唐津くんち関係資料

(2014.3.1UP 資料提供:吉光良平氏)



表には「唐津山笠の由来 唐津市役所」と書かれております。

昭和17年に作られた物と思われます。

唐津山笠の由来

起源として傳ふるところは、往昔唐津刀町の石崎嘉兵衛氏等伊勢参宮の途中京都に立寄り祗園の山笠を見て感嘆し帰郷して有志に謀り新に趣向を凝らし獅子頭を調整したるに始まり漸次各町の同好者が之に倣ったものであって、唐津明神の秋季大祭の際御神輿が西の浜に御渡御の為め市中を巡幸せらるるに当り供御として各町から出た法被姿の若者達によって曳かれ行く獅子頭、鯛、浦島、兜、御座船、飛龍、鯱等に模した金銀朱碧の豪華で目を奪ふばかりのきらびやかな十四台の山笠は地方色豊かな独特の山囃子により笛、太鼓、鐘(原文は)の諧調勇しく製作順に従ひ市中を練り晩秋に碧空を截つて繰り展げらるる絢爛の絵巻と古典味溢るる情緒とは他の追随を許さぬ独り唐津のみ有する誇りである。

 山笠一覧表
 所有町名 山笠名称   製作年月  経過年数
昭和17年まで
製作者   塗師
 刀町  赤獅子  文政二己卯年九月  124年  石崎嘉兵衛  大木小助 外三名
 中町  青獅子  文政七甲申年九月  119年  辻利吉  儀七
 材木町  浦島ニ亀  天保十二辛丑年九月  112年  須賀仲三郎  不明
 呉服町  九郎判官ノ兜
(義経)
 天保十五甲辰年九月  99年  石崎八右衛門  脇山卯太郎
 魚屋町  鯛  弘化二乙巳年九月  96年  不明  不明
 大石町  鳳凰丸  弘化三丙午年月不詳  95年  永田勇吉  小川次郎兵衛
 新町  飛龍  弘化三丙午年九月  95年  中里守衛重廣 外一名  中島良吉  春近  外二名
 本町  金獅子  弘化四年八月  94年  不明  原口勘次郎
 木綿町  信玄ノ兜
(武田)
 明治二己巳年  74年  近藤藤兵衛  畑重兵衛
 平野町  謙信ノ兜
(上杉)
 明治二己巳年八月  74年  富野武蔵  須賀仲三郎
 米屋町  酒呑童子ト頼光ノ兜  明治二己巳年九月  74年  吉村藤右衛門 外一名  仝人
 京町  珠取獅子  明治八乙亥年十月  68年  富野淇園(原文は淇  大木卯兵衛
 江川町  蛇宝丸  明治九丙子年十月  67年  宮崎和助  須賀仲三郎
 水主町  鯱  明治九丙子年十一月  67年  富野淇園(原文は淇  川崎峰治 外三名
 南佐八〇(何の記号番号か不明)
 以上
因に各町の製作費を知る由なきも大石町鳳凰丸は千七百五十両を要したる旨文献残り居れると伝ふ。



明らかな間違いは訂正しています。

(例 巳卯→己卯  巳巳→己巳)