唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。 |
唐津神社社報 第129号 令和6年10月1日発行 |
発行所 唐津神社社務所
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (株)音成印刷 |
四番曳山呉服町「源義経の兜」保存修復事業の完了
令和五年十一月から本格的な保存修複の行程に入った呉服町源義経の兜は、この度総塗替え工事が完了し組み立て作業に入りました。特に百五十枚を編込んである綴(しころ 兜の左右後方に垂れて首を覆う部分)の組み立てにはかなりの時間がかかり、深夜過ぎまでの作業となったそうです.
呉服町「源義経の兜」は十月十三日に曳山の蔵を出発。唐津神社にて祭典、記念撮影を行った後、呉服町中心街でお披露目を行い、近隣を奉曳きしてアルピノ展示場に納められる事になっております。
また、十日二十日には唐津シーサイドホテルにて四番曳山呉服町源義経の兜保存修復事業落成記念式典が開催されます。
《十一番曳山米屋町 酒呑童子と源頼光の兜 保存修復》
令和六年七月二十一日に開催された唐津曳山保存検討審議会にて十一番曳山米屋町「酒呑童子と源頼光の兜」の次期保存修複が決定されました。米屋町は明治二年に作製され、前回平成五年の総塗り替えから三十一年が経過しており、今回五度日の総塗り替え事業となります。
現況調査によると、米屋町の曳山の頭髪は現在かつら式の取り付け方法となっておりますが、本来は頭部に毛穴を開けて取り付けていた事、また、この曳山を象徴する鋭い眼光を表現する目のガラス部分の形状が本体と一致していない事、などの課題が上がり、それらをどのように修復するか慎重に協議が行われました。
令和六年唐津神祭に向けて 戸川忠俊
令和六年十月七日、新市民会館・曳山展示場建設に伴う安全析願祭(地鎮祭)を奉仕することになりました。建物の完成は令和八年となるようです。今現在、十四台の曳山はふるさと会館アルピノの大ホールに場所を移して展示してありますが、当時この曳山の移動がくんちにどのような影響を与えるか心配もしておりました。しかしながら、その時期はコロナ禍の真っ只中で、そのような心配よりも、先ずは 「どうやって祭りを成立させるか」という前代未聞の難問に直面していた時期でもありました。
ようやく、コロナ禍も収まり、通常のくんちが戻ってきたと思った矢先、ジワジワと問題になってきたのが「展示場の位置問題」でした。
《宵曳山と社頭勢揃い》
展示場がアルピノ会館に移転して以来、宵曳山の最後は曳山をアルピノ展示場に格納するようになりましたが、コロナ禍前の唐津くんちを振り返ってみますと、十一月二日の宵曳山は大手ロを出発し、その最後は十四台の曳山が社頭に勢揃いすることになっておりました。この宵曳山について歴史を紐解くと枚挙に暇がありませんので、資料から抜粋しますと、先代宮司はこう述べております。
宵曳山は、翌朝からの神幸祭にそなえて、それぞれの曳山を町内から、杜頭に勢揃いさせるのが目的です。その昔、曳山はそれぞれの町内に曳山小屋があり、そこから社頭まで、曳山を勢揃いさせるため多くの町々では曳山に提灯飾りを整えて、町々で思い思いの時間(午前零時過ぎ)を目途に出発し、各町とも伝統の順路を廻り(勝手曳き)社頭へ集まっていました。
つまり、宵曳山の目的は、翌日の本番のために神輿を供奉(ぐぶ)する曳山を神社前に移動させることにある訳ですが、現在はその目的が達成できていないという事になります。
コロナ渦も落ち着き、通常の唐津くんちを開催するにあたり、曳山関係者の会議では「宵曳山の社頭勢揃いをどうするか」という話し合いが行われました。そこで問題になったのが、先に述べました「展示場の位置問題」です。
旧展示場は唐津神社横にあり、宵曳山後、社頭勢揃いが整った後に、万が一にも雨が降った場合はすぐさま曳山を展示場に格納避難させることが出来ました。また、夜露対策や塗り替え直後の曳山保護の為にも、一旦社頭勢揃いを行った後、展示場に格納する曳山もありました。しかし、展示場がアルピノ会館に移動したことでそれが叶わなくなった訳です。
代案として「十一月三日朝に十四台の曳山をアルピノ展示場より移動させ社頭勢揃いを行う」という案も示されましたが、前日に行われる宵曳山の終了時間は午後十一時頃。それから町内の方は宵曳山の飾りを片付け、町内の寄り合いがあるとなると、休息が取れるのは午前零時をはるかに過ぎることは明白の事実。その翌朝、午前九時半の神幸祭出発までに曳山を神社前まで移動させるとなると、大変な労力を要するのではないか、という心配もありました。
そこで、曳山関係者と神社の話し合いの結果、十一月三日の朝は、一番曳山刀町の赤獅子のみが神社前まで移動し、御神輿を大手口まで先導して、大手口より御神輿は曳山の巡行に合流する、という方法が取られることとなります。
こうして、その昔大手門を経て曳山と共に町衆が城内に入城したという無礼講の慣習。曳山が唐津の大神様を先導供奉する伝統が守られました。
《本来の祭りの姿に》
令和六年を迎えての四月二十九日唐津神社春季例大祭当日、この日は毎年奉納行事として「曳山十四台社頭勢揃い」を行うことが慣習となっております。しかし、平成三十一年以来、悪天候でそれが叶わず。指折り数えて何度目か、今年こそは春季例大祭の曳山社頭勢揃いが出来るものと思っておリました。
結果、当日は早朝よりの雨天。しかも、昼からは快晴という、曳山関係者の皆様から「もしかしたら、展示場がアッチ(アルピノ展示場)にある間は、曳山を(神社前に)並べるなという神様のお告げかもしれんね」と言われるほどの天候となりました。
しかし話はその後、思わぬ展開を迎え、曳山関係者の皆様方から「今年の十一月三日には社頭勢揃いを実現させよう」という話が出てまいります。
が、言うは易く行うは難し。宵曳山終了後の社頭勢揃いは、文化財保護の観点から「展示場の位置問題」でほほ不可能。残る道は十一月三日早朝に社頭勢揃いを行う計画となります。そこで、@宵曳山の終着点をアルビノ展示場ではなく各町内とし、各町は十一月三日朝、四日翌日祭に通る道を使用して神社前に集合する。A宵曳山終了は例年通りアルビノ展示場とし、十一月三日朝、全ての曳山をアルビノ展示場から神社前に移動させる。という二つの案が出されました。
慎重審議の結果、第二案の「十一月三日の朝、十四台の曳山はアルビノ展示場より神社前に移動する」案が採用されました。曳子の皆様方には大変ご負担をかけるようなスケジュールになるとは思いますが、皆様方の御蔭を持ちまして一歩ずつ祭り本来の姿に立ち返っていることを心強く、また嬉しく思い、心より感謝申し上げる次第です。
《御旅所神幸祭と社頭勢揃い》
さて、十一月三日朝の曳山十四台社頭勢揃いの計画は立ち上がり、その実践へ向けて話が進む中で一つ間題が発生します。それは十一月三日朝の過密なスケジュールです。と、言うのも、唐津神社では当日八時四十五分から「発輿祭」という御神輿の発進を大神様に報告する祭典が斎行されます。そのため、曳山取締会より「十四台の曳山は八時四十五分の祭典開始までには社頭勢揃いを完了させる必要があり、それまでに到着が叶わなかった曳山は囃子を止めて移動するべきか? (祭典中に囃子をしながら曳山が動くのは失礼ではないか)」という問い合わせがありました。そこで私はこう答えました。
「祭典中も囃子は止めなくてけっこうです。くんちですから、ジャンジャン囃子はしてきてください。とりあえず御旅所神幸の出発、九時半の火矢が上がるまでに社頗勢揃いが完了すれば、それでけっこうです。」
最後に、今年の唐津くんちも賑々しく御斎行されますことを心より御祈念申し上げます。
▼行事予定▲
◎くんちは別掲
◆十一月
十五日 七五三祭
下旬 支部大麻頒布式
◆十二月
初旬 大麻頒布式
三十一日 除夜祭
古神札焼納祭
○令和七年
◆一月
元旦 歳旦祭
六日 新年祭
初旬 新春囃子初め式
◆二月
三日 節分祭
十一日 紀元祭
二十三日 天長祭
月次祭=毎日一日・十五日
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唐 津 神 祭 |
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十月九日 (水)
◎午後七時 初供日奉告祭
※当番町 京町
十月二十九日 (火)
◎午前九時 神輿飾ノ儀
総行司
一ノ宮 大石町
二ノ宮 紺屋町
◎午前十一時 本殿祭
十一月二日 (土)
◎午後七時三十分 宵曳山曳出
各町曳山万灯をともして市内一巡
※社頭勢揃は中止
十一月三日 (日・祝)
◎午前五時 神田獅子舞奉納
曳山社頭勢揃
◎午前八時四十五分
発 輿 祭
◎午前九時三十分
☆御神幸発輿
(煙火五発合図−市内一巡)
◎正 午 御旅所祭
◎午後三時 還 御
☆御旅所発輿
(煙火五発合図−曳山は町内へ)
十一月四日 (月・振休)
◎午前十時 翌日祭
社頭勢揃の後曳出
◎午後二時三十分 米屋町曳出
◎午後四時 江川町通曳出
◎午後五時頃 曳き納め
(アルビノ曳山展示場へ=煙火五発)
十一月五日 (火)
◎神輿納ノ儀
総行司
一ノ宮 魚屋町
二ノ宮 平野町
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《正面参道並びに境内治水整備工事》
令和七年に唐津神社御鎮座一千二百七十年を迎えるにあたり、総代の皆様方と協議を行い、記念事業として神社の治水工事を行っております。第一期工事(手水舎周り) は昨年完成しておりますが、本年は正面大階段から自鳥居下を経由しての側溝取り付け。並びに白鳥居下の石畳の敷き替え工事が完了致しました。
大雨が降りますと、境内上段で逃げ場を失った雨水は下段へと流れ、結果、神社正面の大階段に滝を作っておりました。そこで階段手前に大きな雨水桝を設け、階段脇の側溝にパイプで直結し雨水を流すようにしました。白鳥居下の敷地については、ひび割れて凹凸が目立っておりましたが、アスファルト舗装の上に石畳調の装飾を行う工事で立派に仕上がっております。
しかしながら、それでも大雨が降ると雨水枡が溢れるようで、今後の第三期工事、神社上段の治水工事に期待する所です。
(施工 笠原建設蒲l)
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《曳山周年祭》
今年は十四台の曳山の内、四力町の曳山が周年の祝年を迎えられます。二番曳山中町「青獅子」は二百年祭。四番曳山呉服町「源義経の兜」は百八十年祭。九番曳山木綿町「武田信玄の兜」は百六十年祭。十二番曳山京町「珠取獅子」は百五十年祭。各町では周年を記念して十一月三日、御旅所での餅巻きを計画されております。
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《唐津曳山取締会元老 牧川洋二氏 帰幽》
唐津曳山取締会元老 牧川洋二氏(大石町)が令和六年四月二十八日にご逝去されました。
牧川氏は昭和五十年に大石町副取締。昭和五十七年に大石町正取締。昭和六十三年からは本部取締を務められ、平成十五年に唐津曳山取締会の第七代総取締に就任されました。在任中には、平成十七年の新唐津市合併奉曳き。平成十八年の全国豊かな海づくり大会曳山十四台市役所前勢揃い天皇陛下奉迎。平成二十四年一月、鯛曳山香港チャイニーズナイトバレード出動。同年六月、飛籠韓国麗水世界博覧会出動などに従事されました。
平成二十五年には名誉総取締に就任。これを受けて同年に第七十一回西日本文化賞を受賞。記念として唐津神社に壁代(壁に吊るす幕)と御簾をご奉納頂いております。令和四年からは唐津曳山取締会の元老に就任されると共に、全国山鉾屋台連合会の理事として全国各地の祭りの発展に寄与されました。
御生前の御功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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《曳山情報》
◎令和六年五月十九日〔日)に唐津神社旗争奪「曳山十四ケ町親善スポーツ大会」(当番町 京町)が唐津市浄水センター連動広場にて開催されました。競技種目はソフトボール。今回は出場者構成に野球未経験者枠を設け、熱戦が繰り広げられました。
試合結果は、優勝「材木町」準優勝「中町」第三位「木綿町」第四位「大石町」となリました。
準備運営を務められました京町様には、楽しいスポーツ大会の開催に感謝申し上げます。
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