「母校百年史」より

第二四
 錦繍の秋、
旧唐津小学校
創立百周年記念碑
除幕式と記念式典
及び祝賀会

 天高く、菊薫る錦秋の佳き日、昭和五十年九月二十一日、旧唐津小学校の創立百周年記念式典の日を迎えた。
 明治八年五月、松原小学校が設立されて以来、迂余曲折の中にも耐え抜いて、百年の年輪を刻んだ母校の栄誉を記念し、共に歓ぶ日である。去来する星霜実に一世紀、輝かしい歴史と貴い伝統と美しい校風を継承して今日の巨歩を印したことは、まことに尊く、うるわしい限りである。



唐津小学校創立百周年記念碑除幕式


 この日、式典に先だち記念碑の除幕式が行われた。明治三十三年以来、唐津町の中心に偉容を誇り、幾多の先賢・先輩を送り出した唐津小学校の旧地。今は躍進大唐津の大進軍の中枢機関にその地を譲って、老兵の如く寂しく消え去った唐津小学校の旧地。今日その地に佇めば、尊い恩師、親しい友達、感慨深い講堂、懐しい教室、思い出深い講堂前の左近の桜と右近の橘等々……絵巻物の様に眼前に去来して、今は亡き校舎に唐津市進展のための運命とはいえ、メランコリックな郷愁と愛惜を覚えながら、感謝と慰労の言葉を捧げたい気分に浸る唐津小学校の旧地=唐津市役所玄関前の憩いの広場に、吉光石材会社製の自然石記念碑が、純白の幕に包まれて厳かに座っている。その前に祭壇が設けられ、瀬戸市長以下志道・大成両校々長、育友会長など威儀を正した来賓の参列の中に、修祓、祝祠が戸川唐津神社宮司によって厳修された。愈々白水弘人記念事業実行委員長の除幕である。
頬を紅潮させながら、委員長がサッと除幕の紐を引けば、金色の彫字も鮮かに河村龍夫氏の筆になる「唐津小学校跡」と書かれた記念碑が誇らしげに秋天に誕生した。正に感激の一瞬である。かくて唐津小学校は再びここに息づき、その生命は脈々として永遠に受け継がれて行くであろう。参列者一同の感激の拍手に祝福さて生れた記念碑に、産婆役の白水委員長は感慨深く「地球のあるかぎり、この記念碑は生き続けます」と語っていた。




唐津小学校百周年記念式典会場


 午前十時、記念式典は唐津市文化会館大ホールで開催された。光輝ある母校の創立百周年記念を寿ぎ志道・大成の両小学校の未来を祝福すべく集い来る来賓、同窓生、五十有余名。志道・大成の五六年生二百余名は両校の育友会員の案内にてホールに入場し、友人知己と久闊を述べ合い、母校の百年の思い出に浸っていた。定刻、唐津神祭の曳山の絵の緞帳が上ると、正面上部に「旧唐津小学校百周年記念式典」の大看板が掲げられ、中央演壇の側机の上の千歳の松は、後の眩しいばかりの金屏風に映えて、母校の百周年を寿ぐ如く、大成・志道両校の久遠の姿を祝う如く、記念式典の気分を弥が上にも盛り上げて行った。
 そして松尾武彦志道小学校育友会長の司会で式典は華々しい中にも厳粛に進められた。




唐津小学校百周年記念式典の盛景



  旧唐津小学校創立百周年記念式典

    式  順
  一、開式のことば
  二、君が代斉唱
  三、実行委員長の式辞
  四、経過報告
  五、物故者への黙祷
  六、来賓の祝辞
  七、祝電披露
  八、育友会長の挨拶
  九、唐津小学校の思い出を語る
 一〇、学校長の謝辞
 一一、校歌斉唱
 一二、閉式のことば
 細川芙美子記念事業実行副委員長の開式のことばに続き、君が代斉唱後白水実行委員長は、百周年記念事業の企画と実行の経過に対して謝辞を述べ、今日より更に志道・大成両校は一つの精神と伝統を守って前進すると式辞を述べた。それより旧唐津小学校の先生、先輩、同窓生の物故者に敬虔なる黙祷を捧げ、来賓の祝辞に移った。瀬戸唐津市長は、国家百年の計は教育にあり。唐津地方の教育の中心であった唐津小学校は、その学びの庭に育った樟の木が根を張り、枝を広げ、葉を茂らした姿であったが、大成・志道の両小学校に分離しても、ここの風土に育った伝統と校風は永遠に受け継がれるであろう。教育は実に人である、と祝辞を結ばれた。




記念式典風景


 又吉田明露教育委員長は、唐津市の発展の為に教育の必要性、重要性を力説され、古きを温ね、新しきを知ることの尊さを諭されて今日、先輩後輩が一堂に会して母校の百周年を寿ぐことの感激を讃えられた。
 保利茂衆議院議員、栗山登唐津市会議長の祝電披露に続き、志道・大成両育友会代表者として中村弘毅大成育友会長は、両校育友会の努力により百周年記念の企画も事業も順調に進んだことを謝し、両小学校児童は、この輝かしい歴史と伝統を踏まえて、一歩々々前進することが百周年祭を有意義なものにすることだと挨拶した。続いて唐津小学校の先輩であり、教師であった青木憲太郎先生の思い出話に移り、河村嘉一郎初代唐津市長が、唐津銀行の取締役時代に若い人に対する鍛錬と愛情につき淳々と話され、特に唐津中学校のボートレースに唐津銀行のボートの「艇長」として出場し、強敵を破って優勝された話など興味深いものであった。又坂本卯三郎元唐津小学校長は、唐津小学校の最後の校長で、志道・大成の二小学校に分離した時の苦心などを中心に、十四年間唐津小学校に在勤中の思い出を語られた。先生は唐津小学校に昭和十年に最初に赴任され、昭和二十年に教頭として着任されて、終戦を迎えられて終戦処理に努められ、昭和三十年に校長として三度就任された。そして唐津小学校の廃校に立ち遭われ、次々に壊わされて行く校舎に愛惜の情を禁じ得なかったと感慨深く語られた。特に校舎が解体されて、見借の公民館などへ再度の奉公の為運ばれて行く時、その材料が八十年も経過しているとは思われぬ程の優秀さに驚き、辰野金吾博士の偉大な業蹟に頭の下る思いであったとしみじみ語られた。参列の同窓生は咳声一つなく、先生の話に身の締る思いで謹聴していた。
 次に学校長の謝辞として、大成小学校長米倉先生が昇壇されて志道・大成両小学校育友会合同企画の百年記念式典及び記念碑の建立、記念児童作品展、資料展などの開催に深甚の謝意を述べられた。特に記念誌編纂につき、岩下氏の資料収集についての努力と田中前志道校長の協力を述べられて、記念誌に対する期待の大きいことを話された。
 ここで唐津小学校の校歌の斉唱となった。大成小学校の松村正寿先生が音頭と指揮をとられ、高田重男先生の子息高田久先生のピアノ弾奏で、古い同窓生も昔の生徒に帰り、声張り上げて「常に至誠を旨として……」と歌った。然し声は涙と共に下り、幾度かこみ上げる感激に歌声も途絶え勝ちになりながら勢一杯に、文化会館も揺るげよと歌い続けた。この感激こそ唐津小学校の伝統を築き、校風を生んだ力である。続いて大成小学校五、六年生による同校の校歌と、志道小学校の同じく五、六年生により同校の校歌が、はち切れんばかりの若さと誇りで高らかに、清く、明るく、逞しく世界の海に伸びよう、強く、正しく、明るく力と希望に燃えよ、と合唱された。そして最後に梶山律子実行副委員長の閉式のことばで滞りなく、深い感銘の式典の幕は下りたのである。興奮に紅潮した頬を文化会館の前庭の爽快な秋空に心地よく冷しておれば、二〇〜三〇羽の鳩が輪を画いて飛び、共に唐津小学校の百歳を祝福するようであった。そして北方の高台の空間に雄大なボリュームを構成している白亜の教育殿堂=志道小学校を望見して、兄弟校大成小学校も共に唐津小学校から羽掃き巣立ったこの二つの新校舎の中に育つもの、成長するものに限りない愛と期待をかけて、人間完成の成果を待つのみであった。


 午後一時よりの祝賀会までの間、三階に展示されてある百年間の資料展をのぞいて見る。市開小学枚の卒業証書や、授業料領収袋、唐津高等小学校の卒業記念写真、大正時代の卒業アルバムなど貴重な資料が展示室一杯に所狭しと飾られて、目で見る歴史さながらであった。髪に霜を頂いた老先輩達も眼を輝かせ、声をはずませて、卒業写真に食い入るように見入っていた。そして懐しそうに指で差しながら、友人の名を一人一人呼んでいる人もあり、「石塚の電信棒先生のおらす」など叫び、笑い合う姿も微笑(ホホ)えましい光景であった。
 いよいよ祝賀の宴にうつり、松尾志道育友会長の司会で開宴となり、先ず白水委員長の挨拶の後に、古館正右工門元唐津小学校育友会長の音頭で 「唐津小学校の百周年記念を祝し、志道・大成両小学校の発展を祈り乾杯」の盃を挙げてともに今日の三小学校の最良の日を祝った。そしてステージの舞台では、唐津小学校出身の藤間静千衛さんの「千代の松」の舞踊があでやかに披露され、同じく卒業生の花柳三祐さんの「唐津城」の舞踊が華々しく舞い納められて、今日の祝宴に錦上花を添えて頂いた。この頃より祝賀の宴も酣わとなり、ビールの満を引いて満悦の人、一合の酒に陶然として歌を口ずさむ人、知友と肩を叩きながら懐旧談に時を移す人、人、人……まさに会場は祝賀一色にぬりつぶされて歓喜、歓声交々混り、会場もハチ切れんばかりであった。この中にも松尾武彦育友会長は、忘れ難い思い出として、唐津小学校の給食の最初の箸は自分である。三年生の時養護学級に編入され、最初の給食の席についた。その時の給食の係の先生は、プロ野球の南海電鉄で日本一の遊撃手と称された木塚忠助の姉さんの原ヒサ先生であった。食事の前には必ず「葉がくれ五訓」を唱え、偏食の矯正は厳しかったと感慨深く話していた。
 又田中辰雄前志道小学校長は松原小学校開校より百年の歴史を刻明に綴るべきである。或る学校は、昭和十九年に開校して、二十年には陛下の御真影を焼いて閉校になった所もある。それから見れば百年の栄ある歴史を綴る唐津小学校は幸せである。と感銘深く話されていた。会場の一角から潮の満つ如く湧き上り、広がった「常に至誠を旨として………」の校歌が怒涛の如く唱和され、何時までも続く中に、瀬戸唐津市長の「唐津小学校百周年万歳」の声に満場一斉に唱和して歓声と拍手は会場に溢れ、会員歓喜に酔った。そして中村弘毅大成小学校育友会長の閉会の挨拶で、さしもの祝賀会も幕を閉じたのである。かくも華々しく、かくも感銘深く、晴がましい祝賀会は唐津小学校開校以来のものと思われ、永く学校沿革史を飾るものであろう。会場の外では、秋空はいよいよ高く、花火の煙は次から次へと白い塊を上げるように爆発していた。
 この記念すべき日を迎えて、いよいよ志道・大成の両小学校の使命とも云うべき、人材開発と人間完成の重大なる目的を確認され、「十年後の為に樹を植えよう。百年後の為に人を育てよう。」の一言を提してこの百周年記念誌を終るものである。