領巾振山 |
一名鏡山とも云ふ、虹の松原の後に聳江、松浦佐用姫のローマンスを以て有名である。宣化帝の御宇−千四百年前、遣唐使大伴狭手彦、新羅征討の途次此処に滞留し、篠原長者の娘佐用姫と果敢なき恋を結び、復の逢瀬の紀念に太刀と、鏡と、巻物とを、残して船出したのである。 姫は想夫の念に堪へかねてこの山に登り、行く船しばし君待てと領巾うち振りて呼び止めたのであるが、船は止る由もないので山より飛び降りて其の跡を追ひ、五里の彼方、加部島に来て遂に力及ばず、やる瀬ない儚い恋に悶江死んで、其の身は石と化したと、伝えられて居る、之がち望夫石で加部島の田島神社の境内にある、祠を佐用姫神社と称え其の望夫石は神体としてある。 ◎ 蛤に鴻もつまづく塩干かな [三千風] 佐用姫の袖かと見れば 松浦山 裾野になびく 尾花なりけり [細川幽斎] |
新曲 松浦潟 北原白秋作歌 町田嘉章作曲 花柳壽徳振付 |
松浦潟 誰を待つ身か 忍ぶ身か 何に領布ふる 佐代姫か わたしや チラリト一目でも 虹の松原 たよたよと エエコノ わたした橋じや江 |
俗謡 唐津節 |
○唐津ゆきたい 佐代姫さんが ひれを振り振り 松浦潟 ○虹の松原 しづかに暮れて 月を生みだす 鏡山 ○松浦潟 領布振山の古事よ 石になつたる佐代姫が 夫を思ふ真心は 之ぞまた女の鏡山 |
領巾振山 |
松原の中央、虹の松原停車場より南五丁余、海抜二百米、形状家屋の如く八面玲瓏として聳ゆるのが此の名山である。 萬葉に謂ふ『遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名』の一首、此の山の伝説を物語って余りあるが、此の山頂の大観に至っては是非一言を要する。頂上は約五萬坪の平坦な芝生で稲荷神社を祀り、中央に山池あって四時水を湛えてゐる。古来松浦の風光は天下無比と称せられてゐるが、一度此の山嶺に佇てば、真に宏大なる自然の一大パノラマが眼前に展開されてゐるのである。而も史実と伝説の故地は悉く是を指呼し得べく、眼下には三百六間の松浦橋が唐津町と虹の松原とを結んで山水正に秀麗の極を示してゐる。 |
鏡神社 |
あひ見むと思ふ心は 松浦なる 鏡のかみや かけて知るらむ 紫式部 |
赤水観音と船繋石 |
領巾振山の北麓登山口にある一小庵で狭手彦が凱旋の途次佐用姫の死を嘆きその霊を弔ふ為に祭つたと伝ふ。境内に高さ一間周囲六間余の大石がある。狭手彦凱旋の途次この石に船を繋いだといふ。 |