唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第124号   令和4年4月1日発行
発行所 唐津神社社務所
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (株)音成印刷
 令和三年 唐津神祭
      宮司 戸川 忠俊

 令和三年の唐津神祭につきましては、コロナ禍の中、御旅所神幸祭の一日のみではありましたが、無事に御斎行できました。ご協力を頂きました皆様方には有難く厚く御礼申し上げます。
 改めて令和三年の唐津神祭を振り返りますと、コロナ禍の中で「通常の唐津神祭と変えざるべき所は変え、それでも変えていけない所、つまり、唐津神祭本来の目的を達成する事」を目標に関係各位との協議を繰り返しました。
 以降、どのような協議を経て、令和三年の唐津神祭を迎えたか、書き記したいと思います。

※列記しました会議は神社神主が出席致しました会議です。その他曳山取締会では、曳山巡行の安心安全な実施の為、これとは別に数多くの会議を経てくんち開催に至っております。また、会議の中では、展示場改修工事に伴うアルピノ臨時展示場への曳山移動についての話し合いも行われております。


●七月二十日
【曳山三役会議】

@神社より、唐櫃を使用した御神幸の方針を提示。
 それに対して、曳山取締会は御神体を護衛する為に曳山の巡行を行う方針で合意。
A二日の宵曳山と四日の翌日祭は中止と判断。
B御神幸の順路については、神社と曳山で調整する。


●七月二十七日
【曳山本部役員会議】

@アルピノへの移動について方針を決定。交通規制等について確認。
A令和三年唐津神祭について、八月八日に臨時総会を開催し、同日「コロナ検討委員会」終了後、本年の唐津くんちについての方針を記者発表することを決定。


●八月三日
【曳山管理・実行委員会】

@三日の曳山巡行計画策定
※混雑緩和の為、御旅所曳込みは行わず、歩道上に御旅所を向いて並べる案等が話し合われる。
A曳子のコロナ対策策定


●八月八日
【曳山取締会臨時総会】

@九月五日アルピノへの曳山移動について最終確認
A全町の代表者へ令和三年唐津神祭についての神社・曳山取締会の方針を発表。同時にコロナ対策について説明。全町の合意を得る。

●同日
【コロナ検討委員会】

 神社・総代・総行司・神輿伴揃・曳山取締会の代表者が集い、令和三年唐津神祭の方針について検討し、合意を得る。

●同日
【方針を記者発表】

 令和三年唐津神祭について、「御神幸は唐櫃を使用し、曳山の巡行は行う事で今から準備を進める」という神社と曳山取締会の方針を伝える。
※開催の可否については状況を見て判断する旨を報告。


●八月十七日
 唐津市緊急コロナ宣言発表


●八月十九日
【第一回合同会議】

 警察・市役所・曳山・神社の代表者が集い、唐津くんちの受け入れ体制について会議を行う。
@九月五日アルビノへの曳山移動について交通警備等、警察・市役所との最終調整
A令和三年唐津神祭の曳山巡行計画について討議。
 ・御神幸行列の滞留を防ぐために、アルピノ→唐津駅前→平野町への順路変更を検討。
 ・曳山の社頭勢揃い(御神幸出発前の神社前付近)の混雑媛和など密対策。
 ・観覧者対策について
 ・コロナ感染防止について


●八月二十七日
 旧唐津市に「まん延防止等重点措置」が適用される


●八月二十九日
 アルピノ展示場事前説明会
 各町の責任者が現地にて曳山の展示位置等を確認


●九月五日
 アルピノへの曳山移動予定中止

●九月十一日
【臨時総代三役会】
 唐津市長よりの「唐津市緊急コロナ宣言」発表。旧唐津市に「まん延防止等重点措置」適用。また、八月末の音楽イベントで発生したクラスターを受けて内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室より、各都道府県知事宛てに「催物の開催制限に係る留意事項」を強化する旨、通達が行われた事に対し、臨時の総代三役会を開催し、意見を求める。曳山の巡行に関しては理解を示されるも、特に曳子のコロナ対策について厳しい意見を頂く。


●九月十二日
 旧唐津市の「まん延防止等重点措置」が解除される


●九月十七日
【曳山三役会議】
 先に行われた臨時総代三役会で出た意見を報告。提出された意見は持ち帰り検討する旨了解。
 この時、御神幸出発時の神社前の混雑緩和の為に、唐櫃は大手口で曳山と合流するご提案があり、神社と曳山で合意する


●九月十九日
 アルビノへの曳山移動実施


●九月二十二日
【曳山本部役員会議】

 先に行われた曳山三役会の時に合意した「唐櫃は大手口で合流する案」について、一番曳山刀町のみが御神幸出発前に神社前まで移動し、唐櫃を供奉して出発。大手口にて曳山巡行に合流する事が提案される。
 また、二番から十四番までの曳山は、アルピノから中町通りを通らず、唐津駅前を通過し米屋町通を通って、刀町池田屋呉服店角より合流する案が提出される。
 その他「曳子の密対策」「参加条件」等の新しいコロナ感染対策ガイドラインの策定を報告


●九月二十七日
【曳山取締会九月総会】
@神社より初供日(囃子保存会と、当番町の木綿町のみ奉納)神輿飾りの儀(通常開催)本殿祭(参列者制限)等の行事について確認。
A曳山巡行について、巡行路、コロナ感染対策ガイドラインの遵守について説明
※この時、曳山の巡行路は停滞を防ぐために、アルピノ→唐津駅前→平野町への順路変更を決定していたが、米屋町様より「この順路では米屋町通りを御神体が通過せず、曳山十四力町の内、唐津神社の御神体が米屋町だけ通過しないので、曳山は無理としても、御神体をお乗せした唐櫃だけは少しでも米屋町に入って巡行して頂きたい」との申し出がある。結果、神祭当日、御神体をお乗せした唐櫃は、刀町鶴田文具店角から曳山が直進する中、同角を右折し、米屋町行因寺前を廻って巡行する事によって、唐津神社の大神様は全ての氏子区域を巡る事ができた。
B囃子の練習等、町内行事について感染症防止の注意喚起
Cワクチンの優先接種について報告


●九月二十九日
【第二回合同会議】
 警察・市役所・曳山・神社の代表者が集い、曳山巡行計画、雑踏警備、交通規制、コロナ対策について討議。


●九月三十日
 「緊急事態宣言」及び「まん延防止等重点措置」が全都道府県で解除


●同日
【曳山・医師会合同会議】
※曳山関係者と医師会でコロナ対策について討議が行われる。


●十月二日
【緊急通達】
 先の曳山・医師会合同会議を受けて、曳山取締会より新しいコロナ感染対策ガイドラインが通達される。


●十月五日
【実務者会議】
 警察・市役所・曳山・神社の代表者が集い、前日までの準備、当日の雑踏警備の人員配置ついて最終確認を行う。


●十月二十九日
【神輿飾りの儀・本殿祭】
 午前九時より総行司(一ノ宮中町・二ノ宮木綿町)によって御神輿の飾りつけが行われる。同十一時より本殿祭を斎行し、唐津神社の大神様に今年の唐津神祭では、大神様を一旦本日飾りつけした御神輿にお遷しした後、改めて唐櫃にお遷しして御神幸を行う旨、奉告し本年の唐津神祭無事斎行を祈願する。


●十一月一日
【合同曳山清祓祭】
 通常であれば十一月二日に展示場より曳山が各町に帰る時に曳山の前で祭典を行うが、展示場がアルビノに移転したため、アルビノ展示場開館後、合同で曳山の清祓祭を行う。
 通常とは違えども@唐津神社の大神様の御出まし処である西の浜での御旅所祭斎行A町民(曳山)が城内へ入るという無礼講の慣習と、城内へ入られた大神様が町内へ渡られるという伝統B御神体を先導供奉する曳山の巡行C大神様が町々を広くお渡りになる御神幸。この唐津神祭を斎行するにあたって重要項目とされる全ての事を、このコロナ禍の中で実現できましたことは、正に唐津っ子の心意気。「唐津くんち」を心から大切にされておられる皆様のおかげと、改めて感謝申し上げる次第です。




 
 疫病鎮静祈願





 
春季例大祭
 4月29日(金・祝日)昭和の日
 池坊生花・唐津曳山囃子保存会 囃子奉納

※浦安の舞奉納・曳山社頭勢揃いは本年は中止。
 





 旧大成小校舎解体と明神台倉庫移

〜明神台とは何か?〜

 まず、神様が通常の御殿(神社)を出られて、氏子の町を廻りながら、それぞれの発展を愛でつつ恵みをお授けになるのに際して、ある特定の場所にとどまられて、最大の祭典を斎行する最重要な聖地を御旅所と言います。唐津くんちの時には西の浜(旧大成小学校グラウンド)が御旅所となります。唐津神社の由緒によれば「天平勝宝七年(七五五)に唐津大明神の神号を賜った」とありますので、唐津神社の神様「明神様がおとどまりになる場所」という事で、今でも御旅所の事を明神台と言います。

〜御旅所・明神台の歴史〜

 御神幸(唐津くんち)が始まったのは、寛文年間の頃(一六六一〜一六七二)と伝えられております。その頃使用されていた明神台は記録によると「黒船焼打の際、砲台を築きし跡なりし」とあります。大砲を据え付ける台ですので、石造りの立派な台であったと言います。この場所を現在に当てはめると、恐らく旧大成小学校の校舎付近ではないかと考えられます。しかし、この明神台は大正十年九月を以って閉鎖され、新しい明神台へと移転することになりました。
 移転に当たっては 「占いを行って定めた」とありますが、その場所は旧来の明神台(砲台跡)より南に四十三間の所とあり、今の大成公民館辺りにあった砂山上の高台に新しい明神台が作られました。記録によれば、高さ四尺の花崗岩の石垣大地で、面積は六十坪その工費、金七百余円は氏子の浄財を以って賄われたとあります。
 さて、この高台に移転して長年使われてきた明神台は、当時お隣にあった県立唐津西高等学校の運動場拡張と体育館建設と言う一大事業の為、昭和三十二年で廃止、移転となります。そして新たな明神台は、現在の明神台付近(旧大成小学校のグラウンド中央)に建築されます。構造は、先の高台の明神台を基本的に移したので、花崗岩の石垣造り、高さ四尺の立派な明神台が完成します。しかしその数年後、昭和三十五年には早くも明神台移転の話が持ち上がります。それは、西の浜に大成小学校が建設されることとなり、学校が完成した暁には、校庭の真ん中に石垣造りの明神台がある事になるからです。そこで、市当局はもちろんの事、神社、総代、曳山、神輿、学校、PTA・地区等の話し合いを行った結果、ついに昭和三十七年、石垣造りの明神台を撤去する事となりました。

〜組立式明神台の誕生〜

 では、新しい明神台を何処に建築するか?という話し合いの中で、幸い唐津市御当局の御配慮を得て「毎年、仮設式明神台を同じ位置に設置撤収すること、その費用は市が支弁する」等を約定し現在に至ります。
 当時の契約書の写しが手元にありますが、その中に「パイプ組立式御輿台一式及び御輿台格納庫一棟の建設費」という記載があり、その「御輿台格納庫」と言うのが表題にある「明神台倉庫」に当たります。
 旧明神台倉庫(御輿台倉庫)は、旧大成小学校校舎裏にありましたが、この度校舎解体の為、今度は組立
式明神台の倉庫が移転する事となり、市当局のご配慮を持って無事移転作業が終了いたしました。
 明神台の本来の姿は「海を臨まれる海辺に近きあたり」とあります。唐津神社の明神台は、過去四度の移転を行っておりますが、その移転の際には時代時代の関係者の皆様の努力のおかげで、それぞれ聖地の程近くに定められております。
これにより、御神幸そのものの本来の姿を変えることなく祭りを斎行できますことは、誠に有難く、改めて感謝申し上げる次第です


   《曳山情報》

第十三番曳山水主町「鯱」
保存修復事業落成記念式典

 令和二年九月に保存修復事業を終えた水主町「鯱」の落成記念式典が令和四年三月二十一日に唐津シーサイドホテルにて開催されました。式典では宮島醤油株式会社の宮島清一社長が、昭和五年に新造された鯱と宮島家の関係や、小笠原長生公から水主町に送られた纏(まとい)の話などの講話を行われました。また、舞台には今回の保存修復事業に合わせて新調し、宮島醤油株式会社元社長の故宮島傳兵衛氏が揮毒した「水主町」の名が入った台幕が披露されました。


第一番曳山刀町「赤獅子」
保存修復検討委員会

 三月五日、大手ロセンタービルにて富山大学芸術文化学部教授林暁氏など専門家をお招きして唐津曳山保存検討審議会が開催されました。会議では現在修復作業中の刀町「赤獅子」の修復状況を確認し、漆の色合いや、曳山本体の裏面に
列記されている功労者名の保存方法などについて意見が交わされました。また、翌日には次回の総修復が必要とされる曳山(呉服町「源義経の兜」)についての現状報告が行われ、修復作業の行程について協議が行われました。


展示場の解体工事進む
 老朽化した市民会館と曳山展示場の解体工事が進んでおり、今現在(令和四年四月一日)展示場は完全に解体され、市民会館に工事用の足場が組まれております。この後、東西を通る道路 (市民会館と展示場の間のトンネル)が封鎖され、それに伴う仮道路が展示場跡の大志小学校側に作られて本格的な解体工事が始まる事になります。


「唐津くんち」を商標登録
 この度、唐津曳山取締会では、令和四年三月四日付で「唐津くんち」を商標登録(登録六五二二六五六号)致しました。


曳山スポーツ大会開催
◎新型コロナ感染症の影響で延期されておりました唐津神社旗争奪「曳山十四ケ町親善スポーツ大会」が今年五月二十二日に開催されることが決定致しました。当番町は平野町の担当となります。


▼行事報告・予定▲
◇四月二十九日
 唐津神社春季例大祭
◇五月十日
 九州各県神社庁連合会神職総会(沖縄県)
◇五月二十二日
 曳山各町親善
 スポーツ大会
 (当番町 平野町)
◇五月二十九日
 表千家同門会佐賀県支部設立五十周年並びに青年部設立三十五周年記念献茶式
◇七月下旬
 総代研修会
◇七月二十九日
 ・唐津神社夏祭り
     茅輪くぐり神事
◇八月十五日
 ・戦没者慰霊祭
  並びに祖国復興祈願祭
◇九月
 初旬 国民精神昂揚
 合同研修会(佐賀市)
◎毎月一日・十五日
       月次祭


 
 
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