唐津神社社報より唐津神祭に関わる記事を抜粋してネット化致します。

唐津神社社報   第5号  昭和37年10月1日発行
発行人 戸川 顕
編集人 戸川健太郎
印刷所 (有)サゝキ高綱堂
社務所に受付窓口新設
 当神社では三月の総代会で決定した、社務所の一部(社務室)を増築して、窓口となし、参拝者をはじめ、祈願、奉賽等すべて容易に受付られるよう、模様替えを行い、七月十日から開きました。
 当社務所は境外に位置しているため、御殿との連絡が遠く、すべてに不便な上受付窓口もなく、御迷惑をおかけしていましたが、今度の改造で少しは便利になるかと思います。
 今後はどうぞこの窓口をせいぜい御利用いたゞきますようお願い申上げます。

落成した社務所の受付窓口
続 山笠の提灯
 本紙前々号に山笠の提灯のことを載せたら二三の方方からこれは一寸面白いとのお言葉を頂いて赤面恐縮した次第である。だが唐津総町十六ケ町中八百屋町のものが判らず又魚屋町のものも現在の鯛の絵以前に何かあったらしく思われ心残りしていたが其後三人の方々よりお教えを頂いて次第に判明したので前々号の続きとして書誌す。
 八百屋町のものは八の字構の中に百の字を入れて図案化したもので八百を現すと言う趣向である。去年の
神祭後の町内願成就の際八百屋町の区長であり氏子総代である山崎富雄様が教えて下さった。尤も供日前にお尋ねした時は御存知なかったが其後よく御気に留められて町内其他聞係者にお話しされたらしく、元八百屋町にお住居で今新町の野口様と云う方から聞いたと言う事である。野口様の話によると消肪組の提灯に確にこの柄が付いていたと言う事である。
 
尚八百屋町には三ツ尾金魚の山笠を作るべく其台だけは既に出来上ったが山の方はどうした訳か遂に作らずじまいとなったが若し出来ていたらこの提灯を付けただろに。
 やはり去年の供日前に総町山笠取締会の時に魚屋町取締の坂本様から魚屋町の提灯の古い型の柄模様を教った。町内倉庫の長持の中にその提灯があって其の絵は確には覚えていないが現在の鯛とは違ったものであると言われたので矢も盾もたまらず翌日早速坂本様宅へに出掛けた処供日前で家業のお忙しいのにも不拘其儘倉へ案内されたが、倉とは何と東木屋の豪壮な二階である。梯子を掛けて懐中電燈で薄暗い部屋の中を照し乍ら長持の底の方から漸く件んの提灯を取出して下さった。それはウの字を横にして図案化したもので魚屋町の頭文字を取ったものであろう。昭和の初頃これを廃して現在のものになったと話して下さった。
 これでようやく唐津総町十六ケ町の山笠提灯の柄模様が出揃った次第である。
 でも未だその由来を詳にしないものが二三ある。材木町の三桝、新町の三階菱か稲妻か、本町の左巻、木綿の鎖か、武田菱か等で之等は又将来の調査に俟つとして、まあ一応は柄模様なりとも判明し唐津の昔を偲ぶよすがともたったろうか。
 御教え頂いた山崎様野口様坂本様へ此の誌上より厚く御礼中上ぐる次第である



”春まつり”
五穀豊穣を祈って
 唐津神社恒例の春祭りは去る四月二十九日盛大に齋行された。当日は絶好の祭日和に恵まれ、神気漂う午前十時、はれの祭儀を奉仕する戸川宮司以下祭員竝佐賀県神社庁より差遣された榊原献幣使以下随員氏子総代等夫々齋舘より参進、境内祓所にて修祓を受けて後昇殿、恭々しく外障の御扉を開き奉って、雅楽の吹奏の裡に海川山野の神饌を奉り終って、宮司大前に謹んで五穀の豊穣と産業繁栄を祈願して祝詞を奏上、献幣使又神社本庁の幣帛を捧げて、祝詞を奏上し、宮司、献幣使以下玉串を奉って拝礼、続いて花田総代等の玉串奏典があって厳かに神事を終った。
 この日は恰も天皇様御誕生日の佳き日に当り、参拝者で賑い、社頭には池坊唐津支部による生花が奉納され又外苑広場仮設舞台では雲井劇団による奉納演芸が催され、観衆がつめかけ、春の一夜を万才、珍芸等の競演に楽しい一刻を過した。
 尚この日は当神社職員戸川健太郎弥宜の身分二級昇進の奉告、披露も行われ、その栄与を祝福した。


”夏まつり“
形代納めと 茅の輪くぐり
 唐津神社では去る七月二十九日午後七時より恒例の夏祭、茅の輪くゞりの行事を行った。
 この日定刻、夕風さわやかなうちに。拝殿前にしつらえられた、大茅の輪の前に宮司以下総代、氏子崇敬者等多数参列し、先づ弥宜大祓詞を宣読、次に各人形代を執って、息吹きをかけ身の穢れを人形に移し、切麻にて三度身を祓い清め終れば、権弥宜大麻にて宮司以下参列者を祓い、続いて宮司を先頭に参列者が長い行列を作って、恭々しく大茅の輪を左、右、更に左へと三回くゞって、大祓の神事を終り直に昇殿着座の後、本殿大御扉を開き奉り神饌を供じて、宮司大前に夏の生活の無事を祈願して祝詞を奏上し、最後に宮司以下玉串を捧げ、午後八時御前を退下した。
 この日、日中は厳しい暑さで、夜風の涼しい聖夜を形代納めの氏子の人々の参拝が続き賑やかな夏まつりの一夜を過した。


寿(ことぶき)神社例祭
 唐津神社境内に鏡座される寿神社の例祭は去る五月十五日午前十一時かち行われた。
 この日は崇敬者総代として古川安兵衛、牧原繁蔵、辻村福蔵、大橋喜一、呉服町婦人会の諸氏が参列した。
 当神社は〃ことぶきさん〃と言われ神亀の霊神をお祭りした、特異な神として篤く崇敬せられ、その霊験は、頸から上即ち目、耳、口、鼻、頭等の病を癒されることにいやちこで、古来崇敬者が多く、いつも参拝が絶えない。
 因に寿様は蜆を好まれると伝えられ、社前にはいつも蜆が供えられていて、その篤い信仰を物語っている。


寿社毛髪祭
理容師さんが主催して
 唐津神社境内に鎮座の寺社では、去る七月二十三日午前八時から毛髪祭を執行した。
 この祭典は今年から初めて行われるもので、同社が首から上のことを守護される御神徳を畏み、唐津市、郡理容師、美容師の組合がその職業の守護神として、崇敬されることになったものである。
 組合では二流れの幟を新調奉納し、青木組合長以下組合員多数が参列し、厳かに業務の繁栄を祈願した。
 今後は恒例として毎年盛大な祭典を行うことゝなった。


御旅所建設近く完工
 唐津くんち当日神輿の御座所となる御旅所の建設は目下製作中であるが、近くその工事を終え、来る十月二十七日には現地に設置されることゝなった。
 これは先に大成小学校運動場拡張整備のため、同運動場内にあったものを撤去したもので、今度は臨時の御旅所として製作され、鉄骨造り組立式勾欄付六十坪という立派なものとなる。
 新しい御旅所に神輿を迎えての今年のおくんちの賑いが今から待たれるわけである。
 又この資材格納庫は唐津神社外苑西北隅に建設することゝなり、近く完成の予定で、軽量鉄骨造り十五坪の建物である。


氏子総代就任
 坊主町氏子総代野口信一氏は去る六月五日に逝去された。
 後任は宮崎のぶ氏が就任した。



山笠の塗替
 秋のおくんちにお伴する十四台の山笠のうち、第四番呉服町義経の鬼は三十四年振りに又、第十二番京町
玉取獅子は四十二年振りに夫々塗替工事中であろが、神幸祭にはその絢爛たる姿を見せるだろう。
 尚今度の塗替で、京町は大正十年以前の姿に復し、その色は青となり、昔なつかしい玉取獅子の雄姿が見られることになる。

祭典行事
四月一日 月首祭
   九日 春祭演芸委員会
   十五日 月次祭
  二十四日 京町山笠塗替起工祭
  二十九日 春季例大祭
五月一日 月首祭
   三日 御旅所建設委員会
   十日 坊主町金比羅神社春祭
   十四日 公園金比羅神社春祭
   吉日 月次祭
   二十三日 御旅所建設委員会
六月一日 月首祭
   十五日 月次祭
七月一日 月首祭
     八百屋町夏祈祷祭
  十日 授与所開設
  十五日 月次祭呉服町夏祈祷祭
  二十二日 新町夏祈祷祭
  二十三日 寿神社毛髪祭
  二十五日 中町粟島神社夏祭
  二十六日 山笠取締会
  二十九日 夏祭
八月一日 月首祭
  十五日 月次祭
  十八日 
市庁舎落成式に山笠慶祝曳出し。
九月一日 月首祭
  十五日 月次祭
  二十三日 神道家祖霊祭
  二十五日 天満宮秋祭西旗町


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