唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。
唐津神社社報   第10号  昭和40年4月1日発行
発行人 戸川 健太郎
編集人 戸川 省吾
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
唐津神祭は
 十月二十九日に 曳山各町取締会にて

 三月二十二日午後七時より唐津神社々務所に於て曳山総取締花田繁二氏以下本部役員各町取締出席して祭日変更につき協議した。先づ観光協会、商工、青年両会議所よりの要望書を説明して各町夫々の意見発表ありそもそも曳山は唐津大明神の神輿にお伴するものでその神輿に由縁の祭日を変更すべきでない。
 これに附随する問題として変更日の家庭に及す影響から他都市の外来者が増加するとは予測出来ない。外米者の中にも特に近郷近在の参詣者をもっと重視しなければならない。変更日の頃は神輿伴揃の出務が出来難くなること。叉興行露店に支障をきたすこと等まで熱心に発言されたが曳山として最も大事なことは、一ケ町でも反対と言うことになると曳山全体の運行に大きな差障りを来して唐津神祭斎行が出来難くなる。
 従来曳山巡行に際しては各町挙って行って来ったのでこれまで一ケ町でも欠けたことは一度たりとも無いことであって各町大方の意見も別項氏子総代会の意見と同様唐津神祭は従来通り十月二十九日にとの意見が多数であった。

第五回佐賀県 神社関係者大会

 唐津市体育館にて 盛大に挙行さる
 三月二十二日午前十時から佐賀県氏子総代大会主催の下に県下神職氏子総代其他神社関係者五百名が出席先づ神宮皇居遙拝の後敬神生活綱領を全員朗読、佐賀県氏子絵代会長毛利源三氏及佐賀県神社庁長鍋島直玄氏の挨拶来賓として地元唐津市長金子道雄氏の祝辞についで鹿島松岡神社氏子総代より小規模神社運営の体験談談、又厳木田久保総代より神職待遇問題に付き意見発表があった。それより講演会に移り京都大学教授憲法鍋査会委員法学博士大石義雄氏の「現憲法の問題点について」を熱心に聞きやがて昼食となり名物山囃子を楽みつつ大盛況裡に散解してそれより一同曳山を見物した。
 元来この大会は佐賀鹿島武雄鳥栖と県下の各都市を持廻はって開催してきたが今回は唐津に当り当唐津神社総代も多数出席して神社運営に敬神思想昂揚に新なる決意を促し、又大石博士のお話しである処の、現憲法の問題を指摘して鋭いメスを加へ我日本の伝統的信念たる神社神道に対する正しき考へ方には一同に深い感銘を与へた。
 又曳山とその囃子には外来神職総代に驚きの目を見はらさせ、参加者も今度が一番多く我唐津大会は大成功であった。

氏子総代会開催
予 算 等 審 議

 三月九日午後一時より社務所に於て、氏子総代会を開催次の事項について審議した。

 一,昭和四十年度  社費歳入歳出予算別表の通り承認可決される。
 本予算は前年度と大差なく、歳入で三万六千円の増収を見込み、物価高騰による歳出の増加に備えている。

一,唐津神祭 期日変更の可否
 この問題は数年前にも協議をし、神社としては変更しないことに決定していたものであるが、最近商工会議所、青年会議所観光協会の三者より、正式に祭日を従来の十月二十九日を十一月三日に変更されたい旨の申入れがあったため、神社として正式議題として、本会に提出し、審議を重ねることになったものである。
 当日の意見としては、神社の例祭日というものはその神社特有の由緒により、定められ、古来その日を特殊な信仰に基いた神聖な日として、今日まで受け継がれて来たものであるから、伝統由緒を重ずる神社としては、祭日の変更には同意出来ないと意見が大多数を占めた。
 然し一方には、世の中の進展に伴い、新らしい形の祭りを考て行かねばならぬので、この際外来者の受け入れに便利な日に変更して市の観光行政の面にも協力すべしという声も一部にはきかれたこの結果、本間題は変更しないことで大方の意見が纏った。

一,春祭り執行の件
 四月二十九日恒例により春祭りが執行されるが、この祭りに奉納される神賑余興等の準備委員として、牧原繁蔵総代等数人を委嘱した。

一,氏子総代変更
 富士見町古舘九州男氏辞任後任として高崎永康氏就任。

一,城内西 薄敬雄氏死去後任未定。

一,西ノ浜山下大助氏辞任後任に谷口興一氏就任

一,神社付近道路側溝設置の件

 神社西側及前面へかけての道路に側溝が無いため降雨時は、溢水して通行に支障を来すので市へ側溝設置を陳情することゝし、井上貢総代へ幹施を依頼することとする。

四月二十九日午前十時
五穀豊穣、産業繁栄
唐 津 神 社 春 祭
奉納 飾曳山
神 賑
奉 納 生 花
奉 納 演 芸