唐津市鳥瞰図  吉田初三郎作
唐津は紺屋町に博多屋という老舗の旅館がありました。
そこに残された1冊のアルバムを見て、これは昭和初期の唐津を知る上で貴重な資料であると考え、この度ホームページでご紹介する運びとなりました。この写真集は昭和5年当時の主が、旅館の泊まり客にお見せして説明するために作られたアルバムです。
 絵はがきは大正の広重とうたわれた吉田初三郎画伯が描かれたものです。当時東唐津から博多までの北九州鐵道の広告用に作られたものだと思われますが、なかなか味のあるものです。同時期に描かれた「唐津市鳥瞰図」があります。
 解説も当時の文そのままに載せています。ですから現在では使われない表現がしてありますが、あくまでも当時の文化をありのままの姿でご覧頂きたいと思い、敢えて書き換えることはしておりません。その辺りをご理解の上ご覧頂きますようお願いいたします。
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博多へ来るときゃ 一人で来たが
   帰りゃ 人形と二人連れ

    唐津の博多屋 嬉しひ処
往古より対岸支那朝鮮に至る第一の関門として、様々な史蹟と伝説に彩られた水郷唐津の地は、門司より八二哩、別府より一四九哩、長崎へ一〇四哩、雲仙へ一〇三哩、佐賀へ二九哩、九州の西北部に位し、松浦川の注ぐところ、暖流に恵まれて冬寒からず夏涼しく、一帯の気候温和に、人情亦素朴な海辺の一都邑である。
唐津町
川に跨り、海に臨み、人口約三萬を擁する都邑で、産物は陶器、魚類、魚肥、柑橘、和紙、火山灰、石炭等。
唐津炭の輸出港で、又、香港、上海、新嘉波、馬尼刺、遠くは南北両米航路の大型汽船の載炭港として知られた貿易港である。倫敦コントラクトを扱ふ三井三菱其他の支店もあり、工業としては精巧なる機械製作を以て海外にまで有名な唐津工業所がある。又省線は唐津線によって久保田駅で長崎本線と連絡している。
唐津市案内

これハ九州松浦潟より出でたる僧にて候

謡曲 女郎花に名高い松浦潟は唐津付近海岸の総称である。唐津の町は此の松浦潟に沿ふて横に長く、松浦川を隔て萬松一路、白波の岸を走る、虹の松原に続く風光明媚の地、殊に海水浴の好適地として有名なところである。町は小笠原氏の舊城下、今人口一萬八千余、町の中央を唐津軌道が西から東に−佐志から濱崎まで通じて居る。又北九州鐵道が濱崎から前原まで通じて居る。
此の地は単に風光の明媚、海水浴の好適地なるのみならず、舞鶴公園、虹の松原、近松寺、立神岩、七ツ釜、領布振山、佐用姫神社、名護屋城址等見るべき探るべき名勝史蹟、多く−神功皇后と豊太閤、佐用姫とそして巣林子−豊かな歴史の資料は、優美な風光と相俟って唐津の天地を詩化して居る。