唐津新聞 昭和36年10月30日
街を彩る山笠一色


三ッばやし勇しく
神輿に供奉して御旅所へ
秋の圧巻行事唐津神祭第一日のきのう二十九日は、提灯で飾られた各町山笠十四台が、材木町を先頭に暁闇を衝いて午前四時すぎ唐津神社々頭に勢揃いし、同五時神社では御神幸の神事が行われ、神田地区奉納の獅子舞いがあって、神輿は午前九時一番山笠「赤獅子」を先頭に、総勢十四台が供奉して発輿、太鼓、鐘、笛の三つ囃も賑かに、金銀青赤のきらびやかな山笠を秋空にかゞやかせながら、大手通り−外町−内町と予定のユースで街を練り、正午西の浜明神台御旅所到着。同所でハッピ姿の佐伯市長代理、宮崎市議会議長、花田総取締、坂本観光協会長参列のもとに、戸川唐津神社宮司を斎主とする御旅所ならびに秋の祭典か執行された。かくて午後三時西の浜引き出しの勇壮絢爛な光景は観衆の目をうばい、山笠はそれぞれ各町に帰ったが、この日気づかわれた天候もあかって、全市を挙げて祭典ブームをまき起し、神社前の山笠引出しも一際活発、各町を練り廻って終日大賑わいを呈した。二日目の三十日は前日に引きかえ絶好のおくんち日和となり、さすが唐津っ子の意気大いに揚がり、エンヤエンヤと引き出し終日大賑わいだった。


日曜日で人出10万
戦後最高のおくんち見物客
○−山笠くんちの唐津神祭第一日は早朝から客足がつづき.山笠曳き出しの午前九時ごろには神社前から大手口一帯はおよそ三万の人で埋まつた。
○−山笠は定例の打上花火を合図に刀町の一番山笠「赤獅子」を先頭に、行進を始め金、銀.赤、青を秋空に燦然輝やかせながら、勇壮な山笠囃のリズムに乗せて、山笠町内の若衆たちの意気を高鳴らせ、この日は日曜とあつて地元はもとより、長崎、福岡、佐賀方面からの列車やバスによる団体が殺到し、佐世保方面から多数外人客が入り込み、けんらんの山笠行進に「ワンダフル」を連発しつゝ、なかには曳綱をとって「エイヤエイヤ」とはしゃぐユーモア風景もみられた。
○−参道両側に立並んだ見世物、露店の客呼びもお祭り気分をかきたて、ひるすぎから客足はどつとふえ、山笠の明神台引出しの午後三時ごろを最高調に、十万人を数える戦後くんちの最高記録をつくつた。(観光課、唐津署推定)

ジンタ″の聞えぬ供日

寂しい唐津神社前の見せ物風景

今年のくんちで唐津神社参道の見世物や出店は相も変らぬ繁昌ぶりを示していたが、田舎の人達や、子供らにとつては何か物足らない顔付きだった。
いつも唐津くんちにはサーカスを見て帰るのを楽しみにしていたのが今年はかゝつていないのだ。ジンダのマーチ、象、馬、猿などの動物が小屋前に並んで愛敬をふりまいたり威勢のいゝ木戸番の声もきかれなかったから「つまらない」と駄々をこねて親をこまらせていた子供もみられた。
 山笠をひく威勢のいゝハヤシとかけ声に町別のハッピ、ハチマキをきりりとしめた子使といなせな若者の曳き廻りに見物客の波は動いていつた。なかでも坊主町から大手口までの沿道は人垣で一杯バス路線は迂回コースをとつてスピード遅延を防ごうとしたが、山笠曳きとかち合つたバスは一寸刻みのスローテンポの運行をせねばならぬ。朝日町から山笠のあとを行けば、大手口まで約一時間近くかゝる。乗客も一人減り二人降りしていたがある乗客は「小便したいから降してくれ」と車掌に懇願。これには車掌も断りきれず苦笑して降していた。


町田川の美化を
唐津会議所
観光部会で取上ぐ
唐津商工会議所観光部会(部会長=上野小八郎議員)は、去る二十八日午後三時から町田川美化問題について協議会を開らき、環境衛生向上のためにも都市美高揚のためにも、町田川を美くしく保存することが第一の要請だという見地から、さしあたり川床を清掃しチリやアクタを川に捨てるようなことは、市民の公徳心にうつたえて今後は一切根絶したいという意見が強調せられ、そのため近く町田川に沿うた各町−町田、金谷、京町、魚屋町、木綿町大名小路、千代田町、東材木町の市民が、それぞれ協議会を開らいてその美化推進につき申し合わせるとゝもに、一方会議所および観光協会共同で町田川美化期成についての陳情書を市、県当局に提出し、行く行くは金子市長がこのほど開催された臨時市議会で、議員の質問に対して「腹案」として「町田川を美化するためには、競艇場西町田川々口に″イゼキ″を建設し常に水をたゝえて、ポート遊びなど観光施設をほどこしたい」と答弁した井堰建設まで発展したいという結論に達し、この方針で進むことを決めた。