唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第37号  昭和54年4月10日発行
発行人 戸川 健太郎
編集人 戸川 省吾
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
春 祭
刀町 赤獅子百六十年祭

曳山社頭勢揃

5月5日
午前11時
献幣使参向
曳山鯛″ニースカーニパル
  出場について

 今般フランス政府の招待によって、南フランスのニース市のカーニバルに魚屋町の鯛山が出場することになり、市当局の大英断と神社、曳山取締会との大変なお骨折りによりまして、無事に而も大盛況の裡に終了しましたことは御同慶の至りに存じます。
 神社からは戸川省吾祢宜戸川惟継権祢宜、氏子総代から岸川欽一、井上貢、平岡清一、鶴田英俊の四氏が参加されました。
 尚このためには、派遣団が結成され、団長は曳山総取締の脇山英治氏を始め市代表として、西忠利部長が参列され、編成は曳山関係一〇四名と一般観光団六〇名で合計一六四名となりました。
 こゝで、その概要を申述べますと、一行は去る二月二十二日雨の中を神社参拝の後出発、大阪空港でエールフランス機に乗り換えて成田経由でパリへ向けて出発し、二十三日朝パリ着、国内線に乗り継いでニースへ到着。現地も小雨の降る寒い天気でした。
 魚屋町は早速先着の曳山の荷解き、組立、飾り付けと忙がしい。他の人は順路の下見などをする。
 ニースの街のたゝずまいは、地中海の天使の湾に臨む長い海岸沿いに、遊歩道路がありそこには休息用の椅子があり、自動道路を距てゝホテル、カジノ、カフェー、土産物店等が整然と並んだスッキリした典型的な観光都市で、その海岸に面したネグレスコホテルが一行の宿舎となる。このホテルは百年以上前に造られた古典的造りのホテルで当時の服装をしたボーイやエレベーター係が居たりして珍らしいホテルでした。
 翌二十四日は天気も次第に良くなり、午前十時から主催側のカーニバル委貝会の招待でレセプションが開かれ、近くの会場へ出向いて曳山関係者五十名が法被姿で出席し、先方の歓迎の言葉に応えて西部長が瀬戸市長のメッセージを読み上げ、記念品の贈呈の後シャンペンで乾盃して祝福し合いました。
 この日午前中これに出席しなかった約半数は近くのモナコの観光へ向い、午後又残りの半数が同じくモナコの観光を楽しみました。
 その夜はいよいよイルミネーションパレードへ出場するわけで、四キロ離れた格納庫からトレーラーで曳山を運び、マセナ広場の出発地点で降して八時からのパレードに参加するわけです。
 このカーニバルの出し物はヨーロッパ数カ国からの出演で、今年のテーマ ″海の王様″にちなんだ馬鹿デカイ作り山や音楽隊、騎馬隊その他個人や団休の奇抜な人形などが次々と出演します。
 パレードの中心になる処はマセナ広場と言って、唐津で言えば丁度大手口の広場のような処で、噴水を中心にしてロータリーになり周囲は観覧用のスタンドが造られ観客はゆっくり見物出来る仕組で、その他二キロの沿道は広い歩道も大変な人出でその中を鯛山も負けじと掛声勇ましく曳き廻りました。
 観衆は熱狂して紙吹雪を撒きちらし、大はしゃぎで大賑いを呈し二キロの順路を二周して午後十一時頃曳き終り、曳山を再び単に載せて格納庫へ納め大盛況裡に第一日を終りました。
 明くれば二十五日、ホテルの窓から臨む天使の湾≠ヘ浪静かに陽光、さん然として輝き雲一つない絶好の山曳き日和、何とも嬉しい限りでした。
 午前十時から幹部が集り昨夜の経験から事故を未然に防ぐための曳方の打合わせを充分にして準備を進める。 前夜の如く格納庫から車で運び降して据え終り次第曳出し前に神事を執り行わねばならぬので神主は大いそがし。はるばる唐津から運んで来た祭壇を組立てるなどして準備を整える。短時間の内に厳粛な祭典を奉什せねばならぬ。まわりで見ている人は目色、毛色の変った異国人ばかりで、おかしな祭りはされない、ちょっびり緊張する。
 修祓、祝詞奏上、玉串奉奠と型の如く進み最後に脇山団長の鏡割りで一同神酒をいただき、これからいよいよ本番の曳き出しとなる 沿道は昨日にも増しての観衆大変な人出の中を鯛山は大きく身をひるがえし、ヒレを広げてエンヤ、エンヤと走りに走る。カーニバル委員会の係員が何度も飛んで来て順路の変更を告げ一番賑やかな処を重点的にパレードするよう指示があるなどこの日の目玉は正に魚屋町の鯛山にしぼられた感さえあった。
 かくて午後五時大盛況の裡に曳き納め台車の上に載せ終ってから、脇山団長の発声で万才三唱の後、釆配や鉢巻などをばらまいて記念とし目出度く何の事故もなく終りを告げました。
 これより魚屋町は、早速格納庫へ至り曳山の荷造りにかヽり九時半頃終って、全員が揃ったところで大食堂で仕舞祝いの宴を開きました。皆さんが服装を正し仲でも観光団の中の御婦人は和服の正装で参加され華やいだ雰囲気でなごやかな中にお互が大役を果した安らぎの中で祝宴は深夜まで及びました。
 これでニースでの公式行事の一切を終り最後の一夜を過ごしました。
 翌二十六日は五時起床、六時出発、八時ニース飛行場出発でパリへ向う。
 当日と二十七日の二日間は花のパリを観光し充分楽しんで二十八日パリ出発十八時間の空の旅をつゞけて無事三月一日夜全員無事帰えり着きました。
 かえりみれば、全行程全行事を無事故で成し遂げたことは関係皆さまの大変なお骨折りと市民皆さまの暖い御支援をいたゞいた賜でこゝに厚く御礼を申上げる次第でございます。
 (写真提供 唐津新聞社 松本太治記者)
曳き出し前の神事 大賑わいのカーニバル
歓迎レセプション カーニバルの人気者鯛山
美しいニースの海岸 カーニバルの出しもの
ニースのカーニバルとは
 観光客で一年中賑っているニースでは年中行事も多彩。その中でも特に人気があり、世界的に有名なのがこのカーニバル。
 キリスト教国では、毎年復活祭の四十日前から四旬節が始まり、その期間は荒野で苦行したキリストを偲んで懺悔や精進が行はれ、肉を絶つ。その前に肉を食べて楽もうというのがカーニバル。謝肉祭ともいう。
 ニースでは告解火曜日の二週間前から始まり、フランスで行われる数少ないカーニパルの中で、最も派手なもの。町中あげて盛大なパレード、花で飾られた車の行進、花火、仮面舞装会などが繰広げられ、南国特有の雰囲気をかもしだす。

刀町赤獅子
 一六〇年祭

 唐津神祭に奉納される曳山は、遠く水野藩時代から傘鉾や走山などがあったが今の曳山は、文政二年刀町が赤獅子を造って奉納したのが始めである。
 その後明治九年まで五十余年間に十五の曳山が出来た。
 今年はそれから丁度百六十年に当るので刀町ではこの記念の年を祝い、種々の趣向をこらした催しをするとのことで当日の賑いが楽しみ。

白飛稲荷神社
  社殿竣工

 境内神社の白飛稲荷社は元呉服町に鎮座奉斎されていたが、大正初年現在地に奉遷されたもので、当時の社殿が老朽化したため、今般氏子の呉服町が工費七百万円を以って総改築することとなり、福岡市の狩野興建株式会社が工事を請負って、このほど美事に完成し去る三月三日竣工奉告祭が執り行われた。
 新社殿は、建坪四坪、妻入り造り、銅板葺、朱色塗りの明るい社殿で、本社との調和もよく、三月四日の初午祭には多くの参拝者で賑わった。

氏子総代帰幽
 坊主町 後藤利一氏
 西城内 長浜海造氏
右両氏は二月二十八日・三月五日に逝去されました。
 永年の御奉仕を感謝し御霊前に宮司が弔辞を捧げて御冥福をお祈りしました。