唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第111号  平成27年10月1日発行
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
 
 春季例大祭と
神宮大麻奉斎のすすめ
 唐津神社御鎮座壱千弐百六拾年の祝年となった今年、佐賀県神社庁副庁長、西川祀夫氏を献弊使として迎え、唐津神社春季例大祭を御斎行いたしました。当日は抜けるような青空が広がり、社頭に勢ぞろいした曳山も賑々しく無事お祭りを終えることが出来ました。
 私が産まれた昭和五十年、唐津神社は壱千弐百弐拾年の式年の年でございました。その年の社報に、当時の宮司、戸川健太郎はこのように書いております。

 式年とは、永い時の流れを一定の期間に区切って、折目をつけ、その節、節に当たった年をいうもので、その時にお祭りを奉仕して、新たな神の恩頼(みたまのふゆ)を戴き、生命の再生を願うものでございます。
 みなさま御承知の伊勢神宮の式年祭が最も理想的な式年のお祭りでございます。神官では、先ず、神さまのお住まいである御社殿の改築を始めて、一切の御調度品を新調して、ものみな新たにして、すがすがしい気分をもって、そして新たな神威をいたヾくわけでございます。当神社におきましては、そんな大規模な行事などは許されませんが、その式年祭の意味するもの、奉仕する吾々氏子の気持ちはすこしも変わりません。

 今年、御鎮座壱千弐百六拾年の式年の年を迎え、奉仕する神職・氏子の気持ちに変わりがないのは言うまでもありません。
 しかしながら、その中にあって少し気がかりになるのが、年々減少する神宮大麻の頒布数でございます。神宮大麻とは、おおまかに言いますと伊勢神宮の御札のことで、「大麻(たいま)」とは、本来「おおぬさ」と読み、「ぬさ」とは、神様への捧げ物、お祓いの時に用いられる木綿、麻などのことです。現在でも神社で使われるお祓い用の神具を「大麻(おおぬさ)」と言います。そこから、厳重なお祓いを経て授けられるお神札を「大麻(たいま)」と呼ぶようになったと言われています。
 現在、「大麻」と言うと如何わしい物というイメージがあるせいか、とある神主さんが皆様から頂いた神宮大麻の代金を銀行に振り込もうとして、「大麻代」と書いてある封筒を持ち込んだところ、銀行員に危うく通報されそうになった。という話を聞いたりもしますが、実は「大麻」にはこのような意味があったのです。
 この神宮大麻、昔は伊勢神宮に奉仕する神職が御神徳を広めるために頒布したのが始まりのようですが、明治天皇の「朝夕に皇大御神(すめおおみかみ)を慎み敬い拝むための大御霊(おおみしるし)として神宮大麻を国民全戸に漏れおつることなく奉斎せしめよ」との大御心(おおみこころ)のもとに、全国に頒布されるようになりました。
 さて、ではなぜ伊勢神宮の御礼を各家庭でお祀りする必要があるのか?という疑問ですが、それは私たちの住む日本が、皇室の御祖神である天照大御神の御神徳によって秩序づけられ、日々発展しているから。と言われています。そもそも我が国日本には、国土の美しさもさることながら、万世一系の「天皇」を戴く世界に誇るべき君主制度があります。畏くも天皇陛下には、日々の「おまつり」において五穀豊穣、国家の繁栄や国民の幸福を祈り、大御心の全てを国民生活の上に深いご関心として寄せられておられます。それをよく知る国民の側でも、自国の幸福の前提として皇室の御事を祈り続けてきました。この信頼関係は変わることなく二千年以上続いており、この「かたち」が「神ながらの道」即ち「神道」であると言えます。
 皇室の御祖神である天照大御神様の御礼をご家庭でお祀りするということは、国民がひとしく伊勢神宮(天照大御神様)を崇敬することとなり、つまり、悠久の民族的連帯を得ることにもなるのです。
 戦後、GHQの政策によって自国への誇りを奪われた日本人でありますが、最近の我が国は、ようやく自国の伝統や文化に誇りを取り戻しつつあると感じております。オリンピックやワールドカップの観戦に自然な愛国心をはばからぬ若者を発見するたびに、我が国本来の国柄を取り戻す機運を感じますし、これを一時期のものとせず、民族的連帯の機運として頂ければと感じております。
 先代宮司の戸川健太郎は、その手記の中で「式年とは、永い時の流れに折目をつけ、生命の再生を願うもの」と書きました。神宮大麻は毎年新たな気持ちで神様の御神徳を頂けるようにと、正月に新しいものに替えるようになっております。正しく家族の時間に折目をつけ、新しい気持ちで(再生を願う)生活を築くものであると私は考えております。
 今回、このような話を書きましたのは、今年の春季例大祭、壱千弐百六拾年の歴史の重みに四肢の震える想いでご奉仕させていただきました。その最中、ある御製が思い出されたからでございます。


わが国は
 神の末なり
  神まつる


昔の手ふり
 わするなよゆめ


     明治天皇 御製


 この御製に込められた大御心を体し、今後も神明に奉仕して参る所存でございます。


 
 
《氏子総代異動》

八百屋町 熊谷 和子 新任  
南城内   吉田 忠司 退任
山下町   久田 秀俊 新任
山下町   吉野 粂久 退任
元旗町   松尾 泰宏 新任
西浜町   福島 環   退任
西浜町   中島 浩子 新任
八百屋町 東江 敏一 帰幽
刀町    辻 駿吉   帰幽



唐津神祭
十月九日 (金)
 ◎午後七時 初供日奉告祭

十月二十九日 (木)
 ◎午前九時 神輿飾ノ儀
  総行司 
    一ノ宮 京町
    二ノ宮 刀町
 ◎午前十一時 本殿祭

十一月二日 (月)
 ◎午後七時三十分 宵曳山曳出
  各町曳山万灯をともして社頭勢揃(午後十時頃〜)

十一月三日 (火・祝)
 ◎午前五時 神田獅子舞奉納
 ◎午前九時 発 輿 祭
 ◎午前九時三十分
       ☆御神幸発輿(煙火五発合図−市内一巡)
 ◎正 午 御旅所祭
 ◎午後三時 還 御
       ☆御旅所発輿(煙火五発合図−曳山は町内へ)

十一月四日 (水)
 ◎午前十時 翌日祭
  曳山社頭勢揃の後曳出
 ◎午後二時三十分 米屋町曳出
 ◎午後四時 江川町通曳出
 ◎午後五時頃 曳き納め
  (曳山展示場へ=煙火五発)

十一月五日 (木)
 ◎神輿納ノ儀
  総行司
   一ノ宮 米屋町
   二ノ宮 大石町
 
 
 
 
曳山スポーツ大会
(於浄水センターグラウンド)
 第三十二回を数える曳山スポーツ大会は、五月十日、当番町魚屋町にて開催され、ソフトボールを行いながら各町親睦を深めた。
大会結果は以下の通り。
 優 勝・新 町
 準優勝・材木町
 第三位・江川町
 
 
行事予定
◎くんちは別掲
◆十一月
  七五三祭
   八日〜九日
   十四日〜十五日
   二十二日〜二十三日
  下旬 支部大麻頒布式
◆十二月
  初旬 大麻頒布式
  二十三日 天長祭
  三十一日 除夜祭
         古神札焼納祭

○平成二十八年
◆一月
  元旦 歳旦祭
  六日 新年際
  初旬 新年囃子初め式

◆二月
  三日 節分祭
  十一日 紀元祭

◎毎月一日・十五日 月次祭 

〜総代研修旅行〜
熊本県 阿蘇神社参拝
 去る平成二十七年六月十一日、熊本県阿蘇市鎮座、肥後国一ノ宮「阿蘇神社」へ正式参拝を致しました。今回は氏子総代総勢三十三名様の参加を賜りました。
 阿蘇神社は主祭神に阿蘇開拓の祖と言われる健磐龍命(たけいわたつのみこと)を始め十二神を祀る由緒ある神社であります。古くから農業の神として篤く尊崇され、現在も行われている阿蘇の祭事も深く縁があります。全国的にも珍しい拝殿から横に伸びる参道や、願い事を念じて撫でると願い事が叶うとされる「願かけ石」、縁結びの松として有名な「高砂の松」などがあります。三つの神殿と楼門・神幸門・還御門の六棟は国の重要文化財に指定されています。この楼門は高さ十八メートルで神社では珍しく仏閣の様式で建てられた二層楼山門式となっていました。古代より有力氏族である阿蘇氏が大宮司を務められており、現在大宮司をお務めの阿蘇治隆氏が第九十二代目となる。
 研修会当日は大雨となりましたが無事に神社へ到着し、厳かな雰囲気の中、正式参拝をさせて頂きました。参拝後は権禰宜様より阿蘇神社の歴史・文化財などのお話を戴き、皆さん熱心に拝聴されておりました。その後、内牧温泉ホテルでの昼食を済ませ帰路につきました。
 当日、阿蘇地方は大雨洪水警報が出るなど大変な荒天ではありましたが、有意義な研修旅行となりました。


 
 

唐津神社御鎮座壱千弐百六拾年 記念事業
一、大鳥居最後のお色直し
 先の社報第一一〇号でご紹介しました大鳥居(白い鳥居)の改修工事ですが、先日、改修工事の現場を見学する機会を頂きました。会議などの用事で市民会館に登りますと、白い鳥居を上から見る事は出来ますが、間近で鳥居の上の部分を見てみますと、想像以上に傷みが激しいことに驚きました。鳥居というのは二本の足で支えられておりますが、その足からはみ出した部分、特に鳥居の一番上の横石の部分は美観から反りも入っているので、重力の影響で大きなヒビが入っておりました。また、調査の結果、今から七十五年前の鉄筋コンクリートの耐久性は現在の最新のコンクリートに比べて大変もろく、工事を行って頂いている岸本組様の技術力をもってしても「あと五十年は持つという保証はできない」との事でした。つまり、これが意味するのは今回の改修工事は、白の鳥居にとって最後のお色直しである可能性がある。ということです。
 もしかしたら白鳥居にとって最後の晴れ姿になるやもしれぬ今回の改修工事、多くの皆様でその完成を祝って頂きたいと思います。



二、社号額新調
 唐津神社の歴史を紐解きますと、その昔、神功皇后が三韓への渡海に際し住吉三神に安全を祈願し、帰朝の後、その御神徳著しきを感じて松浦の浜に宝鏡を懸げて三神の霊をお祀り成された。
 数百年が経ち、その鏡を神田宗次公が発見され、帝に奏聞したところ「唐津大明神」の神号を賜る。と由緒にあります。しかし、現在の神社名は「唐津神社」。これは明治四年に太政官宣布により、社格制度なるものが新たに定められたことに由来しており、明治四年に唐津大明神は郷社となって、「唐津神社」に改名されました。
 昔は唐津神社も親しく「明神さん」と呼ばれ、通りなども硯在、明神小路などの名称が残っています。本年、壱千弐百六拾年記念事業の二つ目として、この名を残すべく、拝殿に唐津大明神の神号額を掲げるよう計画を進めています。額の作成にあたっては今年政界を勇退され、旭日大綬章を受勲された保利耕輔先生に揮毫を戴き、施工一式は、はせがわ唐津店様となっています。


三、拝殿幕新調
 記念事業の三つ目と致しまして拝殿幕を新調致します。お祭りの賑わいや神社の荘厳さが一層深まると共に、この節目の年に「新たな幕が上がる」ということは大変喜ばしい事と感じております。
 各種記念事業につきまして、御奉賛戴きました氏子の総代様始め、ご尽力戴きました皆様へ厚く御礼申し上げます。

inserted by FC2 system