唐津新聞 昭和36年10月25日

山笠曳行事決る

唐津神祭
祭典両日のコース
唐津山笠取締会では昨二十四日夜七時から城内西明神小路唐津神社彰敬舘で、来る二十九月にせまった唐津ぐんちの山笠曳き行事について打ち合せを行ない次の通り決定した。なおことしは東唐津でも二十八日は同地区内、三十日は全市にわたり飾り山笠を曳くことになり目下製作中である。

[山笠曳き行事]
▲二十九日
一、午前八時半各町山笠は 明神小路に集合

二、同九時 山笠曳き出しコース=唐津神社〜大手通〜材木町〜宮島醤油角〜水主町〜京町〜平野町〜新町〜刀町〜大手口〜坊主町郵便局横〜西の浜

三、正午 西の浜明神台御旅所着

四、午後三時 西の浜発〜屠畜場前〜江川町〜表坊主町〜大手口〜各町へ。

▲三十日
一、午前十時半 唐津神社前集合。
二、同十一時曳き出し、 前日と同じコースで一巡し、坊主町郵便局横〜江川町〜大和金融横〜朝日 町〜坊主町〜明神小路格納庫へ

▲三十日の途中休憩所 新大橋、日之出舘前、大石町中村酒場前、魚屋町西の木屋前、京町於釜屋前、刀町宮崎病院前、江川町山岡質屋前

▲当番町 新町


 残念ながら新聞には東唐津の山笠の写真はなく、どんなものだったか知りたいところです。京町の相談役にお聞きしたところ、唐房の山笠の様なものだったそうで、台の周りに杉の葉をあしらえた飾り山だったようです。
 友人を通して東唐津の方に話をお聞きすることができました。その方は子供の頃に東唐津のヤマに乗ったことがあるとのことでした。唐津くんち参加は余り評判が良くなくて、昭和36年が最初で最後だったそうです。しかしそれ以前もそれ以後も東唐津では飾り山を出して満島地区を曳いていたとのことでした。
 下の写真は、当時曳山に乗ったという子供さん(現在50過ぎ)にお借りしました。話を聞くと、唐津の曳山の後ろに着いていったが、物珍しく子供達がゾロゾロとついてきて恥ずかしかった。帰りは大手口のロータリーを3回廻って大名小路を通って帰って行ったとのこと。35年は満島を曳いて廻った。36年は唐津に参加。翌37年は満島のみ。それでこの曳山は姿を消したとのことでした。台車は消防小屋に放ってあったそうですが、立て替えの際廃棄したとのことでした。中央の花輪を付けている方が制作者の坂本さんだそうです。坂本さんは唐津近辺の飾り山の製作に携わっておられた方です。題目は「音頭の瀬戸平清盛」と書かれていますが、「音戸の瀬戸」じゃなかったかな・・・・・。
東唐津Tさん、貴重な写真と情報本当にありがとうございました。

一緒においでになった坊主町のKさん曰く、坊主町も飾り山を作って曳いていたとのこと。唐津くんちには参加していないが恐らく金比羅さんのお祭りのようで、その方の記憶にはなく、写真が残っているとのことでした。是非拝見したいものです。

 また、この新聞記事で気になったのが二十九日西の浜からのコースです。
 済生会前を通り、朝日町に出ずに、江川町に左折、表坊主町ですから、お茶屋さんの角を右折して国道に出たようです。
昭和36年10月30日 満島の飾り曳山
写真提供:東唐津 Tさん