唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第40号  昭和55年10月1日発行
発行人 戸川 健太郎
編集人 戸川 省吾
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
唐 津 神 祭
十月二十九日  本殿祭
十一月二日   宵祭
 総行司 魚屋町 平野町
十一月三日   神幸祭
十一月四日   翌日祭

今年の秋季大祭を迎えて
宮 司 戸川健太郎
 今年は天候異変にて、冷夏長雨又富士落石と国内にとどまらず、米国の熱波、ソ連の寒波等思わぬ事態が出現した。それに同国の外国侵入、又我国近海には同軍艦の我物顔に振舞うなど更に波蘭国の共産国として珍らしい同盟罷業の中にイラン、イラクの衝突が勃発して今やその最中にある。
 近年希なる複雑怪奇の情勢と言わねばならない。事の吉凶は問はざるも、何等かの前触れの如く感ぜられる。
 鈴木内閣は、是等国の内外の状態に対処し、国の姿勢を正すべく憲法を稽え靖国神社国営の問題を復活させ吾人の注目する処となったのであるが、国の伝統、国の理想、国の大義名分、国防、国の安寧、国の領土問題等を思う時未だしの感あり。
 世今や物品足りて大国を謳歌せる時に当り先の国内異変は、是をしも天誅神譴の予知とや言わんか。
 冷夏より残暑おさまり、秋を迎え先づ足本の唐津大明神よりまだまだ厳しい神略神怒を蒙ることであろう。
 大日本国の栄光を念じ御国に御運を添うべく心身を正して、郷土の発展と安全を祈願して、此の宮の大祭をおごそかに、賑かに行い大明神の御神威を和め奉らんとする次第である。

赤獅子の怒れる鼻を先立てて

    道開き行く状ぞいさまし
からつくんち・1番山 赤獅子(刀町)文政2年(1819)製作
氏子総代異動

南城内 永富 納 帰幽
南城内 阿部 晃 新任
南城内 北村広二 新任
西浜町 和田正也 退任
西浜町 河上春次 新任
名誉総代野田久八 帰幽


 
神輿台車庫増築
 神輿台車の格納庫は建設以来十年になるが、庫内が狭隘で出し入れに困難なため増築工事を進めていたがこのほど完成した。
 新庫は、面積が二倍になったため、二台の車が組立てたまゝ一緒に格納出来るため、神祭時に於ける出入が便利になった。


 
寿社移転奉祀
 神輿台車格納庫増築に伴い、末社の寿杜を御移転申上げるに際して、新に覆いの屋根を新築して参拝に便ならしめた。

 
拝殿敷物新調
 拝殿内の敷物を紋縁畳三十六畳を新調し五月五日の春祭から使用した。

 
参道正面石段改修
 参道正面の石段は大正初年に設置したもので、最近損傷はげしく、通行に困難を来たしたため一段を加えて工事を進めている。
 来る神祭までには新らしい石段が完成し、参拝の通行が便利になる。

 
社務所修理
 社務所の屋外、屋内の壁が損傷を来したため、その塗替えと、屋根瓦の葺替えと、又玄関の沓脱ぎの敷替え工事を行いこのほど完成。
 内外の白壁が新らしくなり美観を呈した。


  中 町
青こそは牝獅子とぞ知れ二またの角よりかけて耳たすきせり

  材木町
玉手箱未だ開かず亀の背におさまる君の面かわりなき

  呉服町
竜頭前立にせる鍬形の兜の面はよにもやさしき

  魚屋町
味細はし鯛も交りて大神のけふの大にえ仕え奉らん

  大石町
鳳のおへる屋形を船にして人波たてる中をねり来る

  新 町
天翔る竜も下り来て大神のけふの御幸に仕へ奉らん

  本 町
黄金色に足れる面輪を化粧せるこれもかはじや牝獅子なるらん

  木綿町
鹿の角の兜着けしは昔より古つわものゝ名に洩れぬかも

  平野町
この兜見れば思ほゆ越の国後したがえし人の形見に

  米屋町
大江山ありし昔の世がたりを囃し立ててもひき廻るかな

  京 町
この獅子は玉取おふせ今はしもそれのり据えてたはれおれるかも