唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第106号  平成25年4月1日発行
発行人 戸川 忠俊
編集人 戸川 健士
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
 
  平成二十四年十月七日、晴天の中、唐津神社にて中町・青獅子の塗り替え修復事業完成報告祭が執り行われました。その後、場所をアルピノに移して披露パーティーが行われましたが、その趣向も素晴らしく、二十八年ぶりとなる塗り替えでピカピカの青獅子は曳山囃子と共に宵山飾り姿で登場。会場からは感嘆の声が漏れ、賑々しく宴は始まりました。
 披露の中では、青獅子のモデルとなったといわれている神田カブカブ獅子 (後述)と佐志の獅子カブも披露され、普段は見ることが出来ない獅子の祝舞がお祝いムードに花を添えました。
 佐志の獅子カブは唐津市佐志中通鎮座、佐志八幡宮(宮崎健房宮司)に伝わる獅子舞で、毎年十月の例祭で神輿巡行の露払いとして演じられます。重さ十五キロの獅子頭を頭上高くに掲げ四方に立った踊り手が、囃子に合わせて回転しながら中央でカチカチと獅子の歯を打ち鳴らすその姿から「獅子カブ」の名が付いたそうです。一説によると、その獅子頭の中には石崎嘉兵衛作と伝えられている物もあると聞きます。
 さて、唐津くんちを全く知らない方が青獅子(赤獅子でも金獅子でもそうですが)を見たら、きっとこう思うでしょう。「ずいぶん大きな獅子舞だなあ」と。この日本のお祭り、正月の風物というイメージがある獅子舞。調べてみますとこの発祥は遠くインドにあるそうで、それが日本に伝わって今の獅子舞の原型が出来たそうです。獅子舞のモデルとなったのはライオンだそうで、そこで思い出したのですが、私が子どもの頃の曳山展示場のパンフレットには、各曳山の名前が英語で書いてあって、確か青獅子は「GreenLion」だったような気がします。先代官司はその英語表記(表記というよりも表現?)の中でも兜曳山の「ナントカカントカWar Helmet」という表現と、鯛の「Happy Fish」という響きがお気に入りでした。(※と、ここまで読むと他の曳山は英語でなんと表現してあったかとても気になられるだろうと思いましたので、資料を調べて別表にて紹介します。)
 さて、話を戻しまして、神田カブカブ獅子の話です。唐津くんち三日、御旅所神幸の日の早朝、唐津神社境内では神田カブカブ獅子の奉納があります。昨夜の宵山の喧燥が嘘のような静まりかえった境内に響く「カッカッ、カカッ、カッ」という独特のリズムを聞きながら、来る神事への緊張が高まります。神田カブカブ獅子について、戸川鐵氏はその著書『唐津神社の神祭と曳山に関する抄録』第三部にてこう述べています。
 市内の神田一〇六一番地に、観音像とカブカブ獅子で知られる飯田観音堂があります。カブカブ獅子の雄獅子は前後の長さが五〇センチで角の長さが二三センチ、雌獅子の前後の長さは四九センチで角の長さは二二・五センチです。獅子の下顎は下方に動くように金具で作られており、人が頭に被って、獅子の内側に取りつけてある取っ手を持ってカブカブと動かすところから、カブカブ獅子の名前がつけられています。カブカブ獅子は、昭和六年一月二十四日に市の重要有形民俗文化財に指定されました。また、観音堂に安置されている木造の観音立像も、市の重要文化財に指定されています。
 唐津くんちでは、十一月三日に神田地区の若者たちに担がれたカブカブ獅子が、午前五時に唐津神社に参拝して獅子舞を奉納し、その後、二手に分かれて神田地区の家を廻り、最後に飯田観音堂に落ち合います。明治初期頃までは、神田の他にも町田、菜畑、二夕子、江川町、京町などのカブカブ獅子が、神祭のときに神輿の前後に従っていたそうです。
 神田のカブカブ獅子が製作された享和二年は、刀町曳山「赤獅子」が造られた文政二年より十七年もまえです。そして、雄獅子のほうは、耳、目、鼻などや頭髪を後方に垂らしているところまで中町曳山「青獅子」にそっくりなので、中町曳山「青獅子」は神田のカブカブ獅子を摸して造られた、という説があります。 神田のカブカブ獅子は大正初期、筆者が小学校に入学する少しまえまでは、神祭のときに神輿の御巡幸のお供に加わっていたということです。しかし、そのとき、他町の曳子の若者たちが面白がって「獅子頭を貸せ」と言ってからかっていました。また、カブカブ獅子が果物屋の店頭で大きな口を開けて、店の人から柿や梨などを一つずつロの中に投げ入れてもらったりする習慣を、あるとき「物乞いのようだ」と揶揄(やゆ)されたのに憤慨して、神事への参加を止めるに至ったとも伝えられています。しかし、筆者が子どものときに母から聞いた話では、神祭のとき西の浜で店から果物をもらって、その返礼に獅子舞を舞うのは見苦しいので神輿御巡幸を止めたらどうか、と中傷されたのに憤慨して、神祭に参加しないようになったということでした。

 (「まつり再発見」 (財)唐津市文化振興財団)二十五頁参照)
 くんちの話を始めると話が尽きませんが、この神田カブカブ獅子の話で思い出したのでもう一つだけ。
 カブカブ獅子を継承されている神田地区の方々は唐津くんちの時に唐津神社の神輿供揃いとして神事で重要な役目を果たされます。そしてその事にとても誇りを持っておられます。
 これは先代宮司から聞いた話。神田地区では唐津くんちの期間中、地区の入口に幟を立てられるそうですが、歩道拡張工事か何かの影響で、職を立てるための石柱を移動、若しくは撤去しなければならなくなったそうです。その時業者が提案した案が左右にある石柱をどちらか片方に寄せてしまうというもの。その案を聞いた地区の長老が一言、「家の玄関の門柱を邪魔だからと言って片一方に寄せてしまったら、それは玄関と言えるのかね?」
 その一言で今でも職旗の石柱は道の両側に残っているとか。
 唐津くんちは沢山の人のこだわりがあってこそ、活き活きと伝わっていくのだと思います。


(別表)唐津曳山英語表記一覧
 赤獅子  Red Lion
 青獅子  Green Lion
 亀と浦島太郎  Urashima Taro and the Giant Tortoise
 源義経の兜  Yoshitsune's War Helmet
 鯛  Happy Fish
 鳳凰丸  Oriental Phoenix
 飛龍  Flying Dragon
 金獅子  Golden Lion
 武田信玄の兜  Shingen's War Helmet
 上杉謙信の兜  Kenshin's War Helmet
 酒呑童子と源頼光の兜  Raiko's War Helmet(With a Devil's head on top)
 珠取獅子  Watch Lion
 鯱  Guardian Fish
 七宝丸  Treasure Dragon







 
春季例大祭
 4月29日(月・昭和の日 祝日)
 奉納神賑行事
 浦安の舞・曳山社頭勢揃・池坊生花
 






 

《総代帰幽》
元総代三役
   田中 整氏 帰幽
《曳山本部帰幽》
刀町本部取締
   太田雄介氏 帰幽

▼行事予定▲
◆四月
 二十三日
  神社関係者大会(佐賀)
◆四月
 二十九日 春季例大祭
◆五月
 十三日〜十四日
  九州各県神社庁連合会
   神職総会 (鹿児島)
◆六月
 中旬 総代研修会
◆七月
 二十九日 夏祭り
      茅輪神事
◆九月
 中旬 国民精神昂揚合同研修会


◎毎月一日・十五日
       月次祭
▼曳山情報▲
◎スポーツ大会
 第三十回唐津神社旗争奪
曳山十四ケ町親善スポーツ大会が、五月十二日(日)、二夕子の浄水センターグランドにて開催予定。今年の種目はソフトボール。当番町は材木町。


「彰敬館」
畳替一式奉納

一般社団法人
 唐津青年会議所様
 去る平成二十五年一月、唐津青年会議所創立五十周年を記念し、唐津神社彰敬館の畳替えが同会議所より奉納されました。
 「彰敬館」は唐津神社社務所として大正十三年に建てられました。創建当時は、主に唐津くんちの曳山会議の場として建てられたという経緯があり、今なお唐津曳山取締会本部が置かれている所です。今ではくんち会議は元より、氏子総代会や結婚式控室、地域の会合の場として広く利用されております。


「彰敬館」
机 十六卓 奉納


     唐津曳山
      正副取締会様

 去る平成二十五年三月、唐津曳山正副取締会様より宮司の婚礼祝として会議用机十六卓が奉納されました。以前より机足が破損したりと傷みがひどく、畳を傷つける原因にもなっていました。



唐津神社・拝殿
 「門帳・壁代・御簾」奉納



 唐津曳山取締会
  総取締 牧川 洋二様


 昨年、平成二十四年十一月三日、西日本新聞社より贈られる「第七十一回西日本文化賞」贈呈式が福岡国際ホールで行われました。この賞は西日本地域の文化の発展と向上に貢献された方々の業績を顕彰するもので一九四〇年に創設されています。今回、唐津くんちの独特な文化を継承し、全国有数のお祭りに育てたという功績から、唐津曳山取締会総取締牧川洋二氏が受賞されました。その副賞として西日本新聞社より金一封が贈られ、今回、牧川様の御意向で唐津神社に奉納頂くことになりました。氏子総代様との協議の結果、老朽化していた門帳・御簾の新調を行うことに決定いたしました。今年は、伊勢神宮の式年遷宮ということもあり、装いも新たに、春季例大祭には、一新された殿内装飾がお目見えする予定です。
社頭講話 4
人生儀礼 〜お食い初め〜
禰宜 戸川健士

 人は一生のうちに、数多くの祝い事を重ねていきます。日本、とくに神社界ではこれを、「人生儀礼」といい、古来より生きていく上での一つのけじめであると考えられてきました。
 前回はその中でも「初宮参り」を取り上げましたが、今回は「お食い初め」 について述べたいと思います。
 お食い初めは生後100日(地方によって110日、120日)に初めてご飯を食べさせるお祝いの行事です。新生児の生後100日頃に乳歯が生え始めます。この時期に「一生涯、食べることに困らないように」との願いを込めて食事をする真似をする行事です。初めて箸を使うので「箸揃え」「箸初め」と呼ばれるほか、祝う時期が生後100日前後であることから「百日(ももか)の祝い」「歯がため」と呼ぶ地域もあるようです。食い初めは、平安時代から行われていたと言われています。平安時代には赤ちゃんにお餅を食べさせる「百日」という行事があり、その後餅から魚肉に変わり、鎌倉時代には「真魚(まな)初め」と呼ばれるようになりました。その様子が「平家物語」や「源平盛衰記」などに書かれています。そして室町時代に書かれた「河海抄(かかいしょう) 」に「冷泉天皇の生後百日後にお餅を供す」と記されていることから、その後この風習が「食い初め」と呼ばれるようになったそうです。
 儀式としては、一汁三菜の祝い膳を用意します。これには鯛などの尾頭付きの魚、および、赤飯・焚き物・香の物・紅白餅のほか、吸う力が強くなるようにとの考えから吸い物、歯が丈夫になるようにとの考えから「歯がため石」が供されます。古くから地元の氏神神社の境内から分けて頂く習わしがあり、儀式が終われば再び境内へ納めます。当神社でも石を拾われている方をたまに見かけます。正式には食い初めの順番があり、赤飯1吸物1赤飯1鯛1赤飯というご飯と汁物の間に魚やおかず、歯がための福石を入れていくサイクルを繰り返します。必ずしもこの順番とは限りませんがしきたりがあるようです。この他、歯がために石ではなく「栗」を用いたり、同じ貝の貝殻でないと合わさらないことから蛤の吸物で、良き伴侶に巡り会えるように願ったりと、様々です。
 お祝いの形式も重要ですが大切なのは「祝う心」だと思います。こんな時にこそ親戚一同集まっての食事をするにも良い機会かもしれません。

 
 結婚式御礼
 
総代の皆様との集合写真
 
市民会館より撮影した曳山
(北城内 多久島総代様撮影)
  私、宮司戸川忠俊は、去る平成二十五年三月九日、筆頭総代松尾武彦様の御立会いの下、唐津神社にて無事結婚の儀を執り行うことができました。当日はお忙しい中、披露宴に多数のご参列、お祝いを頂きました皆様には心より御礼申し上げる次第で御座います。
 また結婚式には、曳山取締会様のご厚意により曳山十四台を社頭勢揃いして頂きました。関係者の皆様には、厚く御礼申し上げます。
 未熟な二人ではございますが、力を合せて神明奉仕に努める所存で御座います。 今後とも、ご指導賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
                 戸川 忠俊
                     清美
 

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