唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第19号  昭和44年10月1日発行
発行人 戸川 健太郎
編集人 戸川 省吾
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
唐津神社春祭賑う
 四月二十日午前十一時宮司以下神職に佐賀県神社庁より三橋一六庁長献幣使となりて、又氏子総代、来賓多数参列して、先ず本年の豊作、諸職業の繁栄を祈り夫々玉串を奉奠して厳粛盛大裡に祭典を終る。今年よりは助勤神職多数依頼した。波多八幡の堤宮司、加茂神社の岡本宮司、宝満神社の青木宮司、八幡神社の八幡宮司、八坂神社の鳥越宮司以上六人の御加勢を願い、久方振りに盛大なる祭典を行うことが出来た。
 境内の生花奉献と曳山勢揃いは例年の通りにて、昨年に引続き観光協会他諸団体の催しの中でも本年は、刀町曳山赤獅子創建より今年は百五十年に当るので、その記念祭を行うこととなり、青獅子も之に参加して他のパレードと共に曳出すこととなり、各町の取締りもこれに伴することに決り祭典開始と共に曳出し、お囃しをしてお祭り気分を先ず盛上げ、又社頭の舞台では遠く直方の納所太鼓も参加して其他郷土芸能又パレド等繰込み、参詣者社頭を埋め大賑いを呈した。


 唐津神社夏祭
 七月二十九日午後七時より夏祭を執行した。社前に大茅輪を設け、この前に宮司以下総代一般氏子等も参加して、先に頒布した形代を手に手にとって、先ず宮司大祓を唱え、次に形代切麻行司を行い次に禰宜大麻行司を行い、宮司先導して茅の輪を左右左と三回くぐって昇殿、祝詞奏上玉串奉奠して氏子ともどもに夏の物の怪を封じ、夏病をせぬ様に祈った。
 此の日夜おそくまで形代納めの参詣者多く賑かであった。深夜西ノ浜に至り形式流しを行った。
 此の日、先に透塀の塗装費を奉納した白井、熊川両氏に対する神前奉告祭を行い、感謝状を贈り氏子総代へ披露した。


 各町 夏祈祷行わる
 七月二日土用の入りの日には各町内にては盛んに夏祈祷が行われた。各町に宿を定めて祭壇を設け、神職出向して夏病いや其町内に夏の悪気の入らざる様にお祭りをして酒肴を振舞い、子供等には茶菓を与えて直会をして大いに賑った。
 今僅かに八百屋町、平野町のニケ所のみとなった。本年は八百屋町は山崎区長宅、平野町は神社にて盛大に行われた。因みに木綿町ではもと川祭りも行われた。これは真に町田川が流れているので、川の中に青竹で棚を作り、ここに神様をお呼びして行ったものである。
 各町ともこの夏祭りを復活して頂きたいものである。
 奈良に於ける神功皇后千七百年
   正辰祭に戸川宮司列席

 神功皇后千七百年正辰祭は六月三日午前十時半より奈良生駒なる狭城盾列池上陵に於て宮内庁により執り行われ、同祭典には住吉大社高松忠清宮司の呼び掛けで、神功皇后由縁の神社宮司が多数参列したが、其の中の一人として我が唐津神社も、住吉の三神を主齋する神功皇后由縁りの神社なるが故に、前記住吉大社高松宮司よりの案内にて戸川宮司もこの祭典に、石清水香椎、気比の各神宮宮司等五十名と相共に列席して御鳥居の奥深く進みて拝礼することを許される光栄に浴した。
 後、奈良ホテルにて平泉澄博士の「神功皇后を偲び奉る」と題する講演は学問的に皇后の時代を立証する貴重なるお話であり、一同に大きな感激を与えた。
 戸川宮司もこれによって我が唐津神社の御祭神たる住吉の三神が、この国家存亡の秋に際し神功皇后に対し神異と冥助を与えられ、皇后の御威光を輝さるるに付き大いなる御神徳のあられたことを、より一層発揚しなければならないと決意を新にした。

大手口大鳥居等の移転工事始る
 曩にその筋の要請により大手口の大鳥居、燈籠社号標、幟杭等の取退け方工事が九月九日より始まり目下境内へ移転復元中である。
 実は七、八年前にも金子市長時代に佐伯助役より其の申出があったが、当時神社としても交通事情其他に鑑み不問に附していたのであったが、それから七、八年たった今日になってみると交通事情も変り、車の増加は勿論その車自体、大形長形、重量となり、あの鳥居の処へは平時より歩行者が急増して交通安全上、又危害防止上どうしてもとり退けられたいとの当局の要望に対し、何時までも旧来の光輝ある由緒を固守することなく時代推移、世の変革に対応すべく八月より九月にかけて再三氏子総代会議を開き、その望を容れて境内移転を決心したる次第である。
 尚この処の由来については前にこの社報に詳述したので重複するが、明治二十六年大手口より鷹匠町筋に国道が開設されたるに伴い参道たる明神小路をこの国道に連結させる為にその中にある土手や石垣を崩して壕を埋め、明神小路の道幅も二間より倍以上の五間に拡張したのであるが、その工事も氏子一同の労力奉仕によると言う立派なことであった。そしてその落成式も盛大にとり行われて、此処は明神様のお出ましの処のしるしとして先づ木綿町より大燈籠を、刀町よりは大幟を樹ててその石の杭を奉献した。昭和六年九月には刀町宮崎家より見事なる石の大鳥居を、昭和十九年には県社昇格を奉祝して市内国民学校青年学校児童生徒職員一同より堂々たる石の社号標を奉献されて此処は厳の忌庭とはなった次第であった。
 さて右様の次第乍ら之を境内に移すこととなったので、先ず奉献者に御挨拶申上ぐべく戸川宮司、花田、岸川、白井、近藤、平田、大西の各総代に市よりも加わり、宮崎家より刀町、木綿町の有志代表者、又学校長、教育長に挨拶廻りをして、九月八日には大手口現地に於て戸川宮司以下市長助役、議長、氏子総代、奉納者後裔、工事請負者筒井組、下川自動車総て八十名参列して移転の起工祭を執行し後、社務所にて直会をなし、翌九日、十日、十一日を以て境内移転を終り、十三日より建設復元工事を始めた。

テレビ「信子とおばあちゃん」の
唐津供日ロケ

 おなじみテレビの信子とおばあちゃんの勝ちゃん″が唐津供日に帰省する場面を九月二十三日に供日を再現してロケを行った。
 これより先NHKより石島デレクター外五人が来唐して町々の模様曳山の順路役者の行動等審に打合せて九日、十一日と再度に亘り大会議を開いて万遺漏なきを期した。
 当日は心配された天気も朝パラパラで止み絶好の秋日和となり早朝より曳山を曳出し魚屋町や新大橋や刀町から大手口への走り山にて「信子」「勝ちゃん」や父親「正吉さん」等が演技を行ったが二万の大観衆の為に立往生する場面もあり石島製作デスクも汗だくで午後五時予定通り無事大盛況裡に終了した。

文化会館建設に付き
   神社有地を譲渡

 現在の幼稚園の敷地に文化会館が建設されるのであるが、その敷地がやや狭いので隣接地の唐津神社の土地半分を所望されたので、之に応ずることとなった。
 そして其の叉半分も市へ賃貸借をして与えることとなった。尤も唐津神祭時に於ける神社側の要望は受入れられる。
 尚、元の武徳殿は既に解体されてその処は曳山展示館が出来るのであるが、以上両者ともその道の権威村野博士の設計によるもので見事な建物が出来る次第である。
 因みにお譲りする土地は元民有地であったのを大正三年に神社大広前の土地を作る為に、社務所の土地と共に当時一生懸命になって買収した貴重な土地である。
 神社と会館と曳山展示場とよきとり合せが出来て、社頭景観に所謂輪奐の美を呈することは間違いない。
 博士もこれに付いて苦心された由承る次第である。
 こうして空家となる現在の格納庫は神社で買収することとなった。
 このお譲りする土地にある長年親しんで参った先覚者顕彰碑、高取翁及び保生会の記念碑又御旅所用具格納庫等はそれぞれ老人ホームに、又体育館に又西ノ浜に御移転申上ぐるので、其の起工祭を九月九日に市長始め関係者参列して其の徳を偲びつつ別れを惜んだ。

 公園金刀比羅、八坂神社祭執行
 公園の中段に合祀されている金刀比羅神社は小笠原公前封地奥州棚倉時代に四国高松公と縁組整い、姫君御輿入りの時、讃岐の金刀比羅宮の直分霊を奉持して棚倉に参られ同地に奉祀していたが、其後小笠原公は唐津へお国替えとなり、更に唐津のお城へ勧請した由緒ある神社である。
 春秋のお祭りを行って来たが、今年も五月十日春祭を行った。この社は元上段にあったが、この土地は天主聞及び収蔵庫に提供し、下段の稲荷社を昭和四十年に新築して稲荷、金刀比羅八坂の三社を合祀申上げ、夫々の例祭日にはお祭りを行っている次第であるが、七月十五日には八坂神社のお祭をも執行した。此の社は元唐津神社境内末社であったが、公園開発の為この処にお移ししたものである。

寿 社 例 祭
 五月九日は旧三月二十三日で、此の日は境内末社寿社の例祭日に当るので、呉服町婦人会有志外信者参列して好み給うしじみ貝を供えてお祭を行った。
 この神様は首より上の病を直し給ひ即限耳頭の病に苦しむ人々の信仰篤い。
水天宮例祭
 久留米水天宮唐津分社の例祭は去る五月十日行われ後、社務所にて直会を開き互いに故郷を偲び現在の成功を祝し合って盛況であった。


 中町 粟島祭賑う
 唐津神社末社中町粟島神社夏越祭は七月二十五日午前十時より中町に祭壇を設け戸川宮司以下町内多数列席して祭典を執行し、後、手踊り等奉納余興もあり、夜おそくまで賑った。


 春季 小笠原祖霊聖祭
 四月二十二日午後二時より社務所に於て祖霊祭執行雨のため出席者僅か二十名であったが、藩祖小笠原公を偲び奉った。


白井、熊川の両氏 透塀塗替資金奉納
 かねて唐津神社を信仰されし白井努武、熊川清の両氏は、朱の玉垣とある透塀の色過せたるを見兼ねて両人相談の結果、塗替の費用を両人にて負担し、西唐津増本彩工舎に依頼して本殿周囲の透塀及び中段の柵、更に下段の透塀まで全部を六月二十より三日間で仕上げ、社頭の景観を一新した。
 この奇篤なる両人の行為に対しては、神社を始め氏子一般より感謝されている。

十月 九日 午後 七時 初供日囃初ノ儀
 〃二十九日 午前 九時 神輿飾ノ儀
           総行司 一ノ宮 木綿町
            〃  二ノ宮 材木町
 〃二十九日 午前十一時 本 殿 祭
十一月二日 午後 九時 宵祭 曳山曳出し
唐 津 神 祭
十一月三日 午前 五時 神田獅子舞奉納
 〃    午前 十時 神輿渡御曳山供奉
 〃    正   午 御旅所祭曳山勢揃
 〃    午後 三時 還  御
 〃 四日 午前 十時 翌日祭 曳山曳出し



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