唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第35号  昭和53年4月1日発行
発行人 戸川 健太郎
編集人 戸川 省吾
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
春 まつり
曳山社頭勢揃
5月5日
午前11時
献幣使参向
浦安舞奉納
協賛
神賑行司
 城まつり振興会
 池の坊生花
春祭を迎えて
            宮司 戸  川  健 太 郎
  昨年は、神社神道及神社神職の本地とある神社本庁を爆破するという不祥事が出来し、我等神職に対して少からざる衝撃を与えましたが幸いに大事に至らずこれを治めましたることは、一先づ安堵せりとは申せ、吾々日本人として、神意を畏み心を一つにして修理固成の天業恢弘に努力すべき秋に当り、日本人でありながら、政治的、宗教的の意図の下にこれを妨害し、阻止する一部の国民の行為は卑劣極まるもので、誠に慨歎に堪えざる次第でございます。
 我々神道人と致しましては、神社神道奉護のためにこの不祥事のみならず、如何なる妨害にも屈することなく、立塞る諸懸案の打開にも邁進して参りますことをお誓いたします。
 一体神道の本はと申しますと、とりもなおさず、陛下を奉載し、国礼国式を守り伝うることから、一世一元を存続させ、国旗を掲揚し、国歌を奉唱するという国法の復活を運動して参りましたる処、他方私共の待望して止まざる津市地鎮祭問題が我々の主張通りに勝訴と相成りましたることは喜びに堪えない次第でございます。
 さて、この喜びに続いてわが唐津神社では、あの賑やかな神祭の最中に、三笠宮妃殿下をお迎えして、歌碑の除幕奉告祭を執り行いましたることは、記念すべき目出度いことでございました。
 かくて、昭和五十三年を迎え当社に於ても、午前五時厳かに歳旦祭を奉仕し、陛下の御安泰、国運の隆昌、郷土の繁栄をお祈り申上げました。
 今年は午の歳で駿馬、飛馬の如く大いに驥足を延ばすべく念願致す裡に早くも初午のお稲荷様のお祭を致しましたが、この初午と申しまするは、和銅の昔、初午の日に勅命を以ってお祀りなされたのが起源といわれます。今年は前記の如く午の歳ですから、ここで一つ 「山城風土記」にある伊呂具の伝説を思い出して見ましょう。
 これは私どもの小学校の読本でも教わったことで、昔山城国一体に奏民の一族が富み栄え、その長の伊呂具という人は富貴に心が驕り、ある時、餅を的として射ようとしました。餅はたちまち一羽の白鳥となり飛び翔り、その白鳥の止った三箇の峯に稲が生じ、この奇瑞を畏んで稲荷の大神をこの午の日に祀った。というのであります。餅の的の白鳥となって飛び去った跡の田畑には作物は実らず、殻物がとれなくなると、道具を造る業も商売の道も繁昌せず、人々は食うこと、着ることに困ってしまいました。
  そこで前記のように稲荷の大神さまをお祀りしました処が、五穀が実り、養蚕も盛に行われ又その他の仕事も生じて人々は大いに喜び、山城の国は再び生気を取戻したということであります。

 さて、この初午祭をすませますと、やがて春祭が近づいて参りますが、この初午祭はやがて国家祭祀たる祈年祭の心に通ずるもので即ち、年ごいのまつりという春の季節の始めに当り、年殻の稔りたる五殻豊穣を祈り、延いては商工、農林、漁業等いわゆる諸産業の興隆と諸職業の繁栄及民生の安定を願う祭であり、春祭として秋の祭と対をなすものであります。
 流動する国際社会の中にあって我国は確固たる道を堂々と進まねばなりません。
 神明に祈り、神明に誓い其の大成を期しましょう。
 氏子の皆様、挙って祭に参加しましょう。

三笠宮妃殿下
 歌碑除幕式
 
十一月三日 挙行
三笠宮妃殿下

 かねて、建設中の三笠宮妃殿下の歌碑が見車に完成し、昨年十一月三日唐津供日の佳き日に、親しく妃殿下の御台臨を仰いで、厳粛の中に盛大な除幕式が執り行われました。
 このお歌は、去る昭和四十九年の供日に、三笠宮の三殿下がお揃いで唐津神社へ御参拝の折、神幸祭に於ける曳山の巡行を御覧になって、その御感想を翌昭和五十年の歌会始の御題「祭」に御詠進になりました次の

 我もまた祭りに酔ひぬ 獅子の山車
 兜の山車と続きゆくみて

のお歌を徳山産の御影石に彫り込んだもので、建立された場所は曳山展示場正面玄関の前であります。
 除幕式当日は、 前夜の宵山曳きも賑やかに終り、当日払暁の浄めの雨もさらりと晴れて、神幸も順調に進み、西の浜お旅所の曳き込みも精一杯の盛り上がりを見せて終り、一息いれてからとの除幕式が行われました。
 妃殿下はこの日福岡空港に御到着の後お出迎えの松尾助役の御案内で御来唐午後二時の祭儀に御台臨いたヾきました。
 除幕式は、宮司、祈宜、権析宜が奉仕して進められ関係者百名が参列する中で脇山総取締の令孫中里さんが紅白の綱を引いて見事に除幕、妃殿下も拍手を送って祝福されました。
 その後妃殿下の玉串奉奠を始め関係者の参拝の後脇山総取締の挨拶で神事を終り続いて、席を文化会館へ移して式典を行い、妃殿下を囲んで共に盃を上げて完成を祝いました。
 やがて、午後三時すぎ御旅所発輿、曳山曳出しとなるや、妃殿下を西の浜お旅所へ倒案内して、勇壮な曳出しの光景を御覧に入れました。
 大変御感動の御様子で曳子全員がお見送りする中を御機嫌うるわしくお帰りになりました。
 このたびのことは、まことに空前の盛事で、神社、曳山取締会、市、警察、他関係者の並々ならぬお骨折りの賜物でありまして、こゝに哀心より感謝の意を表するものであります。
 ここで、氏子総代江頭一郎氏が撮影された思い出の写真を見てみましょう。
御拝礼の妃殿下 清はらい
歌碑を前に宮司 中里さんの手で除幕
祝賀会場で 御旅所にて曳山御覧
式場
祝詞奉上 作業中の歌碑
 氏子総代異動
 本町     牟田岩雄 新任
 山下町   下尾 新八郎 就任
 桜馬場   中山次雄  新任
 南富士見町 山本七治 帰幽