唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。

唐津神社社報   第6号  昭和38年 4月27日発行
                                  
発行人 戸川 顕
編集人 戸川健太郎
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
氏子総代就任
 今回西ノ浜総代池田好太郎氏退任につき、後任として山下大助氏が就任した。

4月29日 午前11時
  春納生花池ノ坊唐津支部
  名物山笠曳出し 献幣使参向

五穀豊穣産業繁栄 唐津神社春祭

奉納演芸 小桜舞踊団

氏子総代会
  予算など審議


二月二十三日午後二時より氏子総代総会を開催。昭和三十八年度社費歳入歳出予算を審議し、別表の通り決定を見た。
 尚引続き、春祭執行についての協議をなし、又神饌所屋根桧皮葺が二十数年を経て衰損が目立って来たのでこれが葺替えの件。その他殿内の補修、装飾品の購入の件等は何れも経費を必要とすることゝて、他日別途に案を作ることゝする。
 次に唐津神祭々日の件を審議、本件は唐津発展の上からも大いに外来の観光客を迎えて、山笠曳きを見せるため、現在の祭日を変更して、十一月三日の文化の日をこれに当てんとするものである。
 これに対して、元来神社の例祭日というものは、その神社の由緒に基いて設定されたもので、その神社特有のものであり、これを変更することは真の祭りの意義を失うことゝなり賛成出来ないという意見が多数を占め、従前通りに行うことに決った

四月二十九日
 春には今年から山笠曳出し 献花、奉納演芸も催す 四月二十九日の春祭には唐津名物山笠を社頭に飾り其の他池ノ坊唐津支部より献花を、又小桜舞踊団よりも奉納演芸を催して賑々敷く執行することとなった。
 元来春祭には山笠を曳出したもので明治九年江川町水主町両町隔年先順を取決めた約定書(江川町、現山笠取締会本部役員 吉村茂雄氏所蔵)の冒頭に「春祭の儀は都て江川町を先とし云云」とあり、又明治十年の春祭届書(唐津神社所蔵)の中にも「四月九日春祭執行に就テハ兼テ奉納ノ噺山曳出し」とある通りで、此の頃までは春祭のことを一般に五穀成就と言って近郷近在よりの人出多く中々盛であった。
 大正から昭和にかけても山曳きは秋祭のみとなったが各町よりはお籠りをして、又宮相撲も、奉納献花も、更に夜は二〇加や浪花節等があり可成りの賑ひを呈したものだった。
 しかし戦争でただ祭典だけはおごそかに行ひ、僅に少年剣道会を以て余興に充っと言ふことであったが戦後又種々余興の演芸会を催うしていたがたまたま市に於て港祭りや市民祭が春祭の季節に前後して行はれたので神社も之に同調して始末ったが近年之も廃止になり又お宮自体にてすることになると中々思ふに委せず何とかせねばと先日の総代神賑委員会にて、唐津名物いや、全国全世界の名物である山笠を春祭にも社頭に並べて噺もして神賑ひに供するのが第一だと、早速山笠取締会に申入れ、四月十五日各町取締会を開き協議の結果四月二十九日春祭には午前十時より午后五時まで社頭に山を社頭にお飾りすることを取決めた。
 勿論十時よりは佐貨県神社庁より献幣使をお迎へして祭典を行ひ五穀豊穣と商工業の繁栄から諸職業に携る人々の安全をお祈りし、奉納余興を催うして神の御心を和め奉るのであるが、今年からの山笠出しを毎年春祭の恒例として、その神賑余興にも来年よりはもっと力を入れて盛り沢山に、盛大に行はんと決意を新にした次第である。

社頭石段改修
 二月二十四日草木も眠る丑満時、突然の大爆音に夢破られ、何事ならんと寒空の社頭に出ずれば、貨物自動車が石段に突込み、石段も自動車も大破した。折よく通りかゝつたパトカーに授けられて、自動車は取除けられたが、石段は目茶目茶になり、用をなさなくなってしまった。とんだ災難といえは災難だが「自動車も元気でお詣りだ」と諦めるより外はない。
 そこで早速お祓いの上全部改修することにして、従来この石段は幅が広過ぎて昇降に不便だったので、もう一段石を入れて幅を狭め足がかりをよくしようということになり、三月の一日から二日まで工事を行い立派に仕上り、今度は足運びも好都合で、更に前よりは見ばえも大層よくなった。
 毎年の冬の陰気から陽気な春へと、三月四日の初午祭にも早速間に合い、数多くの参詣の人々からもお褒めを頂いた。
 災を転じて福とした次第である。


 春祭前後
 四月に入ると何と言っても桜であるが、今年は満開季が嵐だったのでいつ咲いていつ散ったのか、夢の間に過去った。それでも先年植えられた境内社の呉服町稲荷社の桜は次第に大きくなって嵐の後に立派に咲いた。
 五日には祖霊祭を行い旧家中縁故者相寄って藩祖の御遺徳を偲び奉った。十五日には招魂祭に奉仕し英霊をお慰めし申し、二十三日は首より上の神と仰き奉る寿社の例祭に奉仕した。
 此の頃より境内の若葉は茲四、五日の雨に洗れて目にしみる様だ。境内社粟島社へ辻村福蔵さんが丹誠こめて植樹えられた「つつじ」は今年も見事に赤桃色と咲誇っている。又松の花ものどかに散って青い風が吹いて来る。そうした中に春祭も今年は山笠を曳出して賑かに行ひ、そして五月五日には久留米出身者が奉斉する境内社水天宮のお祭が行はれ盛大な郷土のお祭を懐しみつつ一重一瓢を携へてお籠りをする こうして八十八夜を過した此の頃から所謂晩春初夏の候となり、毎年のこと乍ら年中で一番よい季節となり若葉の緑日日に色増し朱の玉垣と相映じ境内趣きもこれ又年中で一番よい眺めとなって行く。

 赤獅子原型発見
 四月十三日玉島石崎藤三郎様お宅から唐津一番山笠赤獅子の原型が発見された 之より先昭和三十三年八月既に神社より同家に趣き原型のことに付き親しくお話しを承たのであるが同家は唐津大町年寄の家柄であられるので今一度お伺いして許しくこの原型のことのみならず唐津神祭の古い事柄等を調べて次号に其の記事を発表したいものだと思っている。


氏子総代就任
今回西ノ浜総代池田好太郎氏退任につき、後任として山下大助氏が就任した。