより直に筑肥線の電車が去る三月二十二日には走り出し、当日は曳山も神社前に揃い出し山囃子を賑やかに行ってお祝いをした。
 又同様に我神社神道界にも明るい知らせがある。それは神社本庁篠田総長談話で、前述相応しからぬ事柄に対して我ら神社人の立向う心構えを指示されたものの如く実に心強い限りである。それによると、政教問頓に関しては、祭政一致の問題を見落さないようにして本質的には宗教である神道にはなじみにくい所がある。我々の悲願とするところは神社を宗教の枠外に置くことだと思う。若い神職の中には宗教として教勢拡大をどんどんすべきだという人がいます。がそういう行き方をしては困ると考える。大筋では国家の宗祀である。憲法問題や、神社法との制定ともつながって来る。現状では中々むづかしい。しかし神社神道と日本の国とはあざなえる縄の如き関係であって厳格なる政教分離の主張は国の存立を危くする。現体制下では大いに政教分離解釈の運動で行くべきだと思うと、いわるる通り我が神社神道元来宗教の枠外にあるのが正しいので、国家と結びついても宗教戦争を起したこともなく国家を混乱にみちびいたこともない。国と結びついてこそ年頭に祈願したように国の隆昌、皇室の繁栄、郷土の安穏に大いに役立って来た。神職たるものこの事には日頃自覚しているのではあるが、これにより意を強うした次第である。
 四月には処々のお社の春祭が行われ、やがて五月になれば我が唐津神社でも春季例大祭を盛大に執行し、総長のみ教へを体し、国家皇室氏子の繁栄はもとより五穀豊穣、商工業の発達より大唐津大発展を祈るものである。
          (健)

筑肥線電化と
  曳山勢揃

 国鉄筑肥線のうち、博多−東唐津間は、福岡市営地下鉄との相互乗入を目指し、電化工事が進められていたが、一部の路線を廃止したり変更したりして、去る三月二十二日に、唐津(西唐津)−仮博多間が電化開通した。
 この電化開通を記念して各種団体により、種々の祝賀行事が開催されたが、唐津曳山取締会でも、祝賀の曳山勢揃をした。開通当日の三月二十二日は、前日までの曇り空を吹き払う好天気。午前十時までには、各町曳山十三台(一台は塗替中・京町)が、社頭大広前に勢揃。唐津駅頭での出発式に参加した関係者が、記念式典参加のため文化会館へ到着する中、囃子保存会による曳山囃子を奉奏。遠来の人々は、感激の様子。
 この日は、春休み中でもなく、又、日曜日でもないのに、博多方面よりの初乗り組らしい家族連れや、ぐう然行き合せたであろう旅行者等で、社頭は終日賑っていた。
 社頭では、三月末から、四月初めの春休み期間中に筑肥線の初乗り組と思われる家族連れや、小学生だけのグループ旅行者等の参拝も多かったようだ。
 又、四月一日には、博多方面への道路のバイパスも開通し、福岡ナンバーの車による参拝も、目についた。
 開通による人の動きも、静かになってきている。これからが、唐津商圏の正念場とも言われている。どうぞ、御神威を晋く給りますようにと祈念する次第。
 これら鉄道・道路の開通は、唐津供日に好影響を、もたらす筈と、関係者一同大いに期待している。