京町珠取獅子の幕について


明治16年に富野淇園によって描かれた唐津神祭行列図より珠取獅子をクローズアップしました。

京町の珠取獅子は明治8年富野淇園は細工人筆頭です。
ですからこの絵は当時の様子を忠実に描いたと考えられます。

当初の幕吊りは珠の下に円形の枠に細工を施していたようです。
しかし間もなく円形ではなく四角形に変化します。
円形の時の幕をそのまま使ったのかもしれません。
何故なら現存する明治・大正の絵葉書の幕は生成り生地に大きな火焔宝珠が染め抜かれています。


明治時代の絵葉書ではそろそろ垂れ幕がくたびれて来ています。



更に大正時代の垂れ幕は傷みが激しくなりました。

大正9年11月5日
朝香宮殿下が唐津を訪問されたとき、
大名小路に南から刀町・中町〜〜〜〜江川町・水主町の順で
勢揃いして奉迎しました。
その時の絵葉書です。


京町を拡大してみましょう。
見慣れない幕が下がっています。
明治8年から大正9年まで45年間で傷んでしまった垂れ幕はご供覧に耐えがたく
町が所有して使用していた直会幕を急遽幕吊りに下げたと思われます。

これまではまだ第一回の塗替前で緑が抜けて煤けた薄い緑もしくは薄い茶色になっていました。
それをご覧になった宮さまは「これはアマガエルか?」と尋ねられたとか。

それを知った町の者は大正15年に朱獅子に塗り替えてしまいます。





朱獅子になって垂れ幕も新調されます。この時から現在の紺の幕となったと思われます。
基本は火焔宝珠ですが、時には獅子の毛卍文の時もありました。
京町は火焔宝珠を使うには訳があると思われます。それを無視して毛卍文にしてはいけません。
直会幕も火焔宝珠なのです。


平成20年総塗替に際して、嘗ての直会幕の復刻を試みました。
10月5日朝、小雨降る中、富野淇園が眠る法蓮寺まで曳いていきその後アルピノホールで披露宴。
復刻した赤地に火焔宝珠の直会幕の前で京町で途絶えていましたノーエ節を復活して披露しました。


その後、この直会幕は大活躍しています。常時集会場の壁面に掛け、花見、初くんちには花を添えてくれます。

さて、現在の垂れ幕は朱獅子になって37年、青獅子になって62年近く慣れ親しんでいます。
100年前の生成に大きな火焔宝珠の垂れ幕に復刻してみたいと思うのは私だけでしょうか。
3Dでミニチュアを作ってもらいました。その垂れ幕は生成の幕にしてもらいました。

明治8年若者取締吉冨善兵衛が見ていた景色を再現してみたいと思います。

こんな感じになります。紺に火焔宝珠より珠取獅子がより浮き上がるように思います。
(令和6年150年祭の餅と共に)

再度明治8年の幕を見てみましょう