元寇防塁 |
弘安四年(約六百五十年前)蒙古十萬の軍兵来寇せる時築ける防塁の遺跡である。福岡市の東方多々良の濱より西新町、生の松原の北海岸に沿ひ今津に至る蜒々二十哩、今尚所々隠見され、其最も著名なるを今津防塁とする。今宿駅の北約一里。元寇殲滅碑、首塚等共に松林の中にあり。 |
勝福寺 |
付近の大泉坊と共に元寇来襲に関する寺寶多く、國寶に指定されしもの少からず、蟠龍の松(天然記念物指定)と共に其名高し。今宿駅の北一里。 |
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元軍は勢に乗じて壱岐を攻む。守護代平景隆百余騎を以て之に当りしも遂に力及ばず一門残らず自尽す。宗三郎主命を奉じ囲を脱けて太宰府に急を報じ使命を全うす。(明治十九年十一月二日景隆に特旨を以て正四位を贈らせ給ふ) |
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対馬全島に入りたる敵兵は泣き叫ぶ婦女老幼を捕へ之を惨殺し又は手足に穴を穿ち縄を通して己が船側に釣るし我が攻撃に備ふ等暴逆の限りを尽す |
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