唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第108号  平成26年4月1日発行
発行所 唐津神社社務所
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
 六番曳山
大石町「鳳凰丸」総塗替始まる
唐津神祭行列図より (制作:明治16年)
 去る平成二十五年十一月十七日に大石町の「鳳凰丸」は神事の後、西ノ門館の修理場へ移動し、総塗り替えの作業に入りました。「鳳凰丸」 の塗り替えで、西ノ門館で塗り替えを行う曳山は三台目となります。
 そして、今年三月、その塗り替え作業について、担当される鰍ヘせがわ美術工芸様を始め、関係各位が集まって保存修復検討委員会が開催されました。
 「鳳凰丸」は弘化三年(一八四六年)に製作されて以来、六回もの総塗替を経て今日まで曳き継がれてきました。昭和六十年の前回総塗替より、今年は実に約三十年振りの総塗替となります。長年の巡行により、亀裂や漆の剥離、芯木などにも歪みが生じており、今回の総修復工事となりました。
 塗装・修復に関しては基本的に在来仕様に倣うことを原則とすることで一致しました。また、曳山本体(鳳凰の羽)の漆の色調や幕の色、船体の後方に掲げられている纏・旗等は「唐津神祭行列図」(富野淇園・明治十六年作)を参考としながら、色調を従来のものに戻すように計画されています。
 漆の専門家を招いての委員会では、修復方法について貴重な意見が聞かれ、また、他の地域で行われている山車・山笠の保存修復の状況なども聞くことが出来ました。その中で、私が感銘を受けたのは、山車や山傘の保存について、沢山の事例に関わられた先生の言葉の中であった「以前、山車の塗り替えについて、塗り替えをしたことで山車の上に乗る事が出来ないのであれば、塗り替えは断る。と言うような事例があった。祭りは時代と共に進化する物なので、その進化に沿った補修や塗り替えをしなければなりません」という言葉です。
 これは山車や山笠だけの事ではありません。祭り自体が時代の進化に沿って変わるべき所は変わっていかなければならないのです。しかし、「変えていけないところは変えない」という固い意志も必要です。この先、百年後の未来にも誇れるような唐津くんちにしたいと、私は思っています。
 今年のくんちでの「鳳凰丸」の椅麗な雄姿を想像しながら、総修復の完成が待たれます。 
 
 
 
 
 《総代異動》
山下町 吉原 豊彦 新任

南富士見町
    宮嵜 岩男 帰幽

名誉氏子総代
木綿町 力武 定夫 帰幽


▼行事予定▲
◆四月
 二十八日
  神社関係者大会(杵島郡白石町)
◆四月
 二十九日
  春季例大祭
◆五月十三日〜十四日
  九州各県神社庁連合会 神職総会 (福岡県)
◆六月
 中旬 総代研修会
◆七月
 二十九日 夏祭り 茅輪神事
◆九月
 初旬 国民精神昂揚合同研修会

◎毎月一日・十五日
        月次祭

 ▼曳山情報▲
◎スポーツ大会
 第三十一回唐津神社旗争奪 曳山十四ケ町親善スポーツ大会が、五月二十五日(日) に唐津市文化体育館にて行われる。今年の種目はミニバレーボール。当番町は呉服町。


◎「唐津くんちの曳山行事」ユネスコ無形文化遺産への平成二十七年提出について
 今年三月、ユネスコ無形文化遺産保護条約の「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」の記載について、文化審議会世界文化遺産・無形文化遺産部会(部会長西村幸夫東京大学先端科学技術研究センター長) が開催され、審議の結果、関係コミュニティとの調整を経て、文化庁においては、平成二十七年の審査案件として、「唐津くんちの曳山行事」を含む日本の「山・鉾・屋台行事(全三十二件)」の提案書を提出することが決定されました。
 これは、平成二十一年にユネスコ無形文化遺産に先に記載された「京都祇園祭の山鉾行事」及び「日立風流物」を日本全国に存在する「山・鉾・屋台行事」として広義に捉えて拡張した提案であり、唐津くんちの曳山行事を含む、国指定重要無形民俗文化財の山・鉾・屋台行事、全国三十二件の提案書が提出されることになりました。現時点では決定されたわけではなく、今後外務省、文化庁、農林水産省から構成される無形文化遺産保護条約関係省庁連絡会議の審議を経て、提案書がユネスコに提出されることになります。


『ユネスコ』…
 国際連合教育科学文化機関といい、諸国民の教育・科学・文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関。「無形文化遺産」 とは、ユネスコの事業の一つで、同じくユネスコの事業である「世界遺産」が遺跡・景観・自然などの移動が不可能な有形の文化財の保護と継承を目的としているのに対し、祭りなどの民俗文化財や口承伝統などの無形のものを保護対象とすることを目指したもの。


テント一式奉納
泣Cンテリア中山 様
 平成二十六年一月二十二日、有限会社インテリア中山 (和多田大土井)様よりテント一式が奉納され、同日奉納の奉告祭が執り行われました。

 唐津神社で使用していたテントは昭和五十年位から使われており、生地も傷み、全体的にカビや黄ばみが生じていました。当神社での買い替えを検討していましたが、今回ご奉納頂くことになりました。今後、初詣の休憩所や雨天時の外祭典、また地域の行事などに幅広く使用させて頂きたいと思います。
 






 
春季例大祭
 4月29日(火・昭和の日 祝日)
 奉納神賑行事
 浦安の舞・曳山社頭勢揃・池坊生花
 






 

唐津神社 社殿の話 本殿「千木」補修

 去る平成二十五年十月の大風により本殿の千木(ちぎ・屋根から突き出た部分)が折れてしまいました。唐津くんち前、また、七五三前の時期でしたので、修理修繕の作業が遅れましたが、クリエイトホーム様の手により事前の調査の後、平成二十五年十一月二十一日より作業に取りかかり、約一週間の作業期間で、見事に修復することか出来ました。
 千木とは、社殿の屋根の両端の部分で、この千木の起源をたとると、日本の古代の住居にあると言われています。古代の住居は三本の木材を交差させた物を二組作り、それを建物の両端に立てて、その交差した部分に棟木(むなぎ)を掛け渡した構造をしていました。この建築様式の場合、交差した材木の先端は屋根よりも高く突き出ることになります。その部分が後に千木と言われるようになったとされでいます。このように古代の建築様式における千木は屋根を支えるための大切な構造材たったのですが、現在ではほとんどの神社の千木が、一種の装飾的な意味合いの強い物となっていますへ、尚、この千木について、先端部分が地面に対し垂直に切られている場合は男神を祀ってあることを示し、水平に切られている場合は女神を祀っていることを示す。と一般的に言われていますが、異なる場合もあります。
 さて、唐津神社の社殿の歴史を紐解きますと 現在の唐津神社の社殿が出来たのは昭和十六年のこと 今年で築七十三年目。百年以上前に建てられた商家が残る唐津の町中では新しい部類の古い建物(?)になります。神社建築の様式では「流造(ながれづくり)」という様式で神社建築の中では全国で一番用いられている様式です。
 唐津神社を正面(お賽銭箱のあるところ)から見ると、扉が八枚ありますが、その内、中央の四枚だけが他の物より大きく(高く)作られています。一説によると、神社を設計する中で、「あーそういえば、この高さで御神輿の出し入れは大丈夫か?」という話になり、急遽真ん中の四枚の扉を大きくしたとか。毎年十月二十九日に行われる神輿飾りを経験した方はお解り頂けると思いますが、唐津神社の御神輿は意外と大きくて、その出し入れは「もうちょっと下げろー」「イヤ、これ以上無理ですー」というセリフを毎年聞くように、困難を極めます。神社内に安置されている神輿を見られた観光客の方々の中
からは「この御神輿はどうやって出すんだろうね?」というお声を聞くこともしばしばあります。
 現在の社殿よりも古い社殿は、境内中段 (鳥居天満宮横)に残っており、実際は今の社殿に向かう参道にある三段の階段あたりにあった物を、今の位置に移動したそうです。昔は、この旧拝殿が神輿蔵として利用され、曳山の盛り替え場としても使用されました。
 唐津神社では休日など、親子連れで参拝される方の中に「オイがコマか頃には」と、自分の子どもに自慢するかのように、神社で遊んだ話をされている方もいらっしゃいます。これからも、皆様方の大切な場所となるように社務に努めて参りたいと思います。



 本殿
 シロアリ駆除・防除工事


 去る平成二十六年一月、当神社本殿のしろあり駆除工事が行われました。
 これは、株式会社フレックス唐津(唐津市浦) がホウ酸によるシロアリ防除工法の正規認定代理店として佐賀県で二番目に業務を始められました。今回、御厚意により調査・防除工事を無償で引き受けて頂いたものです。
 本殿内部の調査ではシロアリの巣も確認され、侵食が進行していました。そこで先に巣を薬で駆除し、その後、ホウ酸によるシロアリ防除工事を行いました。
 このホウ酸は、シロアリ対策・木部の腐れ防止・防虫に対して効果を発揮し、しかも長期間その効果を持続させることができる特徴があります。まさに神社のような歴史的木造建築の保存に適している工法です。
 施工後も社殿の様子を見ながらシロアリ対策を行っていきたいと思います。

 
 

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