FAQ
Q:煎じ薬(本来の漢方薬)の作り方を教えてください。
A:当店では生薬を調合して一日分を一袋に入れてお渡ししています。約720mlの水に一袋の生薬を投入し、沸騰して50分間火に掛けます。蓋は半分して下さい。出来上がったら火を止めて暑いうちに茶漉しで漉し分け別の容器に移します。出来上がった用液を一日で飲み干して下さい。
手軽に本格的な漢方薬を服用したい方は、当店で調合した漢方薬を当店で煎じて、1回分毎(100cc)にレトルトパックしてお渡ししております。
1日分のお薬代は550円+煎じ料65円です。
またご家庭で手軽に煎じていただくためには次の機械をお勧めしております。
漢方薬煎じ器 煎治(せんじ)・LITE
簡単便利で手間いらず
ボタンひとつで本格漢方薬
ご自宅で手軽に使える
必要に応じて時間設定も
¥9790 (税込み)
Q:相談料はおいくらですか?
A:相談料は頂いておりません
Q:専用の駐車場はありますか?
A:当店の真裏の高砂町にございます。通りが狭いので車の出し入れには十分ご注意ください。
この通りは一方通行ではありませんが、西に進むと左折禁止です。ご注意ください。
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Q:代金のお支払方法は?
A:代引き(コレクト便)は着払いです。送料・手数料が加算されます。
通常はクリックポスト(全国\185)で送りますが入らない場合は出来るだけ安価な方法で送らせていただきます。
お支払いは振替用紙を同封しますので、荷物到着後送金ください。
お支払方法
代金は当店のゆうちょ当座口座に送金願います。送金手数料はゆうちょ間では月5回まで無料です。
荷物に同封します払込取扱票では送金料が¥110かかります。
ゆうちょ銀行の通帳またはキャッシュカードを使って払込みする場合は、従来通り手数料は無料です。
ご利用ください。
ゆうちょ銀行に口座をお持ちでない場合は同封の払込取扱票をATMでご利用ください。(手数料¥110)
他銀行からですと法外な手数料がかかってしまいます。くれぐれもご注意ください。
Q:指定の口座の番号は
A:銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード9900
店番 179
預金種目 当座
店名 一七九(イチナナキュウ店)
口座番号 0039925
他金融機関からの振込にご利用ください。
Q:送料は?
クリックポストに入らないものは
A:クリックポスト(¥185)で送れないものは
宅急便(下記料金表)かレターパックプラス(¥600)でお送りします。
当店からのヤマト運輸は下記の通りです。
サイズ | 60サイズ | 80サイズ | 100サイズ |
北海道 | ¥2340 | ¥2620 | ¥2930 |
南北東北 | ¥1760 | ¥2050 | ¥2360 |
関東・信越 | ¥1460 | ¥1740 | ¥2050 |
北陸・中部 | ¥1190 | ¥1480 | ¥1790 |
関西・四国 | ¥1060 | ¥1350 | ¥1650 |
中国・九州 | ¥940 | ¥1230 | ¥1530 |
沖縄 | ¥1320 | ¥1940 | ¥1580 |
Q:代金引換で受け取れますか?
A:はい。ヤマト運輸の代金引換で送れます。
手数料は次の通りです。
Q:屋号は山内薬局、店主は吉冨寛
どうして苗字が違うのですか?
A:はい。昭和29年開局当時は苗字は山内だったようです。
大正4年2月生まれの父兵衛は魚屋町西の木屋の三男、大正15年2月生まれの母志那子は吉冨清兵衛の次女ムメの娘です。
西の木屋山内家は名護屋城築城の際、豊臣秀吉の命令で泉州堺から材木積運船頭としてやってきました。私の従兄山内啓慈で13代目になります。江戸期には酒造・醤油醸造をしており、譜代大名が国替えになるたびに絶えることなく続いております。戦前に酒造は分家の東の木屋が続け、本家の西の木屋は現在はマルキ醤油として製造販売しております。
吉冨の方は江戸期には刀研ぎを京町のこの地でやっていたようです。名前がわかる初代は吉冨常左衛門。襖の下張りから京研常という書き札が多数出てきました。その倅吉冨善兵衛までは刀研ぎをしていたようです。当時の屋号は「トキヤ」。トキヤと切り抜かれた箱が残っています。
ご維新後、刀の時代が終わり、研屋から質屋に変ります。善兵衛の時代に京町の珠取獅子が出来上がります。次の清兵衛(中町横山家より養子)の時まで質屋が続きます。清兵衛の長男の磯太郎は東京に進出し弁理士をし、京町の店は伊藤時計店〜加世田靴店〜マルゼン洋品店に貸していたようです。裏は清兵衛夫婦や娘たちが暮らしていて、娘たちは嫁ぎ、未亡人になっては東京の磯太郎の家で過ごしていたようです。終戦の年、東京大空襲で焼け出された吉冨は全員唐津に引き上げてきました。
東京薬専を出たばかりの母は祖母(貞)を背負って唐津にやってきます。戦前だったか戦後だったかハッキリしませんが、聖路加病院の薬局に勤務していた母は、牧野富太郎博士が入院していた時に病室に入ったことがあると自慢気に申しておりました。
戦後裏は大所帯だったそうです。昭和29年に父母が結婚。11月に兄誠が誕生。誠を吉冨の跡継ぎにすることで父母は諸養子となり苗字が山内から吉冨と変りますが、その前に薬局を開いていたので屋号は山内のまま。現在に至っております。薬局は私が二代目ですが常左衛門から数えると私で六代目となります。