唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第117号   平成30年10月1日発行
発行所 唐津神社社務所
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (株)音成印刷
 
 
   
  新町第七番曳山「飛龍」弘化三年(一八四六)作製は昨年十一月より修復工事が行われていたが、この度、完工した。九月十五日には「曳山の蔵(西の門館曳山修理庫)」で組み立て作業を行い、十月十四日に保存修復事業落成記念式典開催の運びとなった。
 今回の修復作業において漆の塗膜を剥がす作業中に、目玉の黒目の位置・眉部分の漆塗りの技法・鰭の鱗の金箔押しの技法など、今までの飛龍とは違う部分が見つかり、「これを活かして修復を行うと全く見栄えが変わってくる」と、町内から心配の声もあったが、修理方法については概ね本来の姿(製作当時の姿)にもどす事を目的としており、発見された痕跡から漆塗りの技法も優れている事がわかり、それを活かしての修復となった。素人考えで「修復」というと「奇麗になる」という安易なイメージしか思い浮かばないが、修復を担当した鰹ャ西美術工藝社(東京都)の技術者の話によると、昨今の修復技術は目覚ましく発展しており、新しい修復方法が開発されている。しかし、技術が新しくなったからといって、それが素晴らしくなっているとは限らない。修理技術の進化には安易に行う方法と、昔ながらの技法を発見し活かす方法がある。我々は何かを「直す」事は「寄麓に見せる」事だとは思わない。修復を行いながら、古の技術を見つけ出して、それを活かすのが我々の使命だと考えている。
 今から百年先に曳山の塗替えを行う技術者は、今回の塗替えの技法を見て、何を思うのだろうか?と思えば、唐津くんちの曳山行事を守る唐津っ子にとって重い言葉である。
 さて、十月十四日は朝唐津神社で御祓いを受けた後、記念撮影を行って、九時頃から新町内へのお披露目巡行が行われる予定。
十二時半からはアルピノホールにて落成記念式典が開かれ、祝賀の餅撒き等が行われる。

 
 
〜元号の話〜

 来年五月、平成が終わり新しい元号となります。今年平成最後の唐津くんちを迎えるにあたり、平成の唐津くんちを振り返ってみますと、一番強烈に覚えているのは平成十三年雨の御旅所神幸です。昭和八年以来の大雨に見舞われた当日は、御旅所への御巡幸を中断し、御旅所祭を唐津神社拝殿にて行うなど、誰も体験したことのない唐津くんちでした。その時のことを先代宮司はこう記しております。
 大雨の神幸祭でしたが、時間や人員等に多少のズレがありましたものの、例年にさして変わることなく、祭典請儀を執行し圭また次の年へくんちの歴史をつなぐことができましたことは、曳山、曳子、総代、伴揃、出店、そして参拝者を始め、各関係要路の方々の臨機応変の対応によるものと感謝申し上げますとともに、伝統、歴史の重みを有難く再認識しているところです。
 先代宮司の話の中に出てきた通り、歴史とは繋がっていくものであり、また、積み重なって重みを増すものであると私は思っています。では、皆さん。歴史の勉強で何を勉強したか、思い出してみてください。
 「鳴くよウグイス」と聞けば「平安京」と思い浮かぶ方が多いと思います。学生時代、必死に歴史の年号を語呂合わせで覚えたものです。「虫殺し(六四五)大化の改新」「ナ二を(七二〇)書こうか日本書紀」「いやむや(一八六八)明治維新」今でもスラスラ出てきます。しかし、よく考えてみますと、私達が覚えた年号は全て西暦でした。しかし、我が国には日本にしか存在しない年の数え方が二つあります。
その一つが皇紀(こうき)です。初代天皇の神武天皇が即位されてからの年数で、我が国の始まりを基準とした年の数え方です。平成三十年は皇紀二六七八年となります。
 二つ目は皆さんご存知の通り、昭和・平成という元号と呼ばれるものです。皆さんがよく使われる西暦とはイエス・キリストが生まれたとされる年を基準として世界中で使われる年の数え方ですが、日本で西暦が使われるようになったのは日本と世界の交流が盛んになった明治時代からです。
 元号とは一定の年代に名前をつけたもので、その始まりは約千四百年前の飛鳥時代。当時の先進国だった中国(当時は唐)から取り入れられた制度です。最初の元号は「大化」で、平成まで二百四十七の元号があります。明治時代から天皇お一人の時代に一つの元号が付くようになりましたが、昔は天皇が替わられたり天災など国が大変な時、また、逆に良いことがあった時などに元号を変えていました。これを改元と言います。
 唐津くんちが始まったとされるのは唐津神社の記録によると寛文年間(一六六一〜一六七三)。その前の元号は万治でしたが、内裏(天皇のお住まい)火災などの災異のため改元されて寛文と元号が改められたとされています。
 さて、その元号の決め方ですが、天皇や人々の想いと理想を込めて、国の有識者が話し合い、天皇の確認を経て決められます。この方法は約千四百年間変わりません。今の元号平成は中国の古い歴史書『史記』『書経』からの引用で、「内平外成(内平らかに外成る)」「地平天成(地平らかに天成る)」つまり、日本が平穏で周りの国々とも仲良く歩んでいけるようにという想いが込められています。
 大化に始まる元号は、長きにわたり我が国の独立を表象し、国民統合の時間軸として用いられてきました。グローバル化が進展し相互交流が増える時代、自国の文化を理解し、伝統的な行事や制度を大切にする心を育まなければなりません。平成最後の唐津くんちを迎えるにあたり、寛文年間から始まったこの唐津くんちを、平成の時代を生きた皆様と共に、歴史の重みを感じつつ、新しい御代へと繋げていきたいと思います。

 ▼行事予定▲
◎くんちは別掲
◆十一月
 七五三祭
  十日〜十一日
  十五日
  十七日〜十八日
  二十四日〜二十五日
 下旬 支部大麻頒布式
◆十二月
 初旬 大麻頒布式
 二十三日 天長祭
 三十一日 除夜祭
      古神札焼納祭
○平成三十一年
◆一月
 元旦 歳旦祭
 六日 新年祭
 初旬 新春囃子初め式
◆二月
 三日 節分祭
 十一日 紀元祭
 月次祭=毎月一日・十五日

曳山スポーツ大会
 五月二十日、唐津市文化体育館で行われた第三十五回唐津神社旗争奪曳山十四力町親睦スポーツ大会(当番町本町)は、ミニバレーボールで各町熱戦が繰り広げられた。大会結果は以下の通り。優勝・大石町、準優勝・呉服町、第三位・平野町。四位・材木町。

《氏子総代帰幽》
松尾 武彦氏 (呉服町)
第一区推薦 筆頭総代

謹んでご冥福を
お祈り申し上げます

《氏子総代異動》
退任 田中 謙次氏(東城内)
退任 江藤 正弘氏(東城内)

 
唐津神祭
十月九日(火)
 ◎午後七時 初供日奉告祭

十月二十九日(月)

 ◎午前九時 神輿飾ノ儀
    総行事  一ノ宮 平野町 二ノ宮 新町
 ◎午前十一時 本殿祭

十一月二日(金)

 ◎午後七時三十分 宵曳山曳出
  各町曳山万灯をともして社頭勢揃(午後十時頃〜)

十一月三日(土・祝)

 ◎午前五時 神田獅子舞奉納
 ◎午前八時四十五分 発輿祭
 ◎午前九時三十分
       ☆御神幸発輿 (煙火五発合図−市内一巡)
 ◎正午 御旅所祭
 ◎午後三時 還御
       ☆御旅所発輿 (煙火五発合図−曳山は町内へ)

十一月四日(日)

 ◎午前十時 翌日祭  曳山社頭勢揃の後曳出
 ◎午後二時三十分 米屋町曳出
 ◎午後四時 江川町通曳出
 ◎午後五時頃 曳き納め (曳山展示場へ=煙火五発)

十一月五日(月)

 ◎神輿納ノ儀
   総行事 一ノ宮 江川町 二ノ宮 本町

  唐津曳山取締会
 曳山の里づくり委員会
  〜下刈実施報告〜


今年二月、唐津市七山藤川の山間に将来の唐津曳山に使う木材を確保する為、植林を行いましたが、八月の調査で苗木より雑草が茂っている状況だったので今回下刈り(雑草取り)が実施されました。
 九月十七日、午前・午後で班に分かれ、本部取締を始め各町から総勢約六十名が参加されました。
 
 
 

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