唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。 |
唐津神社社報 第125号 令和4年10月1日発行 |
発行所 唐津神社社務所
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (株)音成印刷 |
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一番曳山 刀町 赤獅子
保存修復事業完了

令和三年、唐津神祭御旅所神幸祭後から本格的な保存修復の行程に入った刀町赤獅子は、この度総塗替え工事が完了致しました。これに伴い、十月二日午前八時十五分より、唐津神社にて修復事業完了の奉告祭、並びに曳山の清祓祭が執り行われ、午前九時半より披露奉曳きが行われました。
また、同日正午より、唐津シーサイドホテルにて「一番曳山刀町赤獅子保存修復落成記念式典」が挙行され、刀町赤獅子の総塗替えの様子を紹介する映像などが披露されました。式典の中では、今回の修復事業を担当した鰹ャ西美術工藝社代表取締役社長アトキンソン・デービッド・マーク氏への感謝状贈呈の他、刀町町内からは「唐津神社御神輿修復金」 のご奉納を頂きました。改めて御礼申し上げます。
四番曳山呉服町「源義経の兜」保存修復
令和四年三月六日に行われた令和三年度 唐津曳山保存検討審議会にて、四番曳山呉服町「源義経の兜」の次期保存修復が決定されました。呉服町の曳山が総塗替を行うのは今回で五回目。前回平成二年の総塗替から三十二年が経過しています。「源義経の兜」は平成二十四年の唐津神祭巡行時、降雨により金箔が大量に自然剥離して、翌年に部分修理が行われておりますが、その時に百五十枚を編込んである綴(しころ 兜の左右後方に垂れて首を覆う部分)に不具合がある事が分かり、それをどのように修復するか慎重に議論が行われました。また、曳山本体を支える台車部分の劣化についても協議が行われ、安全安心の巡行に向けて保存修理の方針が検討されました。
《曳山情報》
新型コロナウイルス感染症の影響で二年間延期されていた第三十七回唐津神社旗争奪「曳山十四ケ町親善スポーツ大会」が五月二十二日、唐津市浄水センター運動広場(競技種目はソフトボール)で開催されました。今年の唐津くんち平常開催を祈念して選手宣誓では「エンヤーヨイサー」の掛け声が参加者一同から上がる中始まった大会は、優勝は京町(大会初優勝)。準優勝は木綿町、第三位は材木町、第四位は中町となりました。度貴なる延期に苦労しながらも、楽しいスポーツ大会を開催して頂き
ました当番町の平野町様に改めて感謝申し上げます。
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〜唐津曳山
記念絵馬のご紹介〜
写真の絵馬は平成二十八年にそれまで廃版になっていた大型の曳山絵馬の代わりとして、置き型の絵馬に新しくデザインし奉製したものです。
唐津くんちの曳山が社頭に勢揃いする情景を描いたもので、昭和四十九年に三笠宮両殿下が実際の祭礼をご覧になり、妃殿下がその折の印象を翌年の宮中歌会始の儀の御代「祭り」に
我もまた
祭りに酔いぬ 獅子の山車
兜の山車と
続きゆくみて
と、ご詠進遊ばされ、後に妃殿下より御下賜りました御歌の御直筆を絵馬の上部に写させて戴いております
今年八月には神仏研究家・文筆家としてご活躍中の桜井識子さまにブログ内でお取り上げ戴いたことにより、思いがけず多くの皆様に周知される事となりました。
十月一日現在、在庫切れの状況ではございますが、全国各地の皆様より沢山のお問合せを戴いており、感謝申し上げます。唐津くん
ちに間に合うよう増奉製を急いでいるところでございます。
今年のくんちもこの縁起物の絵馬のように秋晴れの下、斎行できますようお祈りを申し上げます。
▲行事予定▼
(くんちは別掲)
◆十一月
十五日 七五三祭
下旬 支部大麻頒布式
◆十二月
初旬 大麻頒布式
三十一日 除夜祭
古神札焼納祭
○令和五年
◆一月
元旦 歳旦祭
六日 新年祭
初旬 新春囃子初め式
◆二月
三日 節分祭
十一日 紀元祭
二十三日 天長祭
月次祭=毎月一日・十五日
《曳山人事》
令和四年唐津曳山取締会九月総会にて、花島義博氏(大石町)の副総取締就任が決定しました。花島氏は平成二十四年から大石町本
部取締。平成二十七年からは本部総務を務められ、この度、副総取締に就任されました。
唐津神祭 |
十月九日(日)
◎午後七時 初供日奉告祭
十月二十九日(土)
◎午前九時 神輿飾ノ儀
総行事 一ノ宮 材木町 二ノ宮 京町
◎午前十一時 本殿祭
十一月二日(水)
◎午後七時三十分 宵曳山曳出 各町曳山万灯をともして
※社頭勢揃は中止
十一月三日(木・祝)
◎午前五時 神田獅子舞奉納
◎午前八時四十五分 発輿祭
◎午前九時三十分 ☆御神幸発輿(煙火五発合図−市内一巡)
◎正午 御旅所祭
◎午後三時 還御 ☆お旅所発輿(煙火五発合図−曳山は町内へ)
十一月四日(金)
◎午前一〇時 翌日祭 唐津駅前通り勢揃の後曳出
◎午後二時三十分 米屋町曳出
◎午後四時 江川町通曳出
◎午後五時頃 曳き納め(アルピノ曳山展示場へ=煙火五発)
十一月五日(土)
◎午前九時 神輿納ノ儀
総行事 一ノ宮 刀町 二ノ宮 米屋町
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令和四年唐津神祭に向けて
〜私達の祭り〜
戸川 忠俊
唐津神祭が間近に迫った昨年の令和三年の十月、神奈川県にある小学校の生徒の皆さんから手紙を頂きました。その手紙によると、学校で「伝統文化」についての学習があるらしいのですが、自分達の住む地域には伝統文化と呼べるような「お祭り(祭礼行事)」が無く、色々なお祭りを調べる中で、どんな琴線に触れたのかは分かりませんが「唐津くんち」に白羽の矢が立ったようです。
手紙にあった質問は「曳山を曳いている人の思い」と「くんちがどのようにして広まっていったのか」の二つ。さらに、手紙の最後に「神主さんの思う伝統の大切さとはなんですか」という追加の宿題まで添えてありました。手紙を頂いた時期が時期だけに、回答が遅れる旨を連絡した後、令
和三年唐津神祭御旅所神幸祭を終え、コロナ禍で迎えた神祭に思う事も多々ありましたので、次のような回答を送る事となりました。
はじめまして。唐津神社の宮司の戸川忠俊です。皆さんから頂いた質問にお答えします。
と、そのまえに「唐津くんち」は唐津神社の秋祭りです。唐津神社は海の神様をおまつりしています。その海の神様を一年に一回、御神輿にお乗せして神様がお生れになった梅(浜辺)までお連れして、そこで豊作(お米などの食べ物がたくさんとれたこと)を感謝し、これからも唐津に住む
人たちが平和にくらせるようにお願いします。この行事を「唐津くんち」といいます。
そして、「唐津くんち」の時に、神様がお乗りになっている御神輿を守る(神様のお供をする)のが曳山の役目です。
今の曳山は、古いもので約二百年前(一番古い曳山は一番曳山 赤獅子)に作られました。どの曳山も、唐津の町の人たちがお金を出し合って作ったもので、町の人たちは大切にしています。
@曳山を曳いている
人の思い
日本には昔から「神様は人が楽しむ姿を見て力をつけて、人は力をつけた神様のおかげで元気になる」という考えがあります。だから唐津くんちの時、曳山を曳く人たちは御神輿(神様)をお守りしながら「神様に力がつくように、楽しく曳山を曳こう」という思いがあります。
曳山は大人から子供までたくさんの人が曳きます。子供たちは曳山を曳くのが「楽しくてうれしい(ほこらしい・だれかにじまんしたい)」という気持ちでいっぱいと思います。
しかし、曳山を曳くのは危ないところもあります。たとえば曳山には自動車のようにブレーキがついていないので、急に止まれません。もし、だれかがケガをすると「楽しい気もち」が無くなってしまいます。だから、大人の人たちは曳山を曳くすべての人たちがケガをしないようにきびしく
目を光らせながら、「神様も曳山を曳く人も、みんな一緒にお祭りを楽しもう!」という思いで、曳山を曳いていらっしゃると思います。
Aどのようにして
広まったのか
唐津くんちで曳山を曳く人たちは色々なお仕事をされています。そして昔から唐津くんちの時には、それぞれお仕事でおせわになっている人たちを家に招待(お呼び)して、いっしょに御馳走を食べてにぎやかにすごす伝統があります。この時、遠くの町から招待された人たちが家に帰って
家族や友だちに「唐津という町に唐津くんちというお祭りがあって」という話をして広まっていった。また遠くの町から唐津の町に来てほしい人たち(ホテルとか、食堂とか、唐津に旅行で来てもらいたい人たち)が協力してポスターや宣伝をされて、唐津くんちが全国に広まっていった。と、
思います。
今ではインターネットのおかげで、唐津の町に住んでいる人たちや、お祭りを見に来た人たちが写真や動画で唐津くんちを世界の人たちに広めてもらっています。唐津の町にあるケーブルテレビでは、お祭り当日の様子をネットで世界へ配信して、世界中にいる唐津くんちが大好きな人によろこんでいただいておられます。
しかし、唐津くんちのことが世界中に広まると、世界からたくさんの人たちがお祭りの日に唐津に来るようになりました。そこで、唐津くんちの前には市役所さんとか警察署さんとかボランティアガイド(外国の方の案内をされる方)さんとかと、話し合いをして、「車で来られる方の駐車場
はここ」とか「外国の方の案内はここで」とか「曳山を見る人の安全を守るために、ここに警察官にいてもらおう」とか、曳山を見る人が楽しく安全にすごせるように工夫をします。楽しい唐津くんちは、色々な人たちのおかげで出来ていると私は感謝しています。
私の話はこれでおしまいですが、最後に私の思う「お祭りの役目(どのように役に立っているか?)」をお話したいと思います。
もちろん、神社のお祭りは、神様に感謝したりお願いしたりすることですが、お祭りはその町に住む人たち(大人から子供まで)が大切にしていることで、お祭りの中で「人と人とのつながり」ができてきます。
唐津の子供たち(小学生)は、曳山を曳く事で色々な事を勉強します。昔の唐津くんちのことをおじいちゃんやおばあちゃんから聞いて唐津の町の歴史を知ったり、大人といっしょに曳山を曳く事で、あいさつをしたり、決まりを守る大切さを知ったり、そうやって学んだことを自分より小さい
子供に教えたり、祭りには大人子供関係なく「人と人とをつなぐ」役目があると思っています。そして、人と人とのつながりの中で、子供たちは自分の住んでいる町をほこりに思い(だれかにじまんしたいと思うようになって)好きになっていくのだと思っています。
今、世界は新型コロナウイルス感染症のおかげで 「人と人とのつながり」がいつもどおりできなくなっています。唐津くんちも人がたくさんあつまるので、去年の唐津くんちでは曳山を曳くことができませんでした。しかし今年は、何回も何回も話し合いをして、色々な工夫(曳く人を少な
くしたり、曳く時間を短くしたり)をして曳山を曳きました。中でも、学校の行事(運動会や遠足)が中止になるなか、「子供たちをどうやったら安心して唐津くんちに参加させることができるか」という話し合いを、学校の先生やお医者さんとしました。大人の人たちは「子供たちを祭りに参加させたい」「曳山を曳いてもらいたい」「唐津くんちを楽しんでもらいたい」という気持ちが心の中にたくさんあったのです。ナゼだと思いますか?
それは、子供たちが参加できないお祭りがつづいてしまうと、唐津くんちの楽しさや、昔からの歴史や、大切さを未来に伝える事のできる子供たちがいなくなってしまうからです。
だから私は、お祭りは「人と人とをつなぐもの」であり「町の昔と今、そして未来をつなぐもの」と思っています。少し難しい話をしますが「伝統」は「続けることが大切」とよく言われますが、私は「その町の人たちが大切にしていること」が昔からつづいてきたから「伝統」になるのだと思っています。
皆さん、自分の住む町は好きですか?友だちとたくさん学んで、胸を張って「自分の町が大好き!」と言えるような大人になってください。私は唐津の町が大好きです。
さて、いよいよ令和四年の唐津神祭を迎えます。三年振りの三日間の祭礼となりますが、ここに至るまでご尽力を頂きました全ての方々に改めて感謝申し上げる次第です。
前述の手紙の中で祭りは「人と人とをつなぐもの」そして「町の昔と今と、未来をつなぐもの」と私は述べましたが、祭りにはもう一つ重要な役目があります。それは「祭りは神様と人とをつなぐもの」という事です。そして、そのようなつながりがあるからこそ、唐津くんちは「私達の祭り」になるのだと思っております。皆様方におかれましては、清々しく晴れやかな気持ちで神祭当日をお迎え頂きますことをご祈念申し上げます。
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