唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第121号   令和2年10月1日発行
 
 発行所 唐津神社社務所
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (株)音成印刷
 
 令和2年 唐津くんち
 神輿渡御・曳山巡行が中止に   〜神事のみ斎行〜


 昨年は令和の御代を迎え、五月五日には唐津曳山の祝賀奉曳があり、華々しい時代の幕開けとなりました。今年、令和二年は東京オリンピック・パラリンピック開催など日本各地は大いに盛り上がる年となる予定でした。しかし、年初には想像だにしていなかった新型コロナウイルス感染症が国内で拡がることとなり、私達の生活に極めて大きな影響をもたらすことになりました。感染症拡大防止の為、全国の祭りや各種イベントは中止や延期を余儀なくされ、人、物の動きが制限される事態となリました。
 このことを受け、六月より三回に亘り唐津曳山取締会が主体となり本年の唐津くんちの開催についての会議が行われました。その結果、依然として新型コロナウイルス感染症の先行きが不透明な状況であり、今は曳き子や見物に来られる皆様へ感染を拡大させるような行為は慎むべきとの結論に至り、十一日二・三・四日の曳山巡行と三日の神輿渡御は中止という苦渋の決断をすることになりました。この会議には曳山取締会役員の他、宮司、氏子総代役員、本年度総行司である呉服町(一ノ宮)、八百屋町(二ノ宮)の代表、神田区神輿伴揃代表がそれぞれ出席され意見を交わされております。寛文年間より続くとされる唐津神祭の神輿渡御、文政二年赤獅子奉納より始まる曳山巡行が中止になるのは今回初めてのことになりました。
 神賑行事が中止になるのは心苦しい限りですが、神主として神事を確実に斎行することが責務でありますので、まずは秋の実りに感謝を申し上げ、更には一日も早いこの事態の終熄と地域の安寧を皆様とともに只管に折る所存であります。


「神社と疫病」
 伝染病のうち現在進行形で流行っているものを特に「疫病」(えきびょう・はやりやまい)と呼ぶことがあります。歴史的に人類を苦しめた伝染病としては、ペスト、天然痘、コレラ、結核、インフルエンザなどがあり、流行しては消え、また流行するということを繰り返してきました。歴史的に見ると伝染病は自然終熄が原則です。感染症の特徴として感染した人間が回復すると病原体に対する免疫が体の中に作られるため、感染拡大には限界があり、限界に達すると自然終熄します。また季節や環境の変化などで病原体が適応できず自然消滅することもあります。
 病原体は肉眼で確認出来ないものが多い為、人類がウイルスを発見するまで伝染病の原因は神霊の祟りなどと世界的に考えられていました。日本でも疱瘡神を始め、疫病をもたらす鬼神である疫病神 (疫神・行疫神・疫鬼)の信仰や風習があります。草木には草木の、山には山の神様がおわしますように病原体には疫病神がいるという考え方です。ウイルスが発見されたことで「昔の人は鬼神の仕業などと非科学なことを考えていた」とか「祈祷に効果はない」という意見もあります。しかしながら注意しなければいけないのは、昔の神職や僧侶はウイルスなどの目に見えない病原体を相手にしていたのではなく、病原体を司る疫病神や我々を守護し給う御祭神に対して祈っていたという点です。
 神社神道では病院で治療を受けると同時に神々に治療を祈るということが行われます。科学的な治療方法と祈祷とは次元が違いますから併存することが可能、というのが神道の考え方です。
 疫病に関してみれば、医療はウイルスなどの実際の病原体を相手にして、医学的・科学的に対処するのに対し、神道は御祭神や疫病神を相手に霊的に祈るのです。疫病鎮静という最終目標は一致していても対象と手法が異なりますから、両者を同じ土俵に上げて有効無効を論じるのは無益と言えます。実際の病原体を除去することは医学や科学の仕事であり、御祭神の加護を強め、疫病神を鎮め、または疫病神を引き寄せ、その活性化を招いている罪穢を祓い清めるということが神道の役目です。
 ではなぜ疫病や天災がおきるのか。古来、各宗教において神罰や試練、悪神など解釈がされてきました。神社神道の考え方でまず核となるのが神道は多神教であるという点です。八百万の神様全てが人間を中心に存在するのではなく、中には災害や病原体の味方をなさる神様もおられる訳です
「神社に祈ってもウイルスは鎮静化しない」「神社にお祈りしても災害は起きるのだから祈りは無意味だ」という意見には、神様が人間の為に存在するという人間本位の考え方が根底にあります。人間は世界の中心ではありません。人間も自然の一部であるという慎みが大切です。
 疫病神を鎮静化させる祭祀については日本各地様々な手法が残っています。中には疫病神にお供え物をして「この地域には入らずお帰りください」と頼む祭祀や、あるいは「疫病送り」と言い、船を作って御幣や人形に見立てた疫病神を乗せて川に流し、その後はうしろを振り向かないというような儀礼もあります。また境界を防御する祭祀もあります。地域の境界線にある詞や仏堂はそこから疫病神が入らないようにする為に建立されたものが多いです。
 中世から近世において疫病の神としては八坂杜・津烏社・天王社に祀られる牛頭天王(素戔鳴尊)が広く信仰されます。「備後国風土記」などには、牛頭天王が旅の途中に蘇民将来に助けられ、茅の輪によって災厄を逃れられることを数えた逸話が記されています。これが夏越の大祓における「茅の輪」の起源になっています。現在、全国の神社で行われている「大祓式」は宮中儀礼として大祓に「茅の輪」などの民間厄除信仰が習合して、更に明治の旧儀再興、大正の次第改正、神祉本庁による制定といった変遷があり伝えられているものです。
 一番身近に氏子崇敬者を守護し給われるのは氏神神社の神様であります。常より守護して下さっている御祭神に対し、感謝し、安全無事を祈ることは神職の努めであり神社神道の基本です。御祭神には霊威を発揮され、荒ぶる神にお鎮まり頂くことができるよう真摯に祈り続けていかなければなりません。

(神道青年全国協議会教化委員会編集「伸社と疫病」より抜粋)


 十三番曳山
 水主町「鯱」保存修復事業完工




 第十三番曳山水主町「鯱」明治九年(一八七六年製作)は昨年くんち終了後より修復工事が行われていたが、この度、工事が完工。西の門館曳山修理庫で組み立て作業を経て、十月十八日に保存修復事業落成記念式典開催の運びであったが新型コロナウイルス拡大防止のため中止となった。
 七月に行われた第二回保存修復委員会では、上塗り漆について協議された。上塗り漆に混ぜる朱粉(朱色の漆を作るために混ぜる顔料)は「日華水銀朱の赤口」が選定され、次に漆と水銀朱の混合比率などが協議された。箔押しについては漆塗膜を掻き落とした際に下地から出てきた痕跡を元に古写真とも照合の上、昭和五年に製作された現在の鯱の形状を目指すことを確認。また車輪に使用されている木材を調べたところ材の厚みや木の継ぎ方などから船材ではないかとする意見もあり、以前水主町は港町であり、船を解体した材を使用したのではという推測もなされていた。また目玉の白色は漆で出しにくい色であり、「酸化チタニウム」という顔料が使用されるそうで精製方法により色目が違って見えるそうで、後に黄変したり赤っぽい色にならないよう調整されるそうである。
 今年はコロナ禍の中でお披露目が中止になるのは大変残念でありますが、鯱を含め、いつの日か十四台揃っての雄姿を見ることができる日が来ることを願います。今回の鯱総修復工事は(株)田谷漆器店(石川県)が請負業者となっています。
 
 
唐津神祭
 ※新型コロナウイルス感染症拡大抑止の為、神輿渡御・曳山巡行は中止

十月九日(金)

 ◎午後七時 初供日奉告祭
    唐津曳山囃子保存会 令和2年当番町 本町 囃子奉納
    ※保存会、当番町のみ奉納

十月二十九日(木)

 ◎神輿飾ノ儀は中止
 ◎午前十一時 本殿祭
    総行事  一ノ宮 呉服町 二ノ宮 八百屋町
十一月二日(月)

 ◎宵曳山巡行は中止曳出

十一月三日(火・祝)

 ◎午前九時 神田獅子舞奉納
 ◎神輿渡御は中止
 ◎正午 御旅所祭(於拝殿)
     総行事引き継ぎ
    令和三年総行事 一ノ宮 中町 二ノ宮 木綿町

十一月四日(水)

 ◎翌日祭曳山巡行は中止
十一月五日(木)
 ◎神輿納ノ儀は中止

 
 新唐津市民会館
  基本計画策定委員会


 去る令和二牢八月二十四日、唐津市民会館大会議室にて第三回の新唐津市民会館基本計画策定委員会が開かれました。今回は社務の都合により傍聴に出席できませんでしたが、神社隣地の曳山展示場を含めた建て替え計画ですので特に関心を持っております。
 唐津市のホームページに会議内容や経過については詳しく掲載されておりますが、ここで神社として注目する何点かを紹介します。
 まず一点目に曳山展示場を二階建て以上にした際に曳山を見下ろす形は禁止かという質問があったようですが、墓本的に曳山は見下ろすようには造られていません。しかし町々を巡行する際には家の二階から斜めに見ることがあります。ですから曳山の真上に人が立って見下ろすようなことがない限りは、斜め上から見る展示の方法もあって良いのではと考えています。
 二点目に現市民会館と曳山展示場の間のトンネルとなっている通路について。現在市民会館と曳山展示場が建っている敷地には江戸期は神社の社叢林・しゃそうりん (神社境内を囲うように密生している林で鎮守の森とも言われる)があったとされています。江戸期に描かれた地図には木々が描かれていますが、東西に通り抜けができるなんらかの道があったようです。今の様なまっすぐな道になったのは明治四十一年と大正六年に描かれた地図からその時代ではないかと推測されます。作業部会では様々なパターンの建て替えシミュレーションが話し合われているようですが、その中に今のトンネルになっている道路を潰して建物を建てる案もあって、これには反対の意見がやはり多いようです。歴史的な経緯もありますが地元住民としては通路を遮断する事で生活の利便性が損なわれることになり、景観も悪くなるのではないかといった意見が多いようです。
 三点目に新市民会館大ホールの客席数や展示場の利用方法について。建て替えの議論が始まるのと時を同じくして発生した新型コロナウイルス。密集、密接、密閉が避けられる世の中で全国の施設ホールや展示場などは未だ入場制限や感染防止対策を講じながら運営されている状況です。このような中、新唐津市民会館と曳山展示場もコロナとどう向き合っていくのかという課題に、先が見えない中で難しい判断を迫られていると思います。市民や観光客の皆さんが安心して利用出来る仕組み、また唐津の歴史・文化を発信できる魅力的な施設となることを期待します。竣工の頃にはコロナウイルスも過去の話となっているように祈りたいと思います。




 神宮大麻初穂料・唐津神社大麻・御守り
 初穂料改定について


 毎年お正月には皆様のご家庭で新しくお祀りを頂いております伊勢神宮の「天照皇大神宮」の御札が今年五月より値上げされました。
これに伴い当神社でも長年に亘り据え置いてきました神社大麻を令和二年五月より値上げすることと致しました。また御守り関連につきましては令和三年のお正月より一部初穂科を値上げさせて頂く予定です。何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。


 以下は神社庁より初穂料改定の告知文を掲載致します。
 神宮大麻初穂料の改定について

 伊勢の神官は、皇祖神天照皇大御神をお祀りする尊いお宮として、日本人に古くから慕われ、日本の総氏神と崇められてきました。神官大麻は、天地を照らし、太陽のように、広く恵みを与えて下さる 天照大御神の御璽(みしるし)として、その御神徳を日本国の隅々に行きわたらせるため、古くは御師によって、現在では、地域の神社関係者によって頒布されています。この神宮大麻は、御神幣、御恩頼の更新累加のため、年毎に改められるよう、毎年頒布されています。
前回の式年遷宮(第六十二回・平成二十五年)より七年あまりが経過しようとしている現在、神宮では、次の式年遷宮を見据えて準備が始められようとしています。式年遷宮には、諸経費含めた準備に技能者の減少や物価の上昇といった問題が影響しておられることを承っております。それらの対応のため神宮御当局は、神宮大麻の頒布等で納められた御初穂料の一部を積み立てるなどの対応で、歴史と伝統を守り、神宮並びに式年遷宮を将来に伝えるため、日々職務に従事しておられます。
 神宮を本宗と仰ぐ神社界におきましては、この度、御初穂科改定となるに際し、右の事情を御理解戴き、神宮大麻の頒布並びに御奉賛に御協力を戴いております
皆様に、今後益々の御高配を賜り、一層の御協力と御奉賛をお願い申し上げる次第でございます。


 令和二年七月
      佐賀県神社庁


 左記の通り、神宮大麻、並びに唐津神社大麻の初穂料が改定されましたのでお知らせ致します。

一、神宮天麻
    一体 一、〇〇〇円H
 (旧初穂料 八〇〇円〕


一、中大麻
   一体 一、四〇〇円
 (旧初穂科 一、二〇〇円)


一、大大麻
   一体 二、〇〇〇円
  (※初穂料変わらず)


一、 唐津神社大麻
   一体  八〇〇円
  (旧初穂科 五〇〇円)
 ・行事 予定
◎唐津くんちは別掲
〇令和二年
◆十一月
 七五三祭別掲
◆十二月
 初旬 大麻頒布式
 三十一日 除夜祭
      古神札焼納祭
○令和三年
◆一月
 元旦 歳旦祭
 六日 祈年祭
 初旬 新春囃子初め式
◆二月
 二日 節分祭
 ※暦の関係により令和三年は二月二日斎行
 十一日  紀元祭
 二十三日 天長祭


 日次祭=毎月一日・十五日



曳山スポーツ大会
 令和二年六月七日に唐津市文化体育館で行われる予定であった、第三十七回唐津神社旗争奪曳山十四ヵ町親睦スポーツ大会・ミニふらばーるバレー(当番町平野町)は、コロナウイルス感染拡大防上のため中止となった。
 尚、九月総会により来年度も当番町は持ち越しで平野町が担当することに決まった。


総代異動
呉服町
   前田 善伯  帰幽
   前田 博記  新任
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